枕草子 第106段 日記的章段
淑景舎、春宮に参り給ふほどの事など
中宮定子の妹原子が東宮の女御として淑景舎に入内し、姉の定子のもとを訪れた日の晴れやかな一日を描く。父道隆、母貴子、兄伊周、弟隆家も集い、中関白家の栄華の頂点ともいえる場面が、作者ののぞき見を通して生き生きと語られる。
- 1春春とう宮宮ぐうににに參參まいりりり給給たまふふうほどほどほどののの事事ことなどなどなど、、、いかゞいかゞいかがはははめでたからめでたからめでたからぬぬぬ事事ことなしなしなし。。。正月正月しょうがつ十日十日とおかにににまゐりまゐりまいり給給たまひひいててて宮宮みやののの御御おおん方方かたににに御御おおん文文ふみなどなどなどはははしげうしげうしげう通通かよへへえどどど、、、御御おおん對對たい面面めんなどなどなどはははなきなきなきををを、、、二月二月にがつ十日十日とおか宮宮みやののの御御おおん方方かたにににわたりわたりわたり給給たまふふうべきべきべき御御おおんせうそこせうそこしょうそこあれあれあればばば、、、常常つねよりよりよりももも御御おおんしつらひしつらひしつらい心心こころことことことにににみがきみがきみがきつくろひつくろひつくろい、、、女房女房にょうぼうなどなどなどももも皆皆みな用用よう意意いしししたりたりたり。。。よよよなかなかなかばかりばかりばかりににに渡渡わたらららせせせ給給たまひひいしかしかしかばばばいくばくいくばくいくばくもももなくなくなくてててあけあけあけぬぬぬ。。。登登とう華華か殿殿でんのののひんがしひんがしひんがしののの二二ふた間間まににに御御おおんしつらひしつらひしつらいはははしししたりたりたり。。。つとめてつとめてつとめていといといととくとくとく御御み格格こう子子し參參まいりりりわたしわたしわたしてててあかつきあかつきあかつき、、、殿殿との、、、うへうへうえひとつひとつひとつ御御み車車くるまにてにてにて參參まいりりり給給たまひひいにににけりけりけり。。。宮宮みやははは御御みざうしざうしぞうしののの南南みなみににに、、、四四し尺尺しゃくののの屏屏びょう風風ぶ西西にし東東ひんがしににに隔隔へだてゝてゝてて北北きた西西にしににに立立たてゝてゝてて御御おおんたゝみたゝみたたみしとねしとねしとねうちうちうち置置おきききててて御御おおん火火ひ桶桶おけばかりばかりばかりまゐりまゐりまいりたりたりたり。。。御御おおん屏屏びょう風風ぶののの南南みなみ、、、御御み帳帳ちょうののの前前まえににに女房女房にょうぼういといといと多多おおくくくさぶらふさぶらふさぶらう。。。
- 2こなたこなたこなたにてにてにて御御みぐしぐしぐしなどなどなどまゐるまゐるまいる程程ほど、、、「「「しげいしやしげいしやしげいしやははは見見み奉奉たてまつりりりしししややや」」」ととと問問とはははせせせ給給たまへへえばばば、、、「「「まだまだまだいかでかいかでかいかでか。。。しやくぜんしやくぜんしやくぜん寺寺じ供供く養養ようののの日日ひ御御おおんうしろうしろうしろをををわづかわづかわずかににに」」」ととと聞聞きこゆれゆれゆればばば、、、「「「そのそのその柱柱はしらととと屏屏びょう風風ぶとととのののもともともとににによりよりよりててて我我わがががうしろうしろうしろよりよりより見見みよよよ。。。いといといと美美うつくしきくしきくしき君君きみぞぞぞ」」」とととのたまはすれのたまはすれのたまわすればばば、、、うれしくうれしくうれしくゆかしさゆかしさゆかしさまさりまさりまさりててていつしかいつしかいつしかととと思思おもふふう。。。紅紅こう梅梅ばいのののかたかたかたもんもんもん、、、うきうきうきもんもんもんののの御御おおんぞぞぞどもどもどもににに紅紅くれないのののうちうちうちたるたるたる御御おおんぞぞぞ、、、みみみへへへがががうへうへうえににに唯唯ただ引引ひききき重重かさねねねててて奉奉たてまつりりりたるたるたるににに「「「紅紅こう梅梅ばいにににははは濃濃こききききぬきぬきぬこそこそこそをかしけれをかしけれおかしけれ。。。今今いまははは紅紅こう梅梅ばいははは着着きでででもももありありありぬぬぬべしべしべし。。。されされされどどど萠萠もえ黃黃ぎなどなどなどのののにくけれにくけれにくければばば紅紅くれないにににはははあはあはあわぬぬぬなりなりなり」」」とととののの給給たまはすれはすれわすれどどど、、、唯唯ただいといといとめでたくめでたくめでたく見見みえええさせさせさせ給給たまふふう。。。奉奉たてまつりりりたるたるたる御御おおんぞぞぞにににやがてやがてやがて御御おおんかたちかたちかたちのののにほひにほひにおい合合あわせせせ給給たまふふうぞぞぞ。。。猶猶なおことことことよきよきよき人人ひともももかくかくかくやややおはしますおはしますおわしますらむらむらんとととぞぞぞゆかしきゆかしきゆかしき。。。
- 3さてさてさてゐざりゐざりいざり出出いでででさせさせさせ給給たまひひいぬれぬれぬればばばやがてやがてやがて御御おおん屏屏びょう風風ぶににに添添そひひいつきつきつきてててのぞくのぞくのぞくををを「「「あしかあしかあしかめりめりめり。。。うしろめたきうしろめたきうしろめたきわざわざわざ」」」ととときこえきこえきこえごつごつごつ人々人々ひとびともももいといといとをかしをかしおかし。。。御御みしやうじしやうじしょうじののの廣廣ひろうううあきあきあきたれたれたればばばいといといとよくよくよく見見みゆゆゆ。。。うへうへうえははは白白しろききき御御おおんぞぞぞどもどもども紅紅くれないのののはりはりはりたるたるたる二二ふたつつつばかりばかりばかり、、、女房女房にょうぼうののの裳裳もなななめりめりめり引引ひきききかけかけかけててておくおくおくににによりよりよりててて東東ひんがしおもておもておもてにににおはすれおはすれおわすればばばたゞたゞただ御御おおんぞぞぞなどなどなどぞぞぞ見見みゆるゆるゆる。。。しげいしやしげいしやしげいしやははは北北きたにににすこしすこしすこしよりよりよりててて南南みなみ向向むきにににおはすおはすおわす。。。紅紅こう梅梅ばいどもどもどもあまたあまたあまた濃濃こくくく薄薄うすくくくててて濃濃こきききあやあやあやののの御御おおんぞぞぞ、、、少少すこしししあかきあかきあかき蘇蘇す枋枋おうののの織織おり物物ものののの袿袿うちき、、、萠萠もえ黄黄ぎのののかたかたかたもんもんもんのののわかやかわかやかわかやかなるなるなる御御おおんぞぞぞ奉奉たてまつりりりててて扇扇おうぎをををつとつとつとさしさしさし隱隱かくししし給給たまへへえりりり。。。いといといといみじくいみじくいみじくげにげにげにめでたくめでたくめでたく美美うつくしくしくしととと見見みえええ給給たまふふう。。。殿殿とのはははうすうすうす色色いろののの直衣直衣のうし、、、萠萠もえ黃黃ぎののの織織おり物物ものののの御御おおん指指さし貫貫ぬき、、、紅紅くれないののの御御おおんぞぞぞどもどもども、、、御御おおんひもひもひもさしさしさしててて廂廂ひさしののの柱柱はしらにににうしろうしろうしろをををあてゝあてゝあててこなたこなたこなたざまざまざまににに向向むきききててておはしますおはしますおわします。。。めでたきめでたきめでたき御御おおん有有あり樣樣さまどもどもどもをををうちうちうちゑみゑみえみててて例例れいのののたはぶれたはぶれたわぶれごとごとごとをををせせせさせさせさせ給給たまふふう。。。しげいしやしげいしやしげいしやののの繪繪えににに書書かきききたるたるたるやうやうようににに美美うつくしげくしげくしげにてにてにて居居いさせさせさせ給給たまへへえるるるににに、、、宮宮みやいといといとやすらかやすらかやすらかににに今今いますこしすこしすこしおとなびおとなびおとなびさせさせさせ給給たまへへえるるる御御みけしきけしきけしきののの紅紅くれないののの御御おおんぞぞぞににに匂匂におひひい合合あわせせせ給給たまひひいててて、、、なほなほなおたぐひたぐひたぐいはははいかでかいかでかいかでかととと見見みえええさせさせさせ給給たまふふう。。。
- 4御御みてうづてうづちょうずまゐるまゐるまいる。。。かのかのかの御御おおんかたかたかたははは宣宣せん耀耀よう殿殿でん、、、ぢやうぐわでんぢやうぐわでんじょうがでんをををとほりとほりとおりててて童童わらわ二二ふた人人り下下しも仕仕づかえ四四よ人人たりしししてててもてもてもてまゐるまゐるまいるめりめりめり。。。からからから廂廂びさしのののこなたこなたこなたののの廊廊ろうにににぞぞぞ女房女房にょうぼう六六ろく人人にんばかりばかりばかりさぶらふさぶらふさぶらう。。。せばしせばしせばしとてとてとてかたへかたへかたえははは御御おおんおくりおくりおくりしししててて皆皆みな歸歸かえりりりにににけりけりけり。。。櫻櫻さくらのののかざみかざみかざみ、、、萠萠もえ黃黃ぎ紅紅こう梅梅ばいなどなどなどいみじくいみじくいみじく、、、かざみかざみかざみ長長ながくくくゑりゑりえり引引ひきききててて取取とりりり次次つぎぎぎまゐらすまゐらすまいらすいといといとなまめかしなまめかしなまめかし。。。織織おり物物もののののからからからぎぬぎぬぎぬどもどもどもこぼれこぼれこぼれ出出いでゝでゝでて、、、すけまさすけまさすけまさのののうまうまうまのののかみかみかみのののむすめむすめむすめ少少しょう將將しょうののの君君きみ、、、北北きた野野のののの三位三位さんみのののむすめむすめむすめ宰宰さい相相しょうののの君君きみなどなどなどぞぞぞ近近ちかくくくはははあるあるある。。。あなあなあなをかしをかしおかしととと見見みるるる程程ほどににに、、、このこのこの御御おおんかたかたかたののの御御みてうづてうづちょうずばんばんばんののの釆釆うね女女め、、、あをあをあおすそごすそごすそごののの裳裳も、、、唐唐からぎぬぎぬぎぬ、、、くんたいくんたいくんたい、、、ひれひれひれなどなどなどしししててておもておもておもてなどなどなどいといといと白白しろくくくててて下下しも仕仕づかえなどなどなど取取とりりり次次つぎぎぎてててまゐるまゐるまいる程程ほど、、、これこれこれはははたたたおほやけしうおほやけしうおおやけしゅう唐唐からめいめいめいてててをかしをかしおかし。。。おものおものおものゝゝのをりをりおりににになりなりなりてててみぐしみぐしみぐしあげあげあげまゐりまゐりまいりててて、、、藏藏くら人人うどどもどもどもまかなひまかなひまかないのののかみかみかみあげあげあげてててまゐらするまゐらするまいらする程程ほどににに、、、へだてへだてへだてたりたりたりつるつるつる屏屏びょう風風ぶももも押押おしししあけあけあけつれつれつればばば、、、かいまみかいまみかいまみののの人人ひとかくれかくれかくれ蓑蓑みのとらとらとられれれたるたるたる心心ここちちちしししててて飽飽あかかかずずずわびしけれわびしけれわびしければばば、、、みすみすみすととと凡凡き帳帳ちょうとととののの中中なかにてにてにて柱柱はしらのののもともともとよりよりよりぞぞぞ見見み奉奉たてまつるるる。。。きぬきぬきぬののの裾裾すそ裳裳もなどなどなど唐唐からぎぬぎぬぎぬははは皆皆みなみすみすみすのののそとそとそとにににおしおしおし出出いだささされれれたれたれたればばば、、、殿殿とののののはしはしはしのののかたかたかたよりよりより御御ご覽覽らんじじじ出出いだしししててて「「「たぞたぞたぞややや、、、霞霞かすみのののまままよりよりより見見みゆるゆるゆるははは」」」ととととがめとがめとがめさせさせさせ給給たまふふうににに、、、「「「少少しょう納納な言言ごんががが物物ものゆかしゆかしゆかしがりがりがりててて侍侍はべるるるならならならむむん」」」ととと申申もうさささせせせ給給たまへへえばばば、、、「「「あなあなあなはづかしはづかしはずかし。。。かれかれかれはははふるきふるきふるきとくいとくいとくいををを。。。いといといとにくげにくげにくげなるなるなるむすめむすめむすめどもどもども持持もちちちたりたりたりともともともこそこそこそ見見み侍侍はべれれれ」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう。。。御御みけしきけしきけしきいといといとしたりしたりしたり顏顏がおなりなりなり。。。
- 5あなたあなたあなたにににもももおものおものおものまゐるまゐるまいる。。。「「「うらやましくうらやましくうらやましくかたがたかたがたかたがたのののははは皆皆みなまゐりまゐりまいりぬぬぬめりめりめり。。。とくとくとくきこしめしきこしめしきこしめしててて翁翁おきな女女おうなにににおろしおろしおろしをををだにだにだに給給たまへへえ」」」などなどなど唯唯ただ日日ひひとひとひと日日ひさるがうさるがうさるごうことことことをををししし給給たまふふうほどほどほどににに、、、大大だい納納な言言ごん殿殿どの、、、三位三位さんみ中將中將ちゅうじょう、、、松松まつ君君ぎみもももゐゐいててて參參まいりりり給給たまへへえりりり。。。殿殿とのいつしかいつしかいつしかととといだきいだきいだき取取とりりり給給たまひひいててて膝膝ひざにににすゑすゑすえ給給たまへへえるるるいといといとうつくしうつくしうつくし。。。せばきせばきせばきえんえんえんににに所所ところせきせきせき日日ひののの御御おおんさうぞくさうぞくそうぞくののの下下した襲襲がさねなどなどなど引引ひきききちらさちらさちらされれれたりたりたり。。。大大だい納納な言言ごん殿殿どのはははものものしうものものしうものものしゅう淸淸きよげげげににに、、、中將中將ちゅうじょう殿殿どのはははらうらうしうらうらうしうろうろうしゅういづれいづれいずれもももめでたきめでたきめでたきををを見見み奉奉たてまつるるるににに、、、殿殿とのをををばばばさるさるさるものものものにてにてにてうへうへうえののの御御おおんすくせすくせすくせこそこそこそめでたけれめでたけれめでたけれ。。。御御おおんわらふだわらふだわらうだなどなどなど聞聞きこえええ給給たまへへえどどど、、、陣陣じんにににつきつきつき侍侍はべらららむむんとてとてとていそぎいそぎいそぎ立立たちちち給給たまひひいぬぬぬ。。。しばししばししばしありありありててて式式しき部部ぶのののじようじようじようなにがしなにがしなにがしとかとかとかややや御御おおん使使つかいにににまゐりまゐりまいりたれたれたればばば、、、おものおものおものやどりやどりやどりののの北北きたににによりよりよりたるたるたる間間まにににしとねしとねしとねさしさしさし出出いでゝでゝでてすゑすゑすえたりたりたり。。。御御おおんかへりかへりかえりははは今日今日きょうはははとくとくとく出出いださださださせせせ給給たまひひいつつつ。。。まだまだまだしとねしとねしとねももも取取とりりり入入いれれれぬぬぬほどほどほどににに、、、東東とう宮宮ぐうののの御御おおん使使つかいにににちかよりちかよりちかよりののの少少しょう將將しょうまゐりまゐりまいりたりたりたり。。。御御おおん文文ふみとりとりとり入入いれれれてててわたどのわたどのわたどのはははほそきほそきほそきえんえんえんなれなれなればばば、、、こなたこなたこなたのののえんえんえんにににしとねしとねしとねさしさしさし出出いでででたりたりたり。。。御御おおん文文ふみとりとりとり入入いれれれててて、、、殿殿との、、、うへうへうえ、、、宮宮みやなどなどなど御御ご覽覽らんじじじわたすわたすわたす。。。「「「御御おおんかへりかへりかえりはやはやはや」」」などなどなどあれあれあれどどど、、、とみとみとみにににももも聞聞きこえええ給給たまははわぬぬぬををを「「「なにがしなにがしなにがしががが見見み侍侍はべれれればばば出出いででで給給たまははわぬぬぬなななめりめりめり。。。さらさらさらぬぬぬをりをりおりはははまままもももなくなくなくこれこれこれよりよりよりぞぞぞ聞聞きこえええ給給たまふふうなるなるなる」」」などなどなど申申もうししし給給たまへへえばばば、、、御御おおんおもておもておもてはははすこしすこしすこしあかみあかみあかみながらながらながら少少すこしししうちうちうちほゝゑみほゝゑみほほえみ給給たまへへえるるるいといといとめでたしめでたしめでたし。。。「「「とくとくとく」」」などなどなどうへうへうえももも聞聞きこえええ給給たまへへえばばば、、、奧奧おくざまざまざまににに向向むきききててて書書かかかかせせせ給給たまふふう。。。うへうへうえ近近ちかくくく寄寄よりりり給給たまひひいててて、、、もろとももろとももろともにににかゝかゝかかせせせ奉奉たてまつりりり給給たまへへえばばばいとゞいとゞいとどつゝましげつゝましげつつましげなりなりなり。。。宮宮みやののの御御おおんかたかたかたよりよりより萠萠もえ黃黃ぎののの織織おり物物ものののの小小こ袿袿うちき袴袴はかま押押おししし出出いだささされれれたれたれたればばば、、、三位三位さんみ中將中將ちゅうじょうかづけかづけかずけ給給たまふふう。。。くるしげくるしげくるしげににに思思おもひひいててて立立たちちちぬぬぬ。。。松松まつ君君ぎみのののをかしうをかしうおかしゅう物物もののたまふのたまふのたまうををを、、、誰誰たれももも誰誰たれもももうつくしうつくしうつくしがりがりがり聞聞きこえええ給給たまふふう。。。「「「宮宮みやののの御御み子子こたちたちたちとてとてとて引引ひききき出出いでででたらたらたらむむんにににわろくわろくわろくははは侍侍はべらららじじじかしかしかし」」」などなどなどのたまはするのたまはするのたまわするををを、、、げにげにげになどなどなどかかか今今いままでまでまでさるさるさる事事ことのののとととぞぞぞ心心こころもとなきもとなきもとなき。。。
- 6ひつじひつじひつじののの時時ときばかりばかりばかりににに、、、えんだうえんだうえんどうまゐるまゐるまいるととといふいふいう程程ほどもももなくなくなく、、、うちうちうちそよめきそよめきそよめき入入いらららせせせ給給たまへへえばばば、、、宮宮みやもももこなたこなたこなたににに寄寄よらららせせせ給給たまひひいぬぬぬ。。。やがてやがてやがて御御み帳帳ちょうににに入入いらららせせせ給給たまひひいぬれぬれぬればばば、、、女房女房にょうぼう南南みなみおもておもておもてにににそよめきそよめきそよめき出出いでででぬぬぬめりめりめり。。。らうらうろうににに殿上人殿上人てんじょうびといといといと多多おおかりかりかり。。。殿殿とのののの御御おまへまへまえににに宮宮みや司司ずかさめしめしめしてててくだものくだものくだものさかなさかなさかなめさめさめさすすす。。。「「「人々人々ひとびとゑはせゑはせえわせ」」」などなどなどおほせおほせおおせらるらるらる。。。誠誠まことににに皆皆みなゑひゑひえいててて女房女房にょうぼうととと物物ものいひいひいいかはすかはすかわす程程ほど、、、かたみかたみかたみにににをかしをかしおかしととと思思おもひひいたりたりたり。。。日日ひののの入入いるるる程程ほどににに起起おきききさせさせさせ給給たまひひいててて山山やま井井のゐののの大大だい納納な言言ごん召召めししし入入いれれれてててみうちきみうちきみうちきまゐらせまゐらせまいらせ給給たまひひいてててかへらかへらかえらせせせ給給たまふふう。。。櫻櫻さくらののの御御おおん直衣直衣のうしににに、、、紅紅くれないののの御御おおんぞぞぞののの夕夕ゆうばえばえばえなどなどなどもももかしこけれかしこけれかしこければばばとゞめとゞめとどめつつつ。。。山山やまのののゐゐいののの大大だい納納な言言ごんはははいりいりいりたゝたゝたたぬぬぬ御御おおんせうとせうとしょうとにてにてにてももも、、、いといといとよくよくよくおはすおはすおわすかしかしかし。。。にほひやかにほひやかにおいやかなるなるなる方方かたはははこのこのこの大大だい納納な言言ごんにににもももまさりまさりまさり給給たまへへえるるるものものものををを、、、世世よののの人人ひとはははせちせちせちににに言言いひひいおとしおとしおとしきこゆるきこゆるきこゆるこそこそこそいとほしけれいとほしけれいとおしけれ。。。殿殿との、、、大大だい納納な言言ごん、、、山山やまのののゐゐいののの大大だい納納な言言ごん、、、三位三位さんみののの中將中將ちゅうじょう、、、內內くら藏藏の頭頭かみなどなどなど皆皆みなさぶらひさぶらひさぶらい給給たまふふう。。。宮宮みやのぼらのぼらのぼらせせせ給給たまふふうべきべきべき御御おおん使使つかいにてにてにてうまうまうまののの内内ない侍侍しのののすけすけすけ參參まいりりり給給たまへへえりりり。。。「「「今今こ宵宵よいはははえええ」」」などなどなどしぶらしぶらしぶらせせせ給給たまふふうををを、、、殿殿との聞聞きかかかせせせ給給たまひひいててて「「「いといといとあるあるあるまじきまじきまじき事事こと。。。はやはやはやのぼらのぼらのぼらせせせ給給たまへへえ」」」ととと申申もうさささせせせ給給たまふふうににに、、、又又また春春とう宮宮ぐうののの御御おおん使使つかいしきりしきりしきりにににあるあるある程程ほどいといといとさわがしさわがしさわがし。。。御御おおんむかへむかへむかえににに女房女房にょうぼう、、、春春とう宮宮ぐうのののなどなどなどももも參參まいりりりてててとくとくとくとととそゝのかしそゝのかしそそのかし聞聞きこゆゆゆ。。。「「「まづまづまずさばかさばかさばかののの君君きみわたしわたしわたし聞聞きこえええ給給たまひひいててて」」」とととのたまはすれのたまはすれのたまわすればばば、、、「「「さりともさりともさりともいかでかいかでかいかでか」」」とととあるあるあるををを、、、「「「猶猶なお見見みおくりおくりおくり聞聞きこえええむむん」」」などなどなどのたまはするのたまはするのたまわする程程ほどいといといとをかしうをかしうおかしゅうめでたしめでたしめでたし。。。「「「さらばさらばさらば遠遠とおきききをををさきさきさきににに」」」とてとてとて、、、まづまづまずしげいしやしげいしやしげいしやわたりわたりわたり給給たまひひいててて殿殿とのなどなどなどかへらかへらかえらせせせ給給たまひひいてててぞぞぞのぼらのぼらのぼらせせせ給給たまふふう。。。道道みちののの程程ほどももも殿殿とのののの御御おおんさるがうさるがうさるごうことことことにににいみじくいみじくいみじく笑笑わらひひいてててほとほとほとほとほとほとうちうちうちはしはしはしよりよりよりもももおちおちおちぬぬぬべしべしべし。。。
現代語訳
淑景舎の女御が東宮のもとに参内なさったころのことなど、何一つすばらしくないことはない。正月十日に参内なさって、中宮様の御方とはお手紙などはしきりにやりとりなさるけれど、お会いになることはなかったのを、二月十日に中宮様の御方へお渡りになるというお便りがあったので、いつもよりも御部屋のしつらえを特に念入りに磨き整え、女房たちもみな心づもりをしていた。夜中ごろにお渡りになったので、間もなく夜が明けた。登華殿の東の二間に御座所のしつらえはしてあった。翌朝、たいそう早く御格子を一面に上げて、明け方に、関白殿と北の方が一つの御車で参上なさった。中宮様は御曹司の南に、四尺の屏風を西と東に隔てて北向きに立てて、御畳や敷物を置いて、御火桶だけを差し上げてあった。御屏風の南、御帳台の前に女房がたいそう大勢控えている。', 'こちらで中宮様の御髪をお整えしているときに、中宮様が「淑景舎を見申し上げたことがありますか」とお尋ねになるので、「まだどうして。積善寺供養の日に、後ろ姿をほんの少し」と申し上げると、「その柱と屏風とのところに寄って、私の後ろから見なさい。たいそう美しい方ですよ」とおっしゃるので、うれしくて、見たい気持ちがいっそう増して、早くと思う。中宮様は、紅梅の固紋や浮紋の御衣に、紅の打った御衣を三重ほど、ただ重ねてお召しになって、「紅梅には濃い衣がよく映えるのよ。今はもう紅梅は着なくてもよい季節でしょう。けれども萌黄などが嫌いなので、紅には合わないのです」とおっしゃるけれど、ただもうたいそうすばらしくお見えになる。お召しになっている御衣の色に、そのままお顔の色つやが映え合っていらっしゃることよ。やはり、ほかのすぐれた方もこのようでいらっしゃるのだろうかと、見たくてたまらない。', 'さて中宮様がいざり出ていらっしゃったので、すぐに御屏風に寄り添ってのぞくのを、「よくないようね。気がかりなこと」と言い合っている女房たちも、たいそうおもしろい。御障子が広く開いているので、たいそうよく見える。北の方は、白い御衣を何枚かに、紅の張った衣を二枚ほど着て、女房の裳だろうか、引きかけて、奥に寄って東向きにいらっしゃるので、ただ御衣などだけが見える。淑景舎は北に少し寄って南向きにいらっしゃる。紅梅の衣をたくさん、濃いのや薄いのを重ねて、濃い綾の御衣、少し赤みのある蘇芳の織物の袿、萌黄の固紋の若々しい御衣をお召しになって、扇でじっと顔を隠していらっしゃる。たいそうすばらしく、本当にお美しいとお見えになる。関白殿は、薄色の直衣、萌黄の織物の御指貫、紅の御衣を何枚か着て、御紐を差して、廂の柱に背中を当てて、こちら向きにいらっしゃる。すばらしいお嬢様方のご様子を、にこにこ眺めながら、いつものように冗談をおっしゃる。淑景舎が絵に描いたように美しく座っていらっしゃるのに対して、中宮様はたいそうゆったりと、もう少し大人びていらっしゃるご様子が、紅の御衣に映え合っていらっしゃって、やはりこれに並ぶ方がどうしていようかとお見えになる。', '御手水を差し上げる。あちらの淑景舎の御方の分は、宣耀殿、貞観殿を通って、童女二人、下仕え四人で運んでくるようだ。唐廂のこちらの廊には、女房が六人ほど控えている。狭いからといって、半分はお送りして、みな帰ってしまった。桜襲の汗衫、萌黄や紅梅などの衣がたいそうすばらしく、汗衫の裾を長く引いて取り次いで差し上げるのは、たいそう優美だ。織物の唐衣などの袖口がこぼれ出て、相尹の馬頭の娘の少将の君、北野の三位の娘の宰相の君などが近くに控えている。ああすばらしいと見ていると、こちらの中宮様の御手水番の采女が、青裾濃の裳、唐衣、裙帯、領巾などを着けて、顔などをたいそう白くして、下仕えなどが取り次いで差し上げる様子は、これはまた公式で唐風で趣がある。お食事の時になって、御髪上げの女官が参上して、蔵人たちがお給仕の髪を結い上げて差し上げるときに、隔ててあった屏風も押し開けたので、のぞき見をしていた私は隠れ蓑を取られたような気がして、物足りなくつらいので、御簾と几帳との間で、柱のもとからお見上げする。衣の裾や裳など、唐衣はみな御簾の外に押し出されていたので、関白殿が端の方からご覧になって、「誰だ、霞の間から見えるのは」とおとがめになるので、中宮様が「少納言が見たがっているのでしょう」と申し上げなさると、「ああ恥ずかしい。あれは古くからのなじみですよ。ひどく醜い娘たちを持っていると見られていることでしょう」などとおっしゃる。そのご様子は、たいそう得意げである。', 'あちらにもお食事を差し上げる。「うらやましいことに、どちらの方々のお食事もみな運ばれたようだ。早く召し上がって、この翁と女に、せめてお下がりだけでもください」などと、一日じゅうおどけたことをおっしゃっているうちに、大納言殿、三位中将が、松君も連れて参上なさった。関白殿は待ちかねたように抱き取りなさって、膝の上に据えなさったのは、たいそうかわいらしい。狭い縁側に、窮屈なほどの昼の装束の下襲などが引き散らされている。大納言殿は重々しく美しく、中将殿は才気があり、どちらもすばらしいのを拝見すると、関白殿はもちろんのこと、北の方のご運勢こそすばらしいことだ。敷物などをおすすめになるけれど、陣の座につきましょうと言って、急いでお立ちになった。しばらくして、式部丞の何某とかいう人が帝のお使いとして参上したので、御膳宿りの北に寄った間に敷物を差し出して座らせた。お返事は、今日は早くお出しになった。まだ敷物も取り入れないうちに、東宮のお使いとして周頼の少将が参上した。お手紙を取り入れて、渡殿は細い縁側なので、こちらの縁側に敷物を差し出した。お手紙を取り入れて、関白殿、北の方、中宮様などが順にご覧になる。「お返事を早く」などと言われるけれど、淑景舎がすぐにはお返事を申し上げなさらないのを、関白殿が「この私が見ているので、お書きにならないのでしょう。そうでない時は、間を置かずにこちらからお便りを差し上げなさると聞いていますよ」などと申し上げなさると、お顔を少し赤らめながら、少しほほえまれたのは、たいそうすばらしい。「早く」などと北の方も申し上げなさるので、奥の方に向いてお書きになる。北の方が近くに寄りなさって、一緒にお書かせ申し上げなさるので、ますます恥ずかしそうである。中宮様の御方から、萌黄の織物の小袿と袴を差し出されたので、三位中将が使いの少将に肩にかけてやりなさる。少将は窮屈そうに思って立ち去った。松君がかわいらしく物をおっしゃるのを、誰もが誰もかわいがり申し上げなさる。「中宮様の御子たちだと言って人前に連れ出しても、見劣りはしないでしょう」などと関白殿がおっしゃるのを、本当にどうして今まで中宮様にそういう御子がないのだろうと、気がかりだ。', '未の刻ごろに、「筵道を敷きます」と言うかと思う間もなく、衣ずれの音をさせて帝がお入りになったので、中宮様もこちらにお寄りになった。そのまま御帳台にお入りになったので、女房たちは南面に衣ずれの音をさせて出ていったようだ。廊には殿上人がたいそう多い。関白殿が御前に中宮職の役人を呼んで、果物や肴を取り寄せさせなさる。「人々を酔わせよ」などとおっしゃる。本当にみな酔って、女房と言葉を交わす様子は、互いに趣深いと思っている。日の入るころにお起きになって、山井の大納言をお呼び入れになって、御袿をお召しになって、帝はお帰りになる。桜の御直衣に、紅の御衣の夕映えなども、恐れ多いので書くのはやめておく。山井の大納言は、関白殿の北の方腹ではない御兄だけれど、たいそうよくお仕えしていらっしゃる。華やかな美しさの点では、こちらの大納言にもまさっていらっしゃるのに、世間の人がひどく悪く言い申し上げるのは、気の毒だ。関白殿、大納言、山井の大納言、三位の中将、内蔵頭などがみなお仕えしていらっしゃる。中宮様が清涼殿の上の御局に上られるようにとのお使いとして、馬の典侍が参上なさった。「今夜はとても」などとしぶっていらっしゃるのを、関白殿がお聞きになって、「とんでもないことです。早くお上がりなさい」と申し上げなさるところに、また東宮からのお使いがしきりにあって、たいそう騒がしい。お迎えに、女房や東宮付きの者なども参上して、早くとお促し申し上げる。中宮様が「まず、あの方をお渡し申し上げてから」とおっしゃると、淑景舎は「そうはいっても、どうして先に」とおっしゃるのを、「やはりお見送り申し上げましょう」などとおっしゃる様子は、たいそう趣深くすばらしい。「それでは、遠い方を先に」と言って、まず淑景舎がお渡りになって、関白殿などがお帰りになってから、中宮様は上の御局にお上りになる。その道中も、関白殿のおどけた冗談にひどく笑って、あやうく打橋から落ちてしまいそうだった。'
意訳
長徳元年(995)二月、中宮定子の妹原子が東宮の女御として淑景舎に入り、姉の定子を訪れた日の記録である。父の関白道隆、母の貴子、兄の伊周、弟の隆家も集い、定子のまわりには一族が勢ぞろいする。作者は屏風の陰からのぞき見て、紅の衣が映える定子の大人びた美しさと、扇で顔を隠す原子の絵のような愛らしさを細やかに描く。道隆は冗談を言って皆を笑わせ、作者ののぞき見を見つけてからかう。一条天皇も訪れ、東宮からは手紙の使いがしきりに来る。中関白家がまさに栄華の頂点にあった一日である。しかし道隆はこの二か月後に亡くなり、一家は没落の道をたどることになる。そのことを知る作者が、あえてこの輝かしい一日を詳しく書き残したことに、深い思いがこめられている。
語釈・文法注
- しげいしや
- 淑景舎(しげいしゃ)。中宮定子の妹、藤原原子。長徳元年(995)正月、東宮居貞親王(のちの三条天皇)の女御となり、淑景舎に住んだ。
文法
- 「しやくぜん寺供養」
- 積善寺供養。正暦五年(994)二月、関白道隆が法興院内に建てた積善寺の落成供養。後の段で詳しく描かれる。
- 「殿、うへ」
- 関白藤原道隆と、その北の方高階貴子。
- 「霞のまより見ゆるは」
- 霞の間から見えるのは。御簾の外にはみ出した衣を霞にたとえて、のぞき見をからかった。
- 「松君」
- 伊周の子、道雅の幼名。
- 「山井の大納言」
- 藤原道頼。道隆の長男だが、貴子の子ではない(いりたたぬ御せうと)。
- 「さばかの君」
- あちらの君。淑景舎を指す。
解説
中関白家の栄華を最も華やかに描いた日記的章段である。父道隆、母貴子、兄伊周、弟隆家、伊周の子松君、そして定子と原子の姉妹が一堂に会し、一条天皇も訪れる。衣装の色合いまで細かく描かれ、一族の幸福な姿が絵巻のように再現されている。
道隆は冗談好きの陽気な人物として描かれ、作者ののぞき見を見つけて「古いなじみだ」とからかう場面には、作者と中関白家との親しい関係が表れている。
この日から二か月後の長徳元年四月、道隆は病没し、その後、伊周・隆家の配流、定子の出家と、中関白家は急速に没落していく。枕草子が執筆されたのはその後のことであり、作者がこの輝かしい一日を詳しく記したことには、失われた栄華への深い哀惜がこめられていると考えられる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、256–260頁(コマ131–133)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日