枕草子 第162段 日記的章段
この三月三十日
三月末の明け方、斉信が「露は別れの涙なるべし」と朗詠すると、作者は「急いだ七夕だこと」とからかう。斉信はそれを七夕に言い返そうと心に留め、七月七日に参上して見事に応じた。碁にたとえた戯れや、斉信の宰相昇進を惜しむ作者の言葉も記す。
- 1このこのこの三月三月さんがつ三十日三十日みそかほそどのゝほそどのゝほそどのの一一いちののの口口くちににに、、、殿上人殿上人てんじょうびとあまたあまたあまた立立たてててりりりしししををを、、、やうやうやうやうようようすべりすべりすべりうせうせうせなどなどなどしししてててたゞたゞただ、、、、、、六位六位ろくいひとりひとりひとりのこりのこりのこりててて、、、よろづよろづよろずのののことことこといひいひいい、、、經經きょうよみよみよみ歌歌うたうたひうたひうたいなどなどなどするするするににに明明あけけけはてはてはてぬぬぬなりなりなり。。。「「「歸歸かえりりりなななむむん」」」とてとてとて「「「露露つゆははは別別わかれれれののの涙涙なみだなるなるなるべしべしべし」」」ととといふいふいうことことことををを、、、頭中將頭中將とうのちゅうじょううちうちうち出出いだししし給給たまへへえれれればばば、、、源中將源中將げんちゅうじょうもろとももろとももろともにににいといといとをかしうをかしうおかしゅうずんじずんじずんじたるたるたるににに「「「いそぎいそぎいそぎたるたるたる七夕七夕たなばたかなかなかな」」」ととといふいふいうををを、、、いみじういみじういみじゅうねたがりねたがりねたがりててて「「「曉曉あかつきののの別別わかれれれのののすぢすぢすじのののふとふとふと覺覺おぼえええつるつるつるまゝまゝままにににいひいひいいててて、、、わびしうわびしうわびしゅうもももあるあるあるわざわざわざかなかなかなとととすべてすべてすべてこのこのこのわたりわたりわたりにてにてにてはははかゝるかゝるかかる事事こと思思おもひひいまはさまはさまわさずずずいふいふいうははは、、、口口くちをしきをしきおしきぞぞぞかしかしかし」」」などなどなどいひいひいいてててあまりあまりあまりあかくあかくあかくなりなりなりにににしかしかしかばばば、、、「「「葛城葛城かずらきののの神神かみ今今いまぞぞぞすぢすぢすじなきなきなき」」」とてとてとてわけわけわけててておはしおはしおわしにににしししををを、、、七夕七夕たなばたのののをりをりおりこのこのこの事事ことををを言言いひひい出出いでででばやばやばやととと思思おもひひいしかしかしかどどど、、、宰相宰相さいしょうににになりなりなり給給たまひひいにににしかしかしかばばば、、、必必かならずしもしもしもいかでいかでいかでかかかはははそのそのその程程ほどににに見見みつけつけつけなどなどなどもももせせせむむん。。。文文ふみかきかきかきてててとのもづかさとのもづかさとのもずかさしししてててやらやらやらむむんなどなどなど思思おもひひいししし程程ほどににに、、、七日七日なぬかににに參參まいりりり給給たまへへえりりりしかしかしかばばば、、、うれしくうれしくうれしくててて、、、そのそのその夜夜よののの事事ことなどなどなどいひいひいい出出いでででばばば心心こころもももぞぞぞえええたまふたまふたまう、、、すゞろすゞろすずろにににふとふとふといひいひいいたらたらたらばばば怪怪あやしししなどなどなどやややうちうちうちかたぶきかたぶきかたぶき給給たまははわむむん、、、さらさらさらばばばそれそれそれにににはははありありありししし事事こといはいはいわむむんとてとてとてあるあるあるににに、、、つゆつゆつゆおぼめかおぼめかおぼめかでででいらへいらへいらえ給給たまへへえりりりしかしかしかばばば、、、まことにまことにまことにいみじういみじういみじゅうをかしかりをかしかりおかしかりききき。。。日日ひごろごろごろいつしかいつしかいつしかととと思思おもひひい侍侍はべりりりしししだにだにだに我我わががが心心こころながらながらながらすきずきしすきずきしすきずきしととと覺覺おぼえええしししににに、、、いかでいかでいかでさささはたはたはた思思おもひひいまうけまうけもうけたるたるたるやうやうようにににのたまひのたまひのたまいけむけむけん。。。
- 2もろとももろとももろともにににねたがりねたがりねたがりいひいひいいししし中將中將ちゅうじょうははは思思おもひひいもももよらよらよらででで居居いたるたるたるににに「「「ありありありししし曉曉あかつきののの詞詞ことばいましめいましめいましめらるゝらるゝらるるははは知知しらららぬぬぬかかか」」」とととののの給給たまふふうにににぞぞぞ「「「げにげにげにさしさしさしつつつ」」」などなどなどいひいひいい、、、男男おとこはははちやうけんちやうけんちょうけんなどなどなどいふいふいうことことことををを人人ひとにににははは知知しらせせせずずず、、、このこのこの君君きみととと心心こころえええててていふいふいうををを「「「何事何事なにごとぞぞぞ何事何事なにごとぞぞぞ」」」ととと源中將源中將げんちゅうじょうはははそひそひそいつきつきつきててて問問とへへへどどどいはいはいわねねねばばば、、、かのかのかの君君きみににに「「「猶猶なおこれこれこれのたまへのたまへのたまえ」」」ととと怨怨うらみみみられられられててて、、、よきよきよき中中なかなれなれなればばば聞聞きかせせせてててけりけりけり。。。いといといとあへなくあへなくあえなく言言いふふう程程ほどもももなくなくなく近近ちこうううなりなりなりぬるぬるぬるをををばばば、、、おしおしおし小路小路こうじのののほどほどほどぞぞぞなどなどなどいふいふいうにににわれわれわれももも知知しりりりにににけるけるけるととといつしかいつしかいつしかしらしらしられれれむむんとてとてとて、、、わざとわざとわざと呼呼よびびび出出いでゝでゝでて、、、「「「棊盤棊盤ごばん侍侍はべりりりややや。。。まろまろまろもももうたうたうたむむんととと思思おもふふうはははいかゞいかゞいかが。。。手手てはははゆるしゆるしゆるし給給たまははわむむんややや。。。頭中將頭中將とうのちゅうじょうとととひとしひとしひとし棊棊ごなりなりなり。。。なななおぼしおぼしおぼしわきわきわきそそそ」」」ととといふいふいうににに、、、「「「さささのみのみのみあらあらあらばばば定定さだめめめなくなくなくややや」」」ととといらへいらへいらえしししををを、、、かのかのかの君君きみににに語語かたりりり聞聞きこえええけれけれければばば「「「嬉嬉うれしくしくしく言言いひひいたるたるたる」」」とととよろこびよろこびよろこび給給たまひひいししし。。。猶猶なお過過すぎぎぎたるたるたる事事こと忘忘わすれれれぬぬぬ人人ひとはははいといといとをかしをかしおかし。。。宰相宰相さいしょうににになりなりなり給給たまひひいしししををを、、、うへうへうえのののおまへおまへおまえにてにてにて、、、「「「詩詩しをををいといといとをかしうをかしうおかしゅうずんじずんじずんじ侍侍はべりりりしししものものものををを、、、蕭會稽蕭會稽しょうかいけいののの古廟古廟こびょうをををももも過過すぎぎぎにににしししなどなどなどももも誰誰たれかかか言言いひひいはべらはべらはべらむむんとととするするする。。。暫暫しばしししならならならでででもももさふらへさふらへさうらえかしかしかし。。。口惜口惜くちおしきしきしきににに」」」などなどなど申申もうしゝしゝししかかかばばば、、、いみじういみじういみじゅうわらはわらはわらわせせせ給給たまひひいててて「「「さささなむなむなんいふいふいうとてとてとて、、、なさなさなさじじじかしかしかし」」」などなどなど仰仰おおせせせられられられしししもももをかしをかしおかし。。。
現代語訳
この三月の末日、細殿の一の口に殿上人が大勢立っていたのを、だんだんとこっそり立ち去ったりして、ただ頭中将、源中将、六位の蔵人一人が残って、いろいろなことを話し、経を読んだり歌を歌ったりしているうちに、夜がすっかり明けてしまった。「帰ろう」と言って、「露は別れの涙なるべし」という句を頭中将が口ずさまれたので、源中将も一緒にたいそうおもしろく吟じたところへ、私が「ずいぶん急いだ七夕ですこと」と言うと、頭中将はたいそう悔しがって、「暁の別れの筋の句がふと思い浮かんだので口にして、つらい目にあったものだ。すべてこのあたりでは、こういうことをよく考えずに言うのは残念なことだよ」などと言って、あまりに明るくなってしまったので、「葛城の神も、今はどうしようもない」と言って、人々の間を分けてお帰りになったのを、七夕の折にこのことを言い出したいと思っていたけれど、宰相になってしまわれたので、必ずしもその時にお会いすることなどできようか。手紙を書いて主殿司に持たせてやろうかなどと思っていたところ、七日に参上なさったので、うれしくて、あの夜のことなどを言い出したら、心得てくださるだろう、ただ何となくふと言ったら、妙だと首をかしげなさるだろうか、そうしたら、あった事を話そうと思っていると、少しもとまどわずにお答えになったので、本当にたいそうおもしろかった。この何か月も、早くその日が来ないかと思っていた私でさえ、我ながら物好きだと思われたのに、どうしてあの方は、まるで前もって準備していたようにおっしゃったのだろう。
一緒に悔しがって言っていた源中将は思いもよらずにいたので、頭中将が「あの暁の言葉をとがめられたのを知らないのか」とおっしゃったので、「なるほど、そうでしたね」などと言い、男たちは「ちやうけん」などということを人には知らせず、この君と心得て言うのを、源中将が「何のことです、何のことです」とまとわりついて尋ねるけれど、言わないので、源中将は頭中将に「やはりこれを教えてください」と恨み言を言って、仲がよいので聞かせてしまった。たいそうあっけなく、言うほどのこともなく近しい仲になってしまったのを、「押小路のあたりぞ」などと言うので、源中将は自分も知っているのだと早く知られようとして、わざわざ私を呼び出して、「碁盤はありますか。私も打とうと思うのですが、いかがでしょう。手を許してくださいますか。頭中将と同じ碁の腕前です。分け隔てなさいますな」と言うので、「そうばかりおっしゃるなら、定めがなくなりますね」と答えたのを、頭中将にお話し申し上げたところ、「うれしいことを言ってくれた」と喜ばれた。やはり過ぎたことを忘れない人は、たいそうすばらしい。頭中将が宰相になられたのを、私が帝の御前で、「詩をたいそうおもしろく吟じましたのに、『蕭会稽の古廟を過ぎにし』なども、これから誰が吟じましょう。しばらくでも、宰相にならずにお仕えしていればよいのに。残念ですわ」などと申し上げたところ、帝はたいそうお笑いになって、「そう言うからといって、宰相にしないわけにはいかないよ」などとおっしゃったのもおもしろい。
意訳
斉信との機知の応酬を描いた段である。三月の末、夜明けに帰る斉信が「露は別れの涙なるべし」(七夕の別れを詠んだ詩句)を朗詠したので、作者は「まだ三月なのに急いだ七夕ですね」とからかった。斉信は悔しがり、作者はこれを七夕の日に持ち出そうと心待ちにしていた。すると七月七日、斉信は何も言わないうちにその件で応じてきた。互いに忘れずにいた二人の知的な遊びに、周りの源中将はついていけず、仲間に入りたがる。宰相に昇進する斉信を惜しんで帝に冗談を言う作者の姿からも、二人の親しさがうかがえる。
語釈・文法注
- 頭中將
- 藤原斉信。当時は蔵人頭で中将を兼ねていた。この後、参議(宰相)に昇進した。
- 源中將
- 源宣方。右近中将。
文法
- 「露は別れの涙なるべし」
- 菅原道真の詩「露応別涙珠空落、雲是残粧鬟未成」(『和漢朗詠集』七夕)の一句。七夕の朝の別れを詠んだもの。
- 「葛城の神」
- 役行者に命じられた葛城の一言主神が、容貌の醜さを恥じて夜しか働かなかったという伝説から、夜明けに恥じて退散するたとえ。
- 「蕭會稽の古廟をも過ぎにし」
- 『和漢朗詠集』の大江朝綱の詩句「蕭会稽之過古廟、託締異代之交」による。斉信が得意とした朗詠。
- 「ひとし棊なり」
- 同じ碁の腕前である。親しさの程度が頭中将と同じだ、の意をこめる。
解説
三月末の戯れを七夕まで覚えていて応じた斉信の機転に、作者は深く感じ入っている。前段と同じく、過去の会話を覚えていて機知で応じることが、宮廷の教養人の条件とされていたことがわかる。
碁を「親しさの程度」にたとえる言葉遊びは、当時の男女の会話の一つの型であった。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、295–297頁(コマ150–151)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
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