枕草子 第271段 日記的章段
成信の中将は
源成信の中将の美しさ、伊予守兼輔の娘との別れの話、名を変えた兵部という女房の話に続いて、職の御曹司の小廂で、夜中に訪ねて来た権中将と兵部が夜明けまで語り合った出来事を記す。その翌朝の「雨の日に来る人はあわれだ」という話から、雨の夜に来る男、月夜に来る男についての作者の考えが語られる。
- 1ののの中將中將ちゅうじょうははは入道入道にゅうどう兵部卿兵部卿ひょうぶきょうののの宮宮みやののの御御おん子子こにてにてにて、、、かたちかたちかたちいといといとをかしげをかしげおかしげににに、、、心心こころばへばへばえもももいといといとをかしうをかしうおかしゅうおはすおはすおわす。。。伊豫守伊豫守いよのかみ兼輔兼輔かねすけががが女女むすめののの忘忘わすららられれれててて伊豫伊豫いよへへへ親親おやのののくだりくだりくだりしししほどほどほど、、、いかにいかにいかに哀哀あわれなりなりなりけむけむけんとととこそこそこそ覺覺おぼえええしかしかしか。。。曉曉あかつきにににいくいくいくとてとてとて、、、今宵今宵こよいおはしましおはしましおわしましててて、、、有明有明ありあけののの月月つきににに歸歸かえりりり給給たまひひいけむけむけん直衣直衣のうし姿姿すがたなどなどなどこそこそこそ。。。そのそのそのかみかみかみ常常つねににに居居いててて物物ものかたりかたりかたりししし人人ひとのののうへうへうえなどなどなどわろきわろきわろきはははわろしわろしわろしなどなどなどのたまひのたまひのたまいしししににに。。。
- 2物忌物忌ものいみなどなどなどくすしうくすしうくすしゅうするするするものゝものゝものの、、、名名なをををさうさうそうにてにてにてもたるもたるもたる人人ひとのののあるあるあるががが、、、ことことことびとびとびとののの子子こににになりなりなりててて平平たいらなどなどなどいへいへいえどどど、、、唯唯ただもともともとのののしやうしやうしょうををを若若わかききき人々人々ひとびとことことことぐさぐさぐさにてにてにて笑笑わらふふう有樣有樣ありさまももも異異ことなるなるなる事事ことなしなしなし。。。兵部兵部ひょうぶとてとてとてをかしきをかしきおかしきかたかたかたなどなどなどもももかたきかたきかたきががが、、、さすがさすがさすがににに人人ひとなどなどなどにににさしさしさしまじりまじりまじり心心こころなどなどなどのののあるあるあるははは御御お前前まえわたりわたりわたりににに見見み苦苦ぐるしししなどなどなど仰仰おおせせせらるれらるれらるれどどど腹腹はらぎたなくぎたなくぎたなく知知しりりり告告つぐるぐるぐる人人ひともももなしなしなし。。。一條院一條院いちじょういんつくらつくらつくられれれたるたるたる一間一間ひとまののの所所ところにににははは、、、つらさつらさつらさ人人ひとをををばばば更更さらににに寄寄よせせせずずず、、、東東ひがしのののみかどみかどみかどにににつとつとつと向向むかひひいてててをかしきをかしきおかしき小小こ廂廂びさしににに、、、式部式部しきぶのののおとゞおとゞおとど諸共諸共もろともににに夜夜よるももも晝晝ひるもももあれあれあればばば、、、上上うえももも常常つねににに物物もの御覽御覽ごらんじじじににに出出いでででさせさせさせ給給たまふふう。。。「「「今宵今宵こよいははは皆皆みな内内うちににに寐寐ねむむむ」」」とてとてとて南南みなみののの廂廂ひさしににに二人二人ふたり臥臥ふしししぬるぬるぬる後後のちににに、、、いみじういみじういみじゅう叩叩たたくくく人人ひとのののあるあるあるににに、、、「「「うるさしうるさしうるさし」」」などなどなどいひいひいい合合あわせせせててて寐寐ねたるたるたるやうやうようにてにてにてあれあれあればばば、、、猶猶なおいみじういみじういみじゅうかしがましうかしがましうかしがましゅう呼呼よぶぶぶををを「「「あれあれあれおこせおこせおこせ、、、空空そらねねねならならならむむん」」」ととと仰仰おおせせせられられられけれけれければばば、、、このこのこの兵部兵部ひょうぶ來來きててて「「「起起おこせせせどどどねたるねたるねたるさまさまさまなれなれなればばば更更さらににに起起おききき給給たまははわざりざりざりけりけりけり」」」ととと言言いひひいにににいきいきいきたるたるたるがががやがてやがてやがて居居いつきつきつきててて物物ものいふいふいうなりなりなり。。。暫暫しばしししかかかととと思思おもふふうににに夜夜よいたういたういとう更更ふけけけぬぬぬ。。。「「「權中將權中將ごんのちゅうじょうにににこそこそこそあああなれなれなれ。。。こここははは何事何事なにごとをををかかかうううはははいふいふいう」」」とてとてとて唯唯ただみそかみそかみそかににに笑笑わらふふうもももいかでいかでいかでかかか知知しむむむ。。。曉曉あかつきまでまでまでいひいひいい明明あかしししててて歸歸かえりりりぬぬぬ。。。「「「このこのこの君君きみいといといとゆゝしかりゆゝしかりゆゆしかりけりけりけり。。。更更さらににに坐坐おわせせせむむんににに物物ものいはいはいわじじじ。。。何事何事なにごとをををさささははは言言いひひいあかすあかすあかすぞぞぞ」」」などなどなど笑笑わらふふうににに、、、遣戶遣戶やりどをををあけあけあけててて女女おんなははは入入いりりりぬぬぬ。。。つとめてつとめてつとめて例例れいののの廂廂ひさしににに物物ものいふいふいうををを聞聞きけけけばばば「「「雨雨あめのののいみじういみじういみじゅう降降ふるるる日日ひきたるきたるきたる人人ひとなむなむなんいといといと哀哀あわれなるなるなる。。。日頃日頃ひごろおぼつかなうおぼつかなうおぼつかのうつらきつらきつらき事事ことありありありともともとも、、、さてさてさてぬれぬれぬれててて來來こらららばばば憂憂うききき事事ことももも皆皆みな忘忘わすれれれぬぬぬべしべしべし」」」とととははは、、、などなどなどててていふいふいうにににかかかあらあらあらむむんををを。。。よべよべよべ昨日昨日きのうののの夜夜よもももそれそれそれかかかあなたあなたあなたののの夜夜よもももすべてすべてすべてこのこのこの頃頃ごろはははうちうちうちしきりしきりしきり見見みゆるゆるゆる人人ひとののの、、、今宵今宵こよいもももいみじからいみじからいみじからむむん雨雨あめににに障障さわらららででで來來きたらたらたらむむんははは、、、一夜一夜ひとよももも隔隔へだてててじじじととと思思おもふふうなめりなめりなめりとととあはれあはれあわれなるなるなるべしべしべし。。。さてさてさて日頃日頃ひごろももも見見みえええずずずおぼつかなくおぼつかなくおぼつかなくててて過過すぐさぐさぐさむむん人人ひとののの、、、かゝるかゝるかかる折折おりにににしもしもしも來來こむむむをををばばば、、、更更さらににに又又また志志こころざしあるあるあるにににははは得得えせせせじじじとととこそこそこそ思思おもへへえ。。。人人ひとののの心々心々こころごころなれなれなればばばにににやややあらあらあらむむん、、、物物もの見見みしりしりしり思思おもひひい知知しりりりたるたるたる女女おんなののの心心こころありありありととと見見みゆるゆるゆるなどなどなどをををばばば語語かたらひらひらいててて數多數多あまたいくいくいく所所ところもももありありあり元元もとよりよりよりのののよすがよすがよすがなどなどなどもももあれあれあればばば、、、繁繁しぎょうううしもしもしも得得えこここぬぬぬををを、、、猶猶なおさるさるさるいみじかりいみじかりいみじかりししし折折おりににに來來きたりりりししし事事ことなどなどなど人人ひとにににももも語語かたりりりつがつがつがせせせ、、、身身みをををほめほめほめられられられむむんととと思思おもふふう人人ひとのののしわざしわざしわざにににややや。。。それそれそれもももむげむげむげににに志志こころざしなからなからなからむむんにににははは何何なにしししにににかかかはははさささもももつくりつくりつくりごとごとごとしししてててももも見見みえええむむんとととももも思思おもははわむむん。。。されどされどされど雨雨あめののの降降ふるるる時時ときははは唯唯ただむつかしうむつかしうむつかしゅう、、、今朝今朝けさまでまでまではははればれしかりればれしかりればれしかりつるつるつる空空そらともともとも覺覺おぼえええずずずにくゝにくゝにくくててて、、、いみじきいみじきいみじき細殿細殿ほそどののののめでたきめでたきめでたき所所ところともともとも覺覺おぼえええずずず。。。ましてましてましていといといとさらさらさらぬぬぬ家家いえなどなどなどははは疾疾とくくく降降ふりりり止止やみみみねねねかしかしかしとととこそこそこそ覺覺おぼゆれゆれゆれ。。。月月つきのののあかきあかきあかきににに來來こらららむむん人人ひとはははしもしもしも、、、十日十日とおか廿日廿日はつか一月一月ひとつきもしはもしはもしは一年一年ひととせにてにてにてももも、、、ましてましてまして七八年七八年しちわちねんににになりなりなりてててももも思思おもひひい出出いでででたらたらたらむむんはははいみじういみじういみじゅうをかしをかしおかしととと覺覺おぼえええててて、、、えええ逢逢あふふうまじうまじうまじゅうわりなきわりなきわりなき所所ところ、、、人目人目ひとめつゝむつゝむつつむべきべきべきやうやうようありありありともともとも必必かならず立立たちちちながらながらながらももも物物ものいひいひいいててて返返かえししし又又またとまるとまるとまるべからべからべからむむんをををばばば留留とどめめめなどなどなどしししつつつべしべしべし。。。
現代語訳
成信の中将は、入道兵部卿の宮の御子で、容姿もたいそう美しく、気立てもたいそうすばらしくていらっしゃる。伊予守兼輔の娘が忘れられて、親が伊予へ下ったときは、どんなにしみじみと悲しかったことだろうと思われた。明け方に出発するというので、その夜にいらっしゃって、有明の月の中をお帰りになったという直衣姿などは、さぞすばらしかったことだろう。そのころ、いつも来ていて話をした人のことなどを、悪いのは悪いなどとおっしゃっていたが。
物忌などを神経質に守る者で、名を「さう」と持っている人がいたが、ほかの人の養子になって「平」などと名乗っているけれど、ただもとの「しやう」の名を若い女房たちが口癖にして笑う様子も、どうということはない。兵部といって、おもしろいところなども少ない者が、それでも人の中にまじって、気を回したりするのは、中宮様が御前あたりでは見苦しいなどとおっしゃるけれど、意地悪く本人に知らせる人もいない。一条院に造られた一間の所には、いやな人は決して寄せつけず、東の御門にまっすぐ向いた趣のある小廂に、式部のおもとと一緒に夜も昼もいるので、帝もいつも物をご覧になりにお出ましになる。「今夜はみな中で寝よう」と言って、南の廂に二人で寝た後に、ひどく戸を叩く人があるので、「うるさい」などと言い合わせて寝たふりをしていると、なおひどくやかましく呼ぶので、中宮様が「あれを起こしなさい。寝たふりでしょう」とおっしゃったので、この兵部が来て、「起こしたけれど寝ている様子なので、まったくお起きになりませんでした」と言いに行ったが、そのまま座り込んで話をしているのだった。しばらくかと思っていると、夜がたいそう更けてしまった。「権中将であるらしい。これは何をそんなに話しているのか」と言って、ただこっそり笑うのも、相手はどうして知ろうか。明け方まで話し明かして帰ってしまった。「この方はたいそうひどい人だった。もう決して、いらっしゃっても話はしまい。何をそんなに話し明かしたのか」などと笑っていると、遣戸を開けて兵部は入ってきた。翌朝、いつもの廂で話しているのを聞くと、「雨のひどく降る日に来る人こそ、たいそうしみじみと心ひかれる。日ごろは気がかりで、つらいことがあっても、そうして濡れて来たら、つらいことも忘れてしまうだろう」とは、どうして言うのだろう。昨夜も、その前の夜も、すべてこのごろはしきりに通ってくる人が、今夜もひどい雨にさしつかえずに来たのなら、一晩も間をあけまいと思っているのだと、しみじみと思うだろう。けれども、何日も姿を見せず気がかりなまま過ごさせた人が、こういう折に限って来たのは、決して、志のある人とは思えないと思う。人の心はさまざまだからだろうか、物事を見知り、わきまえた女で、心ありと見える人などとは親しくして、通う所もたくさんあり、もとからの妻などもあるので、そうしげくは来られないのを、やはりあのひどい雨の折に来たことなどを人に語り伝えさせて、自分をほめられようと思う人のしわざであろうか。それも、まったく志がないのなら、どうしてそんな作り事をしてまで来ようと思うだろうか。けれども、雨が降るときは、ただうっとうしく、今朝まで晴れ晴れとしていた空とも思えず憎らしくて、すばらしい細殿のりっぱな所とも思われない。まして、たいしたこともない家などでは、早く降りやんでほしいと思われる。月の明るい夜に来るような人こそは、十日、二十日、一月、あるいは一年でも、まして七、八年たってからでも、思い出して来たのは、たいそう趣があると思われて、とても会えないような困った所で、人目をはばからなければならない事情があっても、必ず立ったままでも話をして帰し、また泊まれそうなら泊めなどもしてしまうだろう。
意訳
成信の中将の美しさから話が始まり、兵部という女房の話、そして一条院での夜の出来事へと移っていく。夜中に権中将が訪ねて来て、寝たふりをしていた作者たちに代わって応対した兵部が、そのまま夜明けまで話し込んでしまう。翌朝聞いた「雨の夜に来る男こそいとしい」という話をきっかけに、作者は自分の考えを語る。ふだん来ない男が雨の夜に限って来るのは、自分をよく見せたいだけではないか。それよりも、月の明るい夜に、何年たっても思い出して訪ねて来る人こそ心ひかれる。恋の美学をめぐる作者の率直な意見が述べられている。
語釈・文法注
- 成信
- 源成信。致平親王(入道兵部卿の宮)の子で、藤原道長の養子となった。美男として知られた。
文法
- 「くすしう」
- 「くすし」は、物事を神経質にきちょうめんに守る様子。
- 「よすが」
- 縁となる人。ここでは本妻。
- 「立ちながら」
- 中に入れずに、立ったままで。
解説
宮廷の日常の一コマから、恋愛についての作者の考えへと話が広がっていく段である。雨の夜より月夜の訪問を好むという主張は、次段の月をめぐる随想へと続いていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、347–349頁(コマ185–186)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日