万葉集 巻第十一 2656〜2661番
天飛ぶや 輕の社の
軽の社の神聖な槻の木のように、いつまで隠れ妻でいるのか。神名火に神籬を立てて身を慎んでも、人の心は守りきれない。雷の音のように噂にだけ聞き続けるのか。争えば神も憎む、ままよ、私と噂される君が憎くはないのに。夜ごとに君が来てほしいと神の社に祈らない日はない。神も私を見捨ててください、命は惜しくもない。社・神に寄せた歌六首。
場面イラスト(準備中)
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1天天あま飛飛とぶぶぶややや天飛也2656
- 2輕輕かるののの社社やしろののの輕乃社之
- 3齋齋いわい槻槻つき齋槻
- 4幾幾いく世世よまでまでまであらあらあらむむん幾世及將有
- 5隱隱こもり嬬嬬づまぞぞぞももも隱嬬其毛
- 6神名火神名火かむなびににに神名火爾2657
- 7神籬神籬ひもろぎ立立たてててててて紐呂寸立而
- 8齋齋いわへへえどもどもども雖忌
- 9人人ひとののの心心こころははは人心者
- 10守守まもりりり敢敢あへへえぬぬぬものものもの間守不敢物
- 11天天あま雲雲ぐもののの天雲之2658
- 12八八や重重へ雲雲ぐも隱隱がくりりり八重雲隱
- 13鳴鳴なるるる神神かみののの鳴神之
- 14音音おとのみのみのみにににやもやもやも音耳爾八方
- 15聞聞きききき渡渡わたりりりなむなむなん聞度南
- 16爭爭あらそへへえばばば爭者2659
- 17神神かみももも惡惡にくままますすす神毛惡爲
- 18よしゑやしよしゑやしよしえやし縱咲八師
- 19よそふるよそふるよそうる君君きみががが世副流君之
- 20惡惡にくからからからなくなくなくににに惡有莫君爾
- 21夜夜よ並並ならべべべててて夜並而2660
- 22君君きみををを來來きままませせせととと君乎來座跡
- 23ちはやぶるちはやぶるちはやぶる千石破
- 24神神かみののの社社やしろををを神社乎
- 25祈祈のまままぬぬぬ日日ひははは無無なししし不祈日者無
- 26靈靈たま幸幸ちわふふう靈治波布2661
- 27神神かみももも吾吾われをををばばば神毛吾者
- 28打打うつ棄棄てこそこそこそ打棄乞
- 29しゑやしゑやしえや命命いのちののの四惠也壽之
- 30惜惜おしけくしけくしけくももも無無なししし惜無
現代語訳
〔2656〕(天飛ぶや)軽の社の神聖な槻の木のように、いつの世まで人目を忍ぶ隠れ妻でいるのだろうか。
〔2657〕神名火に神籬を立てて身を慎み守っても、人の心は守りきれないものだ。
〔2658〕天雲の幾重にも重なる雲に隠れて鳴る雷の音のように、噂にばかり聞き続けるのだろうか。
〔2659〕言い争えば神も憎まれる。ええままよ、私と噂されるあなたが、憎いわけではないのに。
〔2660〕夜ごとに、あなたが来てくださるようにと、(ちはやぶる)神の社に祈らない日はない。
〔2661〕(靈幸ふ)神も私を見捨ててください。ええままよ、命など惜しくもない。
意訳
社と神に寄せた歌である。神聖な槻の木のように人目を忍ぶ隠れ妻の身を嘆く歌、神籬を立てて慎んでも人の心は守れないという歌、雷の音のように噂ばかり聞いて逢えない歌、噂を否定して争えば神も憎むだろう、あなたが憎いわけではないという歌、毎晩恋人が来るよう神に祈る歌、恋に絶望して神にも見捨てられてよいという激しい歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 天飛ぶや
- 「輕」にかかる枕詞。
- 齋槻
- 「いはひつき」。神聖な槻の木。
- 隱嬬
- 「こもりづま」。人目を忍ぶ妻。
- 神籬
- 「ひもろぎ」。神を祭るために立てる木。
- よそふる
- 噂で関係づける。
- 夜並べて
- 幾夜も続けて。
- 靈幸ふ
- 「たまちはふ」。霊威が盛んな意で「神」にかかる枕詞。
- 打棄てこそ
- 「うつてこそ」。捨ててほしい。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2656〜2661番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 寄物陳思(社・神に寄せる)。作者未詳。
修辞
- 序詞
- 2656番の上三句が「幾世」を、2658番の上三句が「音」を導く。
- 枕詞
- 「天飛ぶや」「ちはやぶる」「靈幸ふ」を用いる。
解説
2661番は、神にも見捨てられてよい、命も惜しくないという、恋に絶望した者の激しい叫びである。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、447頁(コマ16)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、514頁(コマ21)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日