枕草子 第247段 随想的章段
いみじうしたてて婿取りたるに
立派に支度して婿を迎えたのに、すぐに通って来なくなった婿が、舅に会ったときの気まずさを思う。ある人の婿になって一月もたたずに通わなくなった男が、翌年蔵人になり、八講の場で元の妻の車のそばに平然と座っていたのを、周りの人々が気の毒がったという話を挙げ、男は人の気持ちを知らないものだと述べる。
- 1いみじういみじういみじゅうしししたてゝたてゝたてて聟聟むこ取取とりりりたるたるたるににに、、、いといといとほどほどほどなくなくなくすますますまぬぬぬ聟聟むこののの、、、さるべきさるべきさるべき所所ところなどなどなどにてにてにて舅舅しゅうとににに逢逢あひひいたるたるたるいといといとほしほしほしとととややや思思おもふふうらむらむらん。。。あるあるある人人ひとのののいみじういみじういみじゅう時時ときににに逢逢あひひいたるたるたる人人ひとののの聟聟むこににになりなりなりててて、、、一月一月ひとつきもももはかばかしうはかばかしうはかばかしゅうもももこここででで止止やみみみにににしかしかしかばばば、、、すべてすべてすべていみじういみじういみじゅう言言いひひい騒騒さわぎぎぎ乳母乳母めのとなどなどなどやうやうようのののものものものはははまがまがしきまがまがしきまがまがしき事事ことどもどもどもいふいふいうもももあるあるあるににに、、、そのそのそのかへるかへるかえる年年としののの正月正月しょうがつににに藏人藏人くろうどににになりなりなりぬぬぬ。。。「「「あさましうあさましうあさましゅうかゝるかゝるかかるなからひなからひなからいにににいかでいかでいかでとととこそこそこそ人人ひとははは思思おもひひいためためためれれれ」」」などなどなど言言いひひいあつかふあつかふあつかうははは聞聞きくくくらむらむらんかしかしかし。。。六月六月ろくがつににに人人ひとののの八講八講はっこうししし給給たまひひいししし所所ところににに人々人々ひとびと集集あつまりりりててて聞聞きくくくにににこのこのこの藏人藏人くろうどににになれなれなれるるる聟聟むこのののりようりようりようのののうへのうへのうえの袴袴はかま、、、蘇枋蘇枋すおう襲襲がさね、、、黑黑くろ半臂半臂はんぴなどなどなどいみじういみじういみじゅうあざやかあざやかあざやかにてにてにて、、、忘忘わすれれれにににししし人人ひとののの車車くるまのののとみのをとみのをとみのおににに半臂半臂はんぴののの緖緖おひきひきひきかけかけかけつつつばかりばかりばかりにてにてにて居居いたりたりたりしししををを、、、いかにいかにいかに見見みるるるらむらむらんととと車車くるまののの人々人々ひとびとももも知知しりりりたるたるたる限限かぎりりりはははいといといとほしがりほしがりほしがりしししををを、、、ことことことびとびとびとどもどもどもゝゝも「「「つれなくつれなくつれなく居居いたりたりたりしししものものものかなかなかな」」」などなどなど後後のちにににもももいひいひいいききき。。。猶猶なお男男おとこははは物物もののののいといといとほしさほしさほしさ人人ひとののの思思おもははわむむんことことことははは知知しらららぬぬぬなめりなめりなめり。。。
現代語訳
立派に支度を整えて婿を迎えたのに、たいそう間もなく通って来なくなった婿が、しかるべき所などで舅に会ったのは、気の毒だと思うだろうか。ある人が、たいそう時めいている人の婿になって、一月もろくに通わないままやめてしまったので、みなひどく言い騒ぎ、乳母などのような者は不吉なことを言ったりもしたのに、その翌年の正月に、その男は蔵人になった。「あきれたことに、こういう間柄で、どうして蔵人になれたのだろうと人は思っているようだ」などと噂するのは、本人も聞いているだろうよ。六月に、ある人が法華八講をなさった所に、人々が集まって聞いていると、この蔵人になった婿が、綾の表袴に蘇芳襲、黒い半臂などをたいそう鮮やかに着て、捨てた妻の車の鴟尾に、半臂の緒を引っかけそうなほど近くに座っていたのを、どう見ているだろうと、車の中の人々も、事情を知っている者はみな気の毒がったが、ほかの人々も「平気な顔で座っていたものだ」などと後でも言った。やはり男は、人の気の毒さや、人がどう思うかということはわからないものらしい。
意訳
婿として迎えられながら、すぐに通わなくなった男の話である。元の妻の家では大騒ぎになったが、男はそのまま出世して蔵人になる。そして法会の場で、鮮やかな装束を着て、元の妻の車のすぐそばに平然と座っていた。周りの者のほうが気をもんでいる。作者は「男は人の気持ちなどわからないものだ」と結ぶ。当時の結婚の不安定さと、女性側の立場の弱さが浮かび上がる。
語釈・文法注
文法
- 「すまぬ聟」
- 通って来なくなった婿。当時は夫が妻の家に通う婚姻形態だった。
- 「八講」
- 法華八講。法華経八巻を八回に分けて講じる法会。
- 「とみのを」
- 鴟尾(とみのお)。牛車の後部の、轅の端。
解説
作者の男性観が率直に述べられた段である。以下、』で区切られた随想が続く。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、328–329頁(コマ171–172)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日