万葉集 巻第十一 2757〜2761番
王の 御笠に縫へる
大君の御笠に縫う有馬菅のように、こうしてずっと見ていても変わりのない吾妹。ねんごろに妹を恋うので、丈夫の心も失せてしまった。わが家の穂蓼の古株を摘んで生やし、実になるまで君を待とう。山沢のえぐを摘みに行く日だけでも逢ってください、母が責めても。奥山の岩もとの菅の根のように深く思われる、わが思う妻は。草に寄せた歌五首。
場面イラスト(準備中)
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1王王おおきみののの王之2757
- 2御御み笠笠かさににに縫縫ぬへへえるるる御笠爾縫有
- 3有馬有馬ありま菅菅すげ在間菅
- 4ありありありつつつつつつ見見みれれれどどど有管雖看
- 5事事ことなしなしなし吾吾わぎ妹妹も事無吾妹
- 6菅菅すがののの根根ねののの菅根之2758
- 7ねもころねもころねもころ妹妹いもににに懃妹爾
- 8戀戀こふるふるうるにににししし戀西
- 9丈夫丈夫ますらお心心ごころ益卜男心
- 10念念おもほえほえおえぬぬぬかもかもかも不所念鳧
- 11吾吾わががが屋戸屋戸やどののの吾屋戶之2759
- 12穗穗ほ蓼蓼たで古古ふる幹幹もと穗蓼古幹
- 13採採つみみみ生生はやししし採生之
- 14實實みににになるなるなるまでまでまでににに實成左右二
- 15君君きみをををししし待待またたたむむん君乎志將待
- 16あしひきあしひきあしひきののの足檜之2760
- 17山山やま澤澤さわ回具回具えぐををを山澤回具乎
- 18採採つみみみににに行行ゆかかかむむん採將去
- 19日日ひだにだにだにももも逢逢あははわせせせ日谷毛相爲
- 20母母ははははは責責せむむむともともとも母者責十方
- 21奧奧おく山山やまののの奧山之2761
- 22石石いわもともともと菅菅すげののの石本菅乃
- 23根根ね深深ふかくくくももも根深毛
- 24思思おもほゆるほゆるおゆるかもかもかも所思鴨
- 25吾吾わががが念念おもい妻妻づまははは吾念妻者
現代語訳
〔2757〕大君の御笠に縫う有馬菅のように、こうしてずっと見ていても、変わることもない、いとしい人よ。
〔2758〕(菅の根の)ねんごろにいとしい人を恋い慕っているので、立派な男子としての心も思われなくなってしまった。
〔2759〕わが家の穂蓼の古い株から摘んで生やし、その実がなるまでも、あなたを待とう。
〔2760〕(あしひきの)山の沢のえぐを摘みに行く日だけでも、逢ってください。母は責めようとも。
〔2761〕奥山の岩もとに生える菅の根のように、深く思われることだ。私の思う妻は。
意訳
草に寄せた歌である。いつまで見ても変わらない恋人をたたえる歌、恋に溺れて丈夫の心も失せたという歌、穂蓼の実がなるまで待とうという歌、母に責められてもえぐ摘みの日だけは逢ってほしいという女の歌、菅の根のように深く妻を思う歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 有馬菅
- 「ありますげ」。有馬の菅。「あり」を導く。
- 事なし
- 変わったこともない、無事である。
- 丈夫心
- 「ますらをごころ」。立派な男子としての心。
- 古幹
- 「ふるもと」。古い株。
- 採み生し
- 「つみはやし」。摘んで生やして。
- 回具
- 「ゑぐ」。黒くわいなどの水草。食用にした。
- 念妻
- 「おもひづま」。思う妻。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2757〜2761番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 寄物陳思(草に寄せる)。作者未詳。
修辞
- 序詞
- 2757番の上三句が「あり」を、2761番の上三句が「根深く」を導く。
- 枕詞
- 「菅の根の」「あしひきの」を用いる。
解説
2760番は、母に責められても、えぐ摘みを口実に恋人に逢おうとする娘の大胆な心を伝える。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、454頁(コマ20)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、523頁(コマ25)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日