枕草子 第256段 日記的章段
関白殿、二月二十一日に
正暦五年(994)二月、関白道隆が積善寺で一切経供養を行う。中宮定子は前もって二条の宮に移り、作者は造花の桜、道隆の冗談、雨に濡れた桜を道隆がこっそり取り除かせた「花盗人」の一件などを書きとめる。供養当日は、女房たちが大勢の貴人の前で車に乗る恥ずかしさ、中宮の御輿の神々しさ、桟敷での道隆の涙と冗談、伊周や隆円の姿など、中関白家の栄華の頂点を華やかに描く。
- 1二月二月にがつとをとをとを日日かのののほどほどほどににに、、、法興院法興院ほうこういんのののととといふいふいう御御み堂堂どうにてにてにて、、、一切經一切經いっさいきょう供養供養くようぜぜぜさせさせさせたまふたまふたまう。。。女院女院にょういん、、、宮宮みやののの御御おまへまへまえもももおはしますおはしますおわしますべけれべけれべければばば、、、二月二月にがつ朔日朔日ついたちのののほどほどほどににに二條二條にじょうののの宮宮みやへへへ入入いらららせせせ給給たまふふう。。。夜夜よ更更ふけけけてててねぶたくねぶたくねぶたくなりなりなりにににしかしかしかばばば、、、何事何事なにごとももも見見み入入いれれれずずず。。。つとめてつとめてつとめて日日ひのののうらゝかうらゝかうららかにににさしさしさし出出いでででたるたるたるほどほどほどににに起起おきききたれたれたればばば、、、いといといと白白しろうううあたらしうあたらしうあたらしゅうをかしげをかしげおかしげににに作作つくりりりたるたるたるにににみすみすみすよりよりより始始はじめめめててて昨日昨日きのうかけかけかけたるたるたるなめりなめりなめり、、、御御おんしつらひしつらひしつらい獅子獅子しし狛犬狛犬こまいぬなどなどなどいついついつのののほどほどほどにににややや入入いりりり居居いけむけむけんとととぞぞぞをかしきをかしきおかしき。。。櫻櫻さくらののの一丈一丈ひとつえばかりばかりばかりにてにてにていみじういみじういみじゅう咲咲さきききたるたるたるやうやうようにてにてにてみはしみはしみわしのののもともともとにににあれあれあればばば、、、いといといと疾疾とううう咲咲さきききたるたるたるかなかなかな、、、梅梅うめこそこそこそ唯今唯今ただいま盛盛さかりなめれなめれなめれととと見見みゆるゆるゆるははは作作つくりりりたるたるたるなめりなめりなめり。。。すべてすべてすべて花花はなのののにほひにほひにおいなどなどなど咲咲さきききたるたるたるににに劣劣おとらららずずず、、、いかにいかにいかにうるさかりうるさかりうるさかりけむけむけん。。。雨雨あめ降降ふらららばばば萎萎しぼみみみなななむむんかしかしかしととと見見みるるるぞぞぞ口惜口惜くちおしきしきしき。。。小小こ家家いえなどなどなどいふいふいう物物ものののの多多おおかりかりかりけるけるける所所ところををを今今いま作作つくらららせせせ給給たまへへえれれればばば木木こだちだちだちなどなどなどののの見見み所所どころあるあるあるはははいまだいまだいまだなしなしなし。。。唯唯ただ宮宮みやのののさまさまさまぞぞぞけぢかくけぢかくけじかくをかしげをかしげおかしげなるなるなる。。。
- 2殿殿との渡渡わたらららせせせ給給たまへへえりりり。。。靑鈍靑鈍あおにびののの堅紋堅紋かたもんののの御御おん指指さし貫貫ぬき、、、櫻櫻さくらののの直衣直衣のうしににに紅紅くれないののの御御おんぞぞぞ三三みつつつばかりばかりばかり唯唯ただ直衣直衣のうしにににかさねかさねかさねてててぞぞぞ奉奉たてまつりりりたるたるたる。。。御御おまへまへまえよりよりより始始はじめめめててて紅梅紅梅こうばいののの濃濃こきききうすきうすきうすき織物織物おりもの、、、かたかたかた紋紋もん、、、りうりうりゅう紋紋もんなどなどなどあるあるあるかぎりかぎりかぎり着着きたれたれたればばば、、、唯唯ただひかりひかりひかり滿滿みちちちてててからぎぬからぎぬからぎぬははは萠黃萠黃もえぎ、、、柳柳やなぎ、、、紅梅紅梅こうばいなどなどなどもももありありあり。。。御御お前前まえににに居居いさせさせさせ給給たまひひいててて物物ものなどなどなど聞聞きこえええさせさせさせ給給たまふふう。。。御御おんいらへいらへいらえのののあらまほしさあらまほしさあらまほしさををを里里さと人人びとににに僅僅わずかにににのぞかのぞかのぞかせせせばやばやばやととと見見み奉奉たてまつるるる。。。女房女房にょうぼうどもどもどもををを御覽御覽ごらんじじじ渡渡わたしししててて宮宮みやににに「「「何事何事なにごとをををおぼしめすおぼしめすおぼしめすらむらむらん、、、こゝらこゝらここらめでたきめでたきめでたき人々人々ひとびとをををなべなべなべすゑすゑすえててて御覽御覽ごらんずるずるずるこそこそこそいといといと美美うらやましけれしけれしけれ。。。一人一人ひとりわろきわろきわろき人人ひとなしなしなしややや。。。これこれこれ家々家々いえいえのののむすめむすめむすめぞぞぞかしかしかし。。。あはれあはれあわれなりなりなり。。。よくよくよくかへりみかへりみかえりみてててこそこそこそさぶらはさぶらはさぶらわせせせ給給たまははわめめめ。。。さてさてさてもももこのこのこの宮宮みやののの御御み心心こころをををばばばいかにいかにいかに知知しりりり奉奉たてまつりりりててて集集あつまりりり參參まいりりりたまへたまへたまえるるるぞぞぞ。。。いかにいかにいかにいやしくいやしくいやしく物物もの惜惜おみみみせせせさせさせさせ給給たまふふう宮宮みやとてとてとて、、、我我われははは、、、生生うまれれれさせさせさせ給給たまひひいしししよりよりより、、、いみじういみじういみじゅう仕仕つこうううまつれまつれまつれどどど、、、まだまだまだおろしおろしおろしののの御御おんぞぞぞ一一ひとつつつ賜賜たまははわぬぬぬぞぞぞ。。。何何なにかかかしりうごとしりうごとしりゅうごとにににははは聞聞きこえええむむん」」」などなどなどのたまふのたまふのたまうがががをかしきをかしきおかしきににに皆皆みな人々人々ひとびと笑笑わらひひいぬぬぬ。。。「「「まことまことまことぞぞぞをこをこおこなりなりなりとてとてとてかくかくかく笑笑わらひひいいまするいまするいまするががが耻耻はずかしかしかし」」」などなどなどのたまはするのたまはするのたまわする程程ほどににに内内うちよりよりより御御おん使使つかいにてにてにて式部式部しきぶののの丞丞じょうなにがしなにがしなにがしまゐれまゐれまいれりりり。。。御御おん文文ふみははは大納言大納言だいなごん取取とりりり給給たまひひいててて殿殿とのににに奉奉たてまつらららせせせ給給たまへへえばばば、、、ひきひきひき解解ときききててて「「「いといといとゆかしきゆかしきゆかしきふみふみふみかなかなかな。。。ゆるさゆるさゆるされれれ侍侍はべらららばばばあけあけあけててて見見み侍侍はべらららむむん」」」とととのたまはすれのたまはすれのたまわすればばばあやしうあやしうあやしゅうとととおぼいおぼいおぼいためためためりりり。。。「「「忝忝かたじけなくくくもももありありあり」」」ととと奉奉たてまつらららせせせ給給たまへへえばばば、、、取取とらららせせせ給給たまひひいてててもももひろげひろげひろげさせさせさせ給給たまふふうやうやうようにににもももあらあらあらずずずもてなさもてなさもてなさせせせ給給たまふふう、、、御御おん用意用意よういなどなどなどぞぞぞありがたきありがたきありがたき。。。すみすみすみのののまままよりよりより女房女房にょうぼう褥褥しとねさしさしさし出出いでゝでゝでて、、、三四人三四人さんしにん御御み几帳几帳きちょうのののもともともとににに居居いたりたりたり。。。「「「あなたあなたあなたにににまかりまかりまかりててて祿祿ろくののの事事こと物物ものししし侍侍はべらららむむん」」」とてとてとてたゝたゝたたせせせ給給たまひひいぬるぬるぬる後後のちににに御御おん文文ふみ御覽御覽ごらんずずず。。。御御おん返返かえしししははは、、、紅梅紅梅こうばいののの紙紙かみににに書書かかかかせせせ給給たまふふうががが御御おんぞぞぞののの同同おなじじじ色色いろににににほひにほひにおいたるたるたる、、、猶猶なおかうかうこうしもしもしも推推おししし量量はかりりり參參まいらするらするらする人人ひとはははなくなくなくやややあらあらあらむむんとととぞぞぞ口口くちをしきをしきおしき。。。今日今日きょうははは殊更殊更ことさらにににとてとてとて殿殿とのののの御御おん方方かたよりよりより祿祿ろくははは出出いださささせせせ給給たまふふう。。。女女おんなのののさうぞくさうぞくそうぞくににに紅梅紅梅こうばいののの細細ほそながながながそへそへそえたりたりたり。。。肴肴さかななどなどなどあれあれあればばば醉醉えははわさささまほしけれまほしけれまほしけれどどど「「「今日今日きょうはははいみじきいみじきいみじきことことことののの行幸行幸ぎょうこうににに。。。あがあがあが君君きみ許許ゆるさささせせせ給給たまへへえ」」」ととと大納言大納言だいなごん殿殿どのにににももも申申もうしししててて立立たちちちぬぬぬ。。。
- 3君達君達きんだちなどなどなどいみじういみじういみじゅうけさうけさうけそうししし給給たまひひいててて、、、紅梅紅梅こうばいののの御御おんぞぞぞももも劣劣おとらららじじじととと着着き給給たまへへえるるるににに、、、三三さんののの御御お前前まえははは御匣殿御匣殿みくしげどのなりなりなり、、、中中なかののの姫君姫君ひめぎみよりよりよりももも大大おおきききににに見見みえええ給給たもうううてててうへうへうえなどなどなど聞聞きこえええむむんにににぞぞぞよかよかよかめるめるめる。。。うへうへうえももも渡渡わたらららせせせ給給たまへへえりりり。。。御御み几帳几帳きちょうひきひきひき寄寄よせせせててて新新あたらしくしくしく參參まいりりりたるたるたる人々人々ひとびとにににははは見見みえええ給給たまははわねねねばばばいぶせきいぶせきいぶせき心心ここちちちすすす。。。さしさしさし集集つどひひいてててかのかのかの日日ひのののさうぞくさうぞくそうぞく扇扇おうぎなどなどなどののの事事ことをををいひいひいい合合あわするするするもももありありあり。。。又又また挑挑いどみみみかはしかはしかわしててて「「「まろまろまろははは何何なにかかか唯唯ただあらあらあらむむんにににまかせまかせまかせてててををを」」」などなどなどいひいひいいててて例例れいののの君君きみなどなどなどにににくまるくまるくまる。。。夜夜よさりさりさりまかづるまかづるまかずる人人ひとももも多多おおかりかりかり。。。かゝるかゝるかかる事事ことにににまかづれまかづれまかずればばばえええとゞめとゞめとどめさせさせさせ給給たまははわずずず。。。上上うえ日々日々ひびににに渡渡わたりりりよるよるよるもももおはしますおはしますおわします。。。君達君達きんだちなどなどなどおはすれおはすれおわすればばば御御お前前まえ人人びとすくなくすくなくすくなく侍侍さぶらははわねねねばばばいといといとよしよしよし。。。內內うちののの御御おん使使つかい日々日々ひびににに參參まいるるる。。。
- 4御御お前前まえののの櫻櫻さくら色色いろはははまさらまさらまさらででで日日ひなどなどなどにににあたりあたりあたりててて凋凋しぼみみみわるうわるうわるうなるなるなるだにだにだにわびしきわびしきわびしきににに、、、雨雨あめのののよるよるよる降降ふりりりたるたるたるつとめてつとめてつとめていみじういみじういみじゅうむとくむとくむとくなりなりなり。。。いといといと疾疾とくくく起起おきききててて「「「泣泣なきききててて別別わかれれれむむん顏顏かおににに心心こころおとりおとりおとりこそこそこそすれすれすれ」」」ととといふいふいうににに聞聞きかかかせせせ給給たまひひいててて「「「げにげにげに雨雨あめのののけはひけはひけわいしししつるつるつるぞぞぞかしかしかし。。。いかならいかならいかならむむん」」」とてとてとて驚驚おどろかかかせせせ給給たまふふうににに、、、殿殿とのののの御御おん方方かたよりよりより侍侍さぶらいののの者者ものどもどもどもげすげすげすなどなどなど來來きててて、、、あまたあまたあまた花花はなののの本本もとににに唯唯ただよりよりよりににによりよりよりててて、、、引引ひききき倒倒たおししし取取とりりりてててみそかみそかみそかにににいきいきいきててて、、、「「「まだまだまだ暗暗くらからからからむむんににに取取とれれれとととこそこそこそ仰仰おおせせせられられられつれつれつれ。。。明明あけけけ過過すぎぎぎにににけりけりけり。。。ふびんふびんふびんなるなるなるわざわざわざかなかなかな。。。とくとくとくとくとくとく」」」ととと倒倒たおししし取取とるるるににに、、、いといといとをかしくをかしくおかしくててていはゞいはゞいわばいはいはいわなむなむなんととと、、、兼澄兼澄かねずみががが事事ことををを思思おもひひいたるたるたるにににやややともともともよきよきよき人人ひとならならならばばばいはいはいわまほしけれまほしけれまほしけれどどど「「「かのかのかの花花はな盗盗ぬすむむむ人人ひとはははたれたれたれぞぞぞ。。。あしかあしかあしかめりめりめり」」」ととといへいへいえばばば、、、笑笑わらひひいててていとゞいとゞいとど逃逃にげげげててて引引ひきききもてもてもていぬいぬいぬ。。。猶猶なお殿殿とのののの御御み心心こころはははをかしうをかしうおかしゅうおはすおはすおわすかしかしかし。。。くきくきくきどもどもどもにににぬれぬれぬれまろかれまろかれまろかれつきつきつきててていかにいかにいかに見見みるるるかひかひかいなからなからなからましましましととと見見みててて入入いりりりぬぬぬ。。。かもんかもんかもんづかさづかさずかさ參參まいりりりててて御御み格子格子こうしまゐりまゐりまいり、、、とのもりとのもりとのもりののの女官女官にょかん御御みきよめきよめきよめまゐりまゐりまいりはてゝはてゝはてて起起おきききさせさせさせ給給たまへへえるるるににに花花はなのののなけれなけれなければばば「「「あなあなあなあさましあさましあさまし。。。かのかのかの花花はなはははいづちいづちいずちいにいにいにけるけるける」」」ととと仰仰おおせせせらるらるらる。。。「「「あかつきあかつきあかつき盜人盜人ぬすびとありありありととといふいふいうなりなりなりつるつるつるははは、、、猶猶なお枝枝えだなどなどなどををを少少すこししし折折おるるるにににやややとととこそこそこそ聞聞ききききつれつれつれ。。。たたたがががしししつるつるつるぞぞぞ。。。見見みつつつややや」」」ととと仰仰おおせせせらるらるらる。。。「「「さささももも侍侍はべらららずずず。。。いまだいまだいまだ暗暗くらくくくてててよくよくよくももも見見み侍侍はべらららざりざりざりつるつるつるををを、、、しろみしろみしろみたるたるたるものゝものゝものの侍侍はべれれればばば、、、花花はなををを折折おるるるにににやややとととうしろめたさうしろめたさうしろめたさににに申申もうししし侍侍はべりりりつるつるつる」」」ととと申申もうすすす。。。「「「さりともさりともさりとも、、、かくかくかくはははいかでいかでいかで取取とらららむむん。。。殿殿とのののの隱隱かくさささせせせ給給たまへへえるるるなめりなめりなめり」」」とてとてとて笑笑わらははわせせせ給給たまへへえばばば「「「いでいでいでよもよもよも侍侍はべらららじじじ。。。春風春風はるかぜのののしししててて侍侍はべりりりなななむむん」」」ととと啓啓けいするするするををを「「「かくかくかく言言いははわむむんとてとてとて隱隱かくすすすなりなりなりけりけりけり。。。ぬすみぬすみぬすみにににはははあらあらあらでででふりふりふりにににこそこそこそふるふるふるなりなりなりつれつれつれ」」」ととと仰仰おおせせせらるゝらるゝらるるももも珍珍めずらしきしきしき事事ことならならならねねねどどど、、、いみじういみじういみじゅうめでたきめでたきめでたき。。。殿殿とのおはしませおはしませおわしませばばば寐寐ねくたれくたれくたれののの朝顏朝顏あさがおももも時時ときならならならずずずややや御覽御覽ごらんぜぜぜむむんととと引引ひききき入入いらららるるる。。。おはしますおはしますおわしますまゝまゝままににに「「「かのかのかの花花はなうせうせうせにににけるけるけるははは、、、いかにいかにいかにかくかくかくはははぬすまぬすまぬすませせせしししぞぞぞ。。。いぎたなかりいぎたなかりいぎたなかりけるけるける女房女房にょうぼう達達たちかなかなかな。。。知知しらららざりざりざりけるけるけるよよよ」」」ととと驚驚おどろかかかせせせ給給たまへへえばばば「「「されどされどされど我我われよりよりよりさきさきさきにににとととこそこそこそ思思おもひひいててて侍侍はべるるるめりめりめりつれつれつれ」」」ととと忍忍しのびびびやかやかやかにににいふいふいうををを、、、いといといと疾疾とくくく聞聞ききききつけつけつけさせさせさせ給給たまひひいててて「「「さささ思思おもひひいつるつるつる事事ことぞぞぞ。。。世世よにににことことこと人人びと出出いでゝでゝでて見見みつけつけつけじじじ。。。宰相宰相さいしょうとととそこそこそことととののの程程ほどならならならむむんととと推推おししし量量はかりりりつつつ」」」とてとてとていみじういみじういみじゅう笑笑わらははわせせせ給給たまふふう。。。「「「さりげなるさりげなるさりげなるものものものををを、、、少納言少納言しょうなごんははは春風春風はるかぜにににおほせおほせおおせけるけるける」」」ととと宮宮みやののの御御お前前まえにににうちうちうちゑまゑまえませせせ給給たまへへえるるるめでたしめでたしめでたし。。。「「「そらごとそらごとそらごとをををおほせおほせおおせ侍侍はべるるるなりなりなり。。。今今いまははは山田山田やまだもももつくるつくるつくるらむらむらん」」」とととうちうちうちずんぜずんぜずんぜさせさせさせ給給たまへへえるるるもももいといといとなまめきなまめきなまめきをかしをかしおかし。。。「「「さてさてさてもももねたくねたくねたく見見みつけつけつけられられられにににけるけるけるかなかなかな。。。さばかりさばかりさばかり誠誠いましめめめつるつるつるものものものををを、、、人人ひとののの所所ところにににかゝるかゝるかかるしれしれしれものものものゝゝのあるあるあるこそこそこそ」」」とととのたまはすのたまはすのたまわす。。。「「「春風春風はるかぜはははそらそらそらにににいといといとをかしうをかしうおかしゅうもももいふいふいうかなかなかな」」」とととずんぜずんぜずんぜさせさせさせ給給たまふふう。。。「「「たゞたゞただことことことにににはははうるさくうるさくうるさく思思おもひひいよりよりよりててて侍侍はべりりりつつつかしかしかし。。。今朝今朝けさのののさまさまさまいかにいかにいかに侍侍はべらららましましまし」」」とてとてとて笑笑わらははわせせせ給給たまふふうををを、、、小小こ若君若君わかぎみ「「「されどされどされどそれそれそれはははいといといと疾疾とくくく見見みててて、、、雨雨あめにににぬれぬれぬれたりたりたりなどなどなどおもておもておもてぶせぶせぶせなりなりなりととといひいひいい侍侍はべりりりつつつ」」」ととと申申もうししし給給たまへへえばばば、、、いみじういみじういみじゅうねたがらねたがらねたがらせせせ給給たまふふうもももをかしをかしおかし。。。
- 5さてさてさて八日八日ようか九日九日ここのかののの程程ほどにににまかづるまかづるまかずるををを「「「今今いま少少すこししし近近ちこうううなしなしなしててて」」」などなどなど仰仰おおせせせらるれらるれらるれどどど出出いでででぬぬぬ。。。いみじういみじういみじゅう常常つねよりよりよりももも長閑長閑のどかににに照照てりりりたるたるたる晝晝ひるつかたつかたつかた、、、「「「花花はなのののこゝろこゝろこころひらけひらけひらけたりたりたりややや、、、いかゞいかゞいかがいふいふいう」」」とととのたまはせのたまはせのたまわせたれたれたればばば「「「秋秋あきはははまだしくまだしくまだしく侍侍はべれれれどどど、、、世世よにににこのこのこのたびたびたびなむなむなんのぼるのぼるのぼる心心ここちちちししし侍侍はべるるる」」」などなどなど聞聞きこえええさせさせさせつつつ。。。出出いでででさせさせさせ給給たまひひいししし夜夜よ車車くるまののの次第次第しだいもももなくなくなくまづまづまずまづまづまずとととのりのりのり騒騒さわぐぐぐがががにくけれにくけれにくければばば、、、さるべきさるべきさるべき人人ひと三人三人みたりととと猶猶なおこのこのこの車車くるまににに乘乘のるるるさまさまさまのののいといといとさわがしくさわがしくさわがしく、、、祭祭まつりのののかへさかへさかえさなどなどなどのののやうやうようににに倒倒たおれれれぬぬぬべくべくべく惑惑まどふふういといといと見見みぐるしぐるしぐるし。。。「「「たゞたゞたださばれさばれさばれ、、、乘乘のるるるべきべきべき車車くるまなくなくなくてててえええ參參まいらららずずずはははおのづからおのづからおのずから聞聞きこしめししめししめしつけつけつけててて賜賜たまははわせせせてててむむん」」」などなどなど笑笑わらひひい合合あひひいててて立立たてるてるてる前前まえよりよりよりおしこりおしこりおしこりててて惑惑まどひひい乘乘のりりり果果はてゝてゝてて出出いでゝでゝでて「「「かうかうこうかかか」」」ととといふいふいうににに、、、「「「まだまだまだこゝこゝここににに」」」ととといらふれいらふれいらうればばば、、、宮司宮司みやずかさ寄寄よりりり來來きててて「「「誰々誰々たれたれかかかおはするおはするおわする」」」ととと問問とひひい聞聞ききききててて「「「いといといとあやしかりあやしかりあやしかりけるけるける事事ことかなかなかな。。。今今いまははは皆皆みなのりのりのりぬぬぬらむらむらんとととこそこそこそ思思おもひひいつれつれつれ。。。こここはははなどなどなどてててかくかくかくははは後後おくれれれさせさせさせ給給たまへへえるるる。。。今今いまははは得選得選とくせんををを乘乘のせせせむむんとととしししつるつるつるににに、、、めづらかめづらかめずらかなるなるなるややや」」」などなどなど驚驚おどろきききててて寄寄よせせせさすれさすれさすればばば「「「さささばばばまづまづまず、、、そのそのその御御おん志志こころざしありありありつつつらむらむらん人人ひとををを乘乘のせせせ給給たまひひいててて、、、次次つぎにににももも」」」ととといふいふいう聲聲こえ聞聞ききききつけつけつけててて「「「けしからけしからけしからずずず腹腹はらぎたなくぎたなくぎたなくおはしおはしおわしけりけりけり」」」などなどなどいへいへいえばばば乘乘のりりりぬぬぬ。。。そのそのその次次つぎにににははは誠誠まことにににみづしみづしみずしががが車車くるまにににあれあれあればばば、、、火火ひもももいといといと暗暗くらきききををを笑笑わらひひいててて、、、二條二條にじょうののの宮宮みやににに參參まいりりりつきつきつきたりたりたり。。。みこしみこしみこしははは疾疾とくくく入入いらららせせせ給給たまひひいててて皆皆みなしつらひしつらひしつらい居居いさせさせさせ給給たまひひいけりけりけり。。。「「「こゝこゝここににに呼呼よべべべ」」」ととと仰仰おおせせせられられられけれけれければばば、、、右京右京うきょう小左近小左近こさこんなどなどなどいふいふいう若若わかききき人々人々ひとびと、、、參參まいるるる人人ひとごとごとごとににに見見みれれれどどどなかりなかりなかりけりけりけり。。。おるゝおるゝおるるににに隨隨したがひひい四人四人よたりづゝづゝずつ御御お前前まえににに參參まいりりり集集つどひひいててて侍侍さぶらふふうににに「「「いかなるいかなるいかなるぞぞぞ」」」ととと仰仰おおせせせられられられけるけるけるももも知知しらららずずず、、、あるあるある限限かぎりりりおりおりおりはてゝはてゝはててぞぞぞ、、、辛辛からうじてうじてうじて見見みつけつけつけられられられててて「「「かばかりかばかりかばかり仰仰おおせせせらるゝらるゝらるるにににははは、、、などなどなどかかかくくくおそくおそくおそく」」」とてとてとて率率ひきゐゐいててて參參まいるるるににに、、、見見みれれればばばいついついつのののまにまにまにかかかうううははは年年としごろごろごろのののすまひすまひすまいのののさまさまさまにににおはしましおはしましおわしましつきつきつきたるたるたるにににかかかとととをかしをかしおかし。。。「「「いかなれいかなれいかなればばばかかかううう何何なにかかかととと尋尋たずぬぬぬばかりばかりばかりははは見見みえええざりざりざりつるつるつるぞぞぞ」」」ととと仰仰おおせせせらるゝらるゝらるるににに、、、とかくとかくとかくももも申申もうさささねねねばばば、、、諸共諸共もろともににに乘乘のりりりたるたるたる人人ひといといといとわりなしわりなしわりなし。。。「「「さいはてさいはてさいはてののの車車くるまににに侍侍はべらららむむん人人ひとはははいかでいかでいかでかかか疾疾とくくくははは參參まいりりり侍侍はべらららむむん。。。これこれこれもももほとほとほとほとほとほとえええ乘乘のるるるまじくまじくまじく侍侍はべりりりつるつるつるををを、、、みづしみづしみずしがががいといといとほしがりほしがりほしがりてててゆづりゆづりゆずり侍侍はべりりりつるつるつるなりなりなり。。。暗暗くろううう侍侍はべりりりつるつるつる事事ことこそこそこそわびしうわびしうわびしゅう侍侍はべりりりつれつれつれ」」」ととと笑笑わらふふう笑笑わらふふう啓啓けいするするするににに、、、「「「行事行事ぎょうじするするするものゝものゝもののいといといとあやしきあやしきあやしきなりなりなり。。。又又またなどなどなどかかかははは、、、心心こころ知知しらららざらざらざらむむん者者ものこそこそこそつゝまつゝまつつまめめめ。。。右衞門右衞門うえもんなどなどなどはははいへいへいえかしかしかし」」」などなどなど仰仰おおせせせらるらるらる。。。「「「されどされどされどいかでいかでいかでかかか走走はしりりりさきだちさきだちさきだち侍侍はべらららむむんなどなどなどいふいふいうももも、、、かたへかたへかたえののの人人ひとにくしにくしにくしととと聞聞きくくくらむらむらん」」」ととと聞聞きこゆゆゆ。。。「「「さまさまさまあしうあしうあしゅうてててかくかくかく乘乘のりりりたらたらたらむむんもももかしこかるかしこかるかしこかるべきべきべき事事ことかかかははは。。。定定さだめめめたらたらたらむむんさまさまさまのののやんごとなからやんごとなからやんごとなからむむんこそこそこそよからよからよからめめめ」」」とととものしげものしげものしげにににおぼしめしおぼしめしおぼしめしたりたりたり。。。「「「おりおりおり侍侍はべるるるほどほどほどののの待待まちちち遠遠どおににに苦苦くるしきしきしきににによりよりよりてててにににややや」」」とととぞぞぞ申申もうしししなほすなほすなおす。。。
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6御御み經經きょうのののことことことににに明日明日あす渡渡わたらららせせせおはしまさおはしまさおわしまさむむんとてとてとて今宵今宵こよい參參まいりりりたりたりたり。。。南南みなみののの院院いんののの北北きたおもておもておもてにににさしさしさしのぞきのぞきのぞきたれたれたればばばたかつきたかつきたかつきどもどもどもににに火火ひををを燈燈ともしししててて二人二人ふたり三人三人みたり四人四人よたりさるべきさるべきさるべきどちどちどち、、、屏風屏風びょうぶ引引ひききき隔隔へだてててつるつるつるもももありありあり几帳几帳きちょう中中なかにににへだてへだてへだてたるたるたるもももありありあり。。。又又またさらさらさらでででももも集集あつまりりり居居いてててきぬきぬきぬどもどもどもとぢとぢとじ重重かさねねね、、、裳裳もののの腰腰こしさしさしさしけさうずるけさうずるけそうずるさまさまさまははは更更さらにににもももいはいはいわずずず、、、髪髪かみなどなどなどいふいふいうものものものははは明日明日あすよりよりより後後のちはははありがたげありがたげありがたげにににぞぞぞ見見みゆるゆるゆる。。。「「「寅寅とらののの時時ときににになむなむなん渡渡わたらららせせせ給給たまへへえるるるなりなりなり。。。などなどなどかかか今今いままでまでまで參參まいりりり給給たまははわざりざりざりつるつるつる。。。扇扇おうぎもたもたもたせせせててて尋尋たずねねね聞聞きこゆるゆるゆる人人ひとありありありつつつ」」」などなどなど告告つぐぐぐ。。。まてまてまて、、、まことにまことにまことに寅寅とらののの時時ときかかかとととさうぞきさうぞきそうぞきたちたちたちてててあるあるあるににに、、、明明あけけけ過過すぎぎぎ日日ひもももさしさしさし出出いでででぬぬぬ。。。「「「西西にしののの對對たいののの唐唐から廂廂びさしににになむなむなんさしさしさし寄寄よせせせててて乘乘のるるるべきべきべき」」」とてとてとてあるあるあるかぎりかぎりかぎり渡殿渡殿わたどのへへへ行行ゆくくく程程ほどににに、、、まだまだまだうひうひしきうひうひしきういういしきほどほどほどなるなるなる今今いま參參まいりりりどもどもどもはははいといといとつゝましげつゝましげつつましげなるなるなるににに、、、西西にしののの對對たいににに殿殿とのすますますませせせ給給たまへへえばばば、、、宮宮みやにににもももそこそこそこににに坐坐おわしまししまししましててて、、、まづまづまず女房女房にょうぼう車車ぐるまにににのせのせのせさせさせさせ給給たまふふうををを御覽御覽ごらんずずずとてとてとて、、、みすみすみすのののうちうちうちににに宮宮みや、、、淑景舍淑景舍しげいしゃ、、、三四三四さんしののの君君きみ、、、殿殿とののののうへうへうえ、、、そのそのその御御おん弟弟おとうと三所三所みところ立立たちちちなみなみなみててておはしますおはしますおわします。。。車車くるまののの左右左右さゆうににに、、、大納言大納言だいなごん、、、三位中將三位中將さんみのちゅうじょう二所二所ふたところしししてててすだれすだれすだれうちうちうちあげあげあげ、、、下簾下簾したすだれひきひきひきあげあげあげてててのせのせのせ給給たまふふう。。。皆皆みなうちうちうち群群むれれれてててだにだにだにあらあらあらばばば隱隱かくれれれ所所どころやややあらあらあらむむん。。。四人四人よたりづゝづゝずつ書書かききき立立たてててににに隨隨したがひひいてててそれそれそれそれそれそれととと呼呼よびびび立立たてゝてゝててのせのせのせられられられ奉奉たてまつりりり步步あゆみみみ行行ゆくくく心心ここちちち、、、いみじういみじういみじゅうまことにまことにまことにあさましうあさましうあさましゅうけけけ證證そうなりなりなりともともともよよよのののつねつねつねなりなりなり。。。みすみすみすのののうちうちうちにににそこらそこらそこらののの御御おん目目めどもどもどものののなかなかなかににに、、、宮宮みやののの御御お前前まえののの見見み苦苦ぐるしししととと御覽御覽ごらんぜぜぜむむんははは更更さらにににわびしきわびしきわびしき事事ことかぎりかぎりかぎりなしなしなし。。。身身みよりよりより汗汗あせのののあゆれあゆれあゆればばば、、、繕繕つくろひひい立立たてててたるたるたる髪髪かみなどなどなどもももあがりあがりあがりやすやすやすらむらむらんととと覺覺おぼゆゆゆ。。。からうじてからうじてかろうじて過過すぎぎぎたれたれたればばば、、、車車くるまのののもともともとにににいみじういみじういみじゅう耻耻はずかしげかしげかしげににに、、、清清きよげげげなるなるなる御御おん樣樣さまどもどもどもしししてててうちうちうち笑笑えみみみててて見見み給給たまふふうもももうつゝうつゝうつつならならならずずず。。。されどされどされど倒倒たおれれれずずずそこそこそこまでまでまではははいきいきいき着着つきききぬるぬるぬるこそこそこそ。。。かしこきかしこきかしこき顏顏かおもももなきなきなきかかかととと覺覺おぼゆれゆれゆれどどど、、、皆皆みな乘乘のりりりはてはてはてぬれぬれぬればばば、、、引引ひききき出出いでゝでゝでて二條二條にじょうののの大路大路おおじにににしぢしぢしじ立立たてゝてゝてて物見物見ものみ車車ぐるまのののやうやうようにてにてにて立立たちちち並並ならべべべたるたるたるいといといとをかしをかしおかし。。。人人ひともももさささ見見みるるるらむらむらんかしかしかしととと心心こころときめきときめきときめきせせせらるらるらる。。。四位四位しい五位五位ごい六位六位ろくいなどなどなどいみじういみじういみじゅう多多おおううう出出いででで入入いりりり、、、車車くるまのののもともともとににに來來きてててつくろひつくろひつくろい物物ものいひいひいいなどなどなどすすす。。。まづまづまず院院いんののの御御おん迎迎むかへへえににに殿殿とのををを始始はじめめめ奉奉たてまつりりりててて殿上殿上てんじょうととと地下地下じげととと皆皆みな參參まいりりりぬぬぬ。。。それそれそれ渡渡わたらららせせせ給給たまひひいててて後後のち、、、宮宮みやははは出出いでででさせさせさせ給給たまふふうべしべしべしとととあれあれあればばば、、、いといといと心心こころもとなしもとなしもとなしととと思思おもふふうほどほどほどににに、、、日日ひさしさしさしあがりあがりあがりてててぞぞぞおはしますおはしますおわします。。。御御み車車くるまごめごめごめににに十五十五じゅうご、、、四四よのののははは泥泥あじろ車車ぐるま、、、一一いちののの御御み車車くるまははは唐唐からののの車車くるまなりなりなり。。。それそれそれににに續續つづきききててて尼尼あまののの車車くるま、、、しりしりしり口口くちよりよりよりすゐさうすゐさうすいそうのののずゞずゞずず、、、薄墨薄墨うすずみののの袈裟袈裟けさぎぬぎぬぎぬなどなどなどいみじくいみじくいみじくててて、、、簾垂簾垂すだれはははあげあげあげずずず、、、下簾下簾したすだれももも薄色薄色うすいろののの裾裾すそ少少すこししし濃濃こききき。。。次次つぎにににたゞたゞただののの女房女房にょうぼうののの十十とお、、、櫻櫻さくらのののからぎぬからぎぬからぎぬ、、、薄色薄色うすいろののの裳裳も、、、紅紅くれないをををおしおしおしわたしわたしわたし、、、かとりかとりかとりのののうはぎうはぎうわぎどもどもどもいみじういみじういみじゅうなまめかしなまめかしなまめかし。。。日日ひはははいといといとうらゝかうらゝかうららかなれなれなれどどど空空そらははは淺綠淺綠あさみどりにににかすみかすみかすみわたるわたるわたるににに、、、女房女房にょうぼうのののさうぞくさうぞくそうぞくののの匂匂におひひいあひあひあいててていみじきいみじきいみじき織物織物おりもののののいろいろいろいろいろいろののの唐衣唐衣からぎぬなどなどなどよりよりよりもももなまめかしうなまめかしうなまめかしゅうをかしきをかしきおかしき事事こと限限かぎりりりなしなしなし。。。關白殿關白殿かんぱくどのそのそのその御御おん次次つぎののの殿殿とのばらばらばらおはするおはするおわする限限かぎりりり、、、もてもてもてかしづきかしづきかしずき奉奉たてまつらららせせせ給給たまふふういみじういみじういみじゅうめでたしめでたしめでたし。。。これらこれらこれら見見み奉奉たてまつりりり騒騒さわぐぐぐこのこのこの車車くるまどもどもどもののの二十二十はたち立立たちちち並並ならべべべたるたるたるももも、、、又又またをかしをかしおかしととと見見みゆゆゆらむらむらんかしかしかし。。。いつしかいつしかいつしか出出いでででさせさせさせ給給たまははわゞゞばなどなどなど待待まちちち聞聞きこえええさするさするさするにてにてにて、、、いかならいかならいかならむむんととと心心こころもとなくもとなくもとなく思思おもふふうににに、、、からうじてからうじてかろうじて釆女釆女うねめ八人八人やたり馬馬うまにににのせのせのせててて引引ひききき出出いづづずめりめりめり。。。靑靑あお末濃末濃すそごののの裳裳も、、、くたいくたいくたいひれひれひれなどなどなどののの風風かぜににに吹吹ふきききやらやらやられれれたるたるたるいといといとをかしをかしおかし。。。豐前豐前ぶぜんととといふいふいう釆女釆女うねめはははくすしくすしくすししげまさしげまさしげまさががが知知しるるる人人ひとなりなりなり。。。えびえびえび染染ぞめののの織物織物おりものののの指指さし貫貫ぬきををを着着きたれたれたればばば「「「しげまさしげまさしげまさははは色色いろ許許ゆるささされれれにににけりけりけり」」」ととと山山やまののの井井いののの大納言大納言だいなごんははは笑笑わらひひい給給たまひひいててて、、、皆皆みな乘乘のりりり續續つづきききててて立立たてるてるてるににに「「「今今いまぞぞぞ御輿御輿みこし出出いでででさせさせさせ給給たまふふう。。。めでたしめでたしめでたし」」」ととと見見みえええ奉奉たてまつりりりつるつるつる御御おん有樣有樣ありさまにににこれこれこれははは比比くらぶぶぶべからべからべからざりざりざりけりけりけり。。。朝日朝日あさいはははなばななばななばなとととさしさしさしあがるあがるあがる程程ほどににに、、、木木こののの葉葉はのののいといといとはなやかはなやかはなやかにににかゞやきかゞやきかがやきててて、、、みこしみこしみこしののの帷子帷子かたびらののの色色いろつやつやつやなどなどなどさへさへさへぞぞぞいみじきいみじきいみじき。。。御御み綱綱つなはりはりはりててて出出いださささせせせ給給たまふふう。。。御輿御輿みこしのののかたびらかたびらかたびらのののうちうちうちゆるぎゆるぎゆるぎたるたるたるほどほどほどまことにまことにまことにかしらかしらかしらののの毛毛けなどなどなど人人ひとのののいふいふいうははは更更さらにににそらごとそらごとそらごとならならならずずず。。。さてさてさて後後のちににに髪髪かみあしからあしからあしからむむん人人ひともももかこちかこちかこちつつつべしべしべし。。。あさましうあさましうあさましゅういつくしういつくしういつくしゅう猶猶なおいかでいかでいかでかゝるかゝるかかる御御お前前まえににに馴馴なれれれ仕仕つこうううまつるまつるまつるらむらむらんととと、、、我我わががが身身みもももかしこうかしこうかしこうおぼゆるおぼゆるおぼゆる。。。御輿御輿みこし過過すぎぎぎさせさせさせ給給たまふふうほどほどほど車車くるまのののしぢしぢしじどもどもども人人ひとだまひだまひだまいにににかきかきかきおろしおろしおろしたりたりたりつるつるつる、、、又又また牛牛うしどもどもどもかけかけかけてててみこしみこしみこしのののしりしりしりにににつゞきつゞきつづきたるたるたる心心ここちちちのののめでたうめでたうめでとう興興きょうあるあるあるありさまありさまありさまいふいふいう方方かたなしなしなし。。。おはしましおはしましおわしましつきつきつきたれたれたればばば大門大門だいもんのののもともともとににに高麗高麗こま唐土唐土もろこしのののがくがくがくしししててて、、、獅子獅子しし狛犬狛犬こまいぬをどりをどりおどり舞舞まひひい、、、さうさうそうののの音音ね鼓鼓つづみののの聲聲こえににに物物ものももも覺覺おぼえええずずず。。。こここはははいづくいづくいずくののの佛佛ほとけののの御御み國國くになどなどなどににに來來きにににけるけるけるにににかかかあらあらあらむむんととと、、、空空そらににに響響ひびきききのぼるのぼるのぼるやうやうようにににおぼゆおぼゆおぼゆ。。。內內うちににに入入いりりりぬれぬれぬればばばいろいろいろいろいろいろののの錦錦にしきのののあげあげあげはりはりはりににに、、、みすみすみすいといといと靑靑あおくくくてててかけかけかけ渡渡わたしししへいへいへい幔幔まんなどなどなど引引ひきききたるたるたるほどほどほど、、、なべてなべてなべてたゞたゞただにににこのこのこの世世よととと覺覺おぼえええずずず。。。御御みさじきさじきさじきにににさしさしさし寄寄よせせせたれたれたればばば又又またこのこのこの殿殿とのばらばらばら立立たちちち給給たまひひいててて「「「疾疾とくくくおりおりおりよよよ」」」とととのたまふのたまふのたまう。。。乘乘のりりりつるつるつる所所ところだにだにだにありありありつるつるつるををを今今いま少少すこしししあかうあかうあこうけけけ證證そうなるなるなるににに、、、大納言大納言だいなごん殿殿どのいといといとものものしくものものしくものものしく清清きよげげげにてにてにて、、、御御おんしたしたしたがさねがさねがさねのののしりしりしりいといといと長長ながくくく所所ところせげせげせげにてにてにて、、、すだれすだれすだれうちうちうちあげあげあげててて「「「はやはやはや」」」とととのたまふのたまふのたまう。。。つくろひつくろひつくろいそへそへそえたるたるたる髪髪かみもももからぎぬからぎぬからぎぬののの中中なかにてにてにてふくだみふくだみふくだみ、、、あやしうあやしうあやしゅうなりなりなりたらたらたらむむん色色いろののの黑黑くろさささ赤赤あかささささへさへさへ見見みわかわかわかれれれぬぬぬべきべきべき程程ほどなるなるなるががが、、、いといといとわびしけれわびしけれわびしければばばふとふとふともももえええおりおりおりずずず。。。「「「まづまづまずしりしりしりなるなるなるこそこそこそははは」」」などなどなどいふいふいうほどほどほどもももそれそれそれももも同同おなじじじ心心こころにににややや、、、「「「退退しぞかかかせせせ給給たまへへえ。。。かたじけなしかたじけなしかたじけなし」」」などなどなどいふいふいう。。。「「「耻耻はぢぢじ給給たまふふうかなかなかな」」」ととと笑笑わらひひいててて立立たちちちかへりかへりかえりからうじてからうじてかろうじておりおりおりぬれぬれぬればばば、、、
- 7寄寄よりりりおはしおはしおわしててて「「「むねたかむねたかむねたかなどなどなどににに見見みせせせででで、、、かくしかくしかくしててておろせおろせおろせ」」」ととと宮宮みやののの仰仰おおせせせらるれらるれらるればばばきたるきたるきたるににに「「「思思おもひひいくまくまくまなきなきなき」」」とてとてとて引引ひきききおろしおろしおろしてててゐゐいててて參參まいりりり給給たまふふう。。。さささ聞聞きこえええさせさせさせ給給たまひひいつつつらむらむらんととと思思おもふふうもももかたじけなしかたじけなしかたじけなし。。。參參まいりりりたれたれたればばば始始はじめおりおりおりけるけるける人人ひとどもどもどもののの物物ものののの見見みえええぬぬぬべきべきべきはしはしはしににに、、、八人八人やたりばかりばかりばかり出出いででで居居いにににけりけりけり。。。一尺一尺いっしゃくととと二尺二尺にしゃくばかりばかりばかりののの高高たかさささのののなげしなげしなげしのののうへうへうえにににおはしますおはしますおわします。。。こゝこゝここににに立立たちちち隠隠かくしししててて「「「ゐゐいててて參參まいりりりたりたりたり」」」ととと申申もうししし給給たまへへえばばば「「「いづらいづらいずら」」」とてとてとて几帳几帳きちょうのののこなたこなたこなたににに出出いでででさせさせさせ給給たまへへえりりり。。。まだまだまだからからからののの御御おんぞぞぞももも奉奉たてまつりりりながらながらながらおはしますおはしますおわしますぞぞぞいみじきいみじきいみじき。。。紅紅くれないののの御御おんぞぞぞよろしからよろしからよろしからむむんややや。。。中中なかににに唐唐から綾綾あやののの柳柳やなぎののの御御おんぞぞぞ、、、えびえびえび染染ぞめのののいつへいつへいつえののの御御おんぞぞぞににに赤色赤色あかいろののの唐唐からののの御御おんぞぞぞ、、、地摺地摺じずりののの唐唐からのののうすものうすものうすものににに象眼象眼ぞうがん重重かさねねねたるたるたる御御おん裳裳もなどなどなど奉奉たてまつりりりたりたりたり。。。織物織物おりものののの色色いろ更更さらににになべてなべてなべて似似にるるるべきべきべきやうやうようなしなしなし。。。「「「我我われをををばばばいかゞいかゞいかが見見みるるる」」」ととと仰仰おおせせせらるらるらる。。。いみじういみじういみじゅうなむなむなん候候さぶらひひいつるつるつるなどなどなどももも、、、ことことことににに出出いでゝでゝでてはははよよよのののつねつねつねにににのみのみのみこそこそこそ。。。「「「久久ひさしうしうしゅうやややありありありつるつるつる。。。それそれそれははは殿殿とのののの大夫大夫だいぶののの院院いんののの御御お供供ともににに來來きててて人人ひとににに見見みえええぬるぬるぬる、、、同同おなじじじ下襲下襲したがさねながらながらながら宮宮みやののの御御お供供ともにににあらあらあらむむん、、、わろしわろしわろしととと人人ひと思思おもひひいなななむむんとてとてとて殊殊ことににに下襲下襲したがさねぬはぬはぬわせせせ給給たまひひいけるけるける程程ほどににに遲遲おそきききなりなりなりけりけりけり。。。いといといとすきすきすき給給たまへへえりりり」」」などなどなどゝゝとうちうちうち笑笑わらははわせせせ給給たまへへえるるる。。。いといといとあきらかあきらかあきらかににに晴晴はれれれたるたるたる所所ところははは今今いま少少すこしししけざやかけざやかけざやかにににめでたうめでたうめでとう、、、御御おん額額ひたいあげあげあげさせさせさせ給給たまへへえるるるさいじさいじさいじににに御御おんわけめわけめわけめののの御御みぐしぐしぐしののの聊聊いささかよりてよりてよりてしるくしるくしるく見見みえええさせさせさせ給給たまふふうなどなどなどさへさへさへぞぞぞ聞聞きこえええむむんかたかたかたなきなきなき。。。三尺三尺さんじゃくののの御御み几帳几帳きちょう一一ひとよろひよろひよろいをををさしさしさしちがへちがへちがえてててこなたこなたこなたののの隔隔へだてててにににはははしししててて、、、そのそのそのうしろうしろうしろにににははは疊疊たたみ一一ひとひらひらいらをををながながながざまざまざまにににへりへりへりをををしししてててなげしなげしなげしののの上上うえににに敷敷しきききててて、、、中納言中納言ちゅうなごんののの君君きみととといふいふいうははは殿殿とのののの御御おんをぢをぢおじののの兵衞督兵衞督ひょうえのかみたゞきよたゞきよただきよととと聞聞きこえええけるけるけるががが御御おんむすめむすめむすめ。。。宰相宰相さいしょうののの君君きみとととははは富小路富小路とみのこうじ左大臣左大臣さだいじんののの御御おん孫孫うまご、、、それそれそれ二人二人ふたりぞぞぞうへうへうえににに居居いててて見見みえええ給給たまふふう。。。御覽御覽ごらんじじじわたしわたしわたしててて宰相宰相さいしょうはははあなたあなたあなたににに居居いててて「「「うへうへうえ人人びとどもどもどもののの居居いたるたるたる所所ところいきいきいきててて見見みよよよ」」」ととと仰仰おおせせせらるゝらるゝらるるににに、、、心心こころ得得えててて「「「こゝこゝここににに三人三人みたりいといといとよくよくよく見見み侍侍はべりりりぬぬぬべしべしべし」」」ととと申申もうせせせばばば、、、「「「さささばばば」」」とてとてとて召召めししし上上あげげげさせさせさせ給給たまへへえばばば、、、しもしもしもににに居居いたるたるたる人々人々ひとびと「「「殿上殿上てんじょう許許ゆるさささるゝるゝるるうどねりうどねりうどねりなめりなめりなめりととと笑笑わらははわせせせむむんととと思思おもへへえるるるかかか」」」ととといへいへいえばばば、、、「「「うまさへうまさへうまさえののの程程ほどぞぞぞ」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、そこそこそこににに入入いりりり居居いててて見見みるるるはははいといといとおもだゝしおもだゝしおもだたし。。。かゝるかゝるかかる事事ことなどなどなどをををみづからみづからみずからいふいふいうはははふきふきふきがたりがたりがたりにににもももありありあり、、、又又また君君きみののの御御おんためためためにににももも輕々輕々かろがろしししううう、、、かばかりかばかりかばかりののの人人ひとをををさへさへさへ覺覺おぼしししけむけむけんなどなどなど、、、おのづからおのづからおのずから物物ものしりしりしり世世よののの中中なかもどきもどきもどきなどなどなどするするする人人ひとははは、、、あいなくあいなくあいなく畏畏かしこききき御御おん事事ことにににかゝりかゝりかかりてててかたじけなけれかたじけなけれかたじけなけれどどど、、、あなあなあな忝忝かたじけなききき事事ことなどなどなどははは又又またいかゞいかゞいかがははは。。。誠誠まことににに身身みののの程程ほど過過すぎぎぎたるたるたる事事こともももありありありぬぬぬべしべしべし。。。院院いんののの御御みさささ敷敷じき所々所々ところどころのののさささ敷敷じきどもどもども見見み渡渡わたしししたるたるたるめでたしめでたしめでたし。。。殿殿とのまづまづまず院院いんののの御御みさささ敷敷じきににに參參まいりりり給給たまひひいてててしばししばししばしありありありてててこゝこゝここににに參參まいりりり給給たまへへえりりり。。。大納言大納言だいなごん二所二所ふたところ、、、三位中將三位中將さんみのちゅうじょうははは陣陣じん近近ちこううう參參まいりりりけるけるけるまゝまゝままにににててて、、、調度調度ちょうどををを負負おひひいててていといといとつきづきしうつきづきしうつきずきしゅうをかしうをかしうおかしゅうててておはすおはすおわす。。。殿上人殿上人てんじょうびと、、、四位四位しい五位五位ごいこちたうこちたうこちとううちうちうち連連つれれれててて御御お供供ともににに侍侍さぶらひひいなみなみなみ居居いたりたりたり。。。入入いらららせせせ給給たまひひいててて見見み奉奉たてまつらららせせせ給給たまふふうににに、、、女房女房にょうぼうあるあるあるかぎりかぎりかぎり裳裳も、、、からぎぬからぎぬからぎぬ、、、御匣殿御匣殿みくしげどのまでまでまで着着き給給たまへへえりりり。。。殿殿とののののうへうへうえははは裳裳ものののうへうへうえににに小袿小袿こうちきをををぞぞぞ着着き給給たまへへえるるる。。。「「「繪繪えににに書書かきききたるたるたるやうやうようなるなるなる御御おんさまさまさまどもどもどもかなかなかな。。。今今いまいらへいらへいらえけふけふけうはははととと申申もうししし給給たまひひいそそそ。。。三四三四さんしののの君君きみののの御御おん裳裳もぬがぬがぬがせせせ給給たまへへえ。。。このこのこのなかなかなかののの主君主君しゅくんにににはははおまへおまへおまえこそこそこそおはしませおはしませおわしませ。。。御御みさささ敷敷じきののの前前まえににに陣陣じんをををすゑすゑすえさせさせさせ給給たまへへえるるるははは、、、おぼろげおぼろげおぼろげのののことことことかかか」」」とてとてとてうちうちうち泣泣なかかかせせせ給給たまふふう。。。げにげにげにととと見見みるるる人人ひとももも涙涙なみだぐましきぐましきぐましきににに、、、赤色赤色あかいろ櫻櫻さくらののの五重五重いつえのののからぎぬからぎぬからぎぬををを着着きたるたるたるををを御覽御覽ごらんじじじててて「「「法服法服ほうぶくひとひとひとくだりくだりくだり足足たらららざりざりざりつるつるつるををを俄俄にわににに惑惑まどひひいしししつるつるつるににに、、、これこれこれをををこそこそこそかりかりかり申申もうすすすべかりべかりべかりけれけれけれ。。。さらさらさらばばばもしもしもし又又また、、、さやうさやうさようののの物物ものををを切切きりりりしらめしらめしらめたるたるたるににに」」」とととのたまはするのたまはするのたまわするににに又又また笑笑わらひひいぬぬぬ。。。大納言大納言だいなごん殿殿どの少少すこししししぞきしぞきしぞき居居い給給たまへへえるるるががが聞聞きききき給給たまひひいててて「「「清清せい僧都僧都そうずのののにににやややあらあらあらむむん」」」とととののの給給たまふふう。。。一言一言ひとこととしてとしてとしてをかしからをかしからおかしからぬぬぬ事事ことぞぞぞなきなきなきややや。。。
- 8僧都僧都そうずののの赤色赤色あかいろのののうすものゝうすものゝうすものの御御おんころもころもころも紫紫むらさきののの袈裟袈裟けさ、、、いといといと薄薄うすききき色色いろののの御御おんぞぞぞどもどもども指指さし貫貫ぬき着着きたまひたまひたまいてててぼさちぼさちぼさちののの御御おんやうやうようにてにてにて、、、女房女房にょうぼうにににまじりまじりまじりありきありきありき給給たまふふうもももいといといとをかしをかしおかし。。。僧綱僧綱そうごうののの中中なかににに威儀威儀いぎ具足具足ぐそくしししてててもももおはしまさおはしまさおわしまさででで、、、見見みぐるしうぐるしうぐるしゅう女房女房にょうぼうののの中中なかににになどなどなど笑笑わらふふう。。。父父ちちののの大納言大納言だいなごん殿殿どの御御おまへまへまえよりよりより松君松君まつぎみゐゐいててて奉奉たてまつるるる。。。えびえびえび染染ぞめののの織物織物おりものののの直衣直衣のうし、、、濃濃こききき綾綾あやのののうちうちうちたるたるたる紅梅紅梅こうばいののの織物織物おりものなどなどなど着着き給給たまへへえりりり。。。例例れいののの四位四位しい五位五位ごいいといといと多多おおかりかりかり。。。御御みさささ敷敷じきににに女房女房にょうぼうののの中中なかににに入入いれれれ奉奉たてまつるるる。。。何事何事なにごとのののあやまりあやまりあやまりにににかかか、、、泣泣なきききのゝしりのゝしりののしり給給たまふふうさへさへさへいといといとはえばえしはえばえしはえばえし。。。事事こと始始はじまりりりててて一切經一切經いっさいきょうをををはすはすはすののの花花はなのののあかきあかきあかきににに、、、ひとひとひと花花はなづゝづゝずつににに入入いれれれててて、、、僧僧そう俗俗ぞく、、、上達部上達部かんだちめ、、、殿上人殿上人てんじょうびと、、、地下地下じげ六位六位ろくい何何なにくれくれくれまでまでまでもてもてもて渡渡わたるるるいみじういみじういみじゅうたふとしたふとしたうとし。。。大大だい行道行道ぎょうどう、、、導師導師どうし參參まいりりり、、、回向回向えこうしばししばししばし待待まちちちててて舞舞まいなどなどなどするするする。。。日日ひぐらしぐらしぐらし見見みるるるににに目目めもももたゆくたゆくたゆく苦苦くるしうしうしゅう。。。うちうちうちののの御御おん使使つかいににに五位五位ごいののの藏人藏人くろうど參參まいりりりたりたりたり。。。御御みさささ敷敷じきのののまへまへまえにににあぐらあぐらあぐら立立たてゝてゝてて居居いたるたるたるなどなどなどげにげにげにぞぞぞ猶猶なおめでたきめでたきめでたき。。。夜夜よさりさりさりつかたつかたつかた式部式部しきぶののの丞丞じょう則理則理のりまさ參參まいりりりたりたりたり。。。やがてやがてやがて夜夜よさりさりさり入入いらららせせせ給給たまふふうべしべしべし。。。「「「御御お供供ともににに侍侍さぶらへへえととと宣旨宣旨せんじ侍侍はべりりりつつつ」」」とてとてとて歸歸かえりりりももも參參まいらららずずず。。。宮宮みやははは猶猶なお「「「歸歸かえりりりててて後後のちににに」」」とととののの給給たまははわすれすれすれどもどもども、、、又又また藏人藏人くろうどののの辨辨べん參參まいりりりててて「「「殿殿とのにににももも御御おん消消しょうそこそこそこあれあれあればばば、、、唯唯ただ仰仰おおせせせのののまゝまゝまま」」」とてとてとて入入いらららせせせ給給たまひひいなどなどなどすすす。。。院院いんののの御御みさささ敷敷じきよりよりよりちかちかちかののの鹽竈鹽竈しおがまなどなどなどやうやうようののの御御おん消消しょうそこそこそこをかしきをかしきおかしき物物ものなどなどなどもてもてもて參參まいりりり通通かよひひいたるたるたるなどなどなどもももめでたしめでたしめでたし。。。事事ことはてゝはてゝはてて院院いん還還かえらららせせせ給給たまふふう。。。院院いん司司ずかさ上達部上達部かんだちめなどなどなどこのこのこのたびたびたびはははかたへかたへかたえぞぞぞ仕仕つこうううまつりまつりまつり給給たまひひいけるけるける。。。宮宮みやははは内内うちへへへ入入いらららせせせ給給たまひひいぬるぬるぬるももも知知しらららずずず、、、女房女房にょうぼうのののずさずさずさどもどもどもははは二條二條にじょうののの宮宮みやにににぞぞぞ坐坐おわしまさしまさしまさむむんとてとてとてそこそこそこににに皆皆みないきいきいき居居いててて、、、待待まてててどどどまてまてまてどどど見見みえええぬぬぬ程程ほどににに夜夜よいたういたういとう更更ふけけけぬぬぬ。。。内内うちにににははは殿居殿居とのい物物ものもてもてもて來來きたらたらたらむむんととと待待まつつつにににきよくきよくきよく見見みえええずずずあざやかあざやかあざやかなるなるなるきぬきぬきぬののの身身みにににもももつかつかつかぬぬぬををを着着きててて、、、寒寒さむきききまゝまゝままににににくみにくみにくみ腹腹はら立立たてててどどどかひかひかいなしなしなし。。。つとめてつとめてつとめてきききたるたるたるををを「「「いかにいかにいかにかくかくかく心心こころなきなきなきぞぞぞ」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、とととなふるなふるなうるごとごとごともももさささいはいはいわれれれたりたりたり。。。又又またののの日日ひ雨雨あめ降降ふりりりたるたるたるををを殿殿とのははは「「「これこれこれににになむなむなん、、、我我わががが宿世宿世すくせははは見見みえええ侍侍はべりりりぬるぬるぬる。。。三四日三四日みかよかいかゞいかゞいかが御覽御覽ごらんずるずるずる」」」ととと聞聞きこえええさせさせさせ給給たまふふう御御おん心心こころおちゐおちゐおちいことわりことわりことわりなりなりなり。。。
現代語訳
関白殿が、二月二十一日ごろに、法興院の積善寺という御堂で一切経の供養をなさる。女院も中宮様もいらっしゃるはずなので、中宮様は二月一日ごろに二条の宮にお入りになる。夜が更けて眠くなったので、何も目に入らない。翌朝、日がうららかに差し出したころに起きると、たいそう白く新しく、趣深く造ってあるところに、御簾をはじめ昨日掛けたのだろう、御設備や獅子・狛犬など、いつの間に据えてあったのだろうと思うとおもしろい。桜の一丈ほどの木が、たいそう見事に咲いているようにして御階のもとにあるので、ずいぶん早く咲いたものだ、梅こそ今が盛りのはずなのにと見えるのは、造花であるらしい。すべて花の色つやなど、本当に咲いているのに劣らず、どんなに手間がかかったことだろう。雨が降ったらしぼんでしまうだろうと思うのが残念だ。小さな家などが多かった所を、今お造りになったので、木立などで見どころのあるものはまだない。ただ、宮の御殿の様子は親しみやすく趣がある。
関白殿がお渡りになった。青鈍の固紋の指貫に、桜の直衣を着て、紅の御衣を三枚ほど、直衣にじかに重ねてお召しになっている。中宮様をはじめとして、女房たちは紅梅の濃いの薄いの織物や、固紋・浮紋などのあるかぎりを着ているので、あたりは光り輝くばかりで、唐衣は萌黄、柳、紅梅などもある。関白殿は中宮様の御前にお座りになって、お話し申し上げなさる。中宮様のお答えのすばらしさを、里の人たちに少しでものぞかせたいものだと拝見する。関白殿は女房たちを見渡して、中宮様に「何をお思いでしょう。これほどすばらしい人々を並べてご覧になっているのは、たいそううらやましい。一人も見劣りする者はいないではありませんか。これはみな、それぞれの家の娘たちですよ。いとおしいことだ。よく目をかけてお仕えさせなさい。それにしても、この宮のお心をどうお見通し申し上げて集まって参ったのか。どんなにけちで物惜しみをなさる宮だと思って。私などは、宮がお生まれになったときから、たいそうお仕え申し上げているのに、まだお下がりの御衣一ついただいていないのですよ。何の、陰口などで申し上げましょうか」などとおっしゃるのがおもしろいので、みな笑った。「本当のことですよ。ばかなことを言うと思ってそんなに笑っておいでなのが恥ずかしい」などとおっしゃっているうちに、内裏から帝のお使いとして、式部丞何某が参上した。お手紙は大納言殿が受け取りなさって関白殿に差し上げなさると、関白殿は解いて、「たいそう読みたいお手紙ですね。お許しいただけるなら、開けて拝見しましょう」とおっしゃるので、中宮様は困ったことだとお思いになっているようだ。「恐れ多いことです」と言って差し上げなさると、中宮様はお受け取りになっても、広げなさるようでもなくおふるまいになる、そのお心遣いなどはめったにないほどすばらしい。隅の間から女房が褥を差し出して、三、四人御几帳のもとに座っている。「あちらへ参って、禄のことを用意いたしましょう」と言って関白殿がお立ちになった後に、中宮様はお手紙をご覧になる。お返事は紅梅の紙にお書きになったが、御衣の同じ色に映えているのを、やはりこのように推量申し上げる人はいないのではないかと思うと残念だ。今日は特別にと、関白殿の方から禄はお出しになる。女の装束に紅梅の細長を添えてある。肴などがあるので、使いを酔わせたいけれど、「今日はたいそう大事な行幸のお役目がございます。わが君、お許しください」と大納言殿にも申し上げて立った。
君達などはたいそう化粧なさって、紅梅の御衣も負けまいとお召しになっているが、三の君は御匣殿で、中の姫君よりも大きくお見えになって、北の方などと申し上げるのがふさわしいようだ。北の方もお渡りになった。御几帳を引き寄せて、新しく参った女房たちにはお姿をお見せにならないので、気がふさぐ心地がする。女房たちは寄り集まって、あの供養の日の装束や扇などのことを相談し合う者もいる。また張り合って、「私は何の、ただあり合わせのままで」などと言って、例によって嫌われる。夜になって退出する人も多い。こういう事のために退出するので、中宮様もお引き留めにならない。北の方は毎日お渡りになり、夜もいらっしゃる。君達などがいらっしゃるので、御前に人が少なくお仕えしていないということがないのはたいそうよい。内裏からのお使いが毎日参上する。
御前の桜は、色はまさらないで、日などに当たってしおれて見苦しくなっていくのさえつらいのに、雨が夜に降った翌朝は、ひどく見苦しくなった。たいそう早く起きて、「泣いて別れる顔のようで、がっかりする」と言うのを、中宮様がお聞きになって、「本当に雨の気配がしたね。どうなったかしら」と言ってお目を覚まされたところへ、関白殿の方から侍の者や下僕などが来て、大勢で花の木のもとにただもう寄って、引き倒して取って、こっそり運んで行って、「まだ暗いうちに取れとおっしゃったのに。夜が明けてしまった。困ったことだ。早く早く」と倒して取るので、たいそうおもしろくて、言えるものなら言ってほしい、兼澄の歌のことを思っているのか、と、相手が身分のある人なら言いたいけれど、「その花を盗む人は誰ですか。いけないようですね」と言うと、笑ってますます逃げて引いて行ってしまった。やはり関白殿のお心はおもしろくていらっしゃる。茎などに濡れて丸まりついて、どんなに見ばえがしなかっただろうと見て、中に入った。掃部寮の者が参上して御格子を上げ、主殿寮の女官が御掃除をすませてから、中宮様がお起きになると、花がないので、「まあ驚いた。あの花はどこへ行ったの」とおっしゃる。「明け方に盗人がいると言っていたのは、やはり枝などを少し折るのだろうかと思って聞いていたのに。誰がしたのか。見たか」とおっしゃる。「そういうわけでもございません。まだ暗くてよく見えませんでしたが、白っぽいものがおりましたので、花を折るのかと気がかりで申したのでございます」と申し上げる。「それにしても、こんなにすっかりどうして取れよう。関白殿がお隠させになったのでしょう」と言ってお笑いになるので、「いえ、まさかそんなことはございますまい。春風のしわざでございましょう」と申し上げると、「そう言おうと思って隠していたのね。盗みではなくて、雨が降り古したのね」とおっしゃるのも、珍しいことではないけれど、たいそうすばらしい。関白殿がいらっしゃるので、寝乱れた朝の顔も、時ならぬ朝顔とご覧になるだろうかと、奥へ引っ込んだ。関白殿はいらっしゃるとすぐに、「あの花がなくなってしまったのは、どうしてこんなに盗ませたのか。寝坊な女房たちだな。気づかなかったのだね」と驚いてみせなさるので、私が「けれども、私たちより先にと思っておいでのようでしたが」とひそやかに言うのを、たいそう早く聞きつけなさって、「そう思ったとおりだ。ほかの人が出てきて見つけるはずがない。宰相の君とそなたぐらいだろうと推量していた」と言ってたいそうお笑いになる。「そんなことはないのに、少納言は春風のせいにしたのよ」と中宮様が関白殿にほほえみなさるのはすばらしい。関白殿が「嘘を負わせ申し上げたのですね。今は山田も作っているでしょうに」と吟じなさったのも、たいそう優美でおもしろい。「それにしても、しゃくなことに見つけられてしまったな。あれほど注意したのに、人の所にこういう馬鹿者がいたとは」とおっしゃる。「春風は空にたいそうおもしろく言ったものだ」と吟じなさる。中宮様が「ただの言葉としては、うるさいほど気がきいていますね。今朝の桜の様子はどうだったことでしょう」と言ってお笑いになると、小若君が「けれどもそれは、たいそう早く見て、『雨に濡れたりなどしては面目ない』と言っておりました」と申し上げなさるので、関白殿がたいそう悔しがりなさるのもおもしろい。
さて、八日か九日のころに私が退出するのを、中宮様が「もう少し近くなってから」などとおっしゃるけれど、退出した。いつもよりたいそうのどかに日の照っている昼ごろ、「花の心は開いたか、どうか」とおっしゃってきたので、「秋はまだでございますが、一晩に九度のぼる心地がいたします」などとお答え申し上げた。中宮様が二条の宮をお出になった夜は、車に乗る順序もなく、我先にと乗り騒ぐのが憎らしいので、気の合う人三人と、やはりこの車に乗る様子がたいそう騒がしく、祭の帰りなどのように倒れそうにうろたえるのはたいそう見苦しい。「ままよ、乗る車がなくて参上できなければ、自然とお聞きつけになって車をくださるでしょう」などと笑い合って立っている前を、押し合って慌てて乗り終えて出て行って、「これでおしまいか」と言うと、「まだここに」と答えると、宮司が寄って来て、「誰々がいらっしゃるのか」と尋ねて聞いて、「たいそう妙なことだ。もうみな乗ったと思っていた。これはどうしてこんなに後れなさったのか。今は得選を乗せようとしていたのに、珍しいことだ」などと驚いて車を寄せさせるので、「それならまず、そのお心づもりの人を乗せなさって、次にでも」と言う声を聞きつけて、「けしからず意地悪でいらっしゃる」などと言うので乗った。その次は、本当に御厨子所の車であったので、灯火もたいそう暗いのを笑って、二条の宮に参り着いた。御輿は早くお入りになって、すっかり設備を整えてお座りになっていた。「ここに呼べ」とおっしゃったので、右京や小左近などという若い女房たちが、参る人ごとに見たけれどいなかった。降りるにしたがって四人ずつ御前に参り集まってお仕えしているのに、中宮様が「どうしたの」とおっしゃったのも知らずに、全員降り終えてから、やっと見つけられて、「これほど仰せがあるのに、どうしてこんなに遅いのか」と言って連れて参ると、見れば、いつの間にこうも長年の住まいのように落ち着いていらっしゃるのかとおもしろい。「どうしてこんなに、どこかと探すほど見えなかったのか」とおっしゃるが、何とも申し上げないので、一緒に乗っていた人がたいそう困る。「一番最後の車に乗りました者が、どうして早く参れましょう。これもあやうく乗れないところでございましたのを、御厨子所の人が気の毒がって譲ってくれたのです。暗うございましたことがつらくございました」と笑いながら申し上げると、「係の者がたいそうけしからぬのです。また、どうしてそうしたの。事情を知らない者こそ遠慮もしようが。右衛門などは言えばよいのに」などとおっしゃる。「けれども、どうして走って先に立ちましょう」などと言うのも、そばの人は憎らしいと聞いているだろう、と申し上げる。「みっともなくそんなふうに乗るのも、立派なことだろうか。決めてある順序どおりにするのこそよいのでしょう」と、不機嫌そうにお思いになっている。「降りますまでの待ち遠しさが苦しいからでしょうか」と申し直す。
御経供養のために、明日お渡りになるというので、今夜参上した。南の院の北面をのぞくと、高坏などに火をともして、二人、三人、四人と気の合う者どうし、屛風を引いて隔てているのもいる。几帳を間に立てて隔てているのもいる。また、そうでなくても集まって座って、衣を綴じ重ね、裳の腰を差し、化粧をする様子は言うまでもなく、髪などというものは、明日から後はもうあり得ないほどに整えているように見える。「寅の刻にお渡りになるそうです。どうして今まで参上なさらなかったの。扇を持たせて捜させてお尋ね申し上げる人がいましたよ」などと告げる。それでは本当に寅の刻かと、装束を整えて待っていると、夜が明けて日も差し出てしまった。「西の対の唐廂に車を寄せて乗るように」というので、女房たちはみな渡殿へ行くが、まだ不慣れな新参の女房たちはたいそう気後れしているうえに、西の対には関白殿がお住まいなので、中宮様もそこにいらっしゃって、まず女房たちを車に乗せさせなさるのをご覧になるというので、御簾の中に中宮様、淑景舎、三の君・四の君、関白殿の北の方、その御弟君三人が立ち並んでいらっしゃる。車の左右に、大納言殿と三位中将のお二人が、簾を上げ、下簾を引き上げて乗せなさる。せめてみなでまとまっているのなら、隠れる所もあるだろうに。四人ずつ、書き出した順に従って、誰それと呼び立てられて、乗せられ申し上げて歩いて行く気持ちは、たいそう本当にあきれるほど、晴れがましいなどと言っても言い尽くせない。御簾の中の大勢のお目の中で、中宮様が見苦しいとご覧になるのは、何よりもつらいことこの上ない。体から汗が流れるので、整えた髪なども逆立っているだろうと思われる。やっとのことで通り過ぎると、車のもとに、たいそうこちらが恥ずかしくなるほど立派な、美しいお姿のお二人が、ほほえんでご覧になっているのも夢のようだ。けれども倒れもせず、そこまで行き着いたのは、えらいものだと思うけれど、賢い顔もできないと思われる。みな乗り終えると、車を引き出して、二条の大路に榻を立てて、物見車のように並べて立てたのはたいそうおもしろい。人もそう見ているだろうと胸がときめく。四位、五位、六位などがたいそう大勢出入りして、車のもとに来て、身なりを整えたり話をしたりする。まず女院のお迎えに、関白殿をはじめとして、殿上人も地下人もみな参上した。女院がお渡りになった後に、中宮様はお出ましになるということなので、たいそう待ち遠しいと思っているうちに、日が高く上ってからいらっしゃる。御車を含めて十五台、そのうち四台は網代車で、一番の御車は唐車である。それに続いて尼の車、後ろの口から水晶の数珠や、薄墨の袈裟衣などがたいそう美しく見えて、簾は上げず、下簾も薄紫色で、裾が少し濃い。次に普通の女房の車が十台、桜の唐衣、薄紫の裳、紅の衣を重ね、香染めの表着などがたいそう優美である。日はたいそううららかだけれど、空は浅緑にかすみわたっているところに、女房の装束の色が照り映え合って、立派な織物の色とりどりの唐衣などよりも、優美でおもしろいことこの上ない。関白殿と、その次の殿方たちがいらっしゃるかぎり、大事にお世話申し上げなさるのはたいそうすばらしい。これらを拝見して騒いでいる私たちの車が二十台立ち並んでいるのも、またおもしろく見えることだろう。早く中宮様がお出ましになればよいのに、などとお待ち申し上げているが、どうなったのかと待ち遠しく思っていると、ようやく采女八人を馬に乗せて引き出したようだ。青裾濃の裳、裙帯や領巾などが風に吹かれているのはたいそうおもしろい。豊前という采女は、医師の重雅の思い人である。葡萄染の織物の指貫を着ているので、「重雅は禁色を許されたのだな」と山の井の大納言はお笑いになって、みな乗り続いて立っているところに、「今こそ御輿がお出ましになる。すばらしい」と拝見した、女院のご様子には、これは比べものにならなかった。朝日がはなやかに差し上るころに、木の葉がたいそうはなやかに輝いて、御輿の帷子の色つやなどまでがすばらしい。御綱を張ってお出ましになる。御輿の帷子が揺れ動くころ、本当に、頭の毛が逆立つなどと人の言うのは、まったく嘘ではない。そうして後に、髪の悪い人もそのせいにできるだろう。あきれるほど神々しく、やはりどうしてこのような方の御前に慣れてお仕えしているのだろうと、わが身までも立派に思われる。御輿がお通り過ぎになるとき、車の榻を、供の車ごとに下ろしてあったのを、また牛をつけて、御輿の後に続いて行く気持ちの、すばらしく興のある様子は、言いようもない。お着きになると、大門のもとで高麗楽や唐楽を奏して、獅子や狛犬が踊り舞い、笙の音や鼓の音に、何もわからなくなる。これはどこの仏の国などに来てしまったのだろうかと、空に響きのぼっていくように思われる。中に入ると、色とりどりの錦の幄に、御簾がたいそう青々と掛けわたしてあり、屛幔などを引いてある様子は、まったくこの世のものとは思われない。御桟敷に車を寄せると、またこの殿方たちが立っていらっしゃって、「早く降りよ」とおっしゃる。車に乗った所でさえそうだったのに、もう少し明るく人目にさらされるところで、大納言殿がたいそう堂々と美しく、下襲の裾をたいそう長く、ところ狭しと引いて、簾を上げて「早く」とおっしゃる。整えて添えた髪も唐衣の中でふくらみ乱れ、見苦しくなっているだろう、顔色の黒さや赤ささえ見分けられそうなほどなのが、たいそうつらいので、すぐには降りられない。「まず後ろの人から」などと言うけれど、その人も同じ気持ちなのだろうか、「お退きください。恐れ多い」などと言う。「恥ずかしがっていらっしゃるな」と笑って立ち去り、やっとのことで降りると、
大納言殿が寄っていらっしゃって、「宗高などに見せないで、隠して降ろせ」と中宮様がおっしゃったので来たのに、「思いやりのない」と言って、引き降ろして連れて参りなさる。中宮様がそうおっしゃってくださったのだろうと思うのも恐れ多い。参上すると、最初に降りた人たちが、物の見えそうな端に、八人ほど出て座っていた。一尺二尺ほどの高さの長押の上に中宮様はいらっしゃる。大納言殿がここに立って隠して、「連れて参りました」と申し上げなさると、「どこ」と言って、几帳のこちら側にお出ましになった。まだ唐の御衣をお召しのままでいらっしゃるのがすばらしい。紅の御衣も並一通りであろうか。中に唐綾の柳襲の御衣、葡萄染の五重の御衣に赤色の唐の御衣、地摺りの唐の薄物に象眼を重ねた御裳などをお召しになっている。織物の色は、まったく並のものとは比べようもない。「私をどう見るか」とおっしゃる。「たいそうすばらしくいらっしゃいました」などと申し上げるのも、言葉に出すとありきたりのことばかりだ。「長く待ったでしょう。それは、関白殿の大夫が、女院のお供に来て人に見られた同じ下襲のままで中宮のお供をしたら、見苦しいと人が思うだろうと言って、特に下襲を縫わせなさっていたので遅れたのです。たいそう凝っていらっしゃる」などとお笑いになる。たいそう明るく晴れた所では、もう少しくっきりとすばらしく、御額髪を上げていらっしゃる釵子のあたりで、御分け目の御髪が少し寄って目立って見えなさるのなどまでが、言いようもない。三尺の御几帳一組を互い違いにして、こちらの隔てにして、その後ろには畳一枚を縦長に、縁をつけて長押の上に敷いて、中納言の君という、関白殿の伯父の兵衛督忠君と申し上げた方の娘と、宰相の君という、富小路の左大臣の孫の二人が、上に座って見ていらっしゃる。中宮様は見渡しなさって、「宰相はあちらに座って、上人たちの座っている所に行って見なさい」とおっしゃると、宰相の君は心得て、「ここに三人でもたいそうよく見えましょう」と申し上げるので、「それなら」と言って私を召し上げなさると、下に座っている人々が、「殿上を許される内舎人のようだと笑わせようと思っているのかしら」と言うと、「馬副の程度ね」などと言うが、そこに入って座って見るのはたいそう晴れがましい。こんなことなどを自分で言うのは自慢話でもあり、また中宮様のおためにも軽々しく、これほどの者をまで目をかけなさったのかなどと、自然と物知りで世の中を非難したりする人は、つまらないことに恐れ多いご身分にかかわって恐縮だけれど、ああ恐れ多いことだなどとは、また言わずにいられようか。本当に身の程を過ぎたこともあったにちがいない。女院の御桟敷や、あちこちの桟敷を見渡すのはすばらしい。関白殿はまず女院の御桟敷に参上なさって、しばらくしてからこちらに参上なさった。大納言殿お二人、三位中将は陣に近く参上していたままで、武具を負って、たいそう似つかわしく趣があっていらっしゃる。殿上人や四位、五位が大勢連れ立って、お供に控えて並んで座っている。関白殿が入っていらっしゃってご覧になると、女房たちはみな裳や唐衣を着て、御匣殿までお召しになっている。北の方は裳の上に小袿をお召しになっている。「絵に描いたようなご様子だなあ。今日は、今いらっしゃる方々を何とも申しなさるな。三の君、四の君の御裳をお脱がせなさい。この中の主君には、あなたこそいらっしゃるのだから。御桟敷の前に近衛の陣をお置かせになっているのは、並一通りのことか」と言ってお泣きになる。なるほどと見ている人も涙ぐましいのに、私が赤色に桜の五重の唐衣を着ているのをご覧になって、「法服が一揃い足りなかったのを、急いで慌ててしまったのに、これをこそ借り申せばよかった。それとも、またそういうものを切って白くしてあるのか」とおっしゃるので、また笑った。大納言殿が少し退いて座っていらっしゃったのが聞きつけなさって、「清僧都のものだろうか」とおっしゃる。一言として趣のないことはないのだよ。
僧都の君は、赤色の薄物の御衣に紫の袈裟、たいそう薄い色の御衣などに指貫を着ていらっしゃって、菩薩のようなご様子で、女房たちにまじって歩き回っていらっしゃるのもたいそうおもしろい。僧綱の中に威儀を正していらっしゃらないで、見苦しく女房の中にいるなどと笑う。父の大納言殿が、御前から松君を連れて参上なさる。葡萄染の織物の直衣、濃い綾の打った紅梅の織物などをお召しになっている。例によって四位や五位がたいそう多い。御桟敷の女房の中にお入れ申し上げる。何の間違いだろうか、泣き騒ぎなさるのまでが、たいそう晴れやかだ。供養が始まって、一切経を蓮の花の赤いのに一花ずつ入れて、僧も俗人も、上達部も殿上人も、地下の六位など誰彼までが持って渡るのは、たいそう尊い。大行道があり、導師が参り、回向があって、しばらく待って舞などをする。一日じゅう見ていると、目もだるく苦しい。帝のお使いとして、五位の蔵人が参上した。御桟敷の前に胡床を立てて座っているのなど、本当にやはりすばらしい。夜になって、式部丞則理が参上した。「すぐに今夜、内裏にお入りになるはずです。お供に控えよと宣旨がございました」と言って、帰りもしない。中宮様はやはり「二条の宮に帰ってから後に」とおっしゃるけれど、また蔵人の弁が参上して、「関白殿にもお手紙がありましたので、ただ仰せのままに」と言って内裏にお入りになったりする。女院の御桟敷から、「千賀の塩竈」などというようなお手紙や、おもしろい品物などを持って参り通ったりするのもすばらしい。事が終わって、女院はお帰りになる。女院の院司や上達部なども、今度は半分ほどがお仕えなさった。中宮様が内裏へお入りになったのも知らないで、女房の従者たちは、中宮様は二条の宮にいらっしゃるだろうと思ってそこにみな行って待っていて、待っても待っても見えないうちに、夜がたいそう更けてしまった。内裏では、宿直の衣を持って来るだろうと待っていたのに、まったく見えず、派手な衣で身にもなじまないのを着て、寒いままに憎み腹を立てるけれど、どうしようもない。翌朝来たのを、「どうしてこんなに気がきかないのか」などと言うと、言い訳する言葉ももっともである。次の日、雨が降ったのを、関白殿は「これで、私の運の強さがわかりました。いかがご覧になりますか」と中宮様に申し上げなさるそのご満足ぶりは、もっともなことである。
意訳
正暦五年(994)二月、関白道隆が積善寺で一切経供養を営んだときの記録である。中関白家の栄華が頂点にあった時期で、作者はその華やかさを細部まで書きとめている。前半は二条の宮での日々で、見事な造花の桜、娘の中宮に「お下がり一つもらっていない」と冗談を言う道隆、雨に濡れた造花を夜明け前にこっそり片づけさせた「花盗人」の一件などが、明るい笑いとともに描かれる。後半は供養当日の様子である。大勢の貴人が見守る中、名を呼ばれて一人ずつ車に乗る女房たちの緊張、中宮の御輿が出るときの身の毛もよだつような感動、桟敷で道隆が感極まって泣く姿、紅梅の衣のことで作者をからかう道隆の冗談。翌日の雨を「自分の運の強さの証だ」と喜ぶ道隆の言葉で結ばれる。わずか一年後に道隆が亡くなり、中関白家が没落することを知る読者にとって、この輝かしい記録はいっそう胸に迫る。
語釈・文法注
- 關白殿
- 藤原道隆。中宮定子の父。正暦五年(994)当時は関白で、一族の栄華の頂点にあった。
- 積善寺
- 道隆が法興院(父兼家の邸を寺としたもの)の中に建立した寺。正暦五年二月二十日に一切経供養が行われた。
- 大納言殿
- 藤原伊周。道隆の長男で、中宮定子の兄。
- 僧都の君
- 隆円。道隆の子で、中宮定子の弟。
文法
- 「おろしの御ぞ」
- お下がりの衣。主人が着古して臣下に与える衣。
- 「しりうごと」
- 後言。陰口。
- 「兼澄が事」
- 源兼澄の歌「山守はいはばいはなむ高砂の尾上の桜折りてかざさむ」による。
- 「山田もつくるらむ」
- 「春風に花散る山田もつくるらむ」などの古歌の一節をふまえた戯れとされる。
- 「しぢ」
- 榻。牛車から牛を外したとき、轅を載せる台。
- 「け證」
- 晴れがましく、人目に立つこと。
- 「得選」
- 御厨子所の女官から選ばれた者。
解説
『枕草子』の中でも最も長く華やかな日記的章段の一つである。中関白家が最も栄えていた時期の記録として、作者は細部にわたって丁寧に描いている。
道隆の冗談や中宮の機知、作者自身の緊張と晴れがましさが交互に描かれ、宮廷の祝祭の空気が生き生きと伝わる。この翌年に道隆が亡くなり、一家は没落していく。そのことを思えば、作者がこの一日をこれほど詳しく書き残した意味は深い。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、334–344頁(コマ177–184)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日