枕草子 第141段 日記的章段
故殿などおはしまさで
道隆の死後、中宮定子が小二条殿に移り、作者は道長方に通じていると同僚に疑われて里に下がったままでいた。中宮から山吹の花びらに「いはで思ふぞ」と書いた手紙が届き、作者は感激して参上する。古歌の上の句を思い出せず童に教えられた話から、中宮がなぞなぞ合わせの失敗談を語る。
- 1故故こなどなどなどおはしまさおはしまさおわしまさででで、、、世世よののの中中なかににに事事こと出出いでででききき、、、物物ものさわがしくさわがしくさわがしくなりなりなりててて宮宮みや又又またうちうちうちにににもももいらいらいらせせせ給給たまははわずずず、、、小二條小二條こにじょうととといふいふいう所所ところにににおはしますおはしますおわしますににに、、、何何なにととともももなくなくなくうたてうたてうたてありありありしかしかしかばばば、、、久久ひさしうしうしゅう里里さとににに居居いたりたりたり。。。御御おまへまへまえ渡渡わたりりりおぼつかなさおぼつかなさおぼつかなさにににぞぞぞ猶猶なおえええかくかくかくてててはははあるあるあるまじかりまじかりまじかりけるけるける。。。おはしおはしおわしててて物語物語ものがたりししし給給たまふふう。。。「「「今日今日きょうははは宮宮みやににに參參まいりりりたれたれたればばばいみじくいみじくいみじく物物ものこそこそこそ哀哀あわれなりなりなりつれつれつれ。。。女女にょうばうばうぼうのののさうぞくさうぞくそうぞく、、、裳裳も唐唐からぎぬぎぬぎぬなどなどなどののの折折おりにににあひあひあい、、、たゆまたゆまたゆまずずずをかしうをかしうおかしゅうてててももも侍侍さぶらふふうかなかなかな。。。みすみすみすのののそばそばそばのののあきあきあきたるたるたるよりよりより見見み入入いれれれつれつれつればばば、、、八九人八九人はちくにんばかりばかりばかり居居いててて黃朽葉黃朽葉きくちばののの唐唐からぎぬぎぬぎぬ、、、薄色薄色うすいろののの裳裳も、、、紫紫しをんをんおん、、、萩萩はぎなどなどなどをかしうをかしうおかしゅう居居いなみなみなみたるたるたるかなかなかな。。。御御お前前まえののの草草くさのののいといといと高高たかきききををを、、、などなどなどかかか此此これははは茂茂しげりりりててて侍侍はべるるる、、、はらははらははらわせせせてててこそこそこそととといひいひいいつれつれつればばば、、、露露つゆおかおかおかせせせててて御覽御覽ごらんぜぜぜむむんとてとてとて殊更殊更ことさらにににととと宰相宰相さいしょうのののののの聲聲こえにてにてにていらへいらへいらえつるつるつるなりなりなり。。。をかしくをかしくおかしくもももおぼえおぼえおぼえつるつるつるかなかなかな。。。御御お里居里居さといいといといと心心こころ憂憂うししし。。。かゝるかゝるかかる所所ところにににすまひすまひすまいせせせさせさせさせ給給たまははわむむん程程ほどはははいみじきいみじきいみじき事事ことありありありともともとも必必かならず侍侍さぶらふふうべきべきべきものものものににに思思おぼしめさしめさしめされれれたるたるたるかひかひかいもももなくなくなくなどなどなどあまたあまたあまた言言いひひいつるつるつる、、、語語かたりりり聞聞きかかかせせせ奉奉たてまつれれれとととなめりなめりなめりかしかしかし。。。參參まいりりりててて見見み給給たまへへえ。。。哀哀あわれれれげげげなるなるなる所所ところのののさまさまさまかなかなかな。。。ろだいろだいろだいののの前前まえににに植植うゑゑえられられられたりたりたりけるけるけるぼうたんぼうたんぼうたんののの唐唐からめきめきめきをかしきをかしきおかしき」」」事事ことなどなどなどののの給給たまふふう。。。「「「いざいざいざ人人ひとのののにくしにくしにくしととと思思おもひひいたりたりたりしかしかしかばばば、、、又又またにくゝにくゝにくく侍侍はべりりりしかしかしかばばば」」」ととといらへいらへいらえ聞聞きこゆゆゆ。。。「「「おいらかおいらかおいらかにににももも」」」とてとてとて笑笑わらひひい給給たまふふう。。。
- 2げにげにげにいかならいかならいかならむむんととと思思おもひひい參參まいらするらするらする御御み氣色氣色けしきにににはははあらあらあらででで侍侍さぶらふふう人人ひとたちたちたちののの「「「左左ひだりののののののかたかたかたののの人人ひとしるしるしるすぢすぢすじにてにてにてありありあり」」」などなどなどさゝめきさゝめきささめきさしさしさしつどひつどひつどいててて物物ものなどなどなどいふいふいうににに、、、しもしもしもよりよりより參參まいるるるををを見見みてててははは言言いひひい止止やみみみ、、、はなちはなちはなち立立たてててたるたるたるさまさまさまににに見見みならはならはならわずずずにくけれにくけれにくければばば、、、參參まいれれれなどなどなどあるあるあるたびたびたびののの仰仰おおせせせをををももも過過すぐしししててて、、、げにげにげに久久ひさしうしうしゅうなりなりなりにににけるけるけるををを、、、宮宮みやのののへんへんへんにににはははたゞたゞただあなたあなたあなたがたがたがたににになしなしなしててて空言空言そらごとなどなどなどももも出出いででで來來くべしべしべし。。。例例れいならならならずずず仰仰おおせせせ事事ごとなどなどなどもももなくなくなくててて日日ひごろごろごろににになれなれなればばば、、、心心こころ細細ぼそくくくてててうちうちうちながむるながむるながむる程程ほどににに、、、文文ふみをををもてもてもて來來きたりたりたり、、、「「「おまへおまへおまえよりよりより左京左京さきょうののの君君きみしししててて、、、忍忍しのびびびててて賜賜たまははわせせせたりたりたりつるつるつる」」」ととといひいひいいてててこゝこゝここにてにてにてさへさへさへひきひきひき忍忍しのぶぶぶもももあまりあまりあまりなりなりなり。。。人人ひとづてづてずてののの仰仰おおせせせ事事ごとにてにてにてあらあらあらぬぬぬなめりなめりなめりととと胸胸むねつぶれつぶれつぶれてててあけあけあけたれたれたればばば、、、かみかみかみにににははは物物ものもももかゝかゝかかせせせ給給たまははわずずず、、、山吹山吹やまぶきののの花花はなびらびらびらををを唯唯ただ一一ひとつつつ包包つつままませせせ給給たまへへえりりり。。。それそれそれににに「「「いはでいはでいわで思思おもふふうぞぞぞ」」」ととと書書かかかかせせせ給給たまへへえるるるををを見見みるるるもももいみじういみじういみじゅう日日ひごろごろごろのののたえまたえまたえま、、、思思おもひひい歎歎なげかかかれれれつるつるつる心心こころももも慰慰なぐさみみみててて嬉嬉うれしきしきしきににに、、、まづまづまず知知しるるるさまさまさまををををさめをさめおさめもももうちうちうち守守まもりりりててて、、、「「「御御お前前まえにににはははいかにいかにいかに物物ものののの折折おりごとごとごとにににおぼしおぼしおぼし出出いででで聞聞きこえええさせさせさせ給給たまふふうなるなるなるものものものををを」」」とてとてとて「「「誰誰たれもももあやしきあやしきあやしき御御おんながゐながゐながいとととのみのみのみこそこそこそ侍侍はべるるるめれめれめれ。。。などなどなどかかか參參まいらららせせせ給給たまははわぬぬぬ」」」などなどなどいひいひいいててて、、、「「「こゝこゝここなるなるなる所所ところにににあからさまあからさまあからさまにににまかりまかりまかりててて參參まいらららむむん」」」ととといひいひいいててていぬるいぬるいぬる後後のちににに、、、御御おん返返かえりりり事事ごと書書かきききててて參參まいらららせせせむむんとととするするするにににこのこのこの歌歌うたのののもともともと更更さらににに忘忘わすれれれたりたりたり。。。
- 3「「「いといといとあやしあやしあやし。。。同同おなじじじふるふるふる事事ごとととといひいひいいながらながらながら知知しらららぬぬぬ人人ひとやややはははあるあるある。。。こゝもとこゝもとここもとににに覺覺おぼえええながらながらながら言言いひひい出出いでででられられられぬぬぬはははいかにいかにいかにぞぞぞややや」」」などなどなどいふいふいうををを聞聞ききききててて、、、ちひさきちひさきちいさき童童わらわののの前前まえににに居居いたるたるたるががが「「「下下したゆくゆくゆく水水みずのののとととこそこそこそ申申もうせせせ」」」ととといひいひいいたるたるたる。。。などなどなどてててかくかくかく忘忘わすれれれつるつるつるならならならむむん。。。これこれこれににに敎敎おしへへへらるゝらるゝらるるもももをかしをかしおかし。。。御御おんかへりかへりかえり參參まいらららせせせててて少少すこしししほどほどほど經經へててて參參まいりりりたりたりたり。。。いかゞいかゞいかがととと例例れいよりよりよりはははつゝましうつゝましうつつましゅうててて御御み几帳几帳きちょうにににはたはたはたかくれかくれかくれたるたるたるををを「「「あれあれあれははは今參今參いままいりりりかかか」」」などなどなど笑笑わらははわせせせ給給たまひひいててて、、、「「「にくきにくきにくき歌歌うたなれなれなれどどど、、、このこのこのをりをりおりはははさささももも言言いひひいつつつべかりべかりべかりけりけりけりとととなむなむなん思思おもふふうををを、、、見見みつけつけつけででではははしばししばししばしえええこそこそこそ慰慰なぐさむむむまじけれまじけれまじけれ」」」などなどなどのたまはせのたまはせのたまわせててて、、、かはりかはりかわりたるたるたる御御み氣色氣色けしきもももなしなしなし。。。
- 4童童わらわににに敎敎おしへへへられられられしししことばことばことばなどなどなどけいすれけいすれけいすればばば、、、いみじくいみじくいみじく笑笑わらははわせせせ給給たまひひいててて、、、「「「さるさるさる事事ことぞぞぞ。。。あまりあまりあまりあなづるあなづるあなずるふるふるふる事事ごとはははさささもももありありありぬぬぬべしべしべし」」」などなどなど仰仰おおせせせられられられててて、、、ついでついでついでににに「「「人人ひとのののなぞなぞなぞなぞなぞなぞあはせあはせあわせしししけるけるける所所ところににに、、、かたくなかたくなかたくなにににはははあらあらあらでででさやうさやうさようののの事事ことにににらうらうしかりらうらうしかりろうろうしかりけるけるけるががが、、、左左ひだりののの一番一番いちばんはははおのれおのれおのれいはいはいわむむん、、、さささ思思おもひひい給給たまへへえなどなどなど賴賴たのむるむるむるににに、、、さりともさりともさりともわろきわろきわろきことことことははは言言いひひい出出いでででじじじとととえりえりえり定定さだむるむるむるににに、、、そのそのそのことばことばことばををを聞聞きかかかむむん、、、いかにいかにいかになどなどなど問問とふふう。。。唯唯ただ任任まかせせせててて物物ものししし給給たまへへえ、、、さささ申申もうしししててていといといと口惜口惜くちおしうしうしゅうはははあらあらあらじじじととといふいふいうををを、、、げにげにげにととと推推おしししはかるはかるはかる。。。日日ひいといといと近近ちこうううなりなりなりぬれぬれぬればばばなほなほなおこのこのこの事事ことのたまへのたまへのたまえ、、、ひざうひざうひぞうにににをかしきをかしきおかしき事事こともももこそこそこそあれあれあれととといふいふいうををを、、、いさいさいさ知知しらららずずず、、、さらさらさらばばばなななたのまたのまたのまれれれそそそなどなどなどむつかれむつかれむつかればばば、、、覺覺おぼつかなしつかなしつかなしととと思思おもひひいながらながらながらそのそのその日日ひににになりなりなりててて、、、みなみなみな方人方人かとうどののの男男おとこ女女おんなゐゐいわけわけわけててて殿上人殿上人てんじょうびとなどなどなどよきよきよき人々人々ひとびと多多おおくくく居居いなみなみなみてててあはするあはするあわするににに、、、左左ひだりののの一番一番いちばんにににいみじういみじういみじゅう用意用意よういしししてててもてなしもてなしもてなしたるたるたる樣樣さまのののいかなるいかなるいかなる事事ことをををかかか言言いひひい出出いでででむむんととと見見みえええたれたれたればばば、、、あなたあなたあなたののの人人ひともももこなたこなたこなたののの人人ひとももも心心こころもとなくもとなくもとなくうちうちうちまもりまもりまもりててて、、、なぞなぞなぞなぞなぞなぞととといふいふいう程程ほどいといといと心心こころもとなしもとなしもとなし。。。天天てんにににはりはりはり弓弓ゆみととといひいひいい出出いでででたりたりたり。。。右右みぎのののかたかたかたののの人人ひとはははいといといと興興きょうありありありととと思思おもひひいたるたるたるににに、、、こなたこなたこなたののの方方かたののの人人ひとははは物物ものもももおぼえおぼえおぼえずずずあさましうあさましうあさましゅうなりなりなりててて、、、いといといとにくゝにくゝにくくあいぎやうあいぎやうあいぎょうなくなくなくててて、、、あなたあなたあなたににによりよりよりててて殊更殊更ことさらにににまけまけまけさせさせさせむむんとととしししけるけるけるをををなどなどなど、、、かたかたかた時時ときのののほどほどほどににに思思おもふふうににに、、、右右みぎののの人人ひとをこをこおこににに思思おもひひいてててうちうちうち笑笑わらひひいててて、、、やゝやゝやや更更さらににに知知しらららずずずとととくちくちくちひきひきひきたれたれたれてててさるがうさるがうさるごうしししかくるかくるかくるににに、、、數數かずさせさせさせ數數かずさせさせさせとてとてとてさゝせさゝせささせつつつ。。。いといといと怪怪あやしきしきしきことことこと、、、これこれこれ知知しらららぬぬぬものものもの誰誰たれかかかあらあらあらむむん、、、更更さらににに數數かずさすさすさすまじまじまじととと論論ろんずれずれずれどどど、、、知知しらららずずずととといひいひいい出出いでででむむんははは、、、などなどなどてててかかかまくるまくるまくるにににならならならざらざらざらむむんとてとてとて、、、つぎつぎつぎつぎつぎつぎのののもももこのこのこの人人ひとににに論論ろんじじじかたかたかたせせせけるけるける。。。いみじういみじういみじゅう人人ひとののの知知しりりりたるたるたる事事ことなれなれなれどどど覺覺おぼえええぬぬぬ事事ことはははさささこそこそこそはははあれあれあれ。。。何何なにしかしかしかはははえええ知知しらららずずずととといひいひいいしししととと後後のちににに恨恨うらみみみられられられててて罪罪つみさりさりさりけるけるける」」」事事ことををを語語かたりりり出出いでででさせさせさせ給給たまへへえばばば、、、おまへおまへおまえなるなるなる限限かぎりはははさささははは思思おもふふうべしべしべし。。。「「「口口くちをしくをしくおしく思思おもひひいけむけむけん。。。こなたこなたこなたののの人人ひとののの心心ここちちち聞聞きこしめししめししめしたりたりたりけむけむけん、、、いかにいかにいかににくかりにくかりにくかりけむけむけん」」」などなどなど笑笑わらふふう。。。これこれこれははは忘忘わすれれれたるたるたることことことかかかははは、、、皆皆みな人人ひと知知しりりりたるたるたることことことにににややや。。。
現代語訳
故関白殿がお亡くなりになって、世の中に事件が起こり、騒がしくなって、中宮様は宮中にもお入りにならず、小二条という所にいらっしゃったが、私は何となくいやなことがあったので、長い間里に下がっていた。中宮様の御前のことが気がかりで、やはりこのままではいられそうになかった。左中将がいらっしゃって、話をなさる。「今日は中宮様のところに参上したところ、たいそうしみじみとした気持ちになりました。女房たちの装束は、裳や唐衣なども季節にふさわしく、気をゆるめずに美しくお仕えしているのですね。御簾の脇のあいている所からのぞき込むと、八、九人ほどが、黄朽葉の唐衣、薄紫の裳、紫苑や萩の襲などを美しく着て並んでいましたよ。御前の草がたいそう高く茂っているので、『どうしてこれはこんなに茂っているのですか。刈り払わせたらよいのに』と言ったところ、『露を置かせてご覧になろうと、わざとそうしているのです』と、宰相の君の声で答えたのです。おもしろく思いましたよ。あなたが里にこもっていらっしゃるのはたいそう残念です。中宮様がこのような所にお住まいになっている間は、どんなことがあっても必ずお仕えするはずの者と思っていらっしゃったのに、そのかいもなく、などと女房たちがいろいろ言っていたのは、あなたに話して聞かせよということなのでしょう。参上してご覧なさい。しみじみとした住まいの様子ですよ。露台の前に植えられていた牡丹が、唐めいて趣深く」などとおっしゃる。「さあ、人々が私を憎らしいと思っていたので、私もまた憎らしく思われましたので」とお答えする。「おおらかにね」と言ってお笑いになる。
本当に、中宮様がどうお思いになっているかと思い申し上げるのではなく、お仕えしている女房たちが、「あの人は左大臣殿方の人と親しい間柄だ」などとひそひそ話し、寄り集まって話などしているところに、私が局から参上するのを見ると話をやめ、私をのけ者にしている様子が、これまでになかったことで憎らしいので、「参上せよ」などとたびたびある仰せも聞き流して、本当に長い間になってしまったのを、中宮様の周囲では、ただ私を道長方の人にして、作り事なども出てきたに違いない。いつになく仰せ言などもないまま何日もたったので、心細くてぼんやりともの思いにふけっていると、長女が手紙を持って来た。「中宮様から、左京の君を通して、こっそりくださったものです」と言って、ここでまで人目を忍ぶのも大げさだ。人づての仰せ言ではないようだと、胸がどきどきして開けると、紙には何もお書きにならず、山吹の花びらをただ一枚お包みになっていた。それに「言はで思ふぞ」とお書きになっているのを見るのも、たいそう、何日もの途絶えを嘆いていた心も慰められてうれしいので、まず私の様子を長女もじっと見守って、「中宮様は、どんなに折あるごとにあなたのことを思い出して口になさっていることでしょう」と言って、「誰もが、妙に長い里居だと思っているようでございます。どうして参上なさらないのですか」などと言って、「このあたりの所へちょっと行ってから、また参ります」と言って立ち去った後に、お返事を書いて差し上げようとすると、この歌の上の句をすっかり忘れてしまっている。
「たいそう妙だ。同じ古歌とはいっても、知らない人などいるだろうか。ここまで出かかっているのに、言い出せないのはどうしたことだろう」などと言うのを聞いて、前に座っていた小さな童が、「『下ゆく水の』と申します」と言った。どうしてこんなに忘れてしまったのだろう。こんな子に教えられるのもおかしい。お返事を差し上げて、少したってから参上した。どうお思いかと、いつもより気が引けて、御几帳に半ば隠れていると、「あれは新参者かしら」などとお笑いになって、「憎らしい歌だけれど、こういう折にはそう言うにふさわしいと思って書いたのだけれど、あなたの顔を見ないでは、しばらくは気持ちが晴れそうもなかったのよ」などとおっしゃって、お変わりになったご様子もない。
童に教えられたことなどを申し上げると、たいそうお笑いになって、「そういうことはあるものよ。あまりに軽く見ている古歌は、そんなこともあるでしょう」などとおっしゃって、ついでに、「ある人たちがなぞなぞ合わせをした所で、気がきかないわけではなく、そういうことに巧みな人が、『左方の一番は私が出しましょう。そのおつもりで』などと頼もしく言うので、まさか下手なことは言い出すまいと、皆で一番に決めたところ、『その問題を聞きたい。どんなものか』などと尋ねる。『ただお任せください。そう申し上げて、ひどく残念なことにはならないでしょう』と言うので、なるほどと推量していた。日がたいそう近くなったので、『やはりその問題をおっしゃってください。思いがけずおかしなことがあるかもしれないから』と言うと、『さあ、知りません。それなら頼りになさいますな』などと不機嫌になるので、気がかりに思いながら当日になって、敵味方の男女が分かれて座り、殿上人などの立派な人々も大勢居並んで勝負をするときに、左方の一番が、たいそう心づもりをして、もったいぶったふるまいで、どんな問題を出すのだろうと見えたので、相手方の人も味方の人も気がかりにじっと見守って、『なぞなぞ』と言うときは、たいそう気がかりだった。『天に張り弓』と言い出した。右方の人はたいそうおもしろいと思っているのに、味方の人は呆然として、たいそう憎らしく、愛想がなくて、相手方に寝返って、わざと負けさせようとしたのか、などと、一瞬のうちに思っていると、右方の人はばかにして笑って、『いやいや、まったくわかりません』と口をゆがめて、おどけてみせたので、左方は『点を数えさせよ、数えさせよ』と言って点を取らせてしまった。『たいそうおかしなことだ。これを知らない者などいるだろうか。決して点にはさせない』と言い争ったけれど、『知らないと言い出したら、どうして負けにならないことがあろう』と言って、次々の勝負も、この人に言い負かして勝たせたのだった。たいそう人の知っていることでも、思い出せないことはそういうものだ。『どうして知らないと言ったのか』と、後で恨まれて、罪を負ったという」話をお語り出しになると、御前にいる者はみな、そう思うはずである。「残念に思ったでしょう。味方の人の気持ちをお聞きになったら、どんなに憎らしかったでしょう」などと笑う。これは忘れたことだろうか、いや、誰もが知っていることだろうに。
意訳
中関白家の没落期を描いた重要な段である。道隆の死後、定子の周辺は暗い空気に包まれ、作者は同僚の女房たちから道長方に通じているのではないかと疑われて、里に引きこもっていた。そこへ中宮から、山吹の花びらに「言はで思ふぞ」とだけ書いた手紙が届く。「口には出さないが、あなたを思っている」という、言葉少なく深い思いやりに、作者の心は一気に晴れる。ところが返事を書こうとすると、その古歌の上の句が出てこず、そばにいた童に教えられる始末。参上した作者に、中宮は何事もなかったように接し、さらに有名な言葉を忘れた失敗談として、なぞなぞ合わせの話を聞かせて笑わせる。逆境の中でも変わらない中宮の明るさと、主従の深い絆が伝わってくる。
語釈・文法注
- 故殿
- 故関白藤原道隆。長徳元年(995)四月に亡くなった。その後、伊周・隆家の左遷事件が起こり、中関白家は没落した。
- 左中將
- 源経房。作者と親しく、里にいる作者のもとを訪ねて中宮方の様子を伝えた。
- 宰相の君
- 中宮定子に仕えた上臈の女房。藤原重輔の娘で、才気のある人として作者とも親しかった。
- 左の大殿
- 藤原道長。当時、左大臣として権力を握りつつあり、中関白家と対立していた。
- をさめ
- 長女(おさめ)。下仕えの女。
文法
- 「いはで思ふぞ」
- 『古今和歌六帖』の歌「心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる」による。口に出して言うよりも、言わずに思う方がまさっている、という意。
- 「山吹の花びら」
- 山吹は「口無し」色であることから、「言はで」(言わないで)の意を込めた。
- 「天にはり弓」
- 弓張月(上弦・下弦の月)を答えとする、誰でも知っているなぞなぞ。
- 「ろだい」
- 露台。紫宸殿と仁寿殿の間などにある、屋根のない板敷きの台。
解説
中関白家の没落後、作者が同僚の疑いの目に耐えかねて里にこもっていた時期の出来事である。「左の大殿のかたの人しるすぢにてあり」という女房たちのささやきから、宮廷の派閥争いの厳しさがうかがえる。
中宮の「いはで思ふぞ」の手紙は、言葉を尽くさずに深い信頼を伝えるものであった。作者がその歌の上の句を忘れてしまうという失敗も含めて、中宮と作者との親しい関係がしみじみと描かれている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、283–286頁(コマ144–146)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日