万葉集 巻第十一 2491〜2497番
妹に戀ひ 寐ねぬ朝明に
妹を恋うて眠れない朝に鴛鴦が飛ぶのは妹の使いか。思いあまって鳰鳥のように足を濡らして来たのを人が見たか。高山の峰を行く鹿のように友が多くて袖を振らずに来た。船を漕ぐ間もこれほど恋しい。母が養う蚕のこもる繭のような妹を見たい。肥人の額髪を結う染木綿のように染めた心を忘れまい。隼人の夜声のようにはっきり名を告げた、妻と頼め。鳥・獣・蚕などに寄せた歌七首。
題詞(物に寄せて思を陳ぶ)
- 1妹妹いもににに戀戀こひひい妹戀2491
- 2寐寐いねねねぬぬぬ朝朝あさ明明けににに不寐朝明
- 3鴛鴦鴛鴦おしどりののの男爲鳥
- 4ここここここゆゆゆわたるわたるわたるははは從是此度
- 5妹妹いもががが使使つかいかかか妹使
- 6念念おもふふうにににししし念2492
- 7餘餘あまりりりにににしかしかしかばばば餘者
- 8鳰鳰にお鳥鳥どりののの丹穗鳥
- 9足足あし沾沾ぬれれれ來來こしししををを足沾來
- 10人人ひと見見みけむけむけむかもかもかも人見鴨
- 11高高たか山山やまののの高山2493
- 12峯峯みね行行ゆくくくししししししののの峯行宍
- 13友友ともををを多多おおみみみ友衆
- 14袖袖そで振振ふらららずずず來來きつつつ袖不振來
- 15忘忘わするるるととと念念おもふふうななな忘念勿
- 16大大おお船船ぶねににに大船2494
- 17眞眞ま楫楫かじ繁繁しじ貫貫ぬききき眞檝繁拔
- 18榜榜こぐぐぐ間間ほどももも榜間
- 19極太極太ここだく戀戀こいししし極太戀
- 20年年としにににあらあらあらばばば如何如何いかににに年在如何
- 21垂乳根垂乳根たらちねののの足常2495
- 22母母ははががが養養かふふう蠶蠶こののの母養子
- 23眉眉まよ隱隱ごもりりり眉隱
- 24こもれこもれこもれるるる妹妹いもををを隱在妹
- 25見見みむむむよしよしよしもがもがもがももも見依鴨
- 26肥人肥人ひびとののの肥人2496
- 27額額ぬか髮髮がみ結結ゆへへえるるる額髮結在
- 28染染しめ木綿木綿ゆうののの染木綿
- 29染染しめめめてててしししこころこころこころ染心
- 30我我われ忘忘わすれれれめめめややや我忘哉
- 31隼人隼人はやひとののの早人2497
- 32名名なににに負負おふふう夜夜よ聲聲ごえ名負夜音
- 33いちじろくいちじろくいちじろく灼然
- 34吾吾わががが名名なははは告告のりりりつつつ吾名謂
- 35妻妻つまととと恃恃たのままませせせ孋恃
現代語訳
〔2491〕いとしい人を恋しく思って眠れなかった明け方に、鴛鴦がここを飛び渡って行くのは、あの人の使いだろうか。
〔2492〕思いがあまりにつのったので、鳰鳥のように足を濡らしてやって来たのを、人が見ただろうか。
〔2493〕高い山の峰を行く鹿のように、連れが多かったので、袖を振らずに来てしまった。忘れたと思わないでおくれ。
〔2494〕大船に立派な楫をたくさん取りつけて漕ぐ間さえも、これほど恋しい。一年も離れていたらどうなることだろう。
〔2495〕(垂乳根の)母が養っている蚕が繭にこもるように、家にこもっている娘を見る手立てがあればよいのに。
〔2496〕肥人が額髪を結っている染木綿のように、深く染めた心を、私が忘れることがあろうか。
〔2497〕隼人の名高い夜声のようにはっきりと、私の名は告げた。妻として頼みにしてください。
意訳
鳥・獣・蚕などに寄せた恋の歌である。眠れない明け方に飛ぶ鴛鴦を恋人の使いかと思う歌、思いあまって足を濡らして通って来たのを人に見られたかと案じる歌、連れが多くて袖も振れずに別れた言い訳、船を漕ぐ短い間さえ恋しい思い、繭にこもる蚕のように家にこもる娘に逢いたい歌、肥人の染木綿のように深く染まった心、隼人の夜声のようにはっきりと名を告げて求婚する歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 鴛鴦
- 「をしどり」。夫婦仲のよい鳥。
- 鳰鳥
- 「にほどり」。かいつぶり。水に潜る鳥。
- 極太
- 「ここだく」。これほどに。
- 肥人
- 「ひびと」。九州の肥の国の人。
- 隼人
- 「はやひと」。南九州の人々。宮廷の警護で犬の吠えるような声を発した。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2491〜2497番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 寄物陳思。柿本人麻呂歌集に出る。
修辞
- 序詞
- 2493番の上二句が「友を多み」を、2495番の上三句が「こもれる」を、2496番の上三句が「染めて」を、2497番の上二句が「いちじろく」を導く。
解説
2496番・2497番は、肥人や隼人など九州の人々の風俗を序に用いた珍しい歌である。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、435頁(コマ10)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、499頁(コマ13)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日