古典ライブラリー

枕草子 第288段 日記的章段

右衛門の尉なりける者の

右衛門の尉である者が、みっともない親を恥じて、伊予から上京する途中で親を海に落とし入れてしまった。その男が七月十五日の盂蘭盆の供養を急いでいるのを見て、道命阿闍梨が「わたつ海に親をおし入れてこの主の盆する見るぞあはれなりける」と詠んだという。

  1. 1右衞門うゑもん右衞門うゑもんうえもんののの尉じよう尉じようじょうなるなるなる者もの者ものものののの、、、えせえせえせ親おや親おやおやをををもたりもたりもたりててて、、、人ひと人ひとひとののの見み見みみるるるにににおもておもておもてぶせぶせぶせなどなどなど見み見みみぐるしうぐるしうぐるしゅうおもひおもひおもいけるけるけるががが伊豫いよ伊豫いよいよののの國くに國くにくによりよりよりのぼるのぼるのぼるとてとてとて海うみ海うみうみににに落おと落おとおとししし入い入いいれれれてててけるけるけるををを、、、人ひと人ひとひとののの心こころ心こころこころうううがりがりがりあさましがりあさましがりあさましがりけるけるける程ほど程ほどほどににに、、、七月しちぐわつ七月しちぐわつしちがつ十五日じふごにち十五日じふごにちじゅうごにちぼんぼんぼんををを奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるとてとてとていそぐいそぐいそぐををを見み見みみ給たま給たまたまひひいててて、、、阿あ阿ああしやしやしや梨り梨りり、、、
  2. 2「「「わたつわたつわたつ海うみ海うみうみににに親おや親おやおやをををおしおしおし入い入いいれれれてててこのこのこのぬしぬしぬしのののぼんぼんぼんするするする見み見みみるるるぞぞぞ哀あはれ哀あはれあわれなりなりなりけるけるける」」」
  3. 3とととよみよみよみ給たま給たまたまひひいけるけるけるこそこそこそいといといとほしけれほしけれほしけれ。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

右衛門の尉である者が、みっともない親を持っていて、人が見ると面目ないなどと見苦しく思っていたが、伊予の国から上京するというので、親を海に落とし入れてしまったのを、人々が情けなく、あきれていたところ、その男が七月十五日に盂蘭盆の供養をしようと準備に急いでいるのを道命阿闍梨がご覧になって、

大海に親を突き落としておいて、この人が盆の供養をしているのを見るのは、なんとも哀れなことだ。

とお詠みになったのは、たいそう痛烈である。

意訳

親を恥じて海に突き落とした男が、盂蘭盆に先祖の供養をしているという皮肉な話である。道命阿闍梨は、「盆」に海の「盆(ぼん、盆地の意)」をかけるような機知もまじえて、その偽善を歌で痛烈に風刺した。作者も「いとほし」と、その男へのあきれと気の毒さを表している。

語釈・文法注

道命阿闍梨
藤原道綱の子で、天台宗の僧。和歌にすぐれ、中古三十六歌仙の一人。

文法

「ぼん」
盂蘭盆。七月十五日に先祖の霊を供養する仏事。
「いとほし」
ここでは、気の毒だ、見ていられない、の意。

和歌

わたつ海に親をおし入れてこの主の盆する見るぞあはれなりける

詠者
道命阿闍梨
状況
親を海に落とした男が、盂蘭盆の供養を急いでいるのを見て詠んだ歌。

解説

当時の世間話を書きとめた段である。親不孝への非難を、僧の歌を通して描いている。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、356頁(コマ190)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日