万葉集 巻第七 1311〜1316番
橡の 衣は人皆
橡染めの衣は誰にでも無難だと人が言ったときから、着てみたいと思う。下に着るべき衣、紅の深染めの衣、洗い張りした衣、自分で縫った下衣、河内女の手染めの糸。衣と糸に恋をたとえた譬喩歌六首。
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題詞譬喩歌 衣に寄す・絲に寄す
- 1橡橡つるばみののの橡1311 衣
- 2衣衣きぬははは人人ひと皆皆みな衣人皆
- 3ことことこと無無なしししととと事無跡
- 4いひいひいいししし時時ときよりよりより曰師時從
- 5著著き欲欲ほしくしくしく念念おもほほおゆゆゆ欲服所念
- 6おほよそおほよそおおよそににに凡爾1312 衣
- 7吾吾われししし念念おもははわばばば吾之念者
- 8下下したににに著著きててて下服而
- 9穢穢なれれれにににししし衣衣きぬををを穢爾師衣乎
- 10取取とりりりててて著著きめめめやもやもやも取而將著八方
- 11くれなゐくれなゐくれないののの紅之1313 衣
- 12深深こ染染ぞめののの衣衣きぬ深染之衣
- 13下下したににに著著きててて下著而
- 14上上うえににに取取とりりり著著きばばば上取著者
- 15言言ことなさなさなさむむんかもかもかも事將成鴨
- 16橡橡つるばみののの橡1314 衣
- 17解解とき濯濯あらひひい衣衣ぎぬののの解濯衣之
- 18あやしくあやしくあやしくももも恠
- 19殊殊ことににに著著き欲欲ほしきしきしき殊欲服
- 20このこのこの夕夕ゆうべかもかもかも此暮可聞
- 21橘橘たちばなののの橘之1315 衣
- 22島島しまにににししし居居おれれればばば島爾之居者
- 23河河かは遠遠とおみみみ河遠
- 24曝曝さらさささずずず縫縫ぬひひいししし不曝縫之
- 25吾吾わががが下下した衣衣ごろも吾下衣
- 26河內河內かうち女女めののの河內女之1316 絲
- 27手手て染染ぞめののの絲絲いとををを手染之絲乎
- 28絡絡くりりり反反かへししし絡反
- 29片片かた絲絲いとにににあれあれあれどどど片絲爾雖有
- 30絕絕たえええむむんととと念念おもへへえややや將絕跡念也
現代語訳
〔1311〕橡染めの衣は、誰にでも差し障りがないと人が言ったときから、着てみたいと思われる。
〔1312〕いいかげんな気持ちで私が思っているのなら、下に着て着慣れてしまった衣を、また取って着たりするでしょうか。
〔1313〕紅の濃く染めた衣を、下に着ていたのを上に取って着たら、人は噂をたてるだろうか。
〔1314〕橡染めの洗い張りした衣が、不思議にも、ことに着たく思われる今夜だなあ。
〔1315〕橘の島に住んでいるので、川が遠くて、さらさずに縫った私の下衣よ。
〔1316〕河内女が手染めにした糸を繰り返して、片糸ではあるけれど、切れようなどと思うものか。
意訳
衣と糸に寄せた譬喩歌である。身分の低い者の着る橡染めの衣(身分の低い相手、あるいは無難な相手)に心ひかれる歌、慣れ親しんだ相手を本気で思っているからこそまた求めるのだという歌、人目に隠していた恋をあらわにしたら噂になるかと案じる歌、古なじみの相手(洗い張りした衣)が恋しくなる夜の歌、手をかけずに縫った下衣にたとえた歌、片思いでも縁は切れないと信じる糸の歌が並ぶ。
語釈・文法注
文法・本文
- 橡
- 「つるばみ」。クヌギの実。その染め色は身分の低い者の衣の色とされた。
- 解濯衣
- 「ときあらひぎぬ」。ほどいて洗った衣。
- 片絲
- より合わせていない一本の糸。片思いのたとえ。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第七・譬喩歌・1311〜1316番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 巻第七の譬喩歌のうち、「衣に寄す」五首と「絲に寄す」一首。作者はわからない。
修辞
- 譬喩
- 衣や糸に恋人や恋の思いをたとえる。
- 序詞
- 1316番の「河內女の手染の絲を絡り反し」が「片絲」を導く。
解説
衣を恋人の比喩とする歌は、肌に触れる衣が親密な関係を連想させることによる。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、279頁(コマ143)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、307頁(コマ159)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日