古典ライブラリー

枕草子 第289段 日記的章段

小野殿の母上こそは

小野殿の母上が、普門寺で法華八講を行った翌日、小野殿に人々が集まって管絃をし詩を作ったときに、「薪こることは昨日に尽きにしを今日は斧の柄ここに朽たさむ」と詠まれたのはすばらしい。このあたりは聞き書きになってしまったようだ、と作者は記す。

  1. 1又また又またまた小野殿をのどの小野殿をのどのおのどのののの母はは母ははははうへうへうえこそこそこそははは普門寺ふもんじ普門寺ふもんじふもんじととといふいふいう所ところ所ところところににに八講はつかう八講はつかうはっこうしししけるけるけるををを聞き聞きききききててて、、、又また又またまたののの日ひ日ひひ小野殿をのどの小野殿をのどのおのどのににに人々ひとびと人々ひとびとひとびと集あつ集あつあつまりまりまりてててあそびあそびあそびししし文ふみ文ふみふみつくりつくりつくりけるけるけるににに、、、
  2. 2「「「薪たきぎ薪たきぎたきぎこるこるこることことことはははきのふきのふきのうにににつきつきつきにににしししををを今日けふ今日けふきょうはははをををのののゝゝのえええこゝこゝここにににくたさくたさくたさむむん」」」
  3. 3ととと詠よ詠よよみみみ給たま給たまたまひひいけむけむけんこそこそこそめでたけれめでたけれめでたけれ。。。こゝもとこゝもとここもとはははうちうちうちきゝきゝききににになりなりなりぬるぬるぬるなめりなめりなめり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

また、小野殿の母上が、普門寺という所で法華八講をなさったのを聞いて、翌日、小野殿に人々が集まって管絃の遊びをし、漢詩を作ったときに、

薪を樵るという法華経の講説は昨日で終わったのに、今日はここで楽しさのあまり、斧の柄を朽ちさせて時を忘れるのでしょうか。

とお詠みになったのは、すばらしいことだ。このあたりは、人から聞いた話になってしまったようだ。

意訳

法華八講の翌日の宴で詠まれた歌を伝える段である。「薪こる」は法華経の一節にちなむ言葉、「斧の柄朽たす」は、仙人の碁を見ているうちに斧の柄が朽ちるほど時がたったという中国の故事による。法会の翌日の楽しい宴を、二つの典故で巧みに詠んでいる。最後の一文は、作者自身の見聞ではなく伝聞を書き並べていることへの断り書きである。

語釈・文法注

文法

「薪こること」
『法華経』の「薪を採り、菓を拾ひ」の句に基づき、法華八講の第五巻の日に「薪の行道」が行われた。
「をのゝえこゝにくたさむ」
晋の王質が山中で仙人の碁を見ているうちに、斧の柄が朽ちるほどの年月がたっていたという故事(『述異記』)による。

和歌

薪こることは昨日に尽きにしを今日は斧の柄ここに朽たさむ

詠者
小野殿の母上
状況
普門寺での法華八講の翌日、管絃の宴で詠んだ歌。

修辞

縁語
「薪」「こる」「斧」が縁語。
本説
斧の柄が朽ちるほど時を忘れたという王質の故事をふまえる。

解説

「こゝもとはうちきゝになりぬるなめり」という一文は、作者が自分の書き方を意識していたことを示している。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、356頁(コマ190)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日