万葉集 巻第十一 2736〜2742番
風をいたみ 甚振る浪の
風が強いので激しく揺れる波のように絶え間なく思う君は、私を思ってくれているだろうか。三津の白波のように絶え間なく恋しているのを人は知らない。大船が揺れる海に碇を下ろすように、どうすればこの恋は止むのか。沖の荒磯に寄せる波のように行方も知れない私の恋。大船の舳にも艫にも寄せる波のように、寄せられても私は君の心のまま。大海の波には絶え間があるだろうが、君への恋は止む時がない。志賀の海人が焼く塩のように辛い恋をする。海の波と塩に寄せた歌七首。
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1風風かぜをををいたいたいたみみみ風緖痛2736
- 2甚甚いた振振ぶるるる浪浪なみののの甚振浪能
- 3間間あいだ無無なくくく間無
- 4吾吾わががが念念おもふふう君君きみははは吾念君者
- 5相相あい念念おもふふうらむらむらんかかか相念濫香
- 6大伴大伴おおともののの大伴之2737
- 7三津三津みつののの白白しら浪浪なみ三津乃白浪
- 8間間あいだ無無なくくく間無
- 9我我わががが戀戀こふふうらくらくらくををを我戀良苦乎
- 10人人ひとののの知知しらららなくなくなく人之不知久
- 11大大おお船船ぶねののの大船乃2738
- 12たゆたふたゆたふたゆたう海海うみににに絕多經海爾
- 13碇碇いかり下下おろししし重石下
- 14如何如何いかにににせせせばばばかもかもかも何如爲鴨
- 15吾吾わががが戀戀こひひい止止やまままむむん吾戀將止
- 16みさごみさごみさご居居いるるる水沙兒居2739
- 17沖沖おきののの荒荒あり磯磯そににに奧麁礒爾
- 18寄寄よするするする浪浪なみ緣浪
- 19行行ゆく方方へももも知知しらららずずず往方毛不知
- 20吾吾わががが戀戀こふふうらくらくらくははは吾戀久波
- 21大大おお船船ぶねののの大船之2740
- 22舳舳へにににももも艫艫ともにににももも舳毛艫毛
- 23寄寄よするするする浪浪なみ依浪
- 24よすよすよすともともとも吾吾われははは依友吾者
- 25君君きみがががまにまにまにまにまにまに君之任意
- 26大大おお海海うみににに大海二2741
- 27立立たつつつらむらむらん浪浪なみははは立良武浪者
- 28間間あいだあらあらあらむむん間將有
- 29君君きみににに戀戀こふふうらくらくらく公二戀等九
- 30止止やむむむ時時ときももも無無なししし止時毛梨
- 31志珂志珂しかののの海人海人あまののの牡鹿海部乃2742
- 32火氣火氣けぶり燒燒たききき立立たてててててて火氣燒立而
- 33燎燎やくくく鹽鹽しおののの燎鹽乃
- 34辛辛からききき戀戀こいをををももも辛戀毛
- 35吾吾われはははするするするかもかもかも吾爲鴨
現代語訳
〔2736〕風が激しいので、ひどく揺れ動く波のように、絶え間なく私が思っているあなたは、私を思ってくれているだろうか。
〔2737〕大伴の三津の白波のように、絶え間なく私が恋い慕っているのを、人は知らないことだ。
〔2738〕大船が揺れ漂う海に碇を下ろすように、どうしたら、私の恋は止むのだろうか。
〔2739〕みさごのいる沖の荒磯に寄せる波のように、行方もわからない、私の恋は。
〔2740〕大船の舳先にも艫にも寄せる波のように、人がどう噂を寄せても、私はあなたの思うままに。
〔2741〕大海に立つ波には絶え間もあろう。しかし、あなたを恋い慕う思いは、止む時もない。
〔2742〕志賀の海人が煙を立てて焼く塩のように、辛い恋を私はすることだ。
意訳
海の波と塩に寄せた歌である。風に揺れる波のように絶え間なく思う恋人は自分を思ってくれるだろうかという不安、人に知られない絶え間ない恋、碇を下ろして船を止めるように恋を止める方法はないかという嘆き、行方もわからない恋、どんな噂にも心は恋人のままという誓い、海の波にも絶え間はあるのに恋には止む時がないという歌、藻塩焼きの塩のように辛い恋の歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 甚振る
- 「いたぶる」。激しく揺れ動く。
- たゆたふ
- 揺れ漂う。
- 碇
- 白文は「重石」と書く。
- みさご
- 魚を捕る鷹の一種。
- 舳
- 「へ」。船首。
- 艫
- 「とも」。船尾。
- 火氣
- 「けぶり」。煙。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2736〜2742番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 寄物陳思(海の波・塩に寄せる)。作者未詳。2742番は石川君子の作ともいう。
修辞
- 序詞
- 各首の上句が、海や波の様子から恋のありさまを導く。
- 対照
- 2741番は、絶え間のある波と、止む時のない恋を対比する。
解説
2742番の「辛き戀」は、藻塩の塩辛さと恋のつらさを重ねた表現で、後の和歌にも多く用いられた。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、452頁(コマ19)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、521頁(コマ24)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日