古典ライブラリー

枕草子 第106段 日記的章段

淑景舎、春宮に参り給ふほどの事など

中宮定子の妹原子が東宮の女御として淑景舎に入内し、姉の定子のもとを訪れた日の晴れやかな一日を描く。父道隆、母貴子、兄伊周、弟隆家も集い、中関白家の栄華の頂点ともいえる場面が、作者ののぞき見を通して生き生きと語られる。

  1. 1春とう春とうとう宮ぐう宮ぐうぐうににに參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまふふうほどほどほどののの事こと事ことことなどなどなど、、、いかゞいかゞいかがはははめでたからめでたからめでたからぬぬぬ事こと事ことことなしなしなし。。。正月しやうぐわつ正月しやうぐわつしょうがつ十日とをか十日とをかとおかにににまゐりまゐりまいり給たま給たまたまひひいててて宮みや宮みやみやののの御おほん御おほんおおん方かた方かたかたににに御おほん御おほんおおん文ふみ文ふみふみなどなどなどはははしげうしげうしげう通かよ通かよかよへへえどどど、、、御おほん御おほんおおん對たい對たいたい面めん面めんめんなどなどなどはははなきなきなきををを、、、二月にぐわつ二月にぐわつにがつ十日とをか十日とをかとおか宮みや宮みやみやののの御おほん御おほんおおん方かた方かたかたにににわたりわたりわたり給たま給たまたまふふうべきべきべき御おほん御おほんおおんせうそこせうそこしょうそこあれあれあればばば、、、常つね常つねつねよりよりよりももも御おほん御おほんおおんしつらひしつらひしつらい心こころ心こころこころことことことにににみがきみがきみがきつくろひつくろひつくろい、、、女房にようばう女房にようばうにょうぼうなどなどなどももも皆みな皆みなみな用よう用ようよう意い意いいしししたりたりたり。。。よよよなかなかなかばかりばかりばかりににに渡わた渡わたわたらららせせせ給たま給たまたまひひいしかしかしかばばばいくばくいくばくいくばくもももなくなくなくてててあけあけあけぬぬぬ。。。登とう登とうとう華くわ華くわか殿でん殿でんでんのののひんがしひんがしひんがしののの二ふた二ふたふた間ま間ままににに御おほん御おほんおおんしつらひしつらひしつらいはははしししたりたりたり。。。つとめてつとめてつとめていといといととくとくとく御み御みみ格かう格かうこう子し子しし參まゐ參まゐまいりりりわたしわたしわたしてててあかつきあかつきあかつき、、、殿との殿とのとの、、、うへうへうえひとつひとつひとつ御み御みみ車くるま車くるまくるまにてにてにて參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまひひいにににけりけりけり。。。宮みや宮みやみやははは御み御みみざうしざうしぞうしののの南みなみ南みなみみなみににに、、、四し四しし尺しやく尺しやくしゃくののの屏びやう屏びやうびょう風ぶ風ぶぶ西にし西にしにし東ひんがし東ひんがしひんがしににに隔へだ隔へだへだてゝてゝてて北きた北きたきた西にし西にしにしににに立た立たたてゝてゝてて御おほん御おほんおおんたゝみたゝみたたみしとねしとねしとねうちうちうち置お置おおきききててて御おほん御おほんおおん火ひ火ひひ桶をけ桶をけおけばかりばかりばかりまゐりまゐりまいりたりたりたり。。。御おほん御おほんおおん屏びやう屏びやうびょう風ぶ風ぶぶののの南みなみ南みなみみなみ、、、御み御みみ帳ちやう帳ちやうちょうののの前まへ前まへまえににに女房にようばう女房にようばうにょうぼういといといと多おほ多おほおおくくくさぶらふさぶらふさぶらう。。。
  2. 2こなたこなたこなたにてにてにて御み御みみぐしぐしぐしなどなどなどまゐるまゐるまいる程ほど程ほどほど、、、「「「しげいしやしげいしやしげいしやははは見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりしししややや」」」ととと問と問ととはははせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、「「「まだまだまだいかでかいかでかいかでか。。。しやくぜんしやくぜんしやくぜん寺じ寺じじ供く供くく養やう養やうようののの日ひ日ひひ御おほん御おほんおおんうしろうしろうしろをををわづかわづかわずかににに」」」ととと聞きこ聞きこきこゆれゆれゆればばば、、、「「「そのそのその柱はしら柱はしらはしらととと屏びやう屏びやうびょう風ぶ風ぶぶとととのののもともともとににによりよりよりててて我わ我わわがががうしろうしろうしろよりよりより見み見みみよよよ。。。いといといと美うつ美うつうつくしきくしきくしき君きみ君きみきみぞぞぞ」」」とととのたまはすれのたまはすれのたまわすればばば、、、うれしくうれしくうれしくゆかしさゆかしさゆかしさまさりまさりまさりててていつしかいつしかいつしかととと思おも思おもおもふふう。。。紅こう紅こうこう梅ばい梅ばいばいのののかたかたかたもんもんもん、、、うきうきうきもんもんもんののの御おほん御おほんおおんぞぞぞどもどもどもににに紅くれなゐ紅くれなゐくれないのののうちうちうちたるたるたる御おほん御おほんおおんぞぞぞ、、、みみみへへへがががうへうへうえににに唯ただ唯ただただ引ひ引ひひききき重かさ重かさかさねねねててて奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりたるたるたるににに「「「紅こう紅こうこう梅ばい梅ばいばいにににははは濃こ濃ここききききぬきぬきぬこそこそこそをかしけれをかしけれおかしけれ。。。今いま今いまいまははは紅こう紅こうこう梅ばい梅ばいばいははは着き着ききでででもももありありありぬぬぬべしべしべし。。。されされされどどど萠もえ萠もえもえ黃ぎ黃ぎぎなどなどなどのののにくけれにくけれにくければばば紅くれなゐ紅くれなゐくれないにににはははあはあはあわぬぬぬなりなりなり」」」とととののの給たま給たまたまはすれはすれわすれどどど、、、唯ただ唯ただただいといといとめでたくめでたくめでたく見み見みみえええさせさせさせ給たま給たまたまふふう。。。奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりたるたるたる御おほん御おほんおおんぞぞぞにににやがてやがてやがて御おほん御おほんおおんかたちかたちかたちのののにほひにほひにおい合あは合あはあわせせせ給たま給たまたまふふうぞぞぞ。。。猶なほ猶なほなおことことことよきよきよき人ひと人ひとひともももかくかくかくやややおはしますおはしますおわしますらむらむらんとととぞぞぞゆかしきゆかしきゆかしき。。。
  3. 3さてさてさてゐざりゐざりいざり出い出いいでででさせさせさせ給たま給たまたまひひいぬれぬれぬればばばやがてやがてやがて御おほん御おほんおおん屏びやう屏びやうびょう風ぶ風ぶぶににに添そ添そそひひいつきつきつきてててのぞくのぞくのぞくををを「「「あしかあしかあしかめりめりめり。。。うしろめたきうしろめたきうしろめたきわざわざわざ」」」ととときこえきこえきこえごつごつごつ人々ひとびと人々ひとびとひとびともももいといといとをかしをかしおかし。。。御み御みみしやうじしやうじしょうじののの廣ひろ廣ひろひろうううあきあきあきたれたれたればばばいといといとよくよくよく見み見みみゆゆゆ。。。うへうへうえははは白しろ白しろしろききき御おほん御おほんおおんぞぞぞどもどもども紅くれなゐ紅くれなゐくれないのののはりはりはりたるたるたる二ふた二ふたふたつつつばかりばかりばかり、、、女房にようばう女房にようばうにょうぼうののの裳も裳ももなななめりめりめり引ひ引ひひきききかけかけかけててておくおくおくににによりよりよりててて東ひんがし東ひんがしひんがしおもておもておもてにににおはすれおはすれおわすればばばたゞたゞただ御おほん御おほんおおんぞぞぞなどなどなどぞぞぞ見み見みみゆるゆるゆる。。。しげいしやしげいしやしげいしやははは北きた北きたきたにににすこしすこしすこしよりよりよりててて南みなみ南みなみみなみ向むき向むきむきにににおはすおはすおわす。。。紅こう紅こうこう梅ばい梅ばいばいどもどもどもあまたあまたあまた濃こ濃ここくくく薄うす薄うすうすくくくててて濃こ濃ここきききあやあやあやののの御おほん御おほんおおんぞぞぞ、、、少すこ少すこすこしししあかきあかきあかき蘇す蘇すす枋はう枋はうおうののの織おり織おりおり物もの物ものものののの袿うちき袿うちきうちき、、、萠もえ萠もえもえ黄ぎ黄ぎぎのののかたかたかたもんもんもんのののわかやかわかやかわかやかなるなるなる御おほん御おほんおおんぞぞぞ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりててて扇あふぎ扇あふぎおうぎをををつとつとつとさしさしさし隱かく隱かくかくししし給たま給たまたまへへえりりり。。。いといといといみじくいみじくいみじくげにげにげにめでたくめでたくめでたく美うつ美うつうつくしくしくしととと見み見みみえええ給たま給たまたまふふう。。。殿との殿とのとのはははうすうすうす色いろ色いろいろののの直衣なほし直衣なほしのうし、、、萠もえ萠もえもえ黃ぎ黃ぎぎののの織おり織おりおり物もの物ものものののの御おほん御おほんおおん指さし指さしさし貫ぬき貫ぬきぬき、、、紅くれなゐ紅くれなゐくれないののの御おほん御おほんおおんぞぞぞどもどもども、、、御おほん御おほんおおんひもひもひもさしさしさしててて廂ひさし廂ひさしひさしののの柱はしら柱はしらはしらにににうしろうしろうしろをををあてゝあてゝあててこなたこなたこなたざまざまざまににに向む向むむきききててておはしますおはしますおわします。。。めでたきめでたきめでたき御おほん御おほんおおん有あり有ありあり樣さま樣さまさまどもどもどもをををうちうちうちゑみゑみえみててて例れい例れいれいのののたはぶれたはぶれたわぶれごとごとごとをををせせせさせさせさせ給たま給たまたまふふう。。。しげいしやしげいしやしげいしやののの繪ゑ繪ゑえににに書か書かかきききたるたるたるやうやうようににに美うつ美うつうつくしげくしげくしげにてにてにて居ゐ居ゐいさせさせさせ給たま給たまたまへへえるるるににに、、、宮みや宮みやみやいといといとやすらかやすらかやすらかににに今いま今いまいますこしすこしすこしおとなびおとなびおとなびさせさせさせ給たま給たまたまへへえるるる御み御みみけしきけしきけしきののの紅くれなゐ紅くれなゐくれないののの御おほん御おほんおおんぞぞぞににに匂にほ匂にほにおひひい合あは合あはあわせせせ給たま給たまたまひひいててて、、、なほなほなおたぐひたぐひたぐいはははいかでかいかでかいかでかととと見み見みみえええさせさせさせ給たま給たまたまふふう。。。
  4. 4御み御みみてうづてうづちょうずまゐるまゐるまいる。。。かのかのかの御おほん御おほんおおんかたかたかたははは宣せん宣せんせん耀えう耀えうよう殿でん殿でんでん、、、ぢやうぐわでんぢやうぐわでんじょうがでんをををとほりとほりとおりててて童わらは童わらはわらわ二ふた二ふたふた人り人りり下しも下しもしも仕づかへ仕づかへづかえ四よ四よよ人たり人たりたりしししてててもてもてもてまゐるまゐるまいるめりめりめり。。。からからから廂びさし廂びさしびさしのののこなたこなたこなたののの廊らう廊らうろうにににぞぞぞ女房にようばう女房にようばうにょうぼう六ろく六ろくろく人にん人にんにんばかりばかりばかりさぶらふさぶらふさぶらう。。。せばしせばしせばしとてとてとてかたへかたへかたえははは御おほん御おほんおおんおくりおくりおくりしししててて皆みな皆みなみな歸かへ歸かへかえりりりにににけりけりけり。。。櫻さくら櫻さくらさくらのののかざみかざみかざみ、、、萠もえ萠もえもえ黃ぎ黃ぎぎ紅こう紅こうこう梅ばい梅ばいばいなどなどなどいみじくいみじくいみじく、、、かざみかざみかざみ長なが長ながながくくくゑりゑりえり引ひ引ひひきききててて取と取ととりりり次つ次つつぎぎぎまゐらすまゐらすまいらすいといといとなまめかしなまめかしなまめかし。。。織おり織おりおり物もの物ものもののののからからからぎぬぎぬぎぬどもどもどもこぼれこぼれこぼれ出い出いいでゝでゝでて、、、すけまさすけまさすけまさのののうまうまうまのののかみかみかみのののむすめむすめむすめ少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうののの君きみ君きみきみ、、、北きた北きたきた野の野ののののの三位さんみ三位さんみさんみのののむすめむすめむすめ宰さい宰さいさい相しやう相しやうしょうののの君きみ君きみきみなどなどなどぞぞぞ近ちか近ちかちかくくくはははあるあるある。。。あなあなあなをかしをかしおかしととと見み見みみるるる程ほど程ほどほどににに、、、このこのこの御おほん御おほんおおんかたかたかたののの御み御みみてうづてうづちょうずばんばんばんののの釆うね釆うねうね女め女めめ、、、あをあをあおすそごすそごすそごののの裳も裳もも、、、唐から唐からからぎぬぎぬぎぬ、、、くんたいくんたいくんたい、、、ひれひれひれなどなどなどしししててておもておもておもてなどなどなどいといといと白しろ白しろしろくくくててて下しも下しもしも仕づかへ仕づかへづかえなどなどなど取と取ととりりり次つ次つつぎぎぎてててまゐるまゐるまいる程ほど程ほどほど、、、これこれこれはははたたたおほやけしうおほやけしうおおやけしゅう唐から唐からからめいめいめいてててをかしをかしおかし。。。おものおものおものゝゝのをりをりおりににになりなりなりてててみぐしみぐしみぐしあげあげあげまゐりまゐりまいりててて、、、藏くら藏くらくら人うど人うどうどどもどもどもまかなひまかなひまかないのののかみかみかみあげあげあげてててまゐらするまゐらするまいらする程ほど程ほどほどににに、、、へだてへだてへだてたりたりたりつるつるつる屏びやう屏びやうびょう風ぶ風ぶぶももも押お押おおしししあけあけあけつれつれつればばば、、、かいまみかいまみかいまみののの人ひと人ひとひとかくれかくれかくれ蓑みの蓑みのみのとらとらとられれれたるたるたる心ここ心ここここちちちしししててて飽あ飽ああかかかずずずわびしけれわびしけれわびしければばば、、、みすみすみすととと凡き凡きき帳ちやう帳ちやうちょうとととののの中なか中なかなかにてにてにて柱はしら柱はしらはしらのののもともともとよりよりよりぞぞぞ見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。きぬきぬきぬののの裾すそ裾すそすそ裳も裳ももなどなどなど唐から唐からからぎぬぎぬぎぬははは皆みな皆みなみなみすみすみすのののそとそとそとにににおしおしおし出いだ出いだいだささされれれたれたれたればばば、、、殿との殿とのとののののはしはしはしのののかたかたかたよりよりより御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじ出いだ出いだいだしししててて「「「たぞたぞたぞややや、、、霞かすみ霞かすみかすみのののまままよりよりより見み見みみゆるゆるゆるははは」」」ととととがめとがめとがめさせさせさせ給たま給たまたまふふうににに、、、「「「少せう少せうしょう納な納なな言ごん言ごんごんががが物もの物ものものゆかしゆかしゆかしがりがりがりててて侍はべ侍はべはべるるるならならならむむん」」」ととと申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、「「「あなあなあなはづかしはづかしはずかし。。。かれかれかれはははふるきふるきふるきとくいとくいとくいををを。。。いといといとにくげにくげにくげなるなるなるむすめむすめむすめどもどもども持も持ももちちちたりたりたりともともともこそこそこそ見み見みみ侍はべ侍はべはべれれれ」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう。。。御み御みみけしきけしきけしきいといといとしたりしたりしたり顏がほ顏がほがおなりなりなり。。。
  5. 5あなたあなたあなたにににもももおものおものおものまゐるまゐるまいる。。。「「「うらやましくうらやましくうらやましくかたがたかたがたかたがたのののははは皆みな皆みなみなまゐりまゐりまいりぬぬぬめりめりめり。。。とくとくとくきこしめしきこしめしきこしめしててて翁おきな翁おきなおきな女をうな女をうなおうなにににおろしおろしおろしをををだにだにだに給たま給たまたまへへえ」」」などなどなど唯ただ唯ただただ日ひ日ひひひとひとひと日ひ日ひひさるがうさるがうさるごうことことことをををししし給たま給たまたまふふうほどほどほどににに、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん殿どの殿どのどの、、、三位さんみ三位さんみさんみ中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょう、、、松まつ松まつまつ君ぎみ君ぎみぎみもももゐゐいててて參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへへえりりり。。。殿との殿とのとのいつしかいつしかいつしかととといだきいだきいだき取と取ととりりり給たま給たまたまひひいててて膝ひざ膝ひざひざにににすゑすゑすえ給たま給たまたまへへえるるるいといといとうつくしうつくしうつくし。。。せばきせばきせばきえんえんえんににに所ところ所ところところせきせきせき日ひ日ひひののの御おほん御おほんおおんさうぞくさうぞくそうぞくののの下した下したした襲がさね襲がさねがさねなどなどなど引ひ引ひひきききちらさちらさちらされれれたりたりたり。。。大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん殿どの殿どのどのはははものものしうものものしうものものしゅう淸きよ淸きよきよげげげににに、、、中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょう殿どの殿どのどのはははらうらうしうらうらうしうろうろうしゅういづれいづれいずれもももめでたきめでたきめでたきををを見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるににに、、、殿との殿とのとのをををばばばさるさるさるものものものにてにてにてうへうへうえののの御おほん御おほんおおんすくせすくせすくせこそこそこそめでたけれめでたけれめでたけれ。。。御おほん御おほんおおんわらふだわらふだわらうだなどなどなど聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまへへえどどど、、、陣ぢん陣ぢんじんにににつきつきつき侍はべ侍はべはべらららむむんとてとてとていそぎいそぎいそぎ立た立たたちちち給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。しばししばししばしありありありててて式しき式しきしき部ぶ部ぶぶのののじようじようじようなにがしなにがしなにがしとかとかとかややや御おほん御おほんおおん使つかひ使つかひつかいにににまゐりまゐりまいりたれたれたればばば、、、おものおものおものやどりやどりやどりののの北きた北きたきたににによりよりよりたるたるたる間ま間ままにににしとねしとねしとねさしさしさし出い出いいでゝでゝでてすゑすゑすえたりたりたり。。。御おほん御おほんおおんかへりかへりかえりははは今日けふ今日けふきょうはははとくとくとく出い出いいださださださせせせ給たま給たまたまひひいつつつ。。。まだまだまだしとねしとねしとねももも取と取ととりりり入い入いいれれれぬぬぬほどほどほどににに、、、東とう東とうとう宮ぐう宮ぐうぐうののの御おほん御おほんおおん使つかひ使つかひつかいにににちかよりちかよりちかよりののの少せう少せうしょう將しやう將しやうしょうまゐりまゐりまいりたりたりたり。。。御おほん御おほんおおん文ふみ文ふみふみとりとりとり入い入いいれれれてててわたどのわたどのわたどのはははほそきほそきほそきえんえんえんなれなれなればばば、、、こなたこなたこなたのののえんえんえんにににしとねしとねしとねさしさしさし出い出いいでででたりたりたり。。。御おほん御おほんおおん文ふみ文ふみふみとりとりとり入い入いいれれれててて、、、殿との殿とのとの、、、うへうへうえ、、、宮みや宮みやみやなどなどなど御ご御ごご覽らん覽らんらんじじじわたすわたすわたす。。。「「「御おほん御おほんおおんかへりかへりかえりはやはやはや」」」などなどなどあれあれあれどどど、、、とみとみとみにににももも聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまははわぬぬぬををを「「「なにがしなにがしなにがしががが見み見みみ侍はべ侍はべはべれれればばば出い出いいででで給たま給たまたまははわぬぬぬなななめりめりめり。。。さらさらさらぬぬぬをりをりおりはははまままもももなくなくなくこれこれこれよりよりよりぞぞぞ聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふうなるなるなる」」」などなどなど申まう申まうもうししし給たま給たまたまへへえばばば、、、御おほん御おほんおおんおもておもておもてはははすこしすこしすこしあかみあかみあかみながらながらながら少すこ少すこすこしししうちうちうちほゝゑみほゝゑみほほえみ給たま給たまたまへへえるるるいといといとめでたしめでたしめでたし。。。「「「とくとくとく」」」などなどなどうへうへうえももも聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまへへえばばば、、、奧おく奧おくおくざまざまざまににに向む向むむきききててて書か書かかかかかせせせ給たま給たまたまふふう。。。うへうへうえ近ちか近ちかちかくくく寄よ寄よよりりり給たま給たまたまひひいててて、、、もろとももろとももろともにににかゝかゝかかせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまへへえばばばいとゞいとゞいとどつゝましげつゝましげつつましげなりなりなり。。。宮みや宮みやみやののの御おほん御おほんおおんかたかたかたよりよりより萠もえ萠もえもえ黃ぎ黃ぎぎののの織おり織おりおり物もの物ものものののの小こ小ここ袿うちき袿うちきうちき袴はかま袴はかまはかま押お押おおししし出いだ出いだいだささされれれたれたれたればばば、、、三位さんみ三位さんみさんみ中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょうかづけかづけかずけ給たま給たまたまふふう。。。くるしげくるしげくるしげににに思おも思おもおもひひいててて立た立たたちちちぬぬぬ。。。松まつ松まつまつ君ぎみ君ぎみぎみのののをかしうをかしうおかしゅう物もの物ものもののたまふのたまふのたまうををを、、、誰たれ誰たれたれももも誰たれ誰たれたれもももうつくしうつくしうつくしがりがりがり聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふう。。。「「「宮みや宮みやみやののの御み御みみ子こ子ここたちたちたちとてとてとて引ひ引ひひききき出い出いいでででたらたらたらむむんにににわろくわろくわろくははは侍はべ侍はべはべらららじじじかしかしかし」」」などなどなどのたまはするのたまはするのたまわするををを、、、げにげにげになどなどなどかかか今いま今いまいままでまでまでさるさるさる事こと事ことことのののとととぞぞぞ心こころ心こころこころもとなきもとなきもとなき。。。
  6. 6ひつじひつじひつじののの時とき時ときときばかりばかりばかりににに、、、えんだうえんだうえんどうまゐるまゐるまいるととといふいふいう程ほど程ほどほどもももなくなくなく、、、うちうちうちそよめきそよめきそよめき入い入いいらららせせせ給たま給たまたまへへえばばば、、、宮みや宮みやみやもももこなたこなたこなたににに寄よ寄よよらららせせせ給たま給たまたまひひいぬぬぬ。。。やがてやがてやがて御み御みみ帳ちやう帳ちやうちょうににに入い入いいらららせせせ給たま給たまたまひひいぬれぬれぬればばば、、、女房にようばう女房にようばうにょうぼう南みなみ南みなみみなみおもておもておもてにににそよめきそよめきそよめき出い出いいでででぬぬぬめりめりめり。。。らうらうろうににに殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびといといといと多おほ多おほおおかりかりかり。。。殿との殿とのとのののの御お御おおまへまへまえににに宮みや宮みやみや司づかさ司づかさずかさめしめしめしてててくだものくだものくだものさかなさかなさかなめさめさめさすすす。。。「「「人々ひとびと人々ひとびとひとびとゑはせゑはせえわせ」」」などなどなどおほせおほせおおせらるらるらる。。。誠まこと誠まことまことににに皆みな皆みなみなゑひゑひえいててて女房にようばう女房にようばうにょうぼうととと物もの物ものものいひいひいいかはすかはすかわす程ほど程ほどほど、、、かたみかたみかたみにににをかしをかしおかしととと思おも思おもおもひひいたりたりたり。。。日ひ日ひひののの入い入いいるるる程ほど程ほどほどににに起お起おおきききさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて山やま山やまやま井の井ののゐののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん召め召めめししし入い入いいれれれてててみうちきみうちきみうちきまゐらせまゐらせまいらせ給たま給たまたまひひいてててかへらかへらかえらせせせ給たま給たまたまふふう。。。櫻さくら櫻さくらさくらののの御おほん御おほんおおん直衣なほし直衣なほしのうしににに、、、紅くれなゐ紅くれなゐくれないののの御おほん御おほんおおんぞぞぞののの夕ゆふ夕ゆふゆうばえばえばえなどなどなどもももかしこけれかしこけれかしこければばばとゞめとゞめとどめつつつ。。。山やま山やまやまのののゐゐいののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんはははいりいりいりたゝたゝたたぬぬぬ御おほん御おほんおおんせうとせうとしょうとにてにてにてももも、、、いといといとよくよくよくおはすおはすおわすかしかしかし。。。にほひやかにほひやかにおいやかなるなるなる方かた方かたかたはははこのこのこの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごんにににもももまさりまさりまさり給たま給たまたまへへえるるるものものものををを、、、世よ世よよののの人ひと人ひとひとはははせちせちせちににに言い言いいひひいおとしおとしおとしきこゆるきこゆるきこゆるこそこそこそいとほしけれいとほしけれいとおしけれ。。。殿との殿とのとの、、、大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん、、、山やま山やまやまのののゐゐいののの大だい大だいだい納な納なな言ごん言ごんごん、、、三位さんみ三位さんみさんみののの中將ちゆうじやう中將ちゆうじやうちゅうじょう、、、內くら內くらくら藏の藏のの頭かみ頭かみかみなどなどなど皆みな皆みなみなさぶらひさぶらひさぶらい給たま給たまたまふふう。。。宮みや宮みやみやのぼらのぼらのぼらせせせ給たま給たまたまふふうべきべきべき御おほん御おほんおおん使つかひ使つかひつかいにてにてにてうまうまうまののの内ない内ないない侍し侍ししのののすけすけすけ參まゐ參まゐまいりりり給たま給たまたまへへえりりり。。。「「「今こ今ここ宵よひ宵よひよいはははえええ」」」などなどなどしぶらしぶらしぶらせせせ給たま給たまたまふふうををを、、、殿との殿とのとの聞き聞ききかかかせせせ給たま給たまたまひひいててて「「「いといといとあるあるあるまじきまじきまじき事こと事ことこと。。。はやはやはやのぼらのぼらのぼらせせせ給たま給たまたまへへえ」」」ととと申まう申まうもうさささせせせ給たま給たまたまふふうににに、、、又また又またまた春とう春とうとう宮ぐう宮ぐうぐうののの御おほん御おほんおおん使つかひ使つかひつかいしきりしきりしきりにににあるあるある程ほど程ほどほどいといといとさわがしさわがしさわがし。。。御おほん御おほんおおんむかへむかへむかえににに女房にようばう女房にようばうにょうぼう、、、春とう春とうとう宮ぐう宮ぐうぐうのののなどなどなどももも參まゐ參まゐまいりりりてててとくとくとくとととそゝのかしそゝのかしそそのかし聞きこ聞きこきこゆゆゆ。。。「「「まづまづまずさばかさばかさばかののの君きみ君きみきみわたしわたしわたし聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまひひいててて」」」とととのたまはすれのたまはすれのたまわすればばば、、、「「「さりともさりともさりともいかでかいかでかいかでか」」」とととあるあるあるををを、、、「「「猶なほ猶なほなお見み見みみおくりおくりおくり聞きこ聞きこきこえええむむん」」」などなどなどのたまはするのたまはするのたまわする程ほど程ほどほどいといといとをかしうをかしうおかしゅうめでたしめでたしめでたし。。。「「「さらばさらばさらば遠とほ遠とほとおきききをををさきさきさきににに」」」とてとてとて、、、まづまづまずしげいしやしげいしやしげいしやわたりわたりわたり給たま給たまたまひひいててて殿との殿とのとのなどなどなどかへらかへらかえらせせせ給たま給たまたまひひいてててぞぞぞのぼらのぼらのぼらせせせ給たま給たまたまふふう。。。道みち道みちみちののの程ほど程ほどほどももも殿との殿とのとのののの御おほん御おほんおおんさるがうさるがうさるごうことことことにににいみじくいみじくいみじく笑わら笑わらわらひひいてててほとほとほとほとほとほとうちうちうちはしはしはしよりよりよりもももおちおちおちぬぬぬべしべしべし。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

淑景舎の女御が東宮のもとに参内なさったころのことなど、何一つすばらしくないことはない。正月十日に参内なさって、中宮様の御方とはお手紙などはしきりにやりとりなさるけれど、お会いになることはなかったのを、二月十日に中宮様の御方へお渡りになるというお便りがあったので、いつもよりも御部屋のしつらえを特に念入りに磨き整え、女房たちもみな心づもりをしていた。夜中ごろにお渡りになったので、間もなく夜が明けた。登華殿の東の二間に御座所のしつらえはしてあった。翌朝、たいそう早く御格子を一面に上げて、明け方に、関白殿と北の方が一つの御車で参上なさった。中宮様は御曹司の南に、四尺の屏風を西と東に隔てて北向きに立てて、御畳や敷物を置いて、御火桶だけを差し上げてあった。御屏風の南、御帳台の前に女房がたいそう大勢控えている。', 'こちらで中宮様の御髪をお整えしているときに、中宮様が「淑景舎を見申し上げたことがありますか」とお尋ねになるので、「まだどうして。積善寺供養の日に、後ろ姿をほんの少し」と申し上げると、「その柱と屏風とのところに寄って、私の後ろから見なさい。たいそう美しい方ですよ」とおっしゃるので、うれしくて、見たい気持ちがいっそう増して、早くと思う。中宮様は、紅梅の固紋や浮紋の御衣に、紅の打った御衣を三重ほど、ただ重ねてお召しになって、「紅梅には濃い衣がよく映えるのよ。今はもう紅梅は着なくてもよい季節でしょう。けれども萌黄などが嫌いなので、紅には合わないのです」とおっしゃるけれど、ただもうたいそうすばらしくお見えになる。お召しになっている御衣の色に、そのままお顔の色つやが映え合っていらっしゃることよ。やはり、ほかのすぐれた方もこのようでいらっしゃるのだろうかと、見たくてたまらない。', 'さて中宮様がいざり出ていらっしゃったので、すぐに御屏風に寄り添ってのぞくのを、「よくないようね。気がかりなこと」と言い合っている女房たちも、たいそうおもしろい。御障子が広く開いているので、たいそうよく見える。北の方は、白い御衣を何枚かに、紅の張った衣を二枚ほど着て、女房の裳だろうか、引きかけて、奥に寄って東向きにいらっしゃるので、ただ御衣などだけが見える。淑景舎は北に少し寄って南向きにいらっしゃる。紅梅の衣をたくさん、濃いのや薄いのを重ねて、濃い綾の御衣、少し赤みのある蘇芳の織物の袿、萌黄の固紋の若々しい御衣をお召しになって、扇でじっと顔を隠していらっしゃる。たいそうすばらしく、本当にお美しいとお見えになる。関白殿は、薄色の直衣、萌黄の織物の御指貫、紅の御衣を何枚か着て、御紐を差して、廂の柱に背中を当てて、こちら向きにいらっしゃる。すばらしいお嬢様方のご様子を、にこにこ眺めながら、いつものように冗談をおっしゃる。淑景舎が絵に描いたように美しく座っていらっしゃるのに対して、中宮様はたいそうゆったりと、もう少し大人びていらっしゃるご様子が、紅の御衣に映え合っていらっしゃって、やはりこれに並ぶ方がどうしていようかとお見えになる。', '御手水を差し上げる。あちらの淑景舎の御方の分は、宣耀殿、貞観殿を通って、童女二人、下仕え四人で運んでくるようだ。唐廂のこちらの廊には、女房が六人ほど控えている。狭いからといって、半分はお送りして、みな帰ってしまった。桜襲の汗衫、萌黄や紅梅などの衣がたいそうすばらしく、汗衫の裾を長く引いて取り次いで差し上げるのは、たいそう優美だ。織物の唐衣などの袖口がこぼれ出て、相尹の馬頭の娘の少将の君、北野の三位の娘の宰相の君などが近くに控えている。ああすばらしいと見ていると、こちらの中宮様の御手水番の采女が、青裾濃の裳、唐衣、裙帯、領巾などを着けて、顔などをたいそう白くして、下仕えなどが取り次いで差し上げる様子は、これはまた公式で唐風で趣がある。お食事の時になって、御髪上げの女官が参上して、蔵人たちがお給仕の髪を結い上げて差し上げるときに、隔ててあった屏風も押し開けたので、のぞき見をしていた私は隠れ蓑を取られたような気がして、物足りなくつらいので、御簾と几帳との間で、柱のもとからお見上げする。衣の裾や裳など、唐衣はみな御簾の外に押し出されていたので、関白殿が端の方からご覧になって、「誰だ、霞の間から見えるのは」とおとがめになるので、中宮様が「少納言が見たがっているのでしょう」と申し上げなさると、「ああ恥ずかしい。あれは古くからのなじみですよ。ひどく醜い娘たちを持っていると見られていることでしょう」などとおっしゃる。そのご様子は、たいそう得意げである。', 'あちらにもお食事を差し上げる。「うらやましいことに、どちらの方々のお食事もみな運ばれたようだ。早く召し上がって、この翁と女に、せめてお下がりだけでもください」などと、一日じゅうおどけたことをおっしゃっているうちに、大納言殿、三位中将が、松君も連れて参上なさった。関白殿は待ちかねたように抱き取りなさって、膝の上に据えなさったのは、たいそうかわいらしい。狭い縁側に、窮屈なほどの昼の装束の下襲などが引き散らされている。大納言殿は重々しく美しく、中将殿は才気があり、どちらもすばらしいのを拝見すると、関白殿はもちろんのこと、北の方のご運勢こそすばらしいことだ。敷物などをおすすめになるけれど、陣の座につきましょうと言って、急いでお立ちになった。しばらくして、式部丞の何某とかいう人が帝のお使いとして参上したので、御膳宿りの北に寄った間に敷物を差し出して座らせた。お返事は、今日は早くお出しになった。まだ敷物も取り入れないうちに、東宮のお使いとして周頼の少将が参上した。お手紙を取り入れて、渡殿は細い縁側なので、こちらの縁側に敷物を差し出した。お手紙を取り入れて、関白殿、北の方、中宮様などが順にご覧になる。「お返事を早く」などと言われるけれど、淑景舎がすぐにはお返事を申し上げなさらないのを、関白殿が「この私が見ているので、お書きにならないのでしょう。そうでない時は、間を置かずにこちらからお便りを差し上げなさると聞いていますよ」などと申し上げなさると、お顔を少し赤らめながら、少しほほえまれたのは、たいそうすばらしい。「早く」などと北の方も申し上げなさるので、奥の方に向いてお書きになる。北の方が近くに寄りなさって、一緒にお書かせ申し上げなさるので、ますます恥ずかしそうである。中宮様の御方から、萌黄の織物の小袿と袴を差し出されたので、三位中将が使いの少将に肩にかけてやりなさる。少将は窮屈そうに思って立ち去った。松君がかわいらしく物をおっしゃるのを、誰もが誰もかわいがり申し上げなさる。「中宮様の御子たちだと言って人前に連れ出しても、見劣りはしないでしょう」などと関白殿がおっしゃるのを、本当にどうして今まで中宮様にそういう御子がないのだろうと、気がかりだ。', '未の刻ごろに、「筵道を敷きます」と言うかと思う間もなく、衣ずれの音をさせて帝がお入りになったので、中宮様もこちらにお寄りになった。そのまま御帳台にお入りになったので、女房たちは南面に衣ずれの音をさせて出ていったようだ。廊には殿上人がたいそう多い。関白殿が御前に中宮職の役人を呼んで、果物や肴を取り寄せさせなさる。「人々を酔わせよ」などとおっしゃる。本当にみな酔って、女房と言葉を交わす様子は、互いに趣深いと思っている。日の入るころにお起きになって、山井の大納言をお呼び入れになって、御袿をお召しになって、帝はお帰りになる。桜の御直衣に、紅の御衣の夕映えなども、恐れ多いので書くのはやめておく。山井の大納言は、関白殿の北の方腹ではない御兄だけれど、たいそうよくお仕えしていらっしゃる。華やかな美しさの点では、こちらの大納言にもまさっていらっしゃるのに、世間の人がひどく悪く言い申し上げるのは、気の毒だ。関白殿、大納言、山井の大納言、三位の中将、内蔵頭などがみなお仕えしていらっしゃる。中宮様が清涼殿の上の御局に上られるようにとのお使いとして、馬の典侍が参上なさった。「今夜はとても」などとしぶっていらっしゃるのを、関白殿がお聞きになって、「とんでもないことです。早くお上がりなさい」と申し上げなさるところに、また東宮からのお使いがしきりにあって、たいそう騒がしい。お迎えに、女房や東宮付きの者なども参上して、早くとお促し申し上げる。中宮様が「まず、あの方をお渡し申し上げてから」とおっしゃると、淑景舎は「そうはいっても、どうして先に」とおっしゃるのを、「やはりお見送り申し上げましょう」などとおっしゃる様子は、たいそう趣深くすばらしい。「それでは、遠い方を先に」と言って、まず淑景舎がお渡りになって、関白殿などがお帰りになってから、中宮様は上の御局にお上りになる。その道中も、関白殿のおどけた冗談にひどく笑って、あやうく打橋から落ちてしまいそうだった。'

意訳

長徳元年(995)二月、中宮定子の妹原子が東宮の女御として淑景舎に入り、姉の定子を訪れた日の記録である。父の関白道隆、母の貴子、兄の伊周、弟の隆家も集い、定子のまわりには一族が勢ぞろいする。作者は屏風の陰からのぞき見て、紅の衣が映える定子の大人びた美しさと、扇で顔を隠す原子の絵のような愛らしさを細やかに描く。道隆は冗談を言って皆を笑わせ、作者ののぞき見を見つけてからかう。一条天皇も訪れ、東宮からは手紙の使いがしきりに来る。中関白家がまさに栄華の頂点にあった一日である。しかし道隆はこの二か月後に亡くなり、一家は没落の道をたどることになる。そのことを知る作者が、あえてこの輝かしい一日を詳しく書き残したことに、深い思いがこめられている。

語釈・文法注

しげいしや
淑景舎(しげいしゃ)。中宮定子の妹、藤原原子。長徳元年(995)正月、東宮居貞親王(のちの三条天皇)の女御となり、淑景舎に住んだ。

文法

「しやくぜん寺供養」
積善寺供養。正暦五年(994)二月、関白道隆が法興院内に建てた積善寺の落成供養。後の段で詳しく描かれる。
「殿、うへ」
関白藤原道隆と、その北の方高階貴子。
「霞のまより見ゆるは」
霞の間から見えるのは。御簾の外にはみ出した衣を霞にたとえて、のぞき見をからかった。
「松君」
伊周の子、道雅の幼名。
「山井の大納言」
藤原道頼。道隆の長男だが、貴子の子ではない(いりたたぬ御せうと)。
「さばかの君」
あちらの君。淑景舎を指す。

解説

中関白家の栄華を最も華やかに描いた日記的章段である。父道隆、母貴子、兄伊周、弟隆家、伊周の子松君、そして定子と原子の姉妹が一堂に会し、一条天皇も訪れる。衣装の色合いまで細かく描かれ、一族の幸福な姿が絵巻のように再現されている。

道隆は冗談好きの陽気な人物として描かれ、作者ののぞき見を見つけて「古いなじみだ」とからかう場面には、作者と中関白家との親しい関係が表れている。

この日から二か月後の長徳元年四月、道隆は病没し、その後、伊周・隆家の配流、定子の出家と、中関白家は急速に没落していく。枕草子が執筆されたのはその後のことであり、作者がこの輝かしい一日を詳しく記したことには、失われた栄華への深い哀惜がこめられていると考えられる。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、256–260頁(コマ131–133)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日