枕草子 第220段 類聚的章段
社は
神社として、布留、生田、龍田、花ふち、みくりの社を挙げ、蟻通の明神の名の由来を語る。昔、四十歳以上の者を殺させた帝の時代、中将が老親を地下にかくまっていた。唐土の帝が難題を出してくるたび、中将は親の知恵で解き、最後に七曲がりの玉に糸を通す難題も蟻を使って解いた。褒美に老親を都に住まわせる許しを得たという。
- 1やしろやしろやしろははは題
- 2ふるふるふるののの社社やしろ、、、いくたいくたいくたののの社社やしろ、、、龍田龍田たつたののの社社やしろ、、、はなふちはなふちはなうちののの社社やしろ、、、みくりみくりみくりののの社社やしろ。。。すぎすぎすぎののの御社御社みやしろしるししるししるしあらあらあらむむんとととをかしをかしおかし。。。ことことことのののまゝまゝままののの明神明神みょうじんいといといとたのもしたのもしたのもし。。。さささのみのみのみ聞聞ききききけむけむけんとととやややいはいはいわれれれ給給たまははわむむんととと思思おもふふうぞぞぞいといといとをかしきをかしきおかしき。。。蟻蟻ありどほしどほしどおしののの明神明神みょうじん、、、貫之貫之つらゆきががが馬馬うまののの惱惱なやひひいけるけるけるにににこのこのこの明神明神みょうじんのののやませやませやませ給給たまふふうとてとてとて歌歌うたよみよみよみててて奉奉たてまつりりりけむけむけんににに、、、やめやめやめ給給たまひひいけむけむけんいといといとをかしをかしおかし。。。このこのこの蟻蟻ありとほしとほしとおしとととつけつけつけたるたるたるこゝろこゝろこころははは、、、まことにまことにまことにやややあらあらあらむむん。。。昔昔むかしおはしましおはしましおわしましけるけるけるみかどみかどみかどののの唯唯ただ若若わかききき人人ひとをををのみのみのみおぼしめしおぼしめしおぼしめしててて、、、四十四十よそじににになりなりなりぬるぬるぬるをををばばばうしなはうしなはうしなわせせせ給給たまひひいけれけれければばば、、、ひとひとひとののの國國くにののの遠遠とおきききにににいきいきいきかくれかくれかくれなどなどなどしししててて更更さらににに都都みやこのののうちうちうちにににさるさるさる者者ものなかりなかりなかりけるけるけるににに、、、中將中將ちゅうじょうなりなりなりけるけるける人人ひとののの、、、いみじきいみじきいみじき、、、時時ときののの人人ひとにてにてにて心心こころなどなどなどももも賢賢かしこかりかりかりけるけるけるががが、、、七十七十ななそじ近近ちかききき親親おや二人二人ふたりをををもたりもたりもたりけるけるけるががが、、、かうかうこう四十四十よそじをををだにだにだに制制せいあるあるあるにににましてましてましていといといと恐恐おそろしろしろしとととおぢおぢおじ騒騒さわぐぐぐをををいみじういみじういみじゅうけうけうきょうあるあるある人人ひとにてにてにて、、、遠遠とおききき所所ところにににははは更更さらににに住住すままませせせじじじ、、、一日一日ひといににに一度一度ひとたび見見みででではははえええあるあるあるまじまじまじとてとてとて、、、みそかみそかみそかににによるよるよるよるよるよる家家いえののの内内うちののの土土つちををを堀堀ほりりりてててそのそのその內內うちににに屋屋やををを建建たてゝてゝててそれそれそれににに籠籠こめめめすゑすゑすえててていきいきいきつゝつゝつつ見見みるるる。。。おほやけおほやけおおやけにににももも人人ひとにににもももうせうせうせ隠隠かくれれれたるたるたるよしよしよしををを知知しらららせせせてててありありあり。。。などなどなどてててかかか。。。家家いえににに入入いりりり居居いたらたらたらむむん人人ひとをををばばば知知しらららでででもももおはせおはせおわせかしかしかし、、、うたてうたてうたてありありありけるけるける世世よにににこそこそこそ。。。親親おやははは上達部上達部かんだちめなどなどなどにににやややありありありけむけむけん、、、中將中將ちゅうじょうなどなどなど子子こにてにてにてもたりもたりもたりけむけむけんははは。。。いといといと心心こころかしこくかしこくかしこく萬萬よろずののの事事こと知知しりりりたりたりたりけれけれければばば、、、このこのこの中將中將ちゅうじょう若若わかけれけれけれどどどさえさえさえありありありいたりいたりいたり賢賢かしこくくくしししててて時時ときののの人人ひとににに思思おぼすすすなりなりなりけりけりけり。。。もろこしもろこしもろこしののの御門御門みかどこのこのこの國國くにのののみかどみかどみかどをををいかでいかでいかで謀謀はかりりりてててこのこのこの國國くにうちうちうち取取とらららむむんとてとてとて常常つねにににこゝろみこゝろみこころみ、、、あらがひあらがひあらがいごとごとごとをををしししててておくりおくりおくり給給たまひひいけるけるけるににに、、、つやつやつやつやつやつやとととまろまろまろににに美美うつくしげくしげくしげににに削削けずりりりたるたるたる木木きののの二尺二尺にしゃくばかりばかりばかりあるあるあるををを「「「これこれこれがががもともともと末末すえいづいづいず方方かたぞぞぞ」」」ととと問問とひひい奉奉たてまつりりりたるたるたるににに、、、すべてすべてすべて知知しるるるべきべきべきやうやうようなけれなけれなければばば、、、みかどみかどみかどおぼしめしおぼしめしおぼしめし煩煩わずらひひいたるたるたるににに、、、いといといとほしくほしくほしくててて親親おやののの許許もとににに行行ゆきききててて「「「かうかうかうかうこうこうののの事事ことなむなむなんあるあるある」」」ととといへいへいえばばば「「「唯唯ただはやからはやからはやからむむん川川かわににに立立たちちちながらながらながら、、、横横よこざまざまざまににに投投なげげげ入入いれれれ見見みむむむににに、、、かへりかへりかえりててて流流ながれれれむむん方方かたををを末末すえととと記記しるしししてててつかはせつかはせつかわせ」」」ととと敎敎おしふふう。。。參參まいりりりててて我我われしりしりしり顏顏がおにににしししててて、、、「「「試試こころみみみ侍侍はべらららむむん」」」とてとてとて人々人々ひとびと具具ぐしししててて投投なげげげ入入いれれれたるたるたるににに、、、さきさきさきにににしししててて行行ゆくくくかたかたかたにににしるししるししるしをををつけつけつけててて遣遣つかわしししたれたれたればばば、、、まことにまことにまことにさささなりなりなりけりけりけり。。。又又また二尺二尺にしゃくばかりばかりばかりなるなるなるくちなはくちなはくちなわののの同同おなじじじやうやうようなるなるなるををを「「「これこれこれはははいづれいづれいずれかかか男男おとこ女女おんな」」」とてとてとて奉奉たてまつれれれりりり。。。又又また更更さらににに人人ひとえええ知知しらららずずず。。。例例れいののの中將中將ちゅうじょう行行ゆきききててて問問とへへへばばば、、、「「「二二ふたつつつをををならべならべならべててて尾尾おのののかたかたかたににに細細ほそきききずわえずわえずわえをををさしさしさしよせよせよせむむんににに、、、尾尾おはたらかさはたらかさはたらかさむむんをををめめめととと知知しれれれ」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、やがてやがてやがてそれそれそれををを內裏內裏うちのののうちうちうちにてにてにて、、、さささしししけれけれければばば、、、まことにまことにまことに一一ひとつつつははは動動うごかかかさささずずず、、、一一ひとつつつははは動動うごかしかしかしけるけるけるににに、、、又又またしるししるししるしつけつけつけててて遣遣つかわしししけりけりけり。。。ほどほどほど久久ひさしうしうしゅうててて七七ななわだわだわだにににわだかまりわだかまりわだかまりたるたるたる玉玉たまののの中中なか通通とおりりりててて左右左右ひだりみぎににに口口くちあきあきあきたるたるたるがががちひさきちひさきちいさきををを奉奉たてまつりりりててて「「「これこれこれににに緖緖お通通とおしししてててたまはらたまはらたまわらむむん。。。このこのこの國國くにににに皆皆みなししし侍侍はべるるることことことなりなりなり」」」とてとてとて奉奉たてまつりりりたるたるたるににに、、、いみじからいみじからいみじからむむん物物ものののの上手上手じょうずふようふようふようならならならむむん、、、そこらそこらそこらののの上達部上達部かんだちめよりよりより始始はじめめめててて、、、ありありありとととあるあるある人人ひと知知しらららずずずととといふいふいうににに、、、又又またいきいきいきてててかくかくかくなむなむなんととといへいへいえばばば、、、「「「大大おおきききなるなるなる蟻蟻ありををを二二ふたつつつ捕捕とらへへえててて腰腰こしににに細細ほそききき糸糸いとをををつけつけつけ、、、又又またそれそれそれににに今今いま少少すこしししふときふときふときをををつけつけつけててて、、、あなたあなたあなたののの口口くちににに蜜蜜みつををを塗塗ぬりりりててて見見みよよよ」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、さささ申申もうしししててて蟻蟻ありををを入入いれれれたりたりたりけるけるけるににに、、、蜜蜜みつのののかかかをををかぎかぎかぎてててまことにまことにまことにいといといと疾疾とううう穴穴あなのののあなたあなたあなたののの口口くちににに出出いでででにににけりけりけり。。。さてさてさてそのそのその糸糸いとのののつらぬかつらぬかつらぬかれれれたるたるたるををを遣遣つかわしししたりたりたりけるけるける後後のちににになむなむなん「「「猶猶なお日本日本におんはははかしこかりかしこかりかしこかりけりけりけり」」」とてとてとて後々後々のちのちはははさるさるさる事事こともももせせせざりざりざりけりけりけり。。。このこのこの中將中將ちゅうじょうをををいみじきいみじきいみじき人人ひとにににおぼしめしおぼしめしおぼしめしててて「「「何事何事なにごとをををししし、、、いかなるいかなるいかなる位位くらいをををかかか賜賜たまははわるるるべきべきべき」」」ととと仰仰おおせせせられられられけれけれければばば「「「更更さらにににつかさつかさつかさ位位くらいをををももも賜賜たまははわらららじじじ。。。唯唯ただ老老おいいいたるたるたる父母父母ちちわわののの隱隱かくれれれうせうせうせててて侍侍はべるるるををを尋尋たずねねねててて、、、都都みやこにににすますますまするするすることことことををを許許ゆるさささせせせ給給たまへへえ」」」ととと申申もうしししけれけれければばば「「「いみじういみじういみじゅうやすきやすきやすき事事こと」」」とてとてとてゆるさゆるさゆるされれれにににけれけれければばば、、、よろづよろづよろずののの人人ひとののの親親おやこれこれこれををを聞聞ききききてててよろこぶよろこぶよろこぶ事事こといみじかりいみじかりいみじかりけりけりけり。。。中將中將ちゅうじょうははは大臣大臣おとどまでまでまでににになさなさなさせせせ給給たまひひいてててなむなむなんありありありけるけるける。。。さてさてさてそのそのその人人ひとののの神神かみににになりなりなりたるたるたるにににやややあらあらあらむむん、、、このこのこの明神明神みょうじんののの許許もとへへへ詣詣もうでででたりたりたりけるけるける人人ひとににに、、、よるよるよる現現あらわれれれてててのたまひのたまひのたまいけるけるける、、、
- 3「「「なゝなゝななわだわだわだにににまがれまがれまがれるるる玉玉たまののの緒緒おをををぬきぬきぬきてててありありありとほしとほしとおしともともとも知知しらららずずずやややあるあるあるらむらむらん」」」
- 4とととのたまひのたまひのたまいけるけるけるととと人人ひとのののかたりかたりかたりししし。。。
現代語訳
神社は。
布留の社。生田の社。龍田の社。花ふちの社。みくりの社。杉の御社は、霊験があるだろうと思われておもしろい。ことのままの明神は、たいそう頼もしい。「そうばかり願いを聞き入れたのだろうか」と言われなさるだろうと思うと、たいそうおもしろい。蟻通の明神は、紀貫之の馬が病気になったときに、この明神が病ませなさるのだといって、貫之が歌を詠んで奉ったところ、病を治しなさったというのは、たいそうおもしろい。この「蟻通」と名づけた由来は、本当だろうか。昔いらっしゃった帝が、ただ若い人ばかりをお好みになって、四十歳になった者を殺させなさったので、人々は遠い国に逃げ隠れなどして、まったく都の中にそういう者がいなかったところ、中将であった人で、たいそうすぐれた、時めいている人で、心なども賢かった人が、七十近い両親を持っていたが、こうして四十歳でさえ禁じられているのに、まして七十ではと、ひどく恐れ騒ぐのを、たいそう孝行な人で、遠い所には決して住まわせまい、一日に一度は会わないではいられないと思って、ひそかに毎夜、家の中の土を掘って、その中に家を建てて、そこに両親を住まわせて、行っては会っていた。朝廷にも人にも、両親は姿を消してしまったということにしておいた。どうしてそこまで。家に引きこもっている人を、知らないでおいてくださればよいのに。いやな世であったのだ。親は上達部などであったのだろうか、中将などを子に持っていたのは。たいそう賢く、何事もよく知っていたので、この中将も、若いけれど才能があり、行き届いて賢くて、時の人と思われていたのであった。唐土の帝が、この国の帝を何とかしてだまして、この国を奪い取ろうとして、いつも試して、難題を送ってこられたが、つやつやと丸く美しく削った二尺ほどの木を、「これの元と末はどちらか」とお尋ねしてきたので、まったく知りようがないので、帝が思い悩んでいらっしゃるのを、中将は気の毒に思って、親のもとに行って「これこれのことがあります」と言うと、親は「ただ流れの速い川に立ったまま、横向きに投げ入れてみて、向きを変えて流れていく方を末と記して送りなさい」と教える。中将は参内して、自分が知っているような顔をして、「試してみましょう」と言って人々を連れて行って投げ入れたところ、先にして流れていく方に印をつけて送ったところ、本当にそうであった。また、二尺ほどの蛇で同じような姿のものを、「これはどちらが雄で、どちらが雌か」と言って献上してきた。またまったく誰もわからない。例の中将が行って尋ねると、「二匹を並べて、尾の方に細い若枝を差し寄せたときに、尾を動かす方を雌と知れ」と言ったので、すぐにそれを宮中でそうしたところ、本当に一匹は動かさず、一匹は動かしたので、また印をつけて送った。しばらくして、七曲がりに曲がりくねった玉で、中が通って左右に口が開いている小さいものを献上して、「これに緒を通していただきたい。わが国ではみなすることです」と言って献上してきたので、どんなに優れた名人でも役に立たないだろう、大勢の上達部をはじめ、あらゆる人がわからないと言うので、中将がまた行ってこうこうと言うと、「大きな蟻を二匹捕まえて、腰に細い糸をつけ、またそれにもう少し太い糸をつけて、向こうの口に蜜を塗ってみよ」と言ったので、そのように申し上げて蟻を入れたところ、蜜の香りをかいで、本当にたいそう早く穴の向こうの口に出てきた。そうしてその糸の通ったものを送った後に、「やはり日本は賢い国だ」と言って、その後はそういうこともしなくなった。帝はこの中将をたいそうすぐれた人とお思いになって、「どんなことをして、どんな位を与えたらよいか」とおっしゃったので、「まったく官職も位もいただくまい。ただ年老いた父母が隠れて姿を消しておりますのを探し出して、都に住まわせることをお許しください」と申し上げたので、「たいそうたやすいこと」と言ってお許しになったので、世の中のすべての人の親がこれを聞いて、喜ぶことは大変なものであった。中将は大臣にまでおさせになったという。そうしてその人が神になったのだろうか、この明神のもとへ参詣した人に、夜現れておっしゃった、
七曲がりに曲がりくねった玉の緒を通して、蟻を通したとは、知らないでいるのだろうか。
とおっしゃったと、人が語った。
意訳
神社の名を並べたあと、蟻通明神の名の由来となった説話を語る段である。四十歳以上の者を殺せという非情な帝の時代、孝行な中将が老親を地下室にかくまっていた。唐土から次々に送られてくる難題、木の元と末、蛇の雌雄、七曲がりの玉に糸を通す方法を、すべて老親の知恵で解き、国の危機を救う。褒美として望んだのは官位ではなく、老親を都に住まわせる許しだった。老人の知恵の尊さを語る「姥捨て」型の説話で、作者は「まことにやあらむ」と半信半疑の態度を見せながらも、詳しく書きとめている。
語釈・文法注
文法
- 「蟻どほしの明神」
- 蟻通神社。和泉国(大阪府泉佐野市)にある。紀貫之が馬を病ませたこの神に歌を奉って許された話が『貫之集』などに見える。
- 「けうある人」
- 孝ある人。親孝行な人。
- 「ずわえ」
- 楉(すわえ)。細く長い若枝。
- 「七わだ」
- 七曲がり。玉の中の穴が七回曲がっていること。
和歌
七曲にまがれる玉の緒をぬきてありとほしとも知らずやあるらむ
- 詠者
- 蟻通明神
- 状況
- 蟻通明神に参詣した人の夢に神が現れて詠んだという歌。
修辞
- 掛詞
- 「ありとほし」に「蟻通し」と「あり(とても)通し」を掛ける。
解説
『枕草子』の中では珍しい、長い説話を含む段である。同じ型の話は『雑宝蔵経』など仏典にも見え、日本では「姥捨山」の昔話として広く知られている。
神社の列挙から説話へと話が移っていく構成は、作者の連想の広がりをよく示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、321–323頁(コマ164–166)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日