万葉集 巻第十一 2731〜2735番
牛窓の 浪の潮騷
牛窓の波の潮騒のように島中に噂された君に、逢えずに終わるのか。左太の浦のこの時を過ごして、後で恋しくなるだろうか。白波の寄せる島の荒磯にでもなればよかった、恋い続けているよりは。潮が満ちると水泡に浮かぶ細かい砂のように、私ははかなく生きているのか、恋に死にもせず。住吉の岸の浦に寄せる波のように、しきりに妹を見るすべがあればよい。浦・波・磯に寄せた歌五首。
場面イラスト(準備中)
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1牛窓牛窓うしまどののの牛窓之2731
- 2浪浪なみののの潮潮しお騷騷さい浪乃鹽左猪
- 3島島しま響響とよみみみ島響
- 4寄寄よそりそりそりししし君君きみににに所依之君爾
- 5逢逢あははわずずずかもかもかもあらあらあらむむん不相鴨將有
- 6おきおきおきつつつ波波なみ奧波2732
- 7邊邊へ浪浪なみののの來來き寄寄よるるる邊浪之來緣
- 8左太左太さだののの浦浦うらののの左太能浦之
- 9こここののの時時さだ過過すぎぎぎててて此左太過而
- 10後後のち戀戀こひひいむむんかもかもかも後將戀可聞
- 11白白しら浪浪なみののの白浪之2733
- 12來來き寄寄よするするする島島しまののの來緣島乃
- 13荒荒あり磯磯そにににももも荒礒爾毛
- 14あらあらあらましましましものものものををを有申物尾
- 15戀戀こひひいつつつつつつあらあらあらずずずははは戀乍不有者
- 16潮潮しお滿滿みてててばばば鹽滿者2734
- 17水水み沫沫なわににに浮浮うかぶぶぶ水沫爾浮
- 18細砂細砂まなごにににももも細砂裳
- 19吾吾われははは生生いけけけるるるかかか吾者生鹿
- 20戀戀こひひいははは死死しなななずずずててて戀者不死而
- 21住吉住吉すみのえののの住吉之2735
- 22岸岸きしののの浦浦うら回回みににに城師乃浦箕爾
- 23重重しくくく浪浪なみののの布浪之
- 24しくしくしくしくしくしく妹妹いもををを數妹乎
- 25見見みむむむよしよしよしもももがががももも見因欲得
現代語訳
〔2731〕牛窓の波の潮騒が島中に響くように、噂で私と関係づけられたあなたに、逢えないままに終わるのだろうか。
〔2732〕沖の波、岸辺の波が寄せて来る左太の浦の名のように、この時を逃してしまって、後で恋しく思うのだろうか。
〔2733〕白波が寄せて来る島の荒磯にでも、なっていればよかったのに。こうして恋い続けているよりは。
〔2734〕潮が満ちると水泡に浮かぶ細かい砂のように、私ははかなく生きているのだろうか。恋のために死にもせずに。
〔2735〕住吉の岸の浦に重ねて寄せる波のように、しきりにいとしい人を見る手立てがあればよいのに。
意訳
浦・波・磯に寄せた歌である。潮騒のように島中に噂された恋人に逢えずに終わるのかという嘆き、この時を逃して後で後悔するのではないかという歌、恋に苦しむよりは荒磯になってしまいたいという歌、水泡に浮かぶ砂のようにはかなく生きながらえる身、寄せては返す波のようにしきりに恋人に逢いたいという願いが並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 牛窓
- 備前の地名。
- 潮騷
- 「しほさゐ」。潮が満ちてくる時の波音。
- 寄そりし
- 噂で関係づけられた。
- 左太
- 「さだ」。地名と「時」(さだ)を掛ける。
- 水沫
- 「みなわ」。水の泡。
- 細砂
- 「まなご」。細かい砂。
- 重く浪
- 「しくなみ」。重ねて寄せる波。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2731〜2735番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 寄物陳思(浦・波・磯に寄せる)。作者未詳。
修辞
- 序詞
- 2731番の上三句が「寄そり」を、2732番の上三句が「時」(さだ)を、2735番の上三句が「しくしく」を導く。
- 掛詞
- 2732番の「左太」と「時」(さだ)。
解説
2733番は、恋の苦しみから逃れるために荒磯という無心の自然物になりたいと願う歌である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、452頁(コマ19)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、521頁(コマ24)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日