万葉集 巻第一 79〜80番
天皇の 御命かしこみ
天皇のご命令をかしこんで、住み慣れた家をあとにし、泊瀬川を船で下り、佐保川をさかのぼって奈良の都に家を造る。霜の降る寒い夜も通い続けて作った家に、いつまでも通おう。平城京遷都の長歌と反歌。

題詞或本、藤原京より寧樂宮に遷りませる時の歌
- 1天皇天皇おおきみののの御御み命命ことかしこみかしこみかしこみ天皇乃 御命畏美長歌
- 2柔柔にきびびびにににししし家家いえををを釋釋すててて柔備爾之 家乎釋
- 3隱國隱國こもりくののの泊瀬泊瀬はつせののの川川かはににに隱國乃 泊瀨乃川爾
- 4船船ふね浮浮うけけけててて吾吾わががが行行ゆくくく河河かはののの舼浮而 吾行河乃
- 5川川かわ隈隈くまののの八十八十やそ隈隈くまおちおちおちずずず川隈之 八十阿不落
- 6萬萬よろず度度たびかへりみかへりみかえりみしししつつつつつつ萬段 顧爲乍
- 7玉玉たま桙桙ほこののの道道みち行行ゆききき暮暮くらしらしらし玉桙乃 道行晩
- 8あをによしあをによしあおによし奈良奈良ならののの京京みやこののの青丹吉 楢乃京師乃
- 9川川がわにににいいい行行ゆききき至至いたりりりててて佐保川爾 伊去至而
- 10我我わががが寢寢ねたるたるたる衣衣ころもののの上上うえゆゆゆ我宿有 衣乃上從
- 11朝朝あさ月月ずく夜夜よ清清さやににに見見みゆれゆれゆればばば朝月夜 清爾見者
- 12栲栲たえののの穗穗ほににに夜夜よるののの霜霜しも降降ふりりり栲乃穗爾 夜之霜落
- 13磐磐いわ床床とこととと川川かはののの水水みず凝凝こりりり磐床等 川之水凝
- 14冷冷ひゆるゆるゆる夜夜よををを息息いこふふうことことことなくなくなく冷夜乎 息言無久
- 15通通かよひひいつつつつつつ作作つくれれれるるる家家いえににに通乍 作家爾
- 16千千ち代代よまでまでまでににに來來きまままさささむむん君君きみととと吾吾われももも通通かよははわむむん千代二手 來座多公與 吾毛通武
- 17あをによしあをによしあおによし青丹吉反歌
- 18寧樂寧樂ならののの家家いえにににははは寧樂乃家爾者
- 19萬萬よろず代代よににに萬代爾
- 20吾吾われももも通通かよははわむむん吾母將通
- 21忘忘わするるるととと念念おもふふうななな忘跡念勿
現代語訳
天皇のご命令をおそれかしこんで、住み慣れた家をあとにして、(隠国の)泊瀬の川に船を浮かべて私が行く川の、曲がり角のどの曲がり角でも、何度もふり返りながら、(玉桙の)道を一日中行って、(あをによし)奈良の都の佐保川に行き着いて、私が寝ている衣の上から、明け方の月がくっきりと見えると、白い布のように夜の霜が降り、岩の床のように川の水が凍る、そんな冷える夜も休むことなく通い続けて造った家に、千年の後までもお越しになる君とともに、私も通おう。
〔反歌〕(あをによし)奈良の家には、いつまでも私も通おう。忘れるなどと思ってくださるな。
意訳
平城京への遷都にともない、人々は住み慣れた藤原京の家を離れ、新しい都に家を建てなければならなかった。歌は、名残惜しく何度もふり返りながら川を船で行き、凍える冬の夜も休まずに新しい家を造る苦労を描く。そして完成した家に、いつまでも君とともに通おうと結ぶ。遷都という大事業の陰にあった、一人ひとりの苦労と新生活への決意が伝わってくる。
語釈・文法注
- 佐保川(さほがは)
- 奈良市を流れる川。平城京の東北部を流れ、貴族の邸宅が多かった。
文法・本文
- 家を釋て(本文)
- 底本は、原文を冷泉本によって「家乎釋」とする。
- 川の水凝り(本文)
- 底本は、原文を類聚古集・古葉略類聚鈔によって「川之水凝」とする。
- 來まさむ君と(本文)
- 底本は、原文を『万葉集略解』によって「來座多公與」と訓む。
- 左注
- 「右の歌、作主いまだ詳ならず」とある。
和歌
- 作者
- 作者未詳
- 出典
- 『万葉集』巻第一・雑歌・79〜80番
- 歌体
- 長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
- 時期
- 第3期(710〜733年(平城京遷都〜山上憶良の没年ごろ))
- 状況
- 和銅3年(710)、都を藤原京から平城京へ移したときの歌。「或本」に伝わる歌で、作者は未詳。
修辞
- 枕詞
- 「隱國の」「玉桙の」「あをによし」など。
- 対句
- 「栲の穗に夜の霜降り」と「磐床と川の水凝り」が対になる。
解説
平城京遷都に際して、貴族や官人たちは新しい都に住まいを移さなければならなかった。この歌は、藤原京から泊瀬川・大和川・佐保川をたどって奈良へ向かい、冬の寒さの中で家を造る様子を具体的に描いており、遷都の実際を伝える貴重な歌である。
「千代までに來まさむ君と吾も通はむ」という結びは、新しい家での主人の繁栄を祝う言葉とも読める。長歌の後半の、霜と氷の冬の夜の描写は、寒さの中で働く人の実感がこもっていて印象深い。
関連
出典
- 底本
- 佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、35頁(コマ21)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 原文
- 佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、28頁(コマ20)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日