万葉集 巻第七 1069〜1074番
常はかつて 思はぬものを
ふだんは少しも思わないのに、この月が隠れてしまうのが惜しい夕べだ。月の光に照らされた野辺、山の端にためらう月、夜長を願う心、ひとり見る月、妹の庭を照らす月。月を詠んだ歌十八首のうち初めの六首。
場面イラスト(準備中)
題詞月を詠める(1)
- 1常常つねはははかつてかつてかつて常者曾1069
- 2思思おもははわぬぬぬものものものををを不念物乎
- 3このこのこの月月つきののの此月之
- 4過過すぎぎぎ匿匿かくれれれまくまくまく過匿卷
- 5惜惜おしきしきしき夕夕ゆうべかもかもかも惜夕香裳
- 6ますらをますらをますらおののの大夫之1070
- 7弓弓ゆ末末ずえ振振ふりりり起起おこししし弓上振起
- 8借高借高かりたかののの借高之
- 9野野ぬ邊邊べさへさへさへ淸淸きよくくく野邊副清
- 10照照てるるる月月つく夜夜よかもかもかも照月夜可聞
- 11山山やまののの末末はににに山末爾1071
- 12いさよふいさよふいさよう月月つきををを不知與歷月乎
- 13出出いでででむむんかかかととと將出香登
- 14待待まちちちつつつつつつ居居おるるるににに待乍居爾
- 15夜夜よぞぞぞ更更くたちちちけるけるける與曾降家類
- 16明日明日あすののの夕夕よい明日之夕1072
- 17照照てらららむむん月月つく夜夜よははは將照月夜者
- 18片片かたよりよりよりににに片因爾
- 19今今こ夜夜よいににに寄寄よりりりててて今夜爾因而
- 20夜夜よ長長ながからからからなむなむなん夜長有
- 21玉玉たま垂垂だれののの玉垂之1073
- 22小小お簾簾すののの間間ま通通とおししし小簾之間通
- 23ひとりひとりひとり居居いててて獨居而
- 24見見みるるる驗驗しるしなきなきなき見驗無
- 25暮暮ゆう月月ずく夜夜よかもかもかも暮月夜鴨
- 26春日春日かすが山山やま春日山1074
- 27おしおしおしててて照照てらせらせらせるるる押而照有
- 28このこのこの月月つきははは此月者
- 29妹妹いもががが庭庭にはにににももも妹之庭母
- 30淸淸さやけかりけかりけかりけりけりけり清有家里
現代語訳
〔1069〕ふだんは少しも思わないのに、この月が過ぎて隠れてしまうのが惜しい夕べだなあ。
〔1070〕ますらおが弓の末を振り起こして狩る、借高の野辺までも清らかに照らしている月夜だなあ。
〔1071〕山の端でためらっている月を、出るだろうかと待ち続けていると、夜はふけてしまった。
〔1072〕明日の夜照るはずの月の光は、片寄って今夜に寄せて、夜が長くあってほしい。
〔1073〕玉垂れの簾の隙間を通して、ひとりでいて見ても、見る甲斐のない夕月夜だなあ。
〔1074〕春日山を一面に照らしているこの月は、妻の家の庭にも清らかに照っていることだ。
意訳
いずれも作者のわからない、月を詠んだ歌である。ふだんは気にもとめない月の入りを惜しむ歌、狩り場の野まで照らす月夜、山の端からなかなか出ない月を待つ歌、明日の分まで今夜を長くしてほしいと願う歌、ひとりで見ても甲斐のない夕月、恋人の家の庭にも照っているだろう月と、月にまつわるさまざまな思いが詠まれている。
語釈・文法注
文法・本文
- 弓末振り起し
- 弓の上端を振り立てて。「借高」の「かり(狩り)」を導く。
- 片よりに
- 一方に片寄って。
- 間通し
- 隙間を通して。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第七・雑歌・1069〜1074番
- 歌体
- 短歌(五七五七七)
- 時期
- 作者未詳(時代を問わない)
- 状況
- 巻第七の雑歌のうち、「月を詠める」歌十八首の初めの六首。作者はわからない。
修辞
- 序詞
- 1070番の「ますらをの弓末振り起し」が「借高(かりたか)」を導く。
解説
巻第七の歌の多くは作者がわからず、詠む対象によって分類されている。月の歌が十八首とまとまって並ぶのは、月が宴や恋の場で好まれた題材だったことを示している。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、259頁(コマ133)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、283頁(コマ147)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日