古典ライブラリー

枕草子 第160段 日記的章段

故殿の御服の頃

故関白道隆の喪中、六月三十日の大祓のため、中宮定子が太政官の朝所に移られた。狭く古い建物で、女房たちは庭に下りたり時司の鐘楼に上ったりして遊び、ムカデや蜂の巣に悩まされる。殿上人の詠じた詩句なども書きとめる。

  1. 1故こ故ここ殿との殿とのとのののの御おほん御おほんおん服ぶく服ぶくぶくののの頃ころ頃ころころ六月ろくぐわつ六月ろくぐわつろくがつ三十日みそか三十日みそかみそかののの御おほん御おほんおんはらへはらへわらえととといふいふいう事こと事ことことににに出い出いいでででさせさせさせ給たま給たまたまふふうべきべきべきををを、、、しきしきしきののの御み御みみざうしざうしぞうしははは方かた方かたかたあしあしあしとてとてとて官くわん官くわんかんのののつかさつかさつかさのののあいたんあいたんあいたんににに渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまへへえりりり。。。そのそのその夜よ夜よよはははさばかりさばかりさばかり暑あつ暑あつあつくくく、、、わりなきわりなきわりなき闇やみ闇やみやみにてにてにて何事なにごと何事なにごとなにごともももせばうせばうせぼうかはらかはらかわらぶきぶきぶきにてにてにてさまさまさまことことことなりなりなり。。。例れい例れいれいのののやうやうようににに格子かうし格子かうしこうしなどなどなどもももなくなくなく、、、唯ただ唯ただただめぐりめぐりめぐりてててみすみすみすばかりばかりばかりをををぞぞぞかけかけかけたるたるたる、、、なかなかなかなかなかなか珍めづら珍めづらめずらしうしうしゅうをかしをかしおかし。。。女房にようばう女房にようばうにょうぼう庭には庭にはにわにににおりおりおりなどなどなどしししててて遊あそ遊あそあそぶぶぶ。。。ぜんざいぜんざいぜんざいにににはははととといふいふいう草くさ草くさくさををを、、、ませませませゆひゆひゆいててていといといと多おほ多おほおおくくく植う植ううゑゑえたりたりたりけるけるける。。。花はな花はなはなきはやかきはやかきわやかににに重かさな重かさなかさなりりりててて咲さ咲ささきききたるたるたる、、、うべうべしきうべうべしきうびょうべしき所ところ所ところところののの前栽せんざい前栽せんざいせんざいにににはははよしよしよし。。。時とき時ときときづかさづかさずかさなどなどなどははは唯ただ唯ただただかたはらかたはらかたわらにてにてにて鐘かね鐘かねかねののの音おと音おとおとももも例れい例れいれいにににははは似に似ににずずず聞きこ聞きこきこゆるゆるゆるををを、、、ゆかしがりゆかしがりゆかしがりててて若わか若わかわかききき人々ひとびと人々ひとびとひとびと二十餘人にじふよにん二十餘人にじふよにんにじゅうよにんばかりばかりばかりそなたそなたそなたににに行ゆ行ゆゆきききてててはしりはしりはしり寄よ寄よよりりり、、、たかきたかきたかきやややにににのぼりのぼりのぼりたるたるたるをををこれこれこれよりよりより見み見みみあぐれあぐれあぐればばば、、、薄うす薄うすうすにびにびにびのののももも、、、唐から唐からからぎぬぎぬぎぬ、、、同おな同おなおなじじじ色いろ色いろいろのののひとへひとへひとえがさねがさねがさね、、、紅くれなゐ紅くれなゐくれないののの袴はかま袴はかまはかまどもどもどもをををきききてててのぼりのぼりのぼり立た立たたちちちたるたるたるははは、、、いといといと天人てんにん天人てんにんてんにんなどなどなどこそこそこそえええいふいふいうまじけれまじけれまじけれどどど、、、空そら空そらそらよりよりよりおりおりおりたるたるたるにににやややとととぞぞぞ見み見みみゆるゆるゆる。。。おなじおなじおなじ若わか若わかわかさささなれなれなれどどどおしおしおしあげあげあげられられられたるたるたる人ひと人ひとひとはははえええまじらまじらまじらででで、、、うらやましげうらやましげうらやましげににに見み見みみあげあげあげたるたるたるもももをかしをかしおかし。。。
  2. 2日ひ日ひひ暮く暮くくれれれてててくらくらくらまぎれまぎれまぎれにににぞぞぞ過すぐ過すぐすぐしししたるたるたる人々ひとびと人々ひとびとひとびと皆みな皆みなみな立た立たたちちちまじりまじりまじりててて、、、右近うこん右近うこんうこんののの陣ぢん陣ぢんじんへへへ物見ものみ物見ものみものみににに出い出いいででできききてててたはぶれたはぶれたわぶれ騷さわ騷さわさわぎぎぎ笑わら笑わらわらふふうもももあああめりめりめりしししををを「「「かうかうこうはははせせせぬぬぬ事こと事ことことなりなりなり。。。上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめのののつきつきつき給たま給たまたまひひいしししなどなどなどににに女房にようばう女房にようばうにょうぼうどもどもどものぼりのぼりのぼり上官じやうくわん上官じやうくわんじょうかんなどなどなどのののゐるゐるいる障子さうじ障子さうじそうじををを皆みな皆みなみな打う打ううちちちとほしとほしとおしそこなひそこなひそこないたりたりたり」」」などなどなど苦くる苦くるくるしししがるがるがるものものものもももあれあれあれどどどきゝきゝききももも入い入いいれれれずずず。。。屋や屋ややのののいといといとふるくふるくふるくててて瓦葺かはらぶき瓦葺かはらぶきかわらぶきなれなれなればばばにににやややあらあらあらむむん、、、暑あつ暑あつあつさささののの世よ世よよににに知し知ししらららねねねばばば、、、みすみすみすのののとととににによるよるよるもももふしふしふしたるたるたるももも、、、ふるきふるきふるき所ところ所ところところなれなれなればばばむかでむかでむかでととといふいふいうものものもの日ひ日ひひひとひといと日ひ日ひひおちおちおちかゝりかゝりかかり、、、蜂はち蜂はちはちののの巢す巢すすのののおほきおほきおおきにてにてにてつきつきつき集あつま集あつまあつまりりりたるたるたるなどなどなどいといといとおそろしきおそろしきおそろしき。。。殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびと日ひ日ひひごとごとごとににに參まゐ參まゐまいりりり夜よ夜よよもももゐゐい明あか明あかあかししし、、、物もの物ものもの言い言いいふふうををを聞き聞きききききててて「「「秋あき秋あきあきばかりばかりばかりにににややや太政官だじやうくわん太政官だじやうくわんだじょうかんののの地ち地ちちのののいまいまいまやかうやかうやこうのののにはにはにはとととならならならむむん事こと事ことことををを」」」とととずしずしずし出い出いいでででたりたりたりししし人ひと人ひとひとこそこそこそをかしかりをかしかりおかしかりしかしかしか。。。秋あき秋あきあきににになりなりなりたれたれたれどどどかたへかたへかたえ凉すず凉すずすずしからしからしからぬぬぬ風かぜ風かぜかぜののの所ところ所ところところからからからなめりなめりなめり。。。さすがさすがさすがににに蟲むし蟲むしむしののの聲こゑ聲こゑこえなどなどなどははは聞きこ聞きこきこえええたりたりたり。。。八日やうか八日やうかようかぞぞぞかへらかへらかえらせせせたまへたまへたまえばばば、、、七夕祭たなばたまつり七夕祭たなばたまつりたなばたまつりなどなどなどにてにてにて例れい例れいれいよりよりより近ちか近ちかちこううう見み見みみゆるゆるゆるははは、、、ほどほどほどのののせばけれせばけれせばければばばなめりなめりなめり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

故関白殿の喪に服していたころ、六月三十日の大祓ということのために中宮様がお出ましになるはずだったが、職の御曹司は方角が悪いというので、太政官の朝所にお移りになった。その夜はたいそう暑く、ひどい闇夜で、何もかも狭苦しく、瓦葺きで、様子が変わっている。いつものように格子などもなく、ただ周りに御簾だけを掛けてあるのが、かえって珍しくおもしろい。女房たちは庭に下りたりして遊ぶ。前栽には萱草という草を、籬を結って、たいそうたくさん植えてあった。花がくっきりと重なり合って咲いているのは、こうした格式ばった役所の前栽にはふさわしい。時司などはすぐそばにあって、鐘の音もいつもとは違って聞こえるのを、聞きたがって、若い女房たちが二十人余りほど、そちらへ行って走り寄り、高い鐘楼に上ったのを、こちらから見上げると、薄鈍色の裳、唐衣、同じ色の単襲、紅の袴などを着て上って立っているのは、天人などとまではとても言えないけれど、空から降りて来たのかと見える。同じ若さでも、押し上げてもらえなかった人は仲間に入れずに、うらやましそうに見上げているのもおもしろい。

日が暮れて暗くなったのにまぎれて過ごしていた人々がみな連れ立って、右近の陣へ見物に出て行って、ふざけ騒いで笑う者もいたようなのを、「こういうことはしてはいけないことだ。上達部がお着きになる席などに女房たちが上り、上官などの座る障子をみな破り損じている」などと困る者もいるけれど、聞き入れもしない。建物がたいそう古くて瓦葺きだからだろうか、暑さが並ではないので、御簾の外に寄って寝ていても、古い所なので、ムカデというものが一日じゅう落ちてきたり、蜂の巣の大きなものが付いて集まっていたりするのが、たいそう恐ろしい。殿上人が毎日参上して、夜も座り明かして話をしているのを聞いて、「秋ばかりにや太政官の地の、今夜行の庭とならむことを」と吟じ出した人は、おもしろかった。秋になったけれど、一方では涼しくない風なのは、場所柄なのだろう。それでも虫の声などは聞こえていた。八日にお帰りになったので、七夕の祭なども、いつもより星が近く見えるのは、場所が狭いからだろう。

意訳

道隆の喪中に、中宮が一時的に太政官の朝所に移ったときの記録である。中関白家にとっては暗い時期のはずだが、作者が描くのは、珍しい仮住まいを楽しむ若い女房たちの姿である。鐘楼によじ登る女房たちは天人のように見え、置いていかれた者はうらやましげに見上げる。役人の席を荒らして叱られても聞き入れない。古い建物のムカデや蜂には閉口しながらも、どこか明るさが漂う。悲しみの中にあっても、中宮のまわりには生き生きとした日々があったことを、作者は伝えようとしている。

語釈・文法注

あいたん所
朝所(あいたんどころ)。太政官の中にある建物で、公卿たちが会食などをする所。
くわんざう
萱草(かんぞう)。夏に橙色のユリに似た花を咲かせる。忘れ草とも呼ばれ、喪中の住まいにふさわしい花ともされた。

文法

「御服」
喪服。ここでは道隆の喪に服している期間。
「御はらへ」
六月と十二月の晦日に行う大祓。
「時づかさ」
時司。陰陽寮で時刻を計り、鐘や鼓で時を知らせる役所。
「太政官の地のいまやかうのにはとならむ事を」
「今夜行の庭」で、太政官の庭が、夜な夜な女房たちの遊び場になってしまったことを、詩句めかして戯れたもの。

解説

道隆の死後、中関白家が苦境にあった時期の出来事でありながら、作者は若い女房たちのはしゃぐ姿を明るく描いている。苦しい時期を暗く描かないのは、『枕草子』全体に通じる作者の姿勢である。

鐘楼に上った女房たちを「空よりおりたるにやとぞ見ゆる」と描くなど、色彩豊かな装束の描写が美しい。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、294–295頁(コマ150)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日