枕草子 第130段 日記的章段
二月、官の司に
二月の考定の頃、頭弁藤原行成から、餅餤(へいだん)という菓子に公文書めかした添え状をつけて贈られる。作者は左大弁惟仲に下部への作法を尋ね、「自分で持って来ない下部は冷淡だ」と機知のきいた返事を紅梅につけて送る。行成はこれをほめ、関白の前でも話題になったが、作者は自慢話になってしまったと結ぶ。
- 1二月二月にがつくわんくわんかんのののつかさつかさつかさにににととといふいふいうことことことするするするははは何事何事なにごとにににあらあらあらむむん。。。もももいかならいかならいかならむむん。。。くじくじくじなどなどなどはははかけかけかけ奉奉たてまつりりりてててするするすることことことなるなるなるべしべしべし。。。そうめいそうめいそうめいとてとてとてうへうへうえにににももも宮宮みやにににもももあやしきあやしきあやしき物物ものなどなどなどかはらけかはらけかわらけににに盛盛もりりりてててまゐらするまゐらするまいらする。。。
- 2「「「ののの御御おんもともともとよりよりより」」」とてとてとてとのもづかさとのもづかさとのもずかさ、、、繪繪えなどなどなどやうやうようなるなるなる物物ものををを白白しろきききしきししきししきしににに包包つつみみみててて、、、梅梅うめののの花花はなのののいみじくいみじくいみじく咲咲さきききたるたるたるにににつけつけつけてててもてもてもてきききたるたるたる繪繪えにににやややあらあらあらむむんととと急急いそぎぎぎ取取とりりり入入いれれれててて見見みれれればばば、、、ととといふいふいう物物ものををを二二ふたつつつならべならべならべててて包包つつみみみたるたるたるなりなりなりけりけりけり。。。添添そへへえたるたるたるたてたてたて文文ぶみににに花文花文げぶみのののやうやうようににに書書かきききててて「「「進上進上しんじょう、、、へいだんへいだんへいだん一一ひとつゝみつゝみつつみ、、、例例れいににによりよりよりててて進上進上しんじょう如件如件くだんのごとし、、、少納言少納言しょうなごん殿殿どのににに」」」とてとてとて月日月日つきいかきかきかきててて「「「みまなみまなみまなのののなりゆきなりゆきなりゆき」」」とてとてとて奥奥おくににに「「「このこのこのをのこをのこおのこはははみづからみづからみずから參參まいらららむむんとととするするするををを、、、晝晝ひるはははかたちかたちかたちわろしわろしわろしとてとてとて參參まいらららぬぬぬなりなりなり」」」ととといみじくいみじくいみじくをかしげをかしげおかしげににに書書かききき給給たまひひいたりたりたり。。。
- 3御御お前前まえににに參參まいりりりててて御覽御覽ごらんぜぜぜさすれさすれさすればばば「「「めでたくめでたくめでたくもももかゝかゝかかれれれたるたるたるかなかなかな。。。をかしうをかしうおかしゅうしししたりたりたり」」」などなどなど譽譽ほめめめさせさせさせ給給たまひひいててて御御おん文文ふみはははとらとらとらせせせたまひたまひたまいつつつ。。。「「「返返かえりりり事事ごとはははいかゞいかゞいかがすすすべからべからべからむむん。。。このこのこのへいだんへいだんへいだんもてもてもてくるくるくるにににははは物物ものなどなどなどやややとらすとらすとらすらむらむらん。。。知知しりりりたるたるたる人人ひともももがながながな」」」ととといふいふいうををを聞聞きこしめししめししめしててて「「「聲聲こえしししつるつるつる。。。呼呼よびびびてててとへとへとへ」」」とととのたまはすれのたまはすれのたまわすればばばはしはしはしににに出出いでゝでゝでて「「「左大辨左大辨さだいべんにににものものもの聞聞きこえええむむん」」」とととさぶらひさぶらひさぶらいしししててていはいはいわすれすれすればばば、、、いといといとよくよくよくうるはしううるはしううるわしゅうてててきききたりたりたり。。。
- 4「「「あらあらあらずずずわたくしわたくしわたくし事事ごとなりなりなり。。。もしもしもしこのこのこの辨辨べん少納言少納言しょうなごんなどなどなどのののもともともとにににかゝるかゝるかかる物物ものもてもてもてきききたるたるたる下部下部しもべなどなどなどにににはははするするすることことことやややあるあるある」」」ととと問問とへへへばばば「「「さるさるさる事事ことももも侍侍はべらららずずず。。。唯唯ただとゞめとゞめとどめてててくひくひくい侍侍はべるるる。。。何何なにしししにににとはとはとはせせせ給給たまふふう。。。もしもしもし上官上官じょうかんのののうちうちうちにてにてにてえええさせさせさせ給給たまへへえるるるかかか」」」ととといへいへいえばばば「「「いかゞいかゞいかがははは」」」ととといらふいらふいらう。。。唯唯ただ返返かえしししをををいみじういみじういみじゅう赤赤あかきききうすえふうすえふうすようににに「「「みづからみづからみずからもてもてもてまうでまうでもうでこここぬぬぬ下部下部しもべはははいといといとれいだうれいだうれいどうなりなりなりとととなむなむなん見見みゆるゆるゆる」」」とてとてとてめでたきめでたきめでたき紅梅紅梅こうばいにににつけつけつけててて奉奉たてまつるるるををを、、、すなはちすなはちすなわちおはしましおはしましおわしましててて「「「下部下部しもべさぶらふさぶらふさぶらう」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、出出いでででたるたるたるににに、、、「「「さやうさやうさようのののものものものぞぞぞ、、、歌歌うたよみよみよみしししててておこせおこせおこせ給給たまへへえるるるととと思思おもひひいつるつるつるににに、、、びゞしくびゞしくびびしくもももいひいひいいたりたりたりつるつるつるかなかなかな。。。女女おんな少少すこししし我我われはははととと思思おもひひいたるたるたるははは歌歌うた詠詠よみみみがましくがましくがましくぞぞぞあるあるある。。。さらさらさらぬぬぬこそこそこそ語語かたらひらひらいよけれよけれよけれ。。。まろまろまろなどなどなどにににさるさるさる事事こといはいはいわむむん人人ひとはははかへりてかへりてかえりてむじんむじんむじんならならならむむんかしかしかし」」」とととのたまふのたまふのたまう。。。、、、なりやすなりやすなりやすなどなどなど笑笑わらひひいててて止止やみみみにににししし事事ことををを、、、殿殿とのののの前前まえににに人々人々ひとびといといといと多多おおかりかりかりけるけるけるににに、、、語語かたりりり申申もうししし給給たまひひいけれけれければばば「「「いといといとよくよくよく言言いひひいたるたるたる」」」とととなむなむなんのたまはせのたまはせのたまわせしししととと人人ひとののの語語かたりりりししし。。。これこれこれこそこそこそ見見み苦苦ぐるしきしきしきわれわれわれぼめぼめぼめどもどもどもなりなりなりかしかしかし。。。
現代語訳
二月に、太政官で考定ということをするのは、どういうことなのだろう。釈奠もどのようなものなのだろう。孔子の像などを掛け申し上げて行うことなのだろう。聡明といって、帝にも中宮様にも、珍しい物などを土器に盛って差し上げる。
「頭弁様のもとから」といって主殿司が、絵などのような物を白い色紙に包んで、梅の花のたいそう美しく咲いた枝につけて持って来た。絵だろうかと急いで受け取って見ると、餅餤というものを二つ並べて包んであるのだった。添えてある立て文には、公文書の解文のような書き方で、「進上 餅餤一包 例によって進上すること件のごとし 少納言殿に」と書いて、月日を書き、「みまなのなりゆき」と署名して、奥に「この男は自分で参上しようとしましたが、昼は顔が見苦しいといって参上しないのです」と、たいそうおもしろそうにお書きになっていた。
中宮様の御前に参上してお目にかけると、「みごとに書いてあること。おもしろい趣向ね」などとおほめになって、お手紙はお取りになった。「お返事はどうしたらよいかしら。この餅餤を持って来る者には、何か品物などを与えるものかしら。知っている人がいればいいのに」と言うのを中宮様がお聞きになって、「惟仲の声がしたようよ。呼んで尋ねなさい」とおっしゃるので、端に出て、「左大弁に申し上げたいことがあります」と侍に言わせると、たいそうきちんとした身なりでやって来た。
「いいえ、私事なのです。もし、この弁や少納言などのもとに、こういう物を持って来た下部などには、何かすることがあるのでしょうか」と尋ねると、「そんなことはございません。ただ留め置いて食べるのです。何のためにお尋ねになるのですか。もしや上官の内から、お受け取りになったのですか」と言うので、「そうなのです」と答える。それで、返事をたいそう赤い薄様の紙に、「自分で持って参上しない下部は、たいそう冷淡だと見えます」と書いて、美しい紅梅の枝につけて差し上げると、すぐに行成殿がいらっしゃって、「下部が参上しております」とおっしゃるので、出て行くと、「あのような物には、歌を詠んでよこされると思っていたのに、気のきいた言い方をされたものだ。女で少し自分はと思っている者は、歌詠みぶるものだ。そうでない人こそ付き合いやすい。私などにそんな歌を詠むような人は、かえって無風流だろうよ」とおっしゃる。則光や成康などが笑って終わってしまった話を、関白殿の御前に人々が大勢いたところで、行成殿がお話し申し上げなさったので、「たいそううまく言ったものだ」とおっしゃったと、人が話してくれた。これこそ見苦しい自慢話の数々であるよ。
意訳
頭弁藤原行成との機知の応酬を描いた段である。行成は、菓子の餅餤を役所の公文書の形式をまねた添え状とともに贈ってきた。作者は、こういうときの作法を左大弁の惟仲に確かめたうえで、和歌ではなく「自分で持って来ない下部は冷たい」という、公文書の趣向に合わせたしゃれた一言で返す。行成は、歌を詠んでくると思っていたのに、とかえって感心し、関白の前でも披露した。最後に作者は、これは見苦しい自慢話だと自分で打ち消してみせる。照れ隠しの中に、行成に認められた誇らしさがにじむ。
語釈・文法注
- かうぢやう
- 考定。毎年二月十一日に太政官で、六位以下の官人の勤務成績を定めて叙位の資料とする儀式。
- しやくでん
- 釈奠。二月と八月の上の丁の日に大学寮で孔子とその弟子を祭る儀式。「くじ」は孔子。
- 頭辨
- 藤原行成。蔵人頭で右大弁を兼ねていた。能書家として名高く、作者と親しかった。
- へいだん
- 餅餤。餅の中に鴨の卵や野菜などを入れて四角に切った食べ物。考定の日に出されるならわしがあった。
- これなかゞ
- 平惟仲。当時の左大弁。中宮職の大夫も務めた。
- のりみつ
- 橘則光。作者のかつての夫とされる。「なりやす」は人名で、詳しいことはわからない。
文法
- 「花文」
- 解文(げぶみ)の当て字か。下級の役所から上級の役所に上申する公文書の形式。
- 「みまなのなりゆき」
- 任那成行。行成の名を逆さにし、官職めかした架空の署名とした戯れ。
- 「れいだう」
- 冷淡。思いやりがなく冷たいこと。
- 「むじん」
- 無心。風流を解さないこと。
解説
公文書の形式をまねた行成の戯れに、作者が和歌ではなく、同じ趣向の散文で応じたところに、二人の機知の応酬の妙がある。行成の「女少し我はと思ひたるは歌詠みがましくぞある」という言葉は、当時の女房たちのあり方への批評としても興味深い。
結びの「これこそ見苦しきわれぼめどもなりかし」は、自慢話であることを自覚した作者の照れである。『枕草子』には、こうした自賛の段がしばしば見られる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、273–274頁(コマ139–140)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
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