枕草子 第177段 日記的章段
村上の御時
村上天皇の御代、雪の夜に器に盛った雪に梅の花を挿して「これに歌を詠め」と言われた兵衛の蔵人が、「雪月花の時」と答えて称賛された。また、炭櫃の煙を見てくるよう命じられた同じ兵衛の蔵人が、蛙が飛び込んで焦げていたのを「わたつみの沖にこがるる物見ればあまの釣してかへるなりけり」と詠んで奏した逸話を伝える。
- 1ののの御御おん時時とき雪雪ゆきのののいといといと高高たこううう降降ふりりりたりたりたりけるけるけるををを、、、やうきやうきようきにににもらもらもらせせせ給給たまひひいててて、、、梅梅うめののの花花はなをををさしさしさしててて、、、月月つきいといといとあかきあかきあかきににに「「「これこれこれににに歌歌うたよめよめよめ。。。いかゞいかゞいかがいふいふいうべきべきべき」」」ととと兵衞兵衞ひょうえのののにににたびたびたびたりたりたりけれけれければばば「「「雪月花雪月花せつげつかののの時時とき」」」ととと奏奏そうしししたりたりたりけるけるけるこそこそこそいみじういみじういみじゅうめでめでめでさせさせさせ給給たまひひいけれけれけれ。。。「「「歌歌うたなどなどなどよまよまよまむむんにににはははよよよのののつねつねつねなりなりなり。。。かうかうこう折折おりにににあひあひあいたるたるたる事事ことなむなむなん言言いひひい難難がたききき」」」とととこそこそこそ仰仰おおせせせられられられけれけれけれ。。。おなじおなじおなじ人人ひとををを御御お供供ともにてにてにて殿上殿上てんじょうににに人人ひとさぶらはさぶらはさぶらわざりざりざりけるけるける程程ほどたゝずまたゝずまたたずませせせおはしますおはしますおわしますににに、、、すびつすびつすびつのののけぶりけぶりけぶりののの立立たちちちけれけれければばば「「「かれかれかれははは何何なにのののけぶりけぶりけぶりぞぞぞ。。。見見みてててこここ」」」ととと仰仰おおせせせられられられけれけれければばば、、、見見みてててかへりかへりかえり參參まいりりりててて、、、
- 2「「「わたつみわたつみわたつみののの沖沖おきにににこがるゝこがるゝこがるる物物もの見見みれれればばばあまあまあまののの釣釣つりしししてててかへるかへるかえるなりなりなりけりけりけり」」」
- 3ととと奏奏そうしししけるけるけるこそこそこそをかしけれをかしけれおかしけれ。。。かへるかへるかえるののの飛飛とびびび入入いりりりてててこがるゝこがるゝこがるるなりなりなりけりけりけり。。。
現代語訳
村上天皇の御代に、雪がたいそう深く降ったのを、器に盛らせなさって、梅の花を挿して、月がたいそう明るいときに、「これを題に歌を詠め。どう言うのがよいか」と兵衛の蔵人にお与えになったところ、「雪月花の時」と申し上げたのを、たいそうおほめになった。「歌などを詠むのは平凡だ。このように折にかなったことは、なかなか言えないものだ」とおっしゃったという。また、同じ人をお供にして、殿上に人が控えていなかったときに、帝がたたずんでいらっしゃると、炭櫃から煙が立ったので、「あれは何の煙か。見て来い」とおっしゃったので、見て帰って参上して、
大海の沖で焦がれているものを見ると、海人が釣りをして帰るのでした。(炭櫃の中で焦げているものを見ると、蛙だったのでした)
と申し上げたのはおもしろい。蛙が飛び込んで焦げていたのであった。
意訳
村上天皇の時代の女房、兵衛の蔵人の機知を伝える逸話である。雪と月と梅を前に「歌を詠め」と言われて、白居易の詩句「雪月花の時」とだけ答えたのは、眼前の景色そのものを言い当てた見事な返答だった。もう一つは、炭櫃の中で蛙が焦げていたのを見て、「沖」に「燠(おき)」、「帰る」に「蛙(かへる)」を掛けた歌で報告したというもの。とっさの場面で言葉を自在に操る才女の姿は、作者にとって憧れの手本であった。
語釈・文法注
- 村上
- 村上天皇(在位946〜967)。和歌や管絃を愛し、その治世は「天暦の治」と称えられた。
- 兵衞の藏人
- 村上天皇に仕えた女蔵人。機知に富んだ女房として知られた。
文法
- 「やうき」
- 様器。食物を盛る器。
- 「雪月花の時」
- 白居易の詩「寄殷協律」の「雪月花時最憶君」による。雪・月・花がそろった目の前の景色を、この詩句一つで言い表した。
- 「すびつ」
- 炭櫃。いろり、火鉢。
和歌
わたつみの沖にこがるる物見ればあまの釣してかへるなりけり
- 詠者
- 兵衛の蔵人
- 状況
- 村上天皇に炭櫃の煙を見て来るよう命じられ、蛙が飛び込んで焦げていたのを報告した歌。
修辞
- 掛詞
- 「沖」に「燠(おき、赤くおこった炭火)」、「かへる」に「帰る」と「蛙」を掛ける。
- 縁語
- 「わたつみ」「沖」「あま」「釣」が海の縁語。
解説
作者の時代より前の、村上天皇の後宮の逸話である。宮廷の女房たちの間で、理想的な機知の手本として語り継がれていたのだろう。
漢詩の一句で答える逸話と、掛詞の和歌で答える逸話とを並べ、それぞれの機知のあり方を示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、302頁(コマ154)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日