枕草子 第133段 日記的章段
頭弁の、職にまゐり給ひて
頭弁藤原行成が職の御曹司で夜更けまで語り、翌朝「鶏の声に促されて」と手紙をよこす。作者が「孟嘗君の鶏ですか」と返すと、行成は「函谷関ではなく逢坂の関だ」と応じ、作者は「夜をこめて鳥の空音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」と詠む。手紙をめぐるその後のやりとりも描く。
- 1ののの職職しきにににまゐりまゐりまいり給給たまひひいててて物語物語ものがたりなどなどなどししし給給たまふふうににに、、、夜夜よいといといと更更ふけけけぬぬぬ。。。「「「あすあすあす御御おん物忌物忌ものいみなるなるなるにににこもるこもるこもるべけれべけれべければばばうしうしうしににになりなりなりなななばばばあしかりあしかりあしかりなななむむん」」」とてとてとてまゐりまゐりまいり給給たまひひいぬぬぬ。。。つとめてつとめてつとめて藏人所藏人所くろうどどころのののひきひきひきかさねかさねかさねててて「「「後後のちのののあしたあしたあしたはははのこりのこりのこり多多おおかるかるかる心心ここちちちなむなむなんするするする。。。夜夜よをををとほしとほしとおしててて昔物語昔物語むかしものがたりももも聞聞きこえええ明明あかさささむむんとととせせせしししををを、、、とりとりとりののの聲聲こえににに催催もよおささされれれててて」」」ととといといといといみじういみじういみじゅう淸淸きよげげげにににうらうらうらうへうへうえににに事事こと多多おおくくく書書かきききたまへたまへたまえるるるいといといとめでたしめでたしめでたし。。。御御おんかへりかへりかえりににに「「「いといといと夜夜よ深深ぶかくくく侍侍はべりりりけるけるけるとりとりとりのののこゑこゑこえははは、、、のののにににややや」」」ととときこえきこえきこえたれたれたればばば、、、たちかへりたちかへりたちかえり「「「まうさうくんまうさうくんもうそうくんのののにはとりにはとりにわとりははは函谷關函谷關かんこくかんををを開開ひらきききててて三千三千さんぜんのののかくかくかくわづかわづかわずかにににされされされりりりととといふいふいうははは、、、あふさかあふさかあうさかのののせきせきせきののの事事ことなりなりなり」」」とととあれあれあればばば、、、
- 2「「「夜夜よをををこめこめこめててて鳥鳥とりのののそらねそらねそらねははははかるはかるはかるともともとも世世よにににあふあふあう坂坂さかののの關關せきはははゆるさゆるさゆるさじじじ。。。
- 3心心こころかしこきかしこきかしこき關守關守せきもり侍侍はべるるるめりめりめり」」」ととと聞聞きこゆゆゆ。。。立立たちちちかへりかへりかえり、、、
- 4「「「逢坂逢坂おうさかははは人人ひとこえこえこえやすきやすきやすきせきせきせきなれなれなればばばとりとりとりももも鳴鳴なかかかねねねどどどあけあけあけてててまつまつまつとととかかか」」」
- 5とととありありありししし文文ふみどもどもどもをををはじめはじめはじめのののははは僧都僧都そうずののののののぬかぬかぬかをををさへさへさへつきつきつきててて取取とりりり給給たまひひいてててききき。。。のちのちのちのちのちのちのののははは御御おまへまへまえにてにてにて「「「さてさてさて逢坂逢坂おうさかののの歌歌うたはははよみよみよみへさへさへされれれててて返返かえしししもももせせせずずずなりなりなりにににたるたるたるいといといとわろしわろしわろし」」」ととと笑笑わらははわせせせ給給たまふふう。。。「「「さてさてさてそのそのその文文ふみははは殿上人殿上人てんじょうびと皆皆みな見見みてててしししははは」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「まことにまことにまことに思思おぼしししけりけりけりとととはははこれこれこれにてにてにてこそこそこそ知知しりりりぬれぬれぬれ。。。めでたきめでたきめでたき事事ことなどなどなど人人ひとのののいひいひいい傳傳つたへへえぬぬぬはははかひかひかいなきなきなきわざわざわざぞぞぞかしかしかし。。。又又また見見み苦苦ぐるしけれしけれしければばば御御おん文文ふみはははいみじくいみじくいみじく隱隱かくしししててて人人ひとにににつゆつゆつゆ見見みせせせ侍侍はべらららぬぬぬ。。。志志こころざしのののほどほどほどをををくらぶるくらぶるくらぶるにににひとしうひとしうひとしゅうこそこそこそははは」」」ととといへいへいえばばば、、、「「「かうかうこう物物もの思思おもひひいしりしりしりててていふいふいうこそこそこそ猶猶なお人々人々ひとびとにににははは似似にずずず思思おもへへえどどど、、、思思おもひひいくまくまくまなくなくなくあしうあしうあしゅうしししたりたりたりなどなどなど例例れいののの女女おんなのののやうやうようにににいはいはいわむむんとととこそこそこそ思思おもひひいつるつるつるににに」」」とてとてとていみじういみじういみじゅう笑笑わらひひい給給たまふふう。。。「「「こここはははなぞなぞなぞ。。。悅悅よろこびびびをををこそこそこそ聞聞きこえええめめめ」」」などなどなどいふいふいう。。。「「「まろまろまろががが文文ふみをををかくしかくしかくし給給たまひひいけるけるける又又また猶猶なおうれしきうれしきうれしきことことことなりなりなり。。。いかにいかにいかに心心こころうくうくうくつらからつらからつらからましましまし。。。今今いまよりよりより猶猶なお賴賴たのみみみ聞聞きこえええむむん」」」などなどなどのたまひのたまひのたまいててて、、、後後のちにににののの中將中將ちゅうじょう、、、「「「頭辨頭辨とうのべんはははいみじういみじういみじゅうほめほめほめ給給たまふふうとととははは知知しりりりたりたりたりややや。。。一日一日ひといののの文文ふみのののついでついでついでにににありありありししし事事ことなどなどなど語語かたりりり給給たまふふう。。。思思おもふふう人々人々ひとびとのののほめほめほめらるゝらるゝらるるはははいみじくいみじくいみじく嬉嬉うれしくしくしく」」」などなどなどまめやかまめやかまめやかにににのたまふのたまふのたまうもももをかしをかしおかし。。。「「「うれしきうれしきうれしきことことことももも二二ふたつつつにてにてにてこそこそこそ。。。かのかのかのほめほめほめ給給たまふふうなるなるなるににに又又また思思おもふふう人人ひとののの中中なかににに侍侍はべりりりけるけるけるををを」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、「「「それそれそれはははめづらしうめづらしうめずらしゅう今今いまののの事事ことのののやうやうようにににもももよろこびよろこびよろこび給給たまふふうかかか」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう。。。
現代語訳
頭弁が職の御曹司に参上なさって、話などをなさっているうちに、夜がたいそう更けた。「明日は帝の御物忌なので、宮中にこもらなければならないから、丑の刻になってしまってはまずいだろう」と言って、宮中へ参上なさった。翌朝、蔵人所の紙屋紙を重ねて、「今朝は、名残の多い気持ちがします。夜を通して昔話も申し上げて明かそうと思っていましたのに、鶏の声にせき立てられて」と、たいそう美しい筆跡で、紙の裏表にたくさんお書きになっているのは、たいそうすばらしい。お返事に、「たいそう夜深くに鳴いたという鶏の声は、孟嘗君の鶏のことでしょうか」と申し上げると、折り返し、「孟嘗君の鶏は、函谷関を開いて、三千の食客がやっと逃れたというけれど、私のは逢坂の関のことです」とあったので、
夜がまだ深いうちに、鶏の鳴きまねをしてだまそうとしても、函谷関ならともかく、この逢坂の関は決して通しはしないでしょう。
しっかりした関守がおりますようですから」と申し上げる。すぐに折り返し、
逢坂は人が越えやすい関なので、鶏が鳴かなくても、関の戸を開けて待っているとかいうことですよ。
とあった手紙の数々を、最初のものは僧都の君が額までついて拝むようにしてお取りになってしまった。後のものは中宮様の御手もとに。「それにしても、逢坂の歌には言い負かされて、返歌もしないままになってしまったのは、たいそうみっともない」と行成殿はお笑いになる。「ところで、あの手紙は殿上人がみな見てしまいましたよ」とおっしゃるので、「本当に私を思ってくださっていたのだと、これでわかりました。すばらしいことなどは、人が言い伝えないのはかいのないことですから。一方、私は、見苦しいので、あなたのお手紙はたいそう隠して、人に少しも見せておりません。お互いの思いやりの深さを比べてみれば、同じくらいでしょう」と言うと、「そのように物事をわきまえて言うところが、やはりほかの人々とは違うと思うけれど、『思慮もなく、ひどいことをした』などと、よくある女のように言うだろうと思っていたのに」と言って、たいそうお笑いになる。「これはどうしたことでしょう。お礼を申し上げたいくらいですのに」などと言う。「私の手紙を隠してくださったのは、またいっそううれしいことです。もし人に見られたら、どんなにつらく情けないことだったでしょう。これからも、やはり頼りにいたしましょう」などとおっしゃって、後日、経房の中将が、「頭弁がたいそうあなたをほめていらっしゃるのを知っていますか。先日の手紙のついでに、あったことなどをお話しになりました。思っている人がほめられるのは、たいそううれしいことで」などと、まじめにおっしゃるのもおもしろい。「うれしいことが二つになりました。頭弁がほめてくださるうえに、またあなたが私を思う人の中に入れてくださっていたとは」などと言うと、「それを今初めて聞いたことのように珍しく喜ばれるのですか」などとおっしゃる。
意訳
百人一首にも採られた「夜をこめて」の歌が生まれた経緯を語る段である。行成は早朝の手紙で、まるで後朝の別れのように「鶏の声にせかされて帰った」と書いてきた。作者は、夜中に鶏の鳴きまねで関所を開けさせた孟嘗君の故事を持ち出して、「あれは嘘の鶏の声でしょう」とからかう。行成が「函谷関ではなく、逢坂の関(男女が逢う関)だ」と恋の駆け引きに持ち込むと、作者は「この逢坂の関は決して通さない」と、きっぱり拒む歌を返した。漢籍の故事を踏まえ、恋の戯れを機知で受け流す、二人の知的な遊びである。
語釈・文法注
- 頭辨
- 藤原行成。蔵人頭で右大弁を兼ねた。能書家で、作者と親しく交流した。
- かうやかみ
- 紙屋紙。京都の紙屋院で漉いた上質の紙。蔵人所で用いられた。
- まうさうくん
- 孟嘗君。中国戦国時代の斉の王族。秦から逃れる際、夜中の函谷関で、食客に鶏の鳴きまねをさせて関の門を開けさせ、脱出したという(『史記』)。
- 僧都の君
- 隆円。中宮定子の弟で、権少僧都。
- 經房の中將
- 源経房。左近中将。作者と親しく、『枕草子』を世に広めたとされる人物。
文法
- 「うしになりなば」
- 丑の刻(午前二時ごろ)を過ぎると、物忌の日に入ってしまうことをいう。
- 「三千のかく」
- 孟嘗君が養っていた三千人の食客。
- 「よみへされて」
- 歌で言い負かされて。
和歌
夜をこめて鳥のそらねははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ
- 詠者
- 清少納言
- 状況
- 行成が「函谷関ではなく逢坂の関だ」と言ってきたのに対して返した歌。『百人一首』の六十二番。
修辞
- 掛詞
- 「逢坂」に「逢ふ」を掛け、あなたと逢うことは許さない、の意を込める。
- 本説
- 孟嘗君が鶏の鳴きまねで函谷関を開けさせた故事を踏まえる。
逢坂は人こえやすき関なれば鳥も鳴かねどあけて待つとか
- 詠者
- 藤原行成
- 状況
- 作者の「夜をこめて」の歌への返歌。逢坂の関は越えやすく、いつも開けて待っていると聞く、とやり返した。
解説
作者の代表歌「夜をこめて」の成立事情を伝える段で、行成との知的な交流がいきいきと描かれている。漢籍の故事を即座に和歌に取り込む作者の教養と機知が光る。
後半の、手紙を人に見せた行成と、隠した作者とのやりとりも興味深い。作者は、ほめられたことは広めてもらうのがよいと言いながら、相手の手紙は隠すという気配りを見せ、行成をいっそう感心させている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、276–277頁(コマ141)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
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