万葉集 巻第十一 2694〜2697番
あしひきの 山鳥の尾の
山鳥の尾のような一つ峰を越えて一目見ただけの子に、これほど恋するものか。妹に逢う手立てがないので、駿河の富士の高嶺のように燃え続けるのか。荒熊の住むという師歯迫山のように責めて問うても、あなたの名は明かすまい。妹の名も私の名も立つのが惜しいので、富士の高嶺のように燃え続けている。山に寄せた歌四首。
場面イラスト(準備中)
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1あしひきあしひきあしひきののの足日木之2694
- 2山山やま鳥鳥どりののの尾尾をののの山鳥尾乃
- 3一一ひと峯峯お越越こえええ一峯越
- 4一一ひと目目め見見みししし兒兒こににに一目見之兒爾
- 5戀戀こふふうべきべきべきものものものかかか應戀鬼香
- 6吾吾わぎ妹妹も子子こににに吾妹子爾2695
- 7逢逢あふふう緣緣よしををを無無なみみみ相緣乎無
- 8駿河駿河するがなるなるなる駿河有
- 9不盡不盡ふじののの高高たか嶺嶺ねののの不盡乃高嶺之
- 10燒燒もえええつつつつつつかかかあらあらあらむむん燒管香將有
- 11荒荒あら熊熊くまののの荒熊之2696
- 12住住すむむむとととふふふ山山やまののの住云山之
- 13師齒迫師齒迫しはせ山山やま師齒迫山
- 14責責せめめめててて問問とふふうともともとも責而雖問
- 15汝汝なががが名名なははは告告のらららじじじ汝名者不告
- 16妹妹いもががが名名なももも妹之名毛2697
- 17吾吾わががが名名なももも立立たたたたばばば吾名毛立者
- 18惜惜おしみしみしみこそこそこそ惜社
- 19布仕布仕ふじののの高高たか嶺嶺ねののの布仕能高嶺之
- 20燒燒もえええつつつつつつ渡渡わたれれれ燒乍渡
現代語訳
〔2694〕(あしひきの)山鳥の尾のような一つの峰を越えて、一目見ただけの子に、これほど恋い焦がれるものだろうか。
〔2695〕いとしい人に逢う手立てがないので、駿河にある富士の高嶺のように、私は燃え続けるのだろうか。
〔2696〕荒熊が住むという山の師歯迫山のように、責めて問いつめられても、あなたの名は明かすまい。
〔2697〕いとしい人の名も私の名も、噂に立ったら惜しいからこそ、富士の高嶺のように、心の中で燃え続けているのだ。
意訳
山に寄せた歌である。峰を越えて一目見ただけの娘に恋い焦がれる歌、逢うすべもなく富士の高嶺のように燃え続ける恋、どんなに責められても恋人の名は明かさないという誓い、二人の名が立つのを恐れて心の中で燃え続ける恋の歌が並ぶ。富士の噴煙を恋の思いにたとえる二首を含む。
語釈・文法注
文法・本文
- 一峯
- 「ひとを」。一つの峰。
- 應戀
- 「こふべき」。恋い焦がれるはずの。
- 不盡の高嶺
- 富士山。当時は噴煙を上げていた。
- 燒えつつ
- 「もえつつ」。燃え続けて。
- 師齒迫山
- 「しはせやま」。所在未詳。「責め」を導く。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2694〜2697番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 寄物陳思(山に寄せる)。作者未詳。
修辞
- 序詞
- 2694番の上三句が「一目」を、2696番の上三句が「責め」を導く。
- 比喩
- 2695・2697番は、富士の噴煙を燃える恋心にたとえる。
解説
2695・2697番は、噴煙を上げる富士山を恋の炎にたとえた歌で、富士を恋の思いに重ねる発想は後の和歌にも受け継がれた。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、449頁(コマ17)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、517頁(コマ22)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日