枕草子 第119段 随想的章段
正月に寺にこもりたるは
正月に長谷寺へ参籠したときの見聞を、細やかに書きとめる。急な階段を平気で上り下りする若い僧、仏前の灯明と祈りの声、隣で忍びやかに額づく男、夜通しの勤行、身分のありそうな参詣人の一行などを描き、寺ごもりには気の合う連れが欲しいと結ぶ。
- 1正月正月しょうがつににに寺寺てらにににこもりこもりこもりたるたるたるはははいみじくいみじくいみじく寒寒さむくくく雪雪ゆきがちがちがちににに氷氷こおりりりたるたるたるこそこそこそをかしけれをかしけれおかしけれ。。。雨雨あめなどなどなどののの降降ふりりりぬぬぬべきべきべき景色景色けしきなるなるなるはははいといといとわろしわろしわろし。。。などなどなどににに詣詣もうでゝでゝでて局局つぼねなどなどなどするするするほどほどほどははは、、、のののもともともとににに車車くるま引引ひきききよせよせよせててて立立たてるてるてるににに、、、おびおびおびばかりばかりばかりしししたるたるたる若若わかききき法師法師ほうしばらばらばらのののあしだあしだあしだととといふいふいうものものものをををはきはきはきててて、、、いさゝかいさゝかいささかつゝみつゝみつつみもももなくなくなくおりおりおりのぼるのぼるのぼるとてとてとて何何なにととともももなきなきなき經經きょうのののはしはしはしうちうちうち讀讀よみみみ、、、倶舍倶舍くしゃのののををを少少すこしししいひいひいいつゞけつゞけつづけありくありくありくこそこそこそ所所ところにににつけつけつけてててをかしけれをかしけれおかしけれ。。。わがわがわがのぼるのぼるのぼるはははいといといとあやふくあやふくあやうくかたはらかたはらかたわらににによりよりよりててて、、、高欄高欄こうらんおさへおさへおさえてててゆくゆくゆくものものものををを、、、唯唯ただ板敷板敷いたじきなどなどなどのののやうやうようににに思思おもひひいたるたるたるもももをかしをかしおかし。。。局局つぼねしししたりたりたりなどなどなどいひいひいいてててくつくつくつどもどもどももてもてもてきききててておろすおろすおろす、、、きぬきぬきぬかへさまかへさまかえさまににに引引ひきききかへしかへしかえしなどなどなどしししたるたるたるもももありありあり。。。裳裳もからぎぬからぎぬからぎぬなどなどなどこはごはしくこはごはしくこわごわしくさうぞきさうぞきそうぞきたるたるたるもももありありあり。。。ふかぐつふかぐつふかぐつ、、、などなどなどはきはきはきててて廊廊ろうのののほどほどほどなどなどなどくつくつくつすりすりすり入入いるるるははは、、、うちうちうちわたりわたりわたりめきめきめきててて又又またをかしをかしおかし。。。うちとうちとうちとなどなどなどゆるさゆるさゆるされれれたるたるたる若若わかききき男男おとこどもどもども家家いえののの子子こなどなどなど又又また立立たちちちつゞきつゞきつづきててて「「「そこもとそこもとそこもとはははおちおちおちたるたるたる所所ところににに侍侍はべるるるめりめりめり。。。あがりあがりあがりたるたるたる」」」などなどなど敎敎おしへへへゆくゆくゆく。。。何物何物なにものにににかかかあらあらあらむむん、、、いといといと近近ちかくくくさしさしさし步步あゆみみみさいだつさいだつさいだつものものものなどなどなどををを「「「しばししばししばし、、、人人ひとのののおはしますおはしますおわしますににに、、、かくかくかくはははまじらまじらまじらぬぬぬわざわざわざなりなりなり」」」などなどなどいふいふいうををを、、、げにげにげにとてとてとて少少すこししし立立たちちちおくるゝおくるゝおくるるもももありありあり。。。又又また聞聞ききききももも入入いれれれずずず我我われまづまづまずとくとくとく佛佛ほとけののの御御おまへまへまえにににとととゆくゆくゆくもももありありあり。。。局局つぼねにににゆくゆくゆく程程ほどももも人人ひとのののゐゐいなみなみなみたるたるたる前前まえををを通通とおりりり行行ゆけけけばばばいといといとうたてうたてうたてあるあるあるににに、、、犬犬いぬののの中中なかををを見見み入入いれれれたるたるたる心心ここちちちいみじくいみじくいみじくたふとくたふとくたうとく、、、などてなどてなどて月頃月頃つきごろもももまうでまうでもうでずずず過過すぐしししつつつらむらむらんとてとてとてまづまづまず心心こころもももおこさおこさおこさるるる。。。
- 2常灯常灯じょうとうにににはははあらあらあらでででうちうちうちににに又又また人人ひとののの奉奉たてまつりりりたるたるたる、、、おそろしきおそろしきおそろしきまでまでまでもももえええたるたるたるににに佛佛ほとけのののきらきらきらきらきらきらととと見見みえええ給給たまへへえるるるいみじくいみじくいみじくたふとげたふとげたうとげににに、、、手手てごとごとごとににに文文ふみををを捧捧ささげげげてててににに向向むかひひいてててろぎろぎろぎちかふちかふちかうももも、、、さばかりさばかりさばかりゆすりゆすりゆすりみちみちみちててて、、、これこれこれはははととと取取とりりりはなちはなちはなちててて聞聞ききききわくわくわくべくべくべくもももあらあらあらぬぬぬににに、、、せめてせめてせめてしぼりしぼりしぼり出出いだしししたるたるたるこゑごゑこゑごゑこえごえのののさすがさすがさすがににに又又また紛紛まぎれれれずずず。。。「「「千千せんとうとうとうののの御御おん志志こころざしはははなにがしなにがしなにがしののの御御おんためためため」」」とととわづかわづかわずかににに聞聞きこゆゆゆ。。。おびおびおびうちうちうちかけかけかけててて拜拜おがみみみ奉奉たてまつるるるににに、、、「「「こゝこゝここにににかうかうこうさぶらふさぶらふさぶらう」」」ととといひいひいいてててしきみしきみしきみののの枝枝えだををを折折おりりりてててもてもてもてきききたるたるたるなどなどなどのののたふときたふときたうときなどなどなどもももなほなほなおをかしをかしおかし。。。犬犬いぬふせぎふせぎうせぎのののかたかたかたよりよりより法師法師ほうし寄寄よりりりきききててて「「「いといといとよくよくよく申申もうししし侍侍はべりりりぬぬぬ。。。いくかいくかいくかばかりばかりばかりこもらこもらこもらせせせ給給たまふふうべきべきべき」」」などなどなど問問とふふう。。。「「「しかしかしかしかしかしかののの人人ひとこもらこもらこもらせせせ給給たまへへえりりり」」」などなどなどいひいひいい聞聞きかかかせせせててていぬるいぬるいぬるすなはちすなはちすなわち火桶火桶ひおけくだくだくだ物物ものなどなどなどもてもてもてきききつゝつゝつつかすかすかす。。。ににに手水手水ちょうずなどなどなど入入いれれれてててたらひたらひたらいののの手手てもももなきなきなきなどなどなどありありあり。。。「「「御御おともともともののの人人ひとはははかのかのかの坊坊ぼうににに」」」などなどなどいひいひいいててて呼呼よびびびもてもてもて行行ゆけけけばばば、、、かはりがはりかはりがはりかわりがわりぞぞぞゆくゆくゆく。。。
- 3ののの鐘鐘かねのののおとおとおとわがわがわがなゝりなゝりななりととと聞聞きけけけばばばたのもしくたのもしくたのもしく聞聞きこゆゆゆ。。。かたはらかたはらかたわらににによろしきよろしきよろしき男男おとこのののいといといと忍忍しのびびびやかやかやかにににぬかぬかぬかなどなどなどつくつくつく。。。たちゐたちゐたちいのののほどほどほどももも心心こころあらあらあらむむんととと聞聞きこえええたるたるたるががが、、、いたくいたくいたく思思おもひひい入入いりりりたるたるたる氣色氣色けしきにてにてにて、、、いいいもももねねねずずず行行おこなふふうこそこそこそいといといと哀哀あわれなれなれなれ。。。うちうちうちやすむやすむやすむ程程ほどははは經經きょう高高たかくくくははは聞聞きこえええぬぬぬほどほどほどににに讀讀よみみみたるたるたるもももたふとげたふとげたうとげなりなりなり。。。高高たかくくくうちうちうち出出いでででさせさせさせまほしきまほしきまほしきにににましてましてまして鼻鼻はななどなどなどをををけざやかけざやかけざやかににに聞聞ききききにくゝにくゝにくくはははあらあらあらででで、、、少少すこししし忍忍しのびびびてててかみかみかみたるたるたるははは何事何事なにごとををを思思おもふふうらむらむらん。。。かれかれかれをををかなへかなへかなえばやばやばやとととこそこそこそ覺覺おぼゆれゆれゆれ。。。
- 4日日ひごろごろごろこもりこもりこもりたるたるたるににに晝晝ひるははは少少すこしししのどかのどかのどかにににぞぞぞ早早はようううはははありありありししし。。。法師法師ほうしののの坊坊ぼうにににをのこをのこおのこどもどもどもわらはべわらはべわらわべなどなどなどゆきゆきゆきてててつれづれつれづれつれずれなるなるなるににに、、、唯唯ただかたはらかたはらかたわらにににをををいといといと高高たかくくく俄俄にわかかかににに吹吹ふききき出出いだしししたるたるたるこそこそこそ驚驚おどろかかかるれるれるれ。。。淸淸きよげげげなるなるなるたてたてたて文文ぶみなどなどなどもたもたもたせせせたるたるたる男男おとこのののずきやうずきやうずきょうののの物物ものうちうちうち置置おきききててて、、、堂童子堂童子どうどうじなどなどなど呼呼よぶぶぶ聲聲こえははは山山やまひゞきひゞきひびきあひあひあいてててきらきらしうきらきらしうきらきらしゅう聞聞きこゆゆゆ。。。鐘鐘かねののの聲聲こえひゞきひゞきひびきまさりまさりまさりててていづこいづこいずこならならならむむんととと聞聞きくくく程程ほどににに、、、やんごとなきやんごとなきやんごとなき所所ところののの名名なうちうちうちいひいひいいててて御御ごさんさんさんたひらかたひらかたいらかににになどなどなど、、、などなどなどしししたるたるたる。。。すゞろすゞろすずろにににいかならいかならいかならむむんととと覺束覺束おぼつかなくなくなく念念ねんぜぜぜらるゝらるゝらるる。。。これこれこれはははたゞたゞただなるなるなるをりをりおりのののことことことなめりなめりなめり。。。
- 5正月正月しょうがつなどなどなどにににははは唯唯ただいといといと物物ものさわがしくさわがしくさわがしく物物もののぞみのぞみのぞみなどなどなどするするする人人ひとのののひまひまひまなくなくなくまうづるまうづるもうずる見見みるるるほどほどほどににに、、、おこなひおこなひおこないもももしやらしやらしやられれれずずず、、、日日ひのののうちうちうち暮暮くるゝるゝるるにににまうづるまうづるもうずるはははこもるこもるこもるひとひとひとなめりなめりなめり。。。小小こ法師法師ほうしばらばらばらのののもたぐもたぐもたぐべくべくべくもももあらあらあらぬぬぬ屏風屏風びょうぶなどなどなどののの高高たかききき、、、いといといとよくよくよくししし、、、たゝみたゝみたたみなどなどなどほうとほうとほうとたてたてたておくおくおくととと見見みれれればばば、、、唯唯ただ局局つぼねににに出出いでゝでゝでて犬犬いぬふせぎふせぎうせぎにににすだれすだれすだれをををさらさらさらさらさらさらとととかくるかくるかくるさまさまさまなどなどなどぞぞぞいみじくいみじくいみじくしつけしつけしつけたるたるたるははは安安やすげげげなりなりなり。。。そよそよそよそよそよそよとととあまたあまたあまたおりおりおりててておとなおとなおとなだちだちだちたるたるたる人人ひとののの、、、いやしからいやしからいやしからずずず忍忍しのびびびやかやかやかなるなるなる御御おんけはひけはひけわいにてにてにて、、、かへるかへるかえる人人ひとにににやややあらあらあらむむん「「「そのそのそのうちうちうちあやふしあやふしあやうし。。。火火ひののの事事こと制制せいせせせよよよ」」」などなどなどいふいふいうもももありありあり。。。七七ななつつつ八八やつつつばかりばかりばかりなるなるなるをのこゞをのこゞおのこごのののあいぎやうあいぎやうあいぎょうづきづきずきおごりおごりおごりたるたるたる聲聲こえにてにてにて、、、さぶらひさぶらひさぶらい人人びと呼呼よびびびつけつけつけ物物ものなどなどなどいひいひいいたるたるたるけはひけはひけわいもももいといといとをかしをかしおかし。。。又又また三三みつつつばかりばかりばかりなるなるなるちごちごちごのののねねねおびれおびれおびれててて、、、うちうちうちしはぶきしはぶきしわぶきたるたるたるけはひけはひけわいもももうつくしうつくしうつくし。。。乳母乳母めのとののの名名な、、、母母ははなどなどなどうちうちうち出出いでででたらたらたらむむんにににもももこれこれこれならならならむむんととといといといと知知しらららまほしまほしまほし。。。
- 6夜夜よ一一ひと夜夜よいみじういみじういみじゅうのゝしりのゝしりののしり行行おこなひひいあかすあかすあかす。。。ねねねももも入入いらららざりざりざりつるつるつるをををなどなどなどはてゝはてゝはてて少少すこしししうちうちうちやすみやすみやすみねねねぬるぬるぬる耳耳みみににに、、、そのそのその寺寺てらののの佛經佛經ぶつきょうをををいといといとあらあらしうあらあらしうあらあらしゅう高高たかくくくうちうちうち出出いでゝでゝでて讀讀よみみみたるたるたるににに、、、わざとわざとわざとたふとしたふとしたうとしともともともあらあらあらずずず。。。だちだちだちたるたるたる法師法師ほうしのののよむよむよむなめりなめりなめりとととふとふとふとうちうちうち驚驚おどろかかかれれれてててあはれあはれあわれににに聞聞きこゆゆゆ。。。又又またよるよるよるなどなどなどはははかほかほかお知知しらららででで人々人々ひとびとしきしきしき人人ひとののの行行おこなひひいたるたるたるががが靑靑あおにびにびにびののの指指さし貫貫ぬきのののはたばりはたばりはたばりたるたるたる、、、白白しろききき衣衣きぬどもどもどもあまたあまたあまた着着きててて、、、子子こどもどもどもなめりなめりなめりととと見見みゆるゆるゆる若若わかきききをのこをのこおのこのののをかしうをかしうおかしゅううちうちうちさうぞきさうぞきそうぞきたるたるたる、、、童童わらわなどなどなどしししてててさぶらひさぶらひさぶらいのののものものものどもどもどもあまたあまたあまたかしこまりかしこまりかしこまりしししたるたるたるもももをかしをかしおかし。。。かりそめかりそめかりそめににに屏風屏風びょうぶたてゝたてゝたててぬかぬかぬかなどなどなどすこしすこしすこしつくつくつくめりめりめり。。。かほかほかお知知しらららぬぬぬははは誰誰たれならならならむむんととといといといとゆかしゆかしゆかし。。。知知しりりりたるたるたるはははさささなめりなめりなめりととと見見みるるるもももをかしをかしおかし。。。若若わかききき人人ひとどもどもどもはははとかくとかくとかく局局つぼねどもどもどもなどなどなどのののわたりわたりわたりにににさまよひさまよひさまよいててて、、、佛佛ほとけののの御御おんかたかたかたににに目目め見見みやりやりやり奉奉たてまつらららずずず。。。別當別當べっとうなどなどなど呼呼よびびびててて打打うちちちさゝめきさゝめきささめき物語物語ものがたりしししててて出出いでででぬるぬるぬる、、、えせえせえせものものものとととははは見見みえええずずずかしかしかし。。。
- 7二月二月にがつ晦日晦日つごもり三月三月さんがつ朔日朔日ついたちごろごろごろ花花はなざかりざかりざかりにににこもりこもりこもりたるたるたるもももをかしをかしおかし。。。清清きよげげげなるなるなるをのこをのこおのこどもどもどもののの忍忍しのぶぶぶととと見見みゆるゆるゆる二三人二三人ふたりみたり、、、櫻櫻さくら靑柳靑柳あおやぎなどなどなどをかしうをかしうおかしゅうててて、、、くゝりくゝりくくりあげあげあげたるたるたる指指さし貫貫ぬきののの裾裾すそもももあでやかあでやかあでやかににに見見みなさなさなさるゝるゝるる。。。つきづきしきつきづきしきつきずきしきをのこをのこおのこにににさうぞくさうぞくそうぞくをかしうをかしうおかしゅうしししたるたるたるいだかいだかいだかせせせててて、、、小舍人小舍人こどねりわらはわらはわらわどもどもども紅梅紅梅こうばい萠黄萠黄もえぎののの狩衣狩衣かりぎぬににに色々色々いろいろのののきぬきぬきぬ、、、すりすりすりもどろかしもどろかしもどろかしたるたるたる袴袴はかまなどなどなど着着きせせせたりたりたり。。。花花はななどなどなど折折おらららせせせててて、、、侍侍さぶらいめきめきめきてててほそやかほそやかほそやかなるなるなる物物ものなどなどなど具具ぐしししててて打打うつつつこそこそこそをかしけれをかしけれおかしけれ。。。さぞかしさぞかしさぞかしととと見見みゆるゆるゆる人人ひとあれあれあれどどどいかでいかでいかでかかかははは知知しらららむむん。。。うちうちうち過過すぎぎぎててていぬるいぬるいぬるこそこそこそさすがさすがさすがにににさうざうしけれさうざうしけれそうぞうしけれ。。。「「「氣色氣色けしきををを見見みせせせましましましものものものををを」」」などなどなどいふいふいうもももをかしをかしおかし。。。
- 8かやうかやうかようにににててて寺寺てらごもりごもりごもり、、、すべてすべてすべて例例れいならならならぬぬぬ所所ところにににつかふつかふつかう人人ひとののの限限かぎりりりしししてててあるあるあるはははかひかひかいなくなくなくこそこそこそ覺覺おぼゆれゆれゆれ。。。猶猶なおおなじおなじおなじほどほどほどにてにてにて一一ひとつつつ心心こころにににをかしきをかしきおかしき事事こともももさまざまさまざまさまざまいひいひいい合合あわせせせつつつべきべきべき人人ひと、、、かならずかならずかならず一人一人ひとり二人二人ふたりあまたあまたあまたもももさそはさそはさそわまほしまほしまほし。。。そのそのそのあるあるある人人ひとののの中中なかにににももも口口くちをををしからしからしからぬぬぬもももあれあれあれどもどもども、、、目目めなれなれなれたるたるたるなるなるなるべしべしべし。。。男男おとこなどなどなどもももさささ思思おもふふうにににこそこそこそあめれあめれあめれ。。。わざとわざとわざと尋尋たずねねね呼呼よびびびもてもてもてありくありくありくめるめるめるはははいみじいみじいみじ。。。
現代語訳
正月に寺にこもっているのは、ひどく寒く、雪がちで凍りついているのが趣がある。雨などが降りそうな空模様なのは、たいそうよくない。初瀬などに参詣して局を用意するあいだは、呉階のもとに車を引き寄せて止めていると、帯だけを締めた若い法師たちが、足駄というものをはいて、少しも気にかけずに階段を上り下りしながら、何ということもない経の一節を口ずさみ、倶舎論の偈を少し唱え続けて歩き回るのは、場所柄にふさわしくて趣がある。自分が上るときはたいそう危なっかしく、端に寄って高欄につかまりながら進むのに、法師たちはただの板敷のように思っているのもおもしろい。「局の用意ができました」などと言って、沓などを持って来て車から降ろす。着物を裏返しに引き返したりしている者もいる。裳や唐衣などを、こわばるほどきちんと着込んでいる者もいる。深沓や半靴などをはいて、廊のあたりなどを沓を引きずるようにして入って行くのは、宮中の中のようで、またおもしろい。内外の出入りを許された若い男たちや家の子などが、また後に続いて、「そこは低くなっている所でございます。そこは高くなっています」などと教えて行く。何者だろうか、すぐ近くに歩み寄って先に立とうとする者などを、「しばらく。身分のある方がいらっしゃるのに、そのように割り込むものではない」などと言うと、なるほどと少し後に下がる者もいる。また聞き入れもせず、自分が先にと急いで仏の御前へ行く者もいる。局に行くときも、人の並んで座っている前を通って行くのはたいそういやなものだが、犬防ぎの内側をのぞき込んだときの気持ちは、たいそう尊く、どうしてこの何か月も参詣しないで過ごしてしまったのだろうと、まず信心が起こってくる。
御灯明が、常灯ではなく、内陣にまた人が奉納したものが、恐ろしいほどに燃えている中に、仏がきらきらと輝いてお見えになるのが、たいそう尊いところに、法師たちが手に手に願文を捧げて、礼盤に向かって身をゆらしながら誓いを立てるのも、あれほど堂内に響き満ちていて、これと取り出して聞き分けることもできないのに、声を張り上げて絞り出した声々が、さすがにまぎれずに聞こえる。「千灯のご奉納は、誰それのおんため」などと、わずかに聞こえる。掛け帯を肩に掛けて拝んでいると、「ここにこのように控えております」と言って、樒の枝を折って持って来たりするのも、尊いことにつけてもやはり趣がある。犬防ぎのほうから法師が近寄って来て、「たいそうよくお祈り申し上げました。何日ほどおこもりになるおつもりですか」などと尋ねる。「これこれの方がこもっていらっしゃいます」などと言い聞かせて去って行くと、すぐに火桶や果物などを持って来ては貸してくれる。半挿に手水などを入れて、取っ手のない盥なども持って来る。「お供の方は、あちらの宿坊に」などと言って呼び連れて行くので、交代で行く。
誦経の鐘の音が、自分のための誦経なのだと聞くと、心強く思われる。隣で、相当の身分らしい男が、たいそうひそやかに額をついて拝んでいる。立ち居のふるまいも、たしなみがありそうに聞こえる人が、ひどく思い詰めた様子で、眠りもせずに勤行しているのは、たいそう心を打たれる。休んでいるあいだは、経を声高には聞こえないほどの声で読んでいるのも尊く思われる。声を高く出して読ませたいと思うのに、まして鼻などを、はっきりと聞き苦しくはない程度に、少し遠慮してかんでいるのは、何を思い悩んでいるのだろう。あの人の願いをかなえてあげたいと思われる。
何日もこもっていると、昼間は少しのんびりしていたものだ。供の男たちや童などは法師の坊に行って、所在なくしていると、すぐそばで法螺貝をたいそう高く、急に吹き出したのには驚かされる。きれいな立て文などを持たせた男が、誦経の布施の品を置いて、堂童子などを呼ぶ声は、山にこだまして、はなやかに聞こえる。鐘の音がひときわ響いて、どこのための誦経だろうと聞いていると、高貴なお方の名を言って、「御出産が無事に」などと、教化の文句を唱えている。何の関係もないのに、どうなることだろうと気がかりで、つい祈ってしまう。これは普段の時のことであるようだ。
正月などには、ただもうたいそう騒がしく、官位の昇進を望む人などがひっきりなしに参詣するのを見ているうちに、勤行もろくにできない。日が暮れかかるころに参詣するのは、こもる人であるらしい。小法師たちが、とても持ち上げられそうにもない屏風などの高いものを、たいそううまく運び、畳などをばたんと置いて立てるのを見ていると、すぐに局に出て、犬防ぎに簾をさらさらと掛ける様子などは、たいそう手慣れていて、いかにも楽そうである。そよそよと衣ずれの音をさせて大勢降りて来て、年配らしい人が、品のよい、ひそやかなご様子で、帰る人なのだろうか、「その中は危ない。火の用心をしなさい」などと言う者もいる。七つ八つばかりの男の子が、愛らしく得意げな声で、供の者を呼びつけて何か言っている様子も、たいそうおもしろい。また、三つばかりの幼児が寝ぼけて、こほんと咳をしている様子もかわいらしい。乳母の名や「母」などと口にしたら、それはどういう人だろうと、たいそう知りたくなる。
一晩じゅう、たいそう大きな声を上げて勤行し明かす。眠らずにいたのに、後夜の勤めなどが終わって、少し休んで寝入った耳に、その寺の本尊の経をたいそう荒々しく、声高に読み上げているのが聞こえるが、ことさら尊いというのでもない。修行者めいた法師が読んでいるのだろうと、ふと目が覚めて、しみじみと聞こえる。また夜などは、顔は知らないが、ひとかどの身分らしい人が勤行していて、青鈍の指貫で幅の広いのをはき、白い衣を何枚も重ねて着て、その子どもらしく見える若い男がきれいに装っていたり、童などを連れていたりして、供の者たちが大勢かしこまって取り囲んでいるのも趣がある。仮に屏風を立てて、額などを少しついているようだ。顔を知らない人は誰だろうとたいそう知りたい。知っている人は、あの人らしいと見るのもおもしろい。若い人たちは、あれこれと局などのあたりをうろつき回って、仏のほうには目も向け申し上げない。別当などを呼んで、ひそひそと話をして出て行くのは、つまらない身分の者とは見えない。
二月の末や三月の初めごろ、花盛りにこもっているのも趣がある。こざっぱりとした男たちで、お忍びらしく見える二、三人が、桜襲や青柳襲などを美しく着こなして、くくり上げた指貫の裾も優美に見える。それにふさわしい供の男に、きれいに装わせた餌袋を抱えさせて、小舎人童たちには、紅梅や萌黄の狩衣に色とりどりの衣、模様を摺り乱した袴などを着せている。花などを折らせて、侍らしい者で、ほっそりとした者などを連れて、金鼓を打っているのは趣がある。きっとあの人だろうと見える人もいるけれど、どうして知ることができよう。通り過ぎて行ってしまうのは、やはり物足りない。「こちらの様子を見せたかったのに」などと言うのもおもしろい。
このように寺にこもる場合でも、すべて、ふだんと違う所に、召使いだけを連れて行くのは、かいがないように思われる。やはり同じくらいの身分で、同じ気持ちでおもしろいこともいろいろと話し合えるような人を、必ず一人か二人、大勢でも誘いたい。供の者の中にも気のきいた者もいるけれど、見慣れてしまっているのだろう。男なども、そう思うからこそであるらしい。わざわざ連れを探して呼び連れて歩くようなのは、たいしたものだ。
意訳
長谷寺にこもる女房の目に映った寺の一部始終である。急な階段を足駄で軽々と上り下りする若い僧と、こわごわ高欄につかまる自分たち。灯明に浮かぶ仏の尊さ、願文を読み上げる声のざわめき、隣でひそかに祈り、遠慮がちに鼻をかむ見知らぬ男への同情。昼ののんびりした時間を破る法螺貝の音、見知らぬ貴人の安産祈願につい手を合わせてしまう自分。正月の混雑、手際のよい小法師たち、寝ぼけて咳をする幼子、夜の勤行、お忍びの貴公子たちの花見がてらの参詣。作者は信仰の場にいながら、人の姿や声に絶えず好奇の目を向けている。結びの「気の合う連れが欲しい」という言葉には、見たこと聞いたことを誰かと語り合いたいという作者らしさがにじむ。
語釈・文法注
- はつせ
- 初瀬。大和国(奈良県)の長谷寺。十一面観音を本尊とし、平安時代には女性の参詣・参籠が盛んであった。
- くれはし
- 呉階(くれはし)。長谷寺の本堂へ上る屋根付きの長い階段(登廊)。
- 倶舎のじゆ
- 『倶舎論』の偈(じゅ)。仏教の基本教理を説く論書で、その要点を韻文にしたもの。修行僧が暗唱した。
- はうくわ
- 半靴(ほうか)。浅いくつ。深沓とともに、女房たちが廊を歩くためにはいたもの。
- 犬ふせぎ
- 犬防ぎ。仏堂の内陣と外陣とを仕切る低い格子の柵。
- みあかし
- 御灯明。仏前にともす灯火。「常灯」はいつもともしておく灯明。
- らいはん
- 礼盤(らいばん)。導師が仏前で礼拝・読経するときに上る高い座。三巻本では「礼盤にかひろぎ誓ふ」とあり、身をゆらして誓いを立てる意とされる。
- はんざふ
- 半挿(はんぞう)。湯や水を注ぐ、柄の付いた器。
- ずきやう
- 誦経(ずきょう)。布施をして僧に経を読ませること。その合図に鐘を打つ。
- かひ
- 法螺貝。寺で時刻や儀式の合図に吹き鳴らした。
- 敎化
- 教化(きょうけ)。法会で、願主の願意を仏に申し述べる文句を節をつけて唱えること。
- しんたい
- 進退。ここでは、大きな屏風などを自在に扱って運ぶこと。
- 後夜
- 一日を六つに分けて勤行する六時の一つ。夜半から明け方までの勤め。
- すぎやうしや
- 修行者。諸国を巡って修行する僧。
- ゐねう
- 囲繞(いにょう)。周りを取り囲むこと。
- ゑぶくろ
- 餌袋。もとは鷹の餌を入れる袋で、外出の際に菓子や食べ物を入れて持たせた。
- ごんぐ
- 金鼓(こんく)。仏前につるして打ち鳴らす、平たい円形の鉦。
文法
- 「わがなゝり」
- 「わが(誦経の鐘の)なるなり」がつづまった形。「自分のための誦経の鐘であるようだ」の意。
- 「かれをかなへばや」
- 「ばや」は自己の希望を表す終助詞。「あの人の願いをかなえてやりたい」。
- 「念ぜらるゝ」
- 「念ず」の未然形に自発の助動詞「らる」の連体形。「自然と祈ってしまう」。
解説
長谷寺参籠の体験を、時間の流れと場面の移り変わりに沿って描いた長い段である。階段、仏前、隣の参籠者、昼の寺、正月の混雑、夜の勤行、花盛りの参詣と、場面が次々に切り替わり、寺ごもりの一部始終がいきいきと伝わる。
作者の関心は、信仰そのものよりも、寺に集まる人々の姿や声に向けられている。顔の見えない隣人の祈りに同情し、見知らぬ貴人の安産祈願に思わず手を合わせ、幼子の咳や乳母の名に耳をそばだてる。音や気配を手がかりに人を思いやる描写が、この段の大きな魅力である。
結びで、寺ごもりには気の合う同輩を連れて行きたいと述べるのは、見聞きした「をかしき事」を語り合う相手がいてこそ楽しみが増すという、宮廷女房らしい感覚である。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、265–268頁(コマ135–137)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日