古典ライブラリー

万葉集 巻第一 3〜4番

やすみしし わが大王の

中皇命(なかつすめらみこと)

朝に夕に大切になさる梓弓の弭の音が聞こえる。いま狩りにお立ちになるらしい。舒明天皇の宇智野の狩りを、中皇命がたたえて献じた長歌と反歌。

朝もやの大和の野で、馬上の舒明天皇と弓を携えた供の者たちが狩りに出ようとしている
朝もやの大和の野で、馬上の舒明天皇と弓を携えた供の者たちが狩りに出ようとしている

題詞天皇、内野に遊獵し給へる時、中皇命、間人連老をして獻らせたまふ歌

  1. 1わがわがわが大王おほきみ大王おほきみおおきみののの八隅知之 我大王乃長歌
  2. 2朝あした朝あしたあしたにににはははとりとりとり撫な撫ななでででたまひたまひたまい朝庭 取撫賜
  3. 3夕ゆふべ夕ゆふべゆうべにににはははいいい倚よ倚よよりりり立た立たたたしたしたしししし夕庭 伊緣立之
  4. 4御み御みみ執と執ととののの梓あづさ梓あづさあずさ弓ゆみ弓ゆみゆみののの御執乃 梓弓之
  5. 5長なが長ながながののの音おと音おとおと奈加弭乃 音爲奈利
  6. 6朝あさ朝あさあさ獵がり獵がりがりににに今いま今いまいま立た立たたたすたすたすらしらしらし朝獵爾 今立須良思
  7. 7暮ゆふ暮ゆふゆう獵がり獵がりがりににに今いま今いまいま立た立たたたすたすたすらしらしらし暮獵爾 今他田渚良之
  8. 8御み御みみ執と執ととらしらしらしののの梓あづさ梓あづさあずさ弓ゆみ弓ゆみゆみののの御執能 梓弓之
  9. 9長なが長ながなが弭はず弭はずはずののの音おと音おとおとすなりすなりすなり奈加弭乃 音爲奈里
  10. 10玉刻春反歌
  11. 11ののの大おほ大おほおお野ぬ野ぬぬににに內乃大野爾
  12. 12馬うま馬うまうま竝な竝ななめめめててて馬數而
  13. 13朝あさ朝あさあさ踏ふ踏ふふままますすすらむらむらん朝布麻須等六
  14. 14そのそのその草くさ草くさくさ深ふか深ふかふか野ぬ野ぬぬ其草深野

引用の仕方

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現代語訳

わが大君が、朝には手に取ってなでいつくしみ、夕べにはそばに寄り立っておられた、お手元の梓弓の長い弭の音が聞こえる。朝の狩りに、今お立ちになるらしい。夕べの狩りに、今お立ちになるらしい。お手元の梓弓の長い弭の音が聞こえる。

〔反歌〕(たまきはる)宇智の広い野に馬を並べて、今朝は踏み分けておいでなのだろう、その草深い野を。

意訳

天皇が狩りに出る朝、宮に残る中皇命の耳に、弓弦が弭に触れる音が聞こえてくる。その音から、天皇が愛用の弓を手に出発しようとしている姿を思い描き、くり返しの多い調子で天皇の勇ましさをたたえる。反歌では、遠い宇智野で馬を並べて草を踏み分けていく一行の姿を想像している。目の前にない狩りの情景を、音を手がかりに描き出す構成がみごとである。

語釈・文法注

やすみしし
「わが大君」にかかる枕詞。国の隅々まで治める意とされる。
御執らし
「執らす」は「執る」の尊敬語。天皇がお手に取られる(弓)。
長弭(ながはず)
弓の両端の弦をかける所。「長弭」は弭が長い弓とも、弭の音とも解される。原文「奈加弭」。
音すなり
「なり」は音や声によって推定する助動詞。音が聞こえる、音がするようだ。
たまきはる
「命」「うち」などにかかる枕詞。ここでは地名「宇智」にかかる。
宇智(うち)
大和国宇智郡。今の奈良県五條市あたりの野。

文法・本文

今立たすらし
「立たす」は「立つ」の尊敬語、「らし」は根拠のある推定。弓の音を根拠に、今お出かけになるらしいと推しはかる。
梓弓の(本文)
底本は、原文を元暦校本によって「梓弓之」とする。
朝踏ますらむ
「踏ます」は「踏む」の尊敬語、「らむ」は現在推量。

和歌

作者
中皇命(7世紀前半)
誰を指すかは諸説ある。舒明天皇の皇女で孝徳天皇の皇后となった間人皇女とする説、のちの皇極(斉明)天皇とする説などがある。歌は間人連老(はしひとのむらじおゆ)が天皇に献上したと題詞にある。
出典
『万葉集』巻第一・雑歌・3〜4番
歌体
長歌(五七をくり返し、五七七で結ぶ)
時期
第1期(629〜672年(舒明天皇の即位〜壬申の乱))
状況
舒明天皇が大和国の宇智野で狩りをしたとき、中皇命が間人連老に命じて天皇に献上させた長歌と反歌。

修辞

対句・反復
「朝には…夕には」「朝獵に…暮獵に」と対句を重ね、「御執らしの梓弓の長弭の音すなり」を二度くり返して、歌謡らしい調子を生む。
枕詞
「やすみしし」が「わが大王」に、「たまきはる」が「宇智」にかかる。

解説

狩りは、古代の天皇にとって武威を示し、土地の霊を鎮める大切な行事であった。この歌は、天皇が狩りに出る朝のようすを、宮に残る者の立場から、弓の音を手がかりに描いている。同じ句を何度もくり返す形は、儀礼の場で歌われた歌謡の名残と考えられる。

作者の中皇命が誰であるかははっきりしない。題詞によれば、歌は間人連老が天皇に献じており、老が代作したとする説もある。反歌の「その草深野」という体言止めは、遠くの野を見はるかすような余韻を残し、長歌の勢いを静かに受け止めている。

関連

出典

底本
佐佐木信綱編『新訓万葉集』上巻 岩波文庫、昭和2年(1927)、18頁(コマ13)。国立国会図書館デジタルコレクション
原文
佐佐木信綱編『白文万葉集』上巻 岩波書店、昭和24年(1949)、10頁(コマ11)。万葉仮名の原文。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日