枕草子 第165段 日記的章段
弘徽殿とは
弘徽殿の女御に仕える左京という女房と源宣方が親しいと噂されていた頃、宣方が職の御曹司で「宿直所がほしい」と言うと、作者が「うち臥し休む所があるのはよいことですね」と左京の母の名「うちふし」にかけて当てこすった。宣方は本気で恨み、それ以来この話はやめになった。
- 1こきこきこきとととははは閑院閑院かんいんののの太政大臣太政大臣だいじょうだいじんののの女御女御にょうごとととぞぞぞ聞聞きこゆるゆるゆる。。。そのそのその御方御方おんかたにににうちふしうちふしうちうしととといふいふいう者者もののののむすめむすめむすめ、、、左京左京さきょうととといひいひいいてててさぶらひさぶらひさぶらいけるけるけるををを、、、かたらひかたらひかたらいててて思思おもふふうなどなどなど人々人々ひとびと笑笑わらふふうころころころ、、、宮宮みやのののしきしきしきにににおはしまいおはしまいおわしまいしししににに參參まいりりりててて、、、「「「時々時々ときどきははは御御おんとのゐとのゐとのいなどなどなど仕仕つこうううまつるまつるまつるべけれべけれべけれどどど、、、さるべきさるべきさるべきさまさまさまににに女房女房にょうぼうなどなどなどもてなしもてなしもてなし給給たまははわねねねばばば、、、いといといと宮宮みやづかへづかへずかえおろかおろかおろかにににさふらふさふらふさうらう。。。殿居所殿居所とのいどころをををだにだにだに賜賜たまははわりりりたらたらたらむむんははは、、、いみじういみじういみじゅうまめまめまめににに侍侍さぶらひらひらいなななむむん」」」などなどなどいひいひいいゐゐい給給たまひひいつれつれつればばば、、、人々人々ひとびと「「「げにげにげに」」」などなどなどいふいふいう程程ほどににに、、、「「「誠誠まことににに人人ひとはははうちうちうちふしふしふしやすむやすむやすむ所所ところのののあるあるあるこそこそこそよけれよけれよけれ。。。さるさるさるあたりあたりあたりにににはははしげくしげくしげく參參まいりりり給給たまふふうなるなるなるものものものををを」」」とととさしさしさしいらへいらへいらえたりたりたりとてとてとて、、、「「「すべてすべてすべて物物ものきこえきこえきこえずずず、、、かたかたかた人人うどととと賴賴たのみみみ聞聞きこゆれゆれゆればばば人人ひとのののいひいひいいふるしふるしふるしたるたるたるさまさまさまににに取取とりりりなしなしなし給給たまふふう」」」などなどなど、、、いみじういみじういみじゅうまめだちまめだちまめだちてててうらみうらみうらみ給給たまふふう。。。「「「あなあなあなあやしあやしあやし。。。如何如何いかなるなるなる事事ことをををかかか聞聞きこえええつるつるつる。。。更更さらににに聞聞ききききとゞめとゞめとどめ給給たまふふうことことことなしなしなし」」」などなどなどいふいふいう。。。かたはらかたはらかたわらなるなるなる人人ひとををを引引ひきききゆるがせゆるがせゆるがせばばば、、、「「「さるべきさるべきさるべきことことこともももなきなきなきをををほとほりほとほりほとおり出出いででで給給たまふふうさまさまさまこそこそこそあらあらあらめめめ」」」とてとてとて華華はなやかやかやかににに笑笑わらふふうににに、、、これこれこれもももかのかのかのいはいはいわせせせ給給たまふふうならならならむむんとてとてとて、、、いといといとものしものしものしととと思思おもへへえりりり。。。「「「更更さらにににさやうさやうさようののの事事ことをををなむなむなんいひいひいい侍侍はべらららぬぬぬ。。。人人ひとのののいふいふいうだにだにだににくきにくきにくきものものものををを」」」ととといひいひいいててて引引ひききき入入いりりりにににしかしかしかばばば、、、後後のちにににもももなほなほなお「「「人人ひとにににはぢがましきはぢがましきはじがましき事事こと言言いひひい告告つげげげたるたるたる」」」ととと恨恨うらみみみててて、、、「「「殿上人殿上人てんじょうびとののの笑笑わらふふうとてとてとて言言いひひい出出いでででたるたるたるなりなりなり」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「さてさてさてははは一人一人ひとりををを恨恨うらみみみ給給たまふふうべくべくべくもももあらあらあらざざざめるめるめる。。。あやしあやしあやし」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、そのそのその後後のちははは絶絶たえええてててやみやみやみ給給たまひひいにににけりけりけり。。。
現代語訳
弘徽殿というのは、閑院の太政大臣の娘の女御のことと聞いている。その御方に、うちふしという者の娘で、左京といってお仕えしていたのを、源中将が親しくして思っているなどと、人々が笑っていたころ、中宮様が職の御曹司にいらっしゃったときに源中将が参上して、「時々は宿直などもお勤めすべきなのですが、それにふさわしいように女房たちがもてなしてくださらないので、たいそう宮仕えもおろそかになっております。せめて宿直所だけでもいただけたら、たいそうまじめにお仕えしましょう」などと言って座っていらっしゃったので、人々が「本当に」などと言っているうちに、私が「本当に、人は、うち臥して休む所があるのがよいものですわね。そういうあたりには、しきりに参上なさるそうですから」と口をはさんだといって、「すべて何も申し上げますまい。味方と頼みにしていたのに、人の言い古したような噂のように取りなされる」などと、たいそうまじめな顔で恨まれる。「まあ妙なこと。どんなことを申し上げたというのでしょう。何も気にお留めになるようなことはありませんのに」などと言う。そばにいる人を揺さぶると、「そんなこともないのに、かっとなってお怒りになるのは、何かわけがあるのでしょう」と言って、はなやかに笑うので、宣方殿は、これもあの人が言わせたのだろうと思って、たいそう不快に思っている。「決して、そのようなことは申しておりません。人が言うのさえ憎らしいのに」と言って奥へ引っ込んでしまったので、後になってもやはり、「人に恥をかかせることを言いふらした」と恨んで、「殿上人が笑っていると言って言い出したのだろう」とおっしゃるので、「それなら、私一人をお恨みになるべきではないでしょう。妙なこと」などと言うと、その後はすっかりやめてしまわれた。
意訳
宣方が弘徽殿の女御に仕える左京という女房と親しいことは、宮中で笑い話になっていた。左京の母の名は「うちふし」。宣方が「宿直所がほしい」と言ったのを捉えて、作者は「うち臥して休む所があるのはよいことですね」と、左京の母の名を掛けて当てこすった。冗談のつもりが、宣方は真顔で怒り、しばらく恨み言を言い続けた。からかいが過ぎてしまった気まずさが、軽妙に描かれている。
語釈・文法注
- こき殿
- 弘徽殿の女御。藤原義子。閑院の太政大臣藤原公季の娘で、一条天皇の女御。
- 源中將
- 源宣方。前段にも登場した右近中将。
文法
- 「うちふし」
- 左京の母の名とされる。「うち臥し」(横になって寝ること)に掛けている。
- 「ほとほり出で」
- 「ほとほる」は熱くなる、怒る。かっとなること。
- 「かた人」
- 方人。味方。
解説
名前を掛詞にしたからかいが、相手を本気で怒らせてしまった話である。作者の言葉の才が、時に人を傷つけることもあったことを、作者自身が率直に書いている。
前の数段で親しく描かれた宣方が、ここでは作者に恨みを抱く姿で登場する。宮廷の人間関係の微妙さがうかがえる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、298頁(コマ152)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日