枕草子 第128段 随想的章段
九月ばかり
九月ごろ、一晩じゅう降った雨が朝にはやみ、朝日の中で庭の菊の露や、透垣にかかった蜘蛛の巣の雨粒が白玉のように光る。日が高くなると、露の重みでたわんでいた萩の枝が、露が落ちてふっと跳ね上がる。そうした趣を他人はおもしろがらないだろうと思うのもまたおもしろい。
- 1九月九月くがつばかりばかりばかり夜夜よ一一ひと夜夜よ降降ふりりりあかしあかしあかしたるたるたる雨雨あめのののけさけさけさはははやみやみやみててて朝日朝日あさいのののはなやかはなやかはなやかにににさしさしさしたるたるたるにににぜんざいぜんざいぜんざいののの菊菊きくののの露露つゆ、、、こぼるこぼるこぼるばかりばかりばかりぬれぬれぬれかゝりかゝりかかりたるたるたるもももいといといとをかしをかしおかし。。。、、、らもんらもんらもんすゝきすゝきすすきなどなどなどのののうへうへうえにににかいかいかいたるたるたるくもくもくものののすすすのののこぼれこぼれこぼれ殘殘のこりりりててて、、、所々所々ところどころににに糸糸いとももも絕絕たえええざまざまざまににに雨雨あめのののかゝりかゝりかかりたるたるたるががが白白しろききき玉玉たまをををつらぬきつらぬきつらぬきたるたるたるやうやうようなるなるなるこそこそこそいみじういみじういみじゅうあはれあはれあわれにににをかしけれをかしけれおかしけれ。。。すこしすこしすこし日日ひたけたけたけぬれぬれぬればばば、、、萩萩はぎなどなどなどのののいといといとおもげおもげおもげなりなりなりつるつるつるににに露露つゆののの落落おつるつるつるににに枝枝えだのののうちうちうち動動うごきききててて人人ひとももも手手てふれふれふれぬぬぬににに、、、ふとふとふとかみざまかみざまかみざまへへへあがりあがりあがりたるたるたるいみじういみじういみじゅういといといとをかしをかしおかしととといひいひいいたるたるたる、、、ことことこと人人ひとののの心心ここちちちにににはははつゆつゆつゆをかしからをかしからおかしからじじじととと思思おもふふうこそこそこそ又又またをかしけれをかしけれおかしけれ。。。
現代語訳
九月ごろ、一晩じゅう降り続いた雨が、今朝はやんで、朝日がはなやかに差しているときに、庭の植え込みの菊の露が、こぼれ落ちるほどにぬれかかっているのも、たいそう趣がある。透垣の羅文や、薄などの上に張りわたした蜘蛛の巣が破れ残って、ところどころ糸も切れそうなところに、雨がかかっているのが、白い玉を貫き通したようであるのは、たいそうしみじみと趣深い。少し日が高くなると、萩などの、たいそう重そうであったのが、露が落ちると枝が動いて、人も手を触れないのに、ふと上のほうへ跳ね上がったのも、たいそうおもしろいと私が言ったことを、ほかの人の心にはまったくおもしろくもないだろうと思うのが、またおもしろい。
意訳
雨上がりの朝の、ほんの短い時間の美しさをとらえた段である。菊の露、蜘蛛の巣の雨粒、そして露が落ちて跳ね上がる萩の枝。いずれも、見ようとしなければ見過ごしてしまう小さな光景である。作者はそれを「をかし」と言いながら、ほかの人には少しもおもしろくないだろうと付け加える。自分の感覚が人と違うことを自覚し、それを楽しんでいるところに、作者の自負がのぞく。
語釈・文法注
- すいがい
- 透垣。竹や板で、間を透かして編んだ垣。「らもん」(羅文)は、その上部に菱形に組んだ飾りの部分。
文法
- 「ぜんざい」
- 前栽。庭に植えた草木、植え込み。
- 「絕えざまに」
- 今にも切れそうな様子で。
解説
三巻本では「九月ばかり」として、よく知られた段である。雨上がりの朝の光の中で、露や雨粒が輝く様子を、細やかな観察で描いている。
露が落ちて萩の枝が跳ね上がる一瞬をとらえた描写は、動きのある自然描写として特にすぐれている。結びの一文は、自分の美意識が他人とは違うことへの自覚を示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、272–273頁(コマ139)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日