万葉集 巻第十一 2572〜2576番
僞も 似つきてぞ爲る
嘘をつくにしても本当らしくつくものだ、いつから見ぬ人を恋して死んだ人がいたというのか。心まで捧げた君に、言わなかったことを言ったと嘘をつくものか。せめて面影を忘れようと拳で打っても懲りない恋という奴。君に逢える前触れに眉をかいた。人目を盗んで葦垣越しに妹を見ただけで噂が多い。正述心緒の歌五首。
場面イラスト(準備中)
題詞(正に心緒を述ぶ)
- 1僞僞いつわりももも僞毛2572
- 2似似につきつきつきてててぞぞぞ爲爲するるる似付曾爲
- 3何時何時いつよりよりよりかかか何時從鹿
- 4見見みぬぬぬ人人ひと戀戀こふふうににに不見人戀爾
- 5人人ひとののの死死しにせせせししし人之死爲
- 6情情こころさへさへさへ情左倍2573
- 7奉奉まつれれれるるる君君きみににに奉有君爾
- 8何何なにをををかもかもかも何物乎鴨
- 9言言いははわずずず言言いひひいしししととと不云言此跡
- 10吾吾わががが食言食言ぬすまははわむむん吾將竊食
- 11面面おも忘忘わすれれれ面忘2574
- 12だにだにだにももも得得え爲爲すやややととと太爾毛得爲也登
- 13手手た握握にぎりりりててて手握而
- 14打打うてててどもどもどもこりこりこりずずず雖打不寒
- 15戀戀こいととといふいふいう奴奴やつこ戀云奴
- 16めづらしきめづらしきめずらしき希將見2575
- 17君君きみををを見見みむむむとととぞぞぞ君乎見常衣
- 18左手左手ひだりてののの左手之
- 19弓弓ゆみ執執とるるる方方かたののの執弓方之
- 20眉根眉根まよねかきかきかきつれつれつれ眉根搔禮
- 21人人ひと間間ま守守もりりり人間守2576
- 22葦葦あし垣垣がき越越ごしししににに蘆垣越爾
- 23吾吾わぎ妹妹も子子こををを吾妹子乎
- 24相相あい見見みししし故故からににに相見之柄二
- 25言言ことぞぞぞさたさたさた多多おおききき事曾左太多寸
現代語訳
〔2572〕嘘をつくにしても、もっと本当らしくつくものだ。いつから、逢ったこともない人を恋して死んだ人がいたというのか。
〔2573〕心までも捧げたあなたに、どうして、言わなかったことを言ったなどと、私が嘘をつくだろうか。
〔2574〕せめて面影を忘れることでもできようかと、拳を握って打ちのめしても懲りない、恋という奴は。
〔2575〕めったに逢えないあなたに逢える前触れだと思って、弓を持つ左手の側の眉をかいたことだ。
〔2576〕人目のすきをうかがって、葦垣越しにいとしい人を見ただけなのに、噂ばかりが多いことだ。
意訳
正述心緒の歌の続きである。逢ったこともない人に恋い死ぬなどという相手の言葉を嘘だとなじる歌、心まで捧げた人に嘘はつかないという誓い、打ちのめしても懲りない恋を「奴」と擬人化した歌、眉がかゆいのを恋人に逢える前兆とする歌、ちらりと見ただけで噂が立つ嘆きが並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 似つきてぞ爲る
- 本当らしくするものだ。
- 食言はむ
- 「ぬすまはむ」。嘘をつこう。白文は「竊食」と書く。
- 奴
- 「やつこ」。卑しめていう語。恋を擬人化する。
- 眉根かきつれ
- 眉がかゆいのは恋人に逢える前兆とされた。
- 人間守り
- 「ひとまもり」。人目のすきをうかがって。
- さた
- 噂。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2572〜2576番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 正述心緒。作者未詳。
修辞
- 擬人法
- 2574番は恋を「奴」と呼ぶ。
- 俗信
- 2575番は眉のかゆみを逢瀬の前兆とする。
解説
2574番の「戀といふ奴」は、手に負えない恋心をののしるユーモアのある表現として知られる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、441頁(コマ13)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、506頁(コマ17)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日