枕草子 第163段 日記的章段
されどなり給ひにしかば
斉信が宰相になって寂しくなった後、源宣方が斉信に負けまいと気取り、「未だ三十の期に及ばず」の詩句を斉信のように吟じようと、ひそかに習って作者の局で披露する。作者はそれを喜び、宣方がその句を吟じれば出て行って応対したので、宣方は「斉信のおかげ」と拝むほどだったという。
- 1されどされどされどなりなりなり給給たまひひいにににしかしかしかばばば誠誠まことにににさうざうしかりさうざうしかりそうぞうしかりしししににに、、、劣劣おとらららずずずととと思思おもひひいてててゆゑゆゑゆえだちだちだちありくありくありくににに、、、宰相宰相さいしょう中將中將ちゅうじょうののの御御おんうへうへうえをををいひいひいい出出いでゝでゝでて「「「いまだいまだいまだ三十三十さんじゅうのののごごごにににおよばおよばおよばずずずととといふいふいう詩詩しをををことことこと人人ひとにににははは似似にずずず、、、をかしうをかしうおかしゅうずしずしずし給給たまふふう」」」などなどなどいへいへいえばばば「「「などなどなどかかかそれそれそれににに劣劣おとらららむむん。。。まさりまさりまさりてててこそこそこそせせせめめめ」」」とてとてとてよむよむよむににに「「「更更さらにににわろくわろくわろくもももあらあらあらずずず」」」ととといへいへいえばばば「「「わびしわびしわびしののの事事ことややや。。。いかでいかでいかであれあれあれがががやうやうようにににずんせずんせずんせででで」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう。。。「「「三十三十さんじゅうのののごごごととといふいふいう所所ところなむなむなんすべてすべてすべていみじういみじういみじゅうあいぎやうあいぎやうあいぎょうづきづきずきたりたりたりししし」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、ねたがりねたがりねたがりててて笑笑わらひひいありくありくありくににに、、、陣陣じんにににつきつきつき給給たまへへえりりりけるけるける折折おりににに、、、わきわきわきててて呼呼よびびび出出いでゝでゝでて「「「かうかうこうなむなむなんいふいふいう。。。猶猶なおそこそこそこ敎敎おしへへへ給給たまへへえ」」」ととといひいひいいけれけれければばば、、、笑笑わらひひいててて敎敎おしへへへけるけるけるももも知知しらららぬぬぬににに、、、局局つぼねのののもともともとにてにてにていみじくいみじくいみじくよくよくよく似似にせせせてててよむよむよむににに、、、あやしくあやしくあやしくててて「「「こここはははたぞたぞたぞ」」」ととと問問とへへへばばば、、、ゑみゑみえみごゑごゑごえににになりなりなりててて、、、「「「いみじきいみじきいみじき事事こと聞聞きこえええむむん。。。かうかうかうかうこうこうきのふきのふきのう陣陣じんにににつきつきつきたりたりたりしししににに、、、問問とひひい來來きてててたちたちたちにににたるたるたるなめりなめりなめり。。。誰誰たれぞぞぞとととにくからにくからにくからぬぬぬ氣色氣色けしきにてにてにて問問とひひい給給たまへへえれれればばば」」」ととといふいふいうもももわざとわざとわざとさささ習習ならひひい給給たまひひいけむけむけんをかしけれをかしけれおかしければばば、、、これこれこれだにだにだに聞聞きけけけばばば出出いでゝでゝでて物物ものなどなどなどいふいふいうををを「「「宰相宰相さいしょうののの中將中將ちゅうじょうののの徳徳とく見見みるるる事事ことそなたそなたそなたににに向向むかひひいててて拜拜おがむむむべしべしべし」」」などなどなどいふいふいう。。。しもしもしもにににありありありながらながらながらうへうへうえににになどなどなどいはいはいわするするするににに、、、「「「これこれこれをををうちうちうち出出いづれづれずればばば誠誠まことはははありありあり」」」などなどなどいふいふいう。。。おまへおまへおまえにににかくかくかくなどなどなど申申もうせせせばばば笑笑わらははわせせせ給給たまふふう。。。
現代語訳
けれども宰相になってしまわれたので、本当に物足りなかったところへ、源中将が負けまいと思って気取って歩き回っているので、私が宰相中将のことを話題にして、「『未だ三十の期に及ばず』という詩を、ほかの人とは違って、おもしろく吟じなさった」などと言うと、「どうしてそれに劣ろうか。もっと上手にしてみせよう」と言って吟じるので、「まったく悪くもありません」と言うと、「情けないことだ。どうしてあの人のように吟じられないのだろう」などとおっしゃる。「『三十の期』というところが、何とも言えずかわいらしかった」などと言うと、悔しがって笑いながら歩き回っていたが、宰相中将が陣の座に着いていらっしゃった折に、わざわざ呼び出して、「あの人がこう言うのです。やはりあなたが教えてください」と言ったので、宰相中将が笑って教えたのも私は知らずにいたところ、局の前でたいそうよく似せて吟じるので、不思議に思って「これはどなた」と尋ねると、笑い声になって、「すばらしいことを申し上げましょう。これこれで、昨日、陣の座に着いていらっしゃったところに尋ねて行って、教えていただいたのが身についたようです。誰かと、憎からぬ様子でお尋ねになったので」と言うのも、わざわざそうして習われたのだろうと思うとおもしろいので、この詩句を聞きさえすれば、私が出て行って話などをするのを、「宰相中将のおかげをこうむることだ。あちらの方に向いて拝まなければ」などと言う。私が局に下がっていながら、「上に参上しています」などと取り次がせるときにも、「この句を吟じると、本当はいるのだ」などと言う。中宮様にこんなことがありましたと申し上げると、お笑いになる。
意訳
斉信が宰相になって近くにいなくなり、作者は物足りなさを感じていた。そこへ源宣方が、斉信に負けじと張り合う。作者が斉信の「三十の期」の朗詠をほめると、宣方は悔しがり、わざわざ斉信本人に習いに行って、作者の局でそっくりにまねてみせた。作者はそのいじらしさがおかしく、宣方がこの句を口ずさむと出て行って相手をした。宣方は「斉信のおかげだ、あちらを拝もう」とおどける。男たちの張り合いを、作者は温かく、少しからかい気味に見ている。
語釈・文法注
- 源中將
- 源宣方。斉信の親友で、ともに右近中将を務めた。
文法
- 「いまだ三十のごにおよばず」
- 源英明の詩句「我年未及三十期、何事潘郎鬢早霜」(『和漢朗詠集』)による。三十歳にもならないのに鬢が白くなった、と嘆く詩。
- 「ゆゑだちありく」
- 由ありげに、気取って歩き回る。
- 「德見る」
- 恩恵をこうむる。おかげを受ける。
解説
前段に続いて斉信と宣方が登場し、二人の男性と作者との打ち解けた関係が描かれる。宣方がわざわざ斉信に朗詠を習いに行くところに、作者の評価がいかに重んじられていたかがうかがえる。
作者の局に入るための合言葉のように詩句が使われるのは、教養と遊び心が結びついた宮廷の交際の一面を示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、297頁(コマ151)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日