万葉集 巻第十一 2404〜2409番
思ひ依り 見依りにものは
思い寄り見寄った仲なのに、一日の間も忘れるものか。垣根のように人は言うが、紐を解き開けた君ではないのに。高麗錦の紐を解き開けて、夕べとも知れぬ命で恋い続けるのか。舟を漕ぎ入れる占いで母が問うてもその名は言うまい。眉を掻きくしゃみして紐が解けた、いつ逢えるかと待つ君。君を恋うてしおれ、下紐を結ぶ手もむなしい。正述心緒の歌六首。
場面イラスト(準備中)
題詞(正に心緒を述ぶ)
- 1思思おもひひい依依よりりり思依2404
- 2見見み依依よりりりにににものものものははは見依物
- 3ありありありなむなむなんををを有
- 4一一ひと日日ひののの間間ほどももも一日間
- 5忘忘わすれれれててて念念おもへへえややや忘念
- 6垣垣かき穗穗ほなすなすなす垣廬鳴2405
- 7人人ひとははは言言いへへえどもどもども人雖云
- 8高麗高麗こま錦錦にしき狛錦
- 9紐紐ひも解解とききき開開あけけけししし紐解開
- 10君君きみならならならなくなくなくににに公無
- 11高麗高麗こま錦錦にしき狛錦2406
- 12紐紐ひも解解とききき開開あけけけててて紐解開
- 13夕夕ゆうべともともとも夕戸
- 14知知しらららざるざるざる命命いのち不知有命
- 15戀戀こひひいつつつつつつかかかあらあらあらむむん戀有
- 16百百もも積積さかののの百積2407
- 17船船ふねこぎこぎこぎ入入いるるるるるる船潛納
- 18彌彌や占占うら指指さししし八占刺
- 19母母ははははは問問とふふうともともとも母雖問
- 20其其そののの名名なははは謂謂のらららじじじ其名不謂
- 21眉眉まよ根根ね掻掻かききき眉根削2408
- 22嚏嚏はなひひい紐紐ひも解解とけけけ鼻鳴紐解
- 23待待まつつつらむらむらんややや待哉
- 24何時何時いつかもかもかも見見みむむむととと何時見
- 25念念おもふふう我我わががが君君きみ念吾君
- 26君君きみににに戀戀こひひい君戀2409
- 27うらぶれうらぶれうらぶれ居居おれれればばば浦經居
- 28悔悔くやしくしくしくももも悔
- 29我我わががが下下した紐紐ひもののの我裏紐
- 30結結ゆふふう手手た徒徒いたずらららににに結手徒
現代語訳
〔2404〕思いを寄せ、見ては心を寄せたものであったろうに、一日の間でも忘れたりするものか。
〔2405〕垣根のように取り巻いて人は噂するけれど、紐を解いて共寝したあなたではないのに。
〔2406〕高麗錦の紐を解き開けて、夕方までとも知れない命なのに、恋い続けるのだろうか。
〔2407〕たくさん積む大船を漕ぎ入れる港のように、いよいよ占いをして母が問いただしても、その人の名は言うまい。
〔2408〕眉を掻き、くしゃみをして、紐も解けて待っているだろうか。いつ逢えるかと思っている、私のあの人は。
〔2409〕あなたを恋しく思ってしおれていると、悔しいことに、私の下紐を結ぶ手も、むなしいことだ。
意訳
正述心緒の歌の続きである。一日も忘れられない思い、共寝もしていないのに噂を立てられる不満、はかない命なのに恋い続ける自分、占いで母に問いただされても恋人の名は明かすまいとする娘、眉がかゆく、くしゃみが出て紐が解けるのは恋人に逢える前兆だと待つ心、恋人が来ないので下紐を結ぶ手もむなしいという歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 百積
- 「ももさか」。多くの荷を積むこと。
- 彌占
- 「やうら」。いよいよ占うこと。
- 眉根掻き
- 眉がかゆいのは恋人に逢える前兆とされた。
- 嚏ひ
- 「はなひ」。くしゃみをして。人に思われているしるしとされた。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2404〜2409番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 正述心緒。柿本人麻呂歌集に出る。
修辞
- 序詞
- 2407番の「百積の船こぎ入るる」が「八占」を導く。
- 俗信
- 2408番は、眉のかゆみ・くしゃみ・紐の解けることを、恋人に逢える前兆とする。
解説
眉を掻く、くしゃみをする、紐が解けるといった前兆の俗信は、万葉集の恋の歌にたびたび詠まれる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、428頁(コマ7)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、491頁(コマ9)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日