万葉集 巻第十一 2828〜2833番
くれなゐの 濃染の衣を
紅の濃く染めた衣を下に着たら、人の見る前に色が出てしまうだろう。衣がたくさんあればよい、取り替えて着たら君は私の顔を忘れるだろうか。梓弓の弓束を巻き替えるように中で心変わりしても、また引くなら君のままに。渚の船が夕潮を待つよりも私の方が待ち焦がれる。山川に筌を伏せて八年もひそかに思ってきた。池の水があふれても、儲けの溝の方に越えはしない。衣・弓・船・魚・水に寄せた譬喩歌六首。
題詞譬喩
- 1くれなゐくれなゐくれないののの紅之2828
- 2濃濃こ染染ぞめののの衣衣きぬををを深染乃衣乎
- 3下下したににに著著きばばば下著者
- 4人人ひとののの見見みらくらくらくににに人之見久爾
- 5にほひにほひにおい出出いでででむむんかもかもかも仁寶比將出鴨
- 6衣衣ころもしもしもしも衣霜2829
- 7多多おおくくくあらあらあらなむなむなん多在南
- 8取取とりりり易易かへへへててて取易而
- 9著著きなななばばばややや君君きみががが著者也君之
- 10面面おも忘忘わすれれれたらたらたらむむん面忘而有
- 11梓梓あずさ弓弓ゆみ梓弓2830
- 12弓弓ゆ束束つか卷卷まききき易易かへへへ弓束卷易
- 13中中なかににに見見みばばば中見判
- 14更更さらににに引引ひくくくともともとも更雖引
- 15君君きみがががまにまにまにまにまにまに君之隨意
- 16みさごみさごみさご居居いるるる水沙兒居2831
- 17渚渚すににに居居いるるる船船ふねののの渚座船之
- 18夕夕ゆう潮潮しおををを夕鹽乎
- 19待待まつつつらむらむらんよりよりよりははは將待從者
- 20吾吾われこそこそこそ益益まされれれ吾社益
- 21山山やま河河がわににに山河爾2832
- 22筌筌うえををを伏伏ふせせせ置置おきききててて筌乎伏而
- 23守守もりりり敢敢あへへえずずず不肯盛
- 24年年としののの八八や歲歲とせををを年之八歲乎
- 25吾吾わが竊竊ぬすまひまひまいししし吾竊舞師
- 26葦葦あし鴨鴨がもののの葦鴨之2833
- 27多集多集すだくくく池池いけ水水みず多集池水
- 28溢溢はふるるるともともとも雖溢
- 29儲儲まけ溝溝みぞののの方方へににに儲溝方爾
- 30吾吾われ越越こえええめめめやややももも吾將越八方
現代語訳
〔2828〕紅の濃く染めた衣を下に着たなら、人が見ているうちに、色が表ににじみ出てしまうだろうか。
〔2829〕衣がたくさんあればよいのに。取り替えて着たなら、あなたは私の顔を忘れてしまうだろうか。
〔2830〕梓弓の弓束を巻き替えるように、途中で心が変わったとしても、また改めて引くのなら、あなたの思うままに。
〔2831〕みさごのいる渚に留まっている船が夕潮を待っているであろうよりも、私の方がもっと待ち焦がれている。
〔2832〕山川に筌を伏せ置いて番をしきれないように、人目を守りきれずに、年の八年もの間、私はひそかに思いを寄せてきた。
〔2833〕葦鴨の群れる池の水があふれても、儲けの溝の方へ私が越えて行くものか。
意訳
ここから巻第十一の譬喩歌になる。濃く染めた衣を下に着ても色が出るように、秘めた恋はいずれ人に知られるという歌、衣を取り替えれば恋人に顔を忘れられるかという歌、弓束を巻き替えるように心が変わってもまた引くなら従うという女の歌、夕潮を待つ船よりも自分の方が待ち焦がれる歌、筌を伏せ置くようにひそかに八年も思い続けた歌、池の水があふれても他の溝には越えない、ほかの人には心を移さないという誓いが並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 濃染
- 「こぞめ」。濃く染めること。
- にほひ出でむ
- 色がにじみ出るだろう。恋が人に知られる意。
- 弓束
- 「ゆつか」。弓を握る部分に巻く皮など。
- 筌
- 「うへ」。竹で編んだ魚を捕る道具。
- 竊まひし
- 「ぬすまひし」。ひそかに思い続けた。
- 儲溝
- 「まけみぞ」。あふれた水を流すために設けた溝。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・譬喩歌・2828〜2833番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 譬喩歌。作者未詳。左注に寄せた物(衣・弓・船・魚・水)を記す。
修辞
- 譬喩
- 物の名を表に出し、恋の思いを裏にこめる。
- 比喩
- 2833番は、あふれた池水が溝に流れることを、心変わりにたとえる。
解説
譬喩歌は、恋の思いを直接言わず、物の様子に託して表す歌で、左注にそれぞれ何に寄せたかが記されている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、460頁(コマ23)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、530頁(コマ29)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日