万葉集 巻第十一 2709〜2713番
吾妹子に 吾が戀ふらくは
妹を恋う思いは、水ならばしがらみを越えて流れて行きそうだ。不知也河のように「知らない」と言って、私の名を明かさないで。奥山の木の葉に隠れて流れる水の音を聞いてから、いつも忘れられない。言葉が激しいなら途中で淀ませて、水無川のように絶えるなどということがないように。明日香川の早瀬のように早く来るかと待つ妹を、今日も待たせて日を暮らした。川に寄せた歌五首。
場面イラスト(準備中)
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1吾吾わぎ妹妹も子子こににに吾妹子2709
- 2吾吾わががが戀戀こふふうらくらくらくははは吾戀樂者
- 3水水みずならならならばばば水有者
- 4笧笧しがらみ越越こえええててて之賀良三超而
- 5行行ゆくくくべくべくべくぞぞぞ思思おもふふう應逝衣思
- 6犬上犬上いぬがみののの狗上之2710
- 7鳥籠鳥籠とこののの山山やまなるなるなる鳥籠山爾有
- 8不知也不知也いさや河河がわ不知也河
- 9不知不知いさとととををを聞聞きこせせせ不知二五寸許瀨
- 10我我わががが名名な告告のらららすすすななな余名告奈
- 11奧奧おく山山やまののの奧山之2711
- 12木木こ葉葉のは隱隱がくりりりててて木葉隱而
- 13行行ゆくくく水水みずののの行水乃
- 14音音おと聞聞ききききしししよりよりより音聞從
- 15常常つね忘忘わすらえらえらえずずず常不所忘
- 16言言こととくとくとくばばば言急者2712
- 17中中なかははは不通不通よどままませせせ中波余騰益
- 18水無水無みなし河河がわ水無河
- 19絕絕たゆゆゆとととふふふことことことををを絕跡云事乎
- 20有有ありりりこすこすこすななな勤勤ゆめ有超名湯目
- 21明日香明日香あすか河河がわ明日香河2713
- 22行行ゆくくく瀨瀨せををを早早はやみみみ逝湍乎早見
- 23早早はやけけけむむんととと將速登
- 24待待まつつつらむらむらん妹妹いもををを待良武妹乎
- 25此此こののの日日ひ暮暮くらしらしらしつつつ此日晩津
現代語訳
〔2709〕いとしい人を私が恋い慕う思いは、もし水であったなら、しがらみを越えて流れて行ってしまいそうに思う。
〔2710〕犬上の鳥籠の山にある不知也河の名のように、「いさ、知らない」とおっしゃって、私の名を明かさないでください。
〔2711〕奥山の木の葉に隠れて流れる水の音のように、噂を聞いてから、いつも忘れられないことだ。
〔2712〕人の言葉が激しいなら、途中は淀ませてもよい。水無川のように絶えるということが、決してないように。
〔2713〕明日香川の行く瀬が速いように、早く来るだろうと待っているいとしい人を、今日もこうして待たせて日を暮らしてしまった。
意訳
川に寄せた歌である。しがらみも越えてあふれ出しそうな恋心、川の名「いさや」にかけて自分の名を明かさないでと頼む歌、木の葉に隠れて流れる水の音のように噂に聞いた人が忘れられない歌、噂がうるさいなら逢うのを控えてもよいが仲が絶えないようにという願い、明日香川の早瀬のように早く来てほしいと待つ恋人を待たせてしまった歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 笧
- 「しがらみ」。川の流れをせき止めるために杭を打って柴や竹を絡ませたもの。
- 不知也河
- 「いさやがは」。近江の川。「いさ」(さあ、知らない)を導く。
- 言とくば
- 人の言葉が激しいなら。
- 不通ませ
- 「よどませ」。淀ませよ。
- 水無河
- 「みなしがは」。水のない川。「絶ゆ」を導く。
- 勤
- 「ゆめ」。決して。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2709〜2713番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 寄物陳思(川に寄せる)。作者未詳。
修辞
- 序詞
- 2710番の上三句が「いさ」を、2711番の上三句が「音」を、2713番の上二句が「早け」を導く。
- 掛詞
- 2710番の「不知也河」と「いさ」。
解説
2709番は、恋心をしがらみを越える水にたとえ、抑えきれない思いを表した歌である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、450頁(コマ18)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、519頁(コマ23)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日