万葉集 巻第十一 2392〜2397番
なかなかに 見ざりしよりは
なまじ逢わなかったときより、逢ってからは恋しさがまさる。この道を行かなければこんな恋に逢わなかったろう。ほのかに見て去った子ゆえに朝影のようにやせ細った。行っても行っても逢えない妹ゆえに露霜に濡れた。偶然見た人に何の縁でまた一目逢えようか。少しでも逢わねば恋しい妹のもとへ毎日来れば噂が立つ。正述心緒の歌六首。
場面イラスト(準備中)
題詞(正に心緒を述ぶ)
- 1なかなかなかなかなかなかににに中中2392
- 2見見みざりざりざりしししよりよりよりははは不見有從
- 3相相あい見見みてててははは相見
- 4戀戀こいしきしきしき心心こころ戀心
- 5ましてましてまして念念おもほゆほゆおゆ益念
- 6玉玉たま桙桙ほこののの玉桙2393
- 7道道みち行行ゆかかかずずずしてしてして道不行爲
- 8あらあらあらませませませばばば有者
- 9惻隱惻隱ねもころ斯斯かかるかるかる惻隱此有
- 10戀戀こいににに逢逢あははわざらざらざらむむん戀不相
- 11朝朝あさ影影かげににに朝影2394
- 12吾吾わががが身身みはははなりなりなりぬぬぬ吾身成
- 13玉玉たま耀耀かぎるるる玉垣入
- 14ほのかほのかほのかににに見見みえええててて風所見
- 15去去いにににししし子子こ故故ゆえににに去子故
- 16行行ゆけけけどどど行行ゆけけけどどど行行2395
- 17逢逢あははわぬぬぬ妹妹いもゆゑゆゑゆえ不相妹故
- 18ひさかたひさかたひさかたののの久方
- 19天天あめののの露露つゆ霜霜じもににに天露霜
- 20ぬれぬれぬれにににけるけるけるかもかもかも沾在哉
- 21邂逅邂逅たまさかににに玉坂2396
- 22吾吾わががが見見みししし人人ひとををを吾見人
- 23如何如何いかならならならむむん何有
- 24緣緣よしををを以以もちちちてててかかか依以
- 25亦亦また一一ひと目目め見見みむむむ亦一目見
- 26暫暫しましくくくももも暫2397
- 27見見みねねねばばば戀戀こいしきしきしき不見戀
- 28吾吾わぎ妹妹も子子こををを吾妹
- 29日日ひににに日日けににに來來くれれればばば日日來
- 30言言ことののの繁繁しげけくけくけく事繁
現代語訳
〔2392〕なまじっか、逢わなかったときよりも、逢ってからのほうが、恋しい心がいっそう募ることだ。
〔2393〕(玉桙の)この道を行かなかったなら、心にしみるこのような恋に逢わずにすんだろうに。
〔2394〕朝の影のようにやせ細って、私の身はなってしまった。(玉かぎる)ほのかに見えて去って行ったあの子のために。
〔2395〕行っても行っても逢えない妻のために、(ひさかたの)天の露霜に濡れてしまったことだ。
〔2396〕たまたま私が見かけたあの人を、どんな縁によって、もう一度見ることができるだろうか。
〔2397〕しばらくでも見ないと恋しいいとしい人のもとへ、毎日通って来るので、人の噂がうるさいことだ。
意訳
正述心緒の歌の続きである。逢ってからのほうが恋しさが募るという歌、この道を通らなければこんな恋はしなかったという嘆き、ほのかに見かけた娘を思って朝影のようにやせ細る男、逢えないまま露霜に濡れる夜道、偶然見た人にもう一度逢いたい願い、毎日通えば噂が立つことへの困惑が歌われる。
語釈・文法注
文法・本文
- なかなかに
- なまじっか、かえって。
- 惻隱
- 「ねもころ」。心をこめて、しみじみと。
- 朝影
- 朝日に映る細長い影。やせ細ったさまのたとえ。
- 邂逅に
- 「たまさかに」。偶然に。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第十一・相聞・2392〜2397番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
- 状況
- 正述心緒。柿本人麻呂歌集に出る。
修辞
- 比喩
- 2394番は、やせ細った身を朝影にたとえる。
- 反復
- 2395番の「行けど行けど」。
解説
2394番の「朝影に吾が身はなりぬ」は、恋にやせた身を表す類型として、他の巻にもくり返し見える。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』下巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、428頁(コマ7)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』下巻 岩波書店、昭和5年(1930)、491頁(コマ9)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日