万葉集 巻第十一 2508〜2516番
皇祖の 神の御門を
天皇の宮殿を恐れ慎んでお仕えする時に逢った君。鏡のように見たとは言うまい、石垣淵に隠れた妻を。赤駒の足が速いので雲の彼方に隠れて行く、袖を巻いて寝よ妹。泊瀬への道は恐ろしい道、恋はほどほどに。三諸山の月のように見たい君の馬の音がする。雷が鳴って雨が降れば君は留まるか、降らなくても妹が留めれば留まろう。枕が動いて眠れなくても後に逢おう、その枕には苔が生えたろう。人麻呂歌集の問答九首。
題詞問答
- 1皇祖皇祖すろきののの皇祖乃2508 問
- 2神神かみののの御御み門門かどををを神御門乎
- 3懼懼かしこみみみととと懼見等
- 4侍侍さもらふふう時時ときににに侍從時爾
- 5逢逢あへへえるるる君君きみかもかもかも相流公鴨
- 6まそまそまそ鏡鏡かがみ眞祖鏡2509 答
- 7見見みともともとも言言いははわめめめややや雖見言哉
- 8玉玉たま耀耀かぎるるる玉限
- 9石石いわ垣垣がき淵淵ふちののの石垣淵乃
- 10隱隱こもりりりたるたるたる妻妻つま隱而在孋
- 11赤赤あか駒駒ごまののの赤駒之2510 問
- 12足足あ掻掻がき速速はやけけけばばば足我枳速者
- 13雲雲くも居居いにににももも雲居爾毛
- 14隱隱かくりりり往往ゆかかかむむんぞぞぞ隱往序
- 15袖袖そで卷卷まけけけ吾吾わぎ妹妹も袖卷吾妹
- 16隱口隱口こもりくののの隱口乃2511 答
- 17豐豐とよ泊瀨泊瀨はつせ道道じははは豐泊瀨道者
- 18常常とこ滑滑なめののの常滑乃
- 19恐恐かしこききき道道みちぞぞぞ恐道曾
- 20戀戀こふらくふらくうらくはははゆめゆめゆめ戀由眼
- 21味酒味酒うまさけののの味酒之2512 答
- 22三諸三諸みもろののの山山やまににに三毛侶乃山爾
- 23立立たつつつ月月つきののの立月之
- 24見見みががが欲欲ほししし君君きみががが見我欲君我
- 25馬馬うまののの音音おとぞぞぞ爲爲するるる馬之音曾爲
- 26雷神雷神なるかみののの雷神2513 問
- 27少少すこししし動動とよみみみててて小動
- 28さしさしさし曇曇くもりりり刺雲
- 29雨雨あめののの零零ふらららばばばややや雨零耶
- 30君君きみががが留留とまらららむむん君將留
- 31雷神雷神なるかみののの雷神2514 答
- 32少少すこししし動動とよみみみててて小動
- 33零零ふらららずずずともともとも雖不零
- 34吾吾われははは留留とまらららむむん吾將留
- 35妹妹いもししし留留とどめめめばばば妹留者
- 36布細布布細布しきたえののの布細布2515 問
- 37枕枕まくら動動うごきききててて枕動
- 38夜夜よももも寐寐いねねねずずず夜不寐
- 39思思おもふふう人人ひとにににははは思人
- 40後後のちももも逢逢あははわむむんものものもの後相物
- 41しきたへしきたへしきたえののの敷細布2516 答
- 42枕枕まくらきききししし人人ひと枕人
- 43言言こと問問とへへえややや事問哉
- 44其其そののの枕枕まくらにににははは其枕
- 45苔苔こけ生生おひひいたらたらたらむむん苔生負爲
現代語訳
〔2508〕(問)天皇の宮殿をかしこまって、お仕えしている時に、出逢ったあなたであることよ。
〔2509〕(答)(まそ鏡)見たなどと言えようか。(玉耀る)石垣に囲まれた淵のように隠れている妻を。
〔2510〕(問)赤駒の足取りが速いので、雲の彼方にも隠れて行ってしまうだろう。袖を巻いて寝ておくれ、いとしい人よ。
〔2511〕(答)(隠口の)豊泊瀬への道は、なめらかな岩の恐ろしい道です。恋しさのあまり無理はなさいますな。
〔2512〕(答)(味酒の)三諸の山に立つ月のように、見たいと思うあなたの、馬の足音がする。
〔2513〕(問)雷が少し鳴り響いて空が曇り、雨が降ったなら、あなたはここに留まってくださるだろうか。
〔2514〕(答)雷が少し鳴り響いて、たとえ雨が降らなくても、私は留まろう。あなたが引き留めるなら。
〔2515〕(問)(布細布の)枕が動いて、夜も眠れない。思うあの人には、後にも逢えるものなのに。
〔2516〕(答)(しきたへの)共寝した人が訪ねてくるだろうか。その人の枕には苔が生えているだろうに。
意訳
人麻呂歌集の問答歌である。宮仕えの最中に出逢った恋人に呼びかける男と、隠し妻のことは人に見たとは言えないと答える歌、馬で帰って行く男が妻に袖を巻いて寝よと言い、泊瀬の険しい道を案じる女、三輪山の月のように見たい人の馬の音を喜ぶ歌が続く。雷に寄せて、雨が降れば留まってくれるかと問う女に、降らなくてもあなたが留めるなら留まろうと答える男の問答はよく知られる。枕が動いて眠れないと訴える歌に、共寝しなくなって久しい枕には苔が生えているだろうと答える歌で、人麻呂歌集の歌群は終わる。
語釈・文法注
文法・本文
- 皇祖
- 「すろき」。天皇の祖先、天皇。
- 侍ふ
- 「さもらふ」。仕える、伺候する。
- 足掻
- 「あがき」。馬が足で地をかくこと、足取り。
- 常滑
- 「とこなめ」。いつも水に濡れて滑らかな岩。
- ゆめ
- 決して…するな。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2508〜2516番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 問答。柿本人麻呂歌集に出る。
修辞
- 問答
- 2513番と2514番は「雷神の少し動みて」をくり返して問いと答えを対応させる。
- 枕詞
- 「まそ鏡」「隠口の」「味酒の」「しきたへの」などを用いる。
解説
2513・2514番の雷の問答は、映画やドラマにも引かれる、万葉集でも特に親しまれている恋の歌である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、436頁(コマ11)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、501頁(コマ14)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日