万葉集 巻第十一 2582〜2586番
あぢき無く 何の枉言
つまらない、何というたわごとか、今さら子どものような言葉を口にする年寄りの身で。逢ってまだいくらも経たないのに、年月のように思われる。丈夫と思っていた私をこれほど恋させるのはむごい。こうして待つかいがないのか、世の人はみな常住ではないのに。人の噂がうるさいので君に使いも送らないが、忘れたと思わないで。正述心緒の歌五首。
場面イラスト(準備中)
題詞(正に心緒を述ぶ)
- 1あぢきあぢきあじき無無なくくく小豆奈九2582
- 2何何なにののの枉枉たわ言言こと何枉言
- 3いまいまいま更更さらににに今更
- 4小小わら童童わ言言こと爲爲するるる小童言爲流
- 5老老おい人人ひとにににしししててて老人二四手
- 6相相あい見見みててて相見而2583
- 7幾幾いくばくくく久久ひさももも幾久毛
- 8あらあらあらなくなくなくににに不有爾
- 9年年とし月月つきののの如如ごと如年月
- 10思思おもほゆるほゆるおゆるかもかもかも所思可聞
- 11丈夫丈夫ますらおととと大夫登2584
- 12念念おもへへえるるる吾吾われををを念有吾乎
- 13斯斯かくくくばかりばかりばかり如是許
- 14戀戀こいせせせしむるしむるしむるははは令戀波
- 15苛苛からくくくはははありありありけりけりけり小可者在來
- 16斯斯かくくくしししつつつつつつ如是爲乍2585
- 17吾吾わががが待待まつつつしるししるししるし吾待印
- 18あらあらあらぬぬぬかもかもかも有鴨
- 19世世よののの人人ひと皆皆みなののの世人皆乃
- 20常常つねならならならなくなくなくににに常不在國
- 21人人ひと言言ごとををを人事2586
- 22繁繁しげみみみととと君君きみににに茂君
- 23玉玉たま梓梓ずさののの玉梓之
- 24使使つかいももも遣遣やらららずずず使不遣
- 25忘忘わするるるととと思思おもふふうななな忘跡思名
現代語訳
〔2582〕つまらないことに、何というたわごとか。今さら子どものような言葉を口にすることよ、年寄りの身でありながら。
〔2583〕逢ってから、まだいくらも経っていないのに、年月が過ぎたように思われることだ。
〔2584〕立派な男子だと思っていた私を、これほどまでに恋させるのは、むごいことだ。
〔2585〕こうして私が待っているかいもないのだろうか。世の人はみな、いつまでも生きているわけではないのに。
〔2586〕人の噂がうるさいので、あなたに(玉梓の)使いも送らずにいるが、忘れたのだとは思わないでください。
意訳
正述心緒の歌の続きである。年甲斐もなく子どものような恋の言葉を口にする自分を嘲る老いの恋、逢ってまもないのに長い年月のように思われる歌、丈夫を自負する自分をこれほど苦しめる恋の辛さ、人の命は限りあるのに待つかいのない嘆き、噂を恐れて便りをしないが忘れたのではないという弁明が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 枉言
- 「たはこと」。たわごと。
- 小童言
- 「わらはこと」。子どもじみた言葉。
- 幾く久も
- 「いくばくひさも」。どれほども長くは。
- 苛く
- 「からく」。むごく、つらく。
- 人言を繁みと
- 人の噂がうるさいので。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2582〜2586番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 正述心緒。作者未詳。
修辞
- 戯書
- 2582番の「小豆奈九」(あぢきなく)。
- 枕詞
- 2586番の「玉梓の」が「使」にかかる。
解説
2582番は老いらくの恋を自嘲する歌で、2584番の「丈夫」の自負が恋の前に崩れる歌とともに、男の恋のさまを率直に描いている。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、441頁(コマ13)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、507頁(コマ17)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日