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枕草子 第126段 類聚的章段

はしたなきもの

きまりの悪いものとして、別人が呼ばれたのに自分が出て行くこと、子どもが陰口を本人の前で言ってしまうこと、悲しい話に涙が出ないことなどを挙げる。一方、めでたいことには涙が自然にこぼれるとして、一条天皇の八幡行幸の帰途、母の東三条院に挨拶をなさった場面を回想する。

  1. 1はしたなきはしたなきはしたなきものものもの題
  2. 2ことことことひとひとひとををを呼よ呼よよぶぶぶににに我わ我わわがががとてとてとてさしさしさし出い出いいでででたるたるたるものものもの。。。ましてましてまして物もの物ものものとらとらとらするするするをりをりおりははは、、、いとゞいとゞいとどおのづからおのづからおのずから人ひと人ひとひとのののうへうへうえなどなどなどうちうちうちいひいひいいそしりそしりそしりなどなどなどもももしししたるたるたるををを、、、をさなきをさなきおさなき人ひと人ひとひとののの聞き聞ききききき取と取ととりりりてててそのそのその人ひと人ひとひとのののあるあるある前まへ前まへまえにににいひいひいい出い出いいでででたるたるたる。。。哀あはれ哀あはれあわれなるなるなる事こと事ことことなどなどなど人ひと人ひとひとのののいひいひいいてててうちうちうち泣な泣ななくくくににに、、、げにげにげにいといといとあはれあはれあわれとととははは聞き聞きききききながらながらながら淚なみだ淚なみだなみだのののふつとふつとふつと出い出いいでででこここぬぬぬいといといとはしたなしはしたなしはしたなし。。。なきなきなきがほがほがおつくりつくりつくりけしきけしきけしきことにことにことになせなせなせどどどいといといとかひかひかいなしなしなし。。。めでたきめでたきめでたき事こと事ことことををを聞き聞ききくくくにににははは又また又またまたすゞろすゞろすずろにににたゞたゞただいできいできいできにににこそこそこそ出い出いいでででくれくれくれ。。。
  3. 3ののの行幸ぎやうかう行幸ぎやうかうぎょうこうのののかへらかへらかえらせせせ給たま給たまたまふふうににに、、、ののの御おほん御おほんおんさじきさじきさじきのののあなたあなたあなたににに御輿みこし御輿みこしみこしをををとゞめとゞめとどめててて、、、御ご御ごごせうそこせうそこしょうそこ申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまひひいしししなどなどなどいみじくいみじくいみじくめでたくめでたくめでたく、、、さばかりさばかりさばかりののの御おほん御おほんおん有樣ありさま有樣ありさまありさまにてにてにて、、、かしこまりかしこまりかしこまり申まう申まうもうさささせせせたまふたまふたまうががが世よ世よよににに知し知ししらららずずずいみじきいみじきいみじきににに誠まこと誠まことまことにににこぼるれこぼるれこぼるればばば、、、けさうけさうけそうしししたるたるたる顏かほ顏かほかおももも皆みな皆みなみなあらはれあらはれあらわれててていかにいかにいかに見み見みみ苦ぐる苦ぐるぐるしかるしかるしかるらむらむらん。。。せんじせんじせんじののの御おほん御おほんおん使つかひ使つかひつかいにてにてにてののの宰相さいしやう宰相さいしやうさいしょう中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうののの御おほん御おほんおんさじきさじきさじきににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひひいしししこそこそこそいといといとをかしうをかしうおかしゅう見み見みみえええしかしかしか。。。唯ただ唯ただただ隨身ずゐじん隨身ずゐじんずいじん四人よたり四人よたりよたりいみじういみじういみじゅうさうぞきさうぞきそうぞきたるたるたる。。。馬むま馬むまうまぞひぞひぞいのののほそうほそうほそうしししたてたてたてたるたるたるばかりばかりばかりしししててて二條にでう二條にでうにじょうののの大路おほぢ大路おほぢおおじ、、、廣ひろ廣ひろひろうううきよらきよらきよらにににめでたきめでたきめでたきににに、、、馬むま馬むまうまをををうちうちうちはやしはやしはやしててて急いそ急いそいそぎぎぎ參まゐ參まゐまいりりりててて少すこ少すこすこししし遠とほ遠とほとおくくくよりよりよりおりおりおりてててそばそばそばのののみすみすみすののの前まへ前まへまえににに侍さぶら侍さぶらさぶらひひい給たま給たまたまひひいししし。。。院ゐん院ゐんいんののの別當べつたう別當べつたうべっとうぞぞぞ申まう申まうもうししし給たま給たまたまひひいししし。。。御おほん御おほんおん返かへ返かへかえししし承うけたまは承うけたまはうけたまわりりりててて又また又またまたはしらはしらはしらせせせ歸かへ歸かへかえりりり參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひひいててて御輿みこし御輿みこしみこしのののもともともとにてにてにて奏そう奏そうそうししし給たま給たまたまひひいししし程ほど程ほどほど、、、いふいふいうもももおろかおろかおろかなりなりなりややや。。。さてさてさてうちうちうち渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまふふうををを見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららせせせ給たま給たまたまふふうらむらむらん女院にようゐん女院にようゐんにょういんののの御み御みみ心こころ心こころこころ思おも思おもおもひひいやりやりやりまゐらするまゐらするまいらするははは、、、飛と飛ととびびび立た立たたちちちぬぬぬべくべくべくこそこそこそ覺おぼ覺おぼおぼえええしかしかしか。。。それそれそれにににはははながながながなきなきなきをををしししててて笑わら笑わらわらははわるゝるゝるるぞぞぞかしかしかし。。。よろしきよろしきよろしききはきはきわのののひとひとひとだにだにだに猶なほ猶なほなおこのこのこの世よ世よよにににはははめでたきめでたきめでたきものものものををを、、、かうかうこうだにだにだに思おも思おもおもひひいまゐらするまゐらするまいらするもももかしこしかしこしかしこしややや。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

きまりの悪いもの。

ほかの人を呼んだのに、自分のことだと思って出て行ったの。まして、物をくれるときは、なおさらだ。何かのはずみで人のうわさなどをして悪口も言ったのを、幼い子どもが聞き覚えて、その人のいる前で言い出したの。悲しい話などを人がして泣いているのに、本当にたいそう気の毒だとは思って聞きながら、涙がまったく出てこないのは、たいそうきまりが悪い。泣き顔を作り、悲しそうな様子をしてみせても、まったくかいがない。めでたいことを聞くと、また、わけもなく、ただもう涙が出てきてしまうのに。

帝が八幡への行幸からお帰りになるとき、女院の御桟敷の向こうに御輿を止めて、ご挨拶を申し上げなさったのなどは、たいそうすばらしく、あれほどの御身分でありながら、母君にかしこまって申し上げなさるのが、世にまたとなくすばらしいので、本当に涙がこぼれて、化粧した顔もすっかりはげてしまって、どんなに見苦しかったことだろう。宣旨のお使いとして、斉信の宰相中将が女院の御桟敷に参上なさったのは、たいそう立派に見えた。ただ随身四人がたいそう美しく装っていて、馬の口取りのすらりとした身なりの者だけを連れて、二条大路の広々ときれいですばらしいところを、馬を走らせて急いで参上し、少し離れた所から馬を下りて、桟敷のそばの御簾の前に控えていらっしゃった。院の別当が取り次ぎ申し上げなさった。お返事を承って、また馬を走らせて帰参なさり、御輿のもとで奏上なさったときの様子は、言葉では言い尽くせない。そうして帝がお通りになるのを御覧になる女院のお気持ちをお察し申し上げると、私まで飛び上がってしまいそうに思われた。そういうときには、長泣きをして人に笑われるのだよ。並の身分の人でさえ、やはり子が立派なのはこの世ですばらしいことなのに、このように女院のお気持ちをお察し申し上げるのも、恐れ多いことだ。

意訳

前半は、だれにでも覚えのある気まずい場面の数々である。自分が呼ばれたと思って返事をしたら別の人だった。子どもが陰口をそのまま本人に言ってしまった。悲しい話に涙が出ない。ところが、めでたいことにはなぜか涙が止まらない。その例として作者が思い出すのが、一条天皇が母の東三条院に、行幸の帰りに輿を止めて挨拶をした光景である。天子でありながら母に礼を尽くす姿、颯爽と使いを務める斉信、それを見守る母の誇らしさ。作者は化粧が流れるほど泣いてしまった。「はしたなきもの」から始まって、感動の涙の思い出へと話が移っていく展開がおもしろい。

語釈・文法注

八幡の行幸
石清水八幡宮(京都府八幡市)への天皇の参詣。一条天皇の行幸は長保元年(999)などに行われた。
女院
東三条院藤原詮子。一条天皇の母で、藤原道長の姉。正暦二年(991)に出家して女院となった。
齊信
藤原斉信。この段に「宰相中将」とあり、参議兼右近中将であった。容姿・才学ともにすぐれ、作者とも親しかった。

文法

「はしたなし」
中途半端で、その場に合わない。きまりが悪い、ばつが悪い。
「御せうそこ」
御消息。ここでは、帝から女院へのご挨拶の言葉。
「ながなき」
長泣き。いつまでも泣き続けること。

解説

前半の、自分が呼ばれたと勘違いする場面や、子どもが陰口を暴露してしまう場面は、今の読者にも身に覚えのある気まずさで、作者の観察の普遍性がよくわかる。

後半の行幸の回想は、一条天皇の孝心と、母東三条院の喜びを描いたものである。天皇が母に輿を止めて挨拶をすることは、儀礼としてもめでたいことであり、作者はそれを、宮仕えの喜びとともに書きとめている。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、270–271頁(コマ138)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日