枕草子 第309段 随想的章段
初瀬に詣でて
長谷寺に参詣して局にいると、身分の低い者たちが後ろ向きに並んで座っているのは無作法だ。苦労して参詣し、早く仏を拝もうとしているのに、蓑虫のような者が前で額づいているのは押し倒したくなる。師に追い払わせても、すぐまた同じようになってしまうという。
場面イラスト(準備中)
- 1初瀨初瀨はつせににに詣詣もうでゝでゝでて局局つぼねににに居居いたるたるたるにににあやしきあやしきあやしきげすげすげすどもどもどものののうしろうしろうしろさしさしさしまぜまぜまぜつゝつゝつつ、、、居居いなみなみなみたるたるたるけしきけしきけしきこそこそこそないがしろないがしろないがしろなれなれなれ。。。いみじきいみじきいみじき心心こころををを起起おこしししててて詣詣もうでででたるたるたるににに、、、川川かわののの音音おとなどなどなどののの恐恐おそろしきしきしきにににくれくれくれ階階はしをををのぼりのぼりのぼり困困こうじじじててていつしかいつしかいつしか佛佛ほとけののの御御おん顏顏かおををを拜拜おがみみみ奉奉たてまつらららむむんととと、、、局局つぼねににに急急いそぎぎぎ入入いりりりたるたるたるににに蓑蟲蓑蟲みのむしのののやうやうようなるなるなる物物もののののあやしきあやしきあやしききぬきぬきぬ着着きたるたるたるがががいといといとにくきにくきにくき立居立居たちい額額ぬかづきづきずきたるたるたるははは押押おししし倒倒たおしししつつつべきべきべき心心ここちちちこそこそこそすれすれすれ。。。いといといとやんごとなきやんごとなきやんごとなき人人ひとののの局局つぼねばかりばかりばかりこそこそこそ前前まえはらひはらひわらいあれあれあれ、、、よろしきよろしきよろしき人人ひとははは制制せいしししわづらひわづらひわずらいぬぬぬかしかしかし。。。賴賴たのもしもしもし人人びとののの師師しををを呼呼よびびびててて言言いははわすれすれすればばば、、、「「「そこそこそこどもどもども少少すこししし去去されれれ」」」などなどなどいふいふいう程程ほどこそこそこそあれあれあれ、、、步步あゆみみみ出出いでででぬれぬれぬればばばおなじおなじおなじやうやうようににになりなりなりぬぬぬ。。。
現代語訳
初瀬に参詣して局に入っていると、身分の低い者たちが背中を入りまじらせながら並んで座っている様子は、たいそう無作法である。たいそうな信心を起こして参詣したのに、川の音などの恐ろしい中を、呉階を上って疲れきって、早く仏のお顔を拝み申し上げようと局に急いで入ったのに、蓑虫のような者が、みすぼらしい衣を着て、たいそう憎らしく立ったり座ったりして額づいているのは、押し倒してしまいたい気持ちがする。たいそう高貴な人の局だけは先払いがあるけれど、普通の身分の人は制しかねてしまう。頼りにしている師僧を呼んで言わせると、「そこの者たち、少しどけ」などと言うときはよいが、師僧が立ち去ってしまうと、また同じようになってしまう。
意訳
長谷寺参詣での不満を述べた段である。苦労して参詣したのに、仏の前には粗末な身なりの人々が詰めかけていて、押し倒したくなるほどだという。身分の高い人なら先払いで追い払えるが、そうでもない作者の局では、師僧に頼んでもすぐ元に戻ってしまう。信仰の場でも身分意識が抜けない作者の本音が率直に語られている。
語釈・文法注
文法
- 「くれ階」
- 長谷寺の本堂へ上る屋根付きの階段(登廊)。
- 「賴もし人の師」
- 頼みにしている師僧。参詣の世話をする僧。
解説
第119段の長谷寺参籠の段と比べると、こちらは不満が中心で、作者の別の一面が表れている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、362頁(コマ193)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日