万葉集 巻第十一 2517〜2521番
垂乳根の 母に障らば
母に妨げられたらむなしく、あなたも私も事が成るだろうか。私を送ると白い袖が濡れるほど泣いた妹が思われる。板戸を押し開いて出て来て、後ではどうしよう。一重を敷いて寝ても君と寝れば寒くない。紅顔の君をちらりと思い出して嘆く。作者未詳の正述心緒の歌五首。
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題詞正に心緒を述ぶ
- 1垂乳根垂乳根たらちねののの足千根乃2517
- 2母母ははににに障障さわらららばばば母爾障良婆
- 3いたづらいたづらいたずらににに無用
- 4汝汝いましももも吾吾われももも伊麻思毛吾毛
- 5事事こと成成なるるるべしべしべしややや事應成
- 6吾吾わぎ妹妹も子子こししし吾妹子之2518
- 7吾吾われををを送送おくるるるととと吾呼送跡
- 8白白しろ細細たえ布布の白細布乃
- 9袖袖そで漬漬ひづづずまでまでまでににに袂漬左右二
- 10哭哭なきききししし念念おもほゆほゆおゆ哭四所念
- 11奧奧おく山山やまののの奧山之2519
- 12眞眞ま木木きののの板板いた戸戸どををを眞木乃板戸乎
- 13おしおしおし開開ひらききき押開
- 14しゑやしゑやしえや出出いででで來來こねねね思惠也出來根
- 15後後のちははは何何なにせせせむむん後者何將爲
- 16苅苅かり薦薦こもののの苅薦能2520
- 17一一ひと重重へををを敷敷しきききててて一重叫敷而
- 18さささ眠眠ぬれれれどもどもども紗眠友
- 19君君きみががが共共むた宿宿ねれれればばば君共宿者
- 20寒寒さむけけけくくくもももなしなしなし冷雲梨
- 21杜若杜若かきつばた垣幡2521
- 22丹丹にづらふづらふずらう君君きみををを丹頰經君叫
- 23いささめいささめいささめににに率爾
- 24思思おもひひい出出いでででつつつつつつ思出乍
- 25嘆嘆なげきききつるつるつるかもかもかも嘆鶴鴨
現代語訳
〔2517〕(垂乳根の)母に妨げられたなら、むなしく、あなたも私も、恋が成就するだろうか。
〔2518〕いとしい人が私を見送るとて、白い袖が濡れるほどに泣いたことが思い出される。
〔2519〕奥山の真木の板戸を押し開けて、ええままよ、出て来ておくれ。後になってはどうしようもない。
〔2520〕(苅薦の)一重を敷いて寝ても、あなたと共に寝るなら寒くもない。
〔2521〕(杜若)赤みのさした美しいあなたを、ふと思い出しては嘆いていることだ。
意訳
人麻呂歌集以外の正述心緒の歌の始まりである。母の反対があれば恋は実るまいという不安、見送りで袖を濡らして泣いた恋人を思い出す歌、板戸を押し開けて今すぐ出て来てほしいと誘う歌、粗末な一重の敷物でも恋人と寝れば寒くないという歌、ふと恋人を思い出して嘆く歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 障らば
- 「さはらば」。妨げられたなら。
- 漬づ
- 「ひづ」。濡れる。
- しゑや
- ええままよ。
- 苅薦
- 刈り取った真菰。「一重」にかかる。
- いささめに
- ふと、かりそめに。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2517〜2521番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 正述心緒。作者未詳。
修辞
- 枕詞
- 「垂乳根の」「苅薦の」「杜若」を用いる。
解説
巻第十一の正述心緒は、人麻呂歌集の四十七首に続いて、作者未詳の歌が百首あまり並ぶ。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、437頁(コマ11)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、502頁(コマ15)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日