古典ライブラリー

万葉集 巻第一 22番

河の上の

吹芡刀自(ふふきのとじ)

川のほとりの神聖な岩々に草が生えないように、いつまでも変わらずにいてほしい、永遠の乙女として。伊勢へ向かう十市皇女の幸いを祈る歌。

伊勢へ向かう川辺の道で、草のない岩々のそばを歩く十市皇女と、気遣う侍女
伊勢へ向かう川辺の道で、草のない岩々のそばを歩く十市皇女と、気遣う侍女

題詞明日香清御原宮天皇代(天渟中原瀛眞人天皇) 十市皇女、伊勢神宮に參赴きし時、波多の横山の巖を見て吹芡刀自の作れる歌

  1. 1河かは河かはかはののの上へ上へへののの河上乃
  2. 2磐いは磐いはいわ群むら群むらむらににに湯都盤村二
  3. 3草くさ草くさくさ生む生むむさささずずず草武左受
  4. 4常つね常つねつねにににもももがもがもがも常丹毛冀名
  5. 5常とこ常とことこ處を處をおにににててて常處女煑手

引用の仕方

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現代語訳

川のほとりの神聖な岩々に草が生えないように、いつまでも変わらずにいたいものです。永遠の乙女として。

意訳

十市皇女が伊勢神宮へ参る旅の途中、川べりの大きな岩々を見て、仕える女性が詠んだ。岩には草も苔も生えず、いつまでも変わらない。そのように皇女がいつまでも若く美しい乙女でいられますように、と祈る。十市皇女は、壬申の乱で夫の大友皇子を父の大海人皇子に討たれた悲運の人であり、その皇女の幸いを願う気持ちがこもっている。

語釈・文法注

五百箇(ゆつ)
数多くの、また神聖な。「ゆつ磐群」は、たくさん群がる神聖な岩。
もがもな
願望の終助詞「もがも」に詠嘆の「な」が付いた形。…でありたいものだ。
常處女(とこをとめ)
いつまでも若い乙女。

文法・本文

草生さず
「生す(むす)」は草や苔が生える。草が生えないで。
原文「常處女煑手」
「にて」を「煑(に)手(て)」と書く。
左注
『日本書紀』を引いて、天武天皇4年(675)2月、十市皇女と阿閉皇女が伊勢神宮に参ったことを記す。

和歌

作者
吹芡刀自(7世紀後半)
十市皇女に仕えた女性とみられる。左注にも「未だ詳ならず」とあり、どのような人物かはわかっていない。
出典
『万葉集』巻第一・雑歌・22番
歌体
短歌(五七五七七)
時期
第2期(672〜710年(壬申の乱〜平城京遷都))
状況
天武天皇4年(675)2月、十市皇女が伊勢神宮に参るとき、波多(三重県津市一志町あたり)の横山の岩を見て、吹芡刀自が詠んだ歌。

修辞

序詞
「河の上の 五百箇磐群に 草生さず」が「常に」を導く。変わらない岩の姿に、永遠の若さへの願いを重ねる。

解説

十市皇女は、大海人皇子(天武天皇)と額田王の間に生まれた皇女で、天智天皇の子の大友皇子の妃となった。しかし壬申の乱(672)で、父の大海人皇子が夫の大友皇子を滅ぼすという悲劇に見舞われた。伊勢神宮への参詣は、その乱の三年後のことである。

吹芡刀自は、皇女に仕えた女性と考えられる。変わることのない岩に、皇女の若さと幸いが永遠であることを祈ったこの歌には、深い悲しみを経た皇女を思いやる気持ちがにじんでいる。十市皇女はこの三年後に急死し、異母弟の高市皇子が挽歌を詠んでいる(巻第二・156〜158番)。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、23頁(コマ15)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、15頁(コマ13)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日