枕草子 第317段 日記的章段
前の木立高う庭広き家の
木立の高い広い家で、僧が物の怪に悩む人のために千手陀羅尼を読み、乗り移らせる役の童に物の怪を移して調伏する。物の怪が去って正気に戻った病人が恥ずかしがる様子、手際よく祈祷を終えて謙虚に帰っていく僧の姿を、仏が現れたようだと述べる。
- 1前前まえののの木木こだちだちだち高高たこううう庭庭にわ廣廣ひろききき家家いえののの、、、東南東南ひんがしみなみののの格子格子こうしどもどもどもあげあげあげ渡渡わたしししたれたれたればばば、、、涼涼すずしげしげしげににに透透すきききててて見見みゆるゆるゆるににに、、、母屋母屋もやににに四尺四尺しさくののの几帳几帳きちょう立立たてゝてゝてて前前まえにににわらふだわらふだわらうだををを置置おきききててて卅卅みそじよよよばかりばかりばかりののの僧僧そうのののいといといと憎憎にくげげげなからなからなからぬぬぬががが薄墨薄墨うすずみののの衣衣ころもうすものゝうすものゝうすものの袈裟袈裟けさなどなどなどいといといと鮮鮮あざやかかかにににうちうちうちさうぞきさうぞきそうぞきててて香染香染こうぞめののの扇扇おうぎうちうちうちつかひつかひつかい千手陀羅尼千手陀羅尼せんじゅだらに讀讀よみみみ居居いたりたりたり。。。ものゝけものゝけもののけにににいたういたういとう病病やむむむ人人ひとにににややや。。。うつすうつすうつすべきべきべき人人ひととてとてとて大大おおきききやかやかやかなるなるなるわらはわらはわらわののの髪髪かみなどなどなど麗麗うるわしきしきしきひとへひとへひとえあざやかあざやかあざやかなるなるなる袴袴はかま長長ながくくく着着きなしなしなしてててゐざりゐざりいざり出出いでゝでゝでて、、、横横よこざまざまざまににに立立たてるてるてる三尺三尺さんじゃくののの几帳几帳きちょうののの前前まえににに居居いたれたれたればばば、、、とととざまざまざまにににひねりひねりひねり向向むきききててていといといと細細ほそうううにほやかにほやかにおやかなるなるなるとことことこををを取取とらららせせせててて、、、「「「をゝをゝおお」」」ととと目目めうちうちうちひさきひさきひさきててて讀讀よむむむ陀羅尼陀羅尼だらにもももいといといと尊尊とうとししし。。。けけけ證證そうののの女房女房にょうぼうあまたあまたあまた居居いてててつどひつどひつどいまもらへまもらへまもらえたりたりたり。。。久久ひさしくしくしくもももあらあらあらでででふるひふるひふるい出出いでででぬれぬれぬればばば、、、もともともとののの心心こころ失失うしなひひいててて行行おこなふふうまゝまゝままににに隨隨したがひひい給給たまへへえるるる護法護法ごほうもももげにげにげにたふとしたふとしたうとし。。。せうとせうとしょうとののの袿袿うちきしししたるたるたる細細ほそ冠者冠者かんざどもどもどもなどなどなどのののうしろうしろうしろににに居居いててて團扇團扇うちわするするするもももありありあり。。。皆皆みなたふとがりたふとがりたうとがりててて集集あつまりりりたるたるたるももも、、、例例れいののの心心こころならならならばばばいかにいかにいかに耻耻はずしししととと惑惑まどははわむむん。。。みづからみづからみずからははは苦苦くるしからしからしからぬぬぬ事事ことととと知知しりりりながらながらながら、、、いみじういみじういみじゅうわびわびわび歎歎なげきききたるたるたるさまさまさまののの心心こころ苦苦ぐるしさしさしさををを、、、つきつきつき人人びとのののしりしりしり人人びとなどなどなどはははらうたくらうたくろうたく覺覺おぼえええててて、、、几帳几帳きちょうのののもともともと近近ちかくくく居居いてててきぬきぬきぬひきひきひきつくろひつくろひつくろいなどなどなどするするする程程ほどににに、、、よろしよろしよろしとてとてとて御御おん湯湯ゆなどなどなどきたきたきたおもておもておもてににに取取とりりり次次つぐぐぐ程程ほどをををももも、、、わかきわかきわかき人々人々ひとびとははは心心こころもとなしもとなしもとなし。。。盤盤ばんももも引引ひきききさげさげさげながらながらながらいそいいそいいそいでででくるくるくるややや。。。ひとへひとへひとえなどなどなど清清きよげげげににに薄色薄色うすいろののの裳裳もなどなどなど萎萎なえええかゝりかゝりかかりてててはははあらあらあらずずずいといといと清清きよげげげなりなりなり。。。さるさるさるののの時時ときにににぞぞぞいみじういみじういみじゅうことわりことわりことわり言言いははわせせせなどなどなどしししててて許許ゆるしししつつつ。。。几帳几帳きちょうののの內內うちにににとととこそこそこそ思思おもひひいつれつれつれ、、、あさましうあさましうあさましゅうももも出出いでででにににけるけるけるかなかなかな、、、いかなるいかなるいかなる事事ことありありありつつつらむらむらんととと耻耻はずかしがりかしがりかしがりててて髪髪かみををを振振ふりりりかけかけかけてててすべりすべりすべり入入いりりりぬれぬれぬればばば、、、しばししばししばしとゞめとゞめとどめててて加持加持かじ少少すこししししししててて「「「いかにいかにいかにさわやかさわやかさわやかににになりなりなり給給たまへへえりりりややや」」」とてとてとてうちうちうち笑笑えみみみたるたるたるももも耻耻はずしげしげしげなりなりなり。。。「「「暫暫しばししし侍侍さぶらふふうべきべきべきををを、、、時時ときのののほどほどほどにににもももなりなりなり侍侍はべりりりぬぬぬべけれべけれべければばば」」」とととまかりまかりまかり申申もうしししててて出出いづるづるずるををを「「「しばししばししばしはははうちうちうちはうたうはうたうほうとうまゐらまゐらまいらせせせむむん」」」などなどなどとゞむるとゞむるとどむるををを、、、いみじういみじういみじゅう急急いそげげげばばば、、、所所ところにににつけつけつけたるたるたる上臈上臈じょうろうとととおぼしきおぼしきおぼしき人人ひと、、、すすすのののもともともとにににゐざりゐざりいざり出出いでゝでゝでて「「「いといといと嬉嬉うれしくしくしく立立たちちちよらよらよらせせせ給給たまへへえりりりつるつるつるしるししるししるしににに、、、いといといと堪堪たへへえ難難がたくくく思思おもひひい給給たまへへえられられられつるつるつるををを、、、唯今唯今ただいまをこたるをこたるおこたるやうやうようににに侍侍はべれれればばば、、、返返かえすすす、、、返返かえすすすなむなむなん悅悅よろこびびび聞聞きこえええさするさするさする。。。明日明日あすももも御御おんいとまいとまいとまののの隙隙ひまにににははは物物ものせせせさせさせさせ給給たまへへえ」」」などなどなどいひいひいいつゝつゝつつ「「「いといといとしうねきしうねきしゅうねき御御おんものゝけものゝけもののけににに侍侍はべるるるめるめるめるををを、、、たゆまたゆまたゆませせせ給給たまははわざらざらざらむむんなむなむなんよくよくよく侍侍はべるるるべきべきべき。。。よろしくよろしくよろしく物物ものせせせさせさせさせ給給たまふふうなるなるなるをををなむなむなんよろこびよろこびよろこび申申もうししし侍侍はべるるる」」」ととと詞詞ことばずくなずくなずくなにてにてにて出出いづるづるずるはははいといといとたふときたふときたうときににに、、、佛佛ほとけののの現現あらわれれれ給給たまへへえるるるとととこそこそこそおぼゆれおぼゆれおぼゆれ。。。
現代語訳
庭前の木立が高く、庭の広い家で、東南の格子をすっかり上げ渡しているので、涼しげに中が透けて見えるところに、母屋に四尺の几帳を立てて、その前に円座を置いて、三十歳ほどの僧で、たいそう見苦しくない人が、薄墨色の衣や薄物の袈裟などをたいそう鮮やかに着こなして、香染めの扇を使いながら、千手陀羅尼を読んでいる。物の怪にひどく悩む人がいるのだろうか。物の怪を乗り移らせる役の人として、大柄な童女で、髪などの美しいのが、単衣に鮮やかな袴を長く着こなしていざり出て、横向きに立てた三尺の几帳の前に座ると、僧は外の方へ体をひねって向き、たいそう細くつやつやした独鈷を持たせて、「おお」と目を細めて読む陀羅尼も、たいそう尊い。立ち会いの女房たちが大勢座って、集まって見守っている。それほど時もたたずに童女が震え出したので、正気を失って、僧の祈りのままに従いなさる護法童子の力も、本当に尊い。兄弟で袿を着た若い冠者たちなどが後ろに座って団扇であおいでいる者もいる。皆が尊がって集まっているのも、童女が普段の心であったら、どんなに恥ずかしいと思ってうろたえることだろう。本人は苦しくないことだと知っていながら、ひどくわび嘆いている様子が気の毒なのを、付き添いの知人などはいとおしく思って、几帳のそば近くに座って衣を整えたりしているうちに、病人がよくなったといって、御湯などを北面に取り次ぐのを、若い女房たちはもどかしく思う。盤を手に提げたまま急いで来るよ。単衣なども清らかで、薄紫の裳なども萎えかかってはおらず、たいそう清らかである。申の刻ごろに、物の怪にたいそう詫び言を言わせなどして許してやった。几帳の中にいると思っていたのに、あきれたことに出てしまっていたことよ、どんなことがあったのだろうと恥ずかしがって、髪を顔に振りかけて奥へすべり入ってしまったので、僧はしばらく引き留めて加持を少しして、「いかがです、さっぱりなさいましたか」と言ってほほえんでいるのも、こちらが気後れするほど立派である。「しばらくお仕えすべきところですが、勤行の時刻にもなってしまいそうなので」と暇乞いを申して出て行くのを、「しばらく。お布施を差し上げましょう」などと引き留めるが、たいそう急いでいるので、その家での上臈と思われる人が、簾のもとにいざり出て、「たいそううれしく、お立ち寄りくださったご利益で、たいそう耐えがたく思っておりましたのが、今すっかりよくなったようでございますので、返す返すもお礼を申し上げます。明日も、お暇の折にはおいでくださいませ」などと言いながら、「たいそうしつこい物の怪のようでございますので、気をゆるめなさらないのがよろしゅうございましょう。よくなられたようで、お喜び申し上げます」と言葉少なに出て行く様子は、たいそう尊く、仏が姿を現されたのかと思われる。
意訳
物の怪の調伏の場面を、細部にわたって描いた段である。若く見目よい僧が千手陀羅尼を唱え、乗り移らせ役の童女に物の怪を移して退散させる。正気に戻った童女が人前に出ていたことを恥じて奥へ逃げ込む姿、手際よく祈祷を終え、礼を固辞して足早に去っていく僧の姿。作者はその僧を「仏の現れ給へる」かと思うほど尊いと称えている。当時の加持祈祷の様子を伝える貴重な記録でもある。
語釈・文法注
文法
- 「うつすべき人」
- よりまし。物の怪を一時的に乗り移らせる役の人。
- 「とこ」
- 独鈷。密教の法具で、両端がとがった金属製の棒。
- 「護法」
- 護法童子。祈祷の際に仏法を守護し、物の怪を追い払うとされる神霊。
- 「うちはうたう」
- お布施を差し上げる、の意か。
解説
『枕草子』の中でも、加持祈祷の場面を最も詳しく描いた段である。前段の「すさまじきもの」で描かれた効き目のない験者とは対照的に、理想的な僧の姿が描かれている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、365–366頁(コマ194–195)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日