万葉集 巻第十一 2771〜2776番
吾妹子が 袖をたのみて
妹の袖を頼みにして、真野の浦の小菅の笠をかぶらずに来た。真野の池の小菅を笠に縫いもしないで、人の噂ばかり立てられるものか。竹の葉に隠れるように背子が私のもとに来ないなら、恋しくなどならないのに。神南備の浅篠原のように慕わしく思う君の声のはっきり聞こえること。谷辺に這う玉葛のように絶える時なく逢う手立てがあればよい。道の辺の草を踏み枯らして私が立ち待っていると妹に告げてほしい。菅・竹・葛・草に寄せた歌六首。
場面イラスト(準備中)
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1吾吾わぎ妹妹も子子こががが吾妹子之2771
- 2袖袖そでをををたのみたのみたのみててて袖乎憑而
- 3眞野眞野まぬののの浦浦うらののの眞野浦之
- 4小小こ菅菅すげののの笠笠かさををを小菅乃笠乎
- 5著著きずずずててて來來きにににけりけりけり不著而來二來有
- 6眞野眞野まぬののの池池いけののの眞野池之2772
- 7小小こ菅菅すげををを笠笠かさににに小菅乎笠爾
- 8縫縫ぬははわずずずしししててて不縫爲而
- 9人人ひとののの遠遠とお名名なををを人之遠名乎
- 10立立たつつつべきべきべきものものものかかか可立物可
- 11さすさすさす竹竹たけののの刺竹2773
- 12葉葉は隱隱こもりりりてててあれあれあれ齒隱有
- 13吾吾わが背背せ子子こががが吾背子之
- 14吾許吾許わがり來來こずずずははは吾許不來者
- 15吾吾われ戀戀こひひいめめめやややももも吾將戀八方
- 16神南備神南備かむなびののの神南備能2774
- 17淺淺あさ小竹小竹しぬ原原はらののの淺小竹原乃
- 18うるはしうるはしうるわしみみみ美
- 19妾妾わががが思思もふふう君君きみががが妾思公之
- 20聲聲こえののの著著しるけくけくけく聲之知家口
- 21山山やま高高たかみみみ山高2775
- 22谷谷たに邊邊べにににはへはへはへるるる谷邊蔓在
- 23玉玉たま蔓蔓かずら玉葛
- 24絕絕たゆるゆるゆる時時ときなくなくなく絕時無
- 25見見みむむむよしよしよしもももがががももも見因毛欲得
- 26道道みちののの邊邊べののの道邊2776
- 27草草くさををを冬冬ふゆ野野ぬににに草冬野丹
- 28履履ふみみみ枯枯からしらしらし履干
- 29吾吾われ立立たちちち待待まつつつととと吾立待跡
- 30妹妹いもににに告告つげげげこそこそこそ妹告乞
現代語訳
〔2771〕いとしい人の袖を頼みにして、真野の浦の小菅の笠をかぶらずに来てしまった。
〔2772〕真野の池の小菅を笠に縫いもしないで、人に遠い噂ばかり立てられてよいものか。
〔2773〕(さす竹の)葉に隠れていてください。あなたが私のもとに来ないのなら、私が恋しく思うことがあろうか。
〔2774〕神南備の浅篠原のように、慕わしく私が思うあなたの声が、はっきりと聞こえることだ。
〔2775〕山が高いので谷辺に這っている玉葛のように、絶える時もなく、逢う手立てがあればよいのに。
〔2776〕道のほとりの草を、冬野のように踏み枯らして、私が立って待っていると、いとしい人に告げておくれ。
意訳
菅・竹・葛・草に寄せた歌である。恋人の袖を笠代わりに頼みにして笠も持たずに来た歌、小菅を笠に縫う、すなわち契りを結ぶこともないのに噂ばかり立つ嘆き、来ないなら恋しくもならないのにという歌、恋人の声がはっきり聞こえる喜び、玉葛のように絶えず逢いたいという願い、草を踏み枯らすほど立ち待っていると恋人に伝えてほしいという歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 眞野
- 「まぬ」。摂津の地名。菅の名所。
- 遠名
- 「とほな」。遠くまで広まる噂。
- さす竹の
- 「葉隱り」にかかる枕詞。
- 吾許
- 「わがり」。私のもと。
- うるはしみ
- 慕わしく思うので。
- 聲の著けく
- 声がはっきり聞こえること。
- 冬野に履み枯らし
- 冬の野のように踏み枯らして。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2771〜2776番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 寄物陳思(菅・竹・葛・草に寄せる)。作者未詳。
修辞
- 比喩
- 2772番は、小菅を笠に縫うことを契りを結ぶことにたとえる。
- 序詞
- 2774番の上二句が「うるはし」を、2775番の上三句が「絶ゆる時なく」を導く。
解説
2776番は、草が枯れるほど何度も行き来して恋人を待つ男の姿を、冬野のイメージで印象深く描いている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、455頁(コマ20)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、524頁(コマ26)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日