枕草子 第102段 日記的章段
御方々、君達、上人など
中宮定子が作者に「あなたを思ってやろうか。第一でなければどうか」と問う。かねて「人には一番に思われなければ意味がない」と言っていた作者が「九品蓮台の下品でも」と答えると、定子は「最初に言ったことを貫きなさい、第一の人に第一に思われようと思いなさい」と言う。
- 1御御おおんかたがたかたがたかたがた君君きん達達だちうへうへうえ人人びとなどなどなど御御おまへまへまえににに人人ひと多多おおくくく侍侍さぶらへへえばばば、、、廂廂ひさしののの柱柱はしらににによりよりよりかゝりかゝりかかりててて女房女房にょうぼうととと物物もの語語がたりしししててて居居いたるたるたるににに、、、物物ものをををなげなげなげ賜賜たまはせはせわせたるたるたる、、、あけあけあけててて見見みれれればばば「「「思思おもふふうべしべしべしやややいないないなややや。。。第第だい一一いちならならならずずずはははいかゞいかゞいかが」」」ととと問問とはははせせせたまへたまへたまえりりり。。。御御お前前まえにてにてにて物物もの語語がたりなどなどなどするするするついでついでついでにににももも「「「すべてすべてすべて人人ひとにににははは一一いちににに思思おもははわれれれずずずばばば、、、さらにさらにさらに何何なににににかかかせせせむむん。。。唯唯ただいみじういみじういみじゅうにくまにくまにくまれれれあしうあしうあしゅうせせせられられられてててあらあらあらむむん。。。二二に三三さんにてにてにてはははしぬしぬしぬともともともあらあらあらじじじ。。。一一いちにてにてにてをををあらあらあらむむん」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、一一いち乘乘じょうのののなりなりなりととと人々人々ひとびとわらふわらふわらうことことことのののすぢすぢすじなななめりめりめり。。。筆筆ふで紙紙かみたまはりたまはりたまわりたれたれたればばば「「「九九く品品ほん蓮蓮れん臺臺だいののの中中なかにににははは下下げ品品ぼんととといふいふいうともともとも」」」ととと書書かきききてててまゐらせまゐらせまいらせたれたれたればばば「「「むげむげむげににに思思おもひひいくんじくんじくんじにににけりけりけり。。。いといといとわろしわろしわろし。。。言言いひひいそめそめそめつるつるつる事事ことはははさてさてさてこそこそこそあらあらあらめめめ」」」とととのたまはすれのたまはすれのたまわすればばば「「「人人ひとににに隨隨したがひひいてててこそこそこそ」」」ととと申申もうすすす。。。「「「それそれそれがががわろきわろきわろきぞぞぞかしかしかし。。。だいだいだい一一いちののの人人ひとににに又又また一一いちににに思思おもははわれれれむむんとととこそこそこそ思思おもははわめめめ」」」ととと仰仰おおせせせらるゝらるゝらるるもももいといといとをかしをかしおかし。。。
現代語訳
お后方や公達、殿上人などが中宮様の御前に大勢お仕えしているので、私が廂の柱に寄りかかって女房と話をしていると、中宮様が何かを投げてくださったのを、開けて見ると、「あなたを思ってあげようか、どうしようか。第一でなかったらどうしますか」とお尋ねになっている。御前で話などをするついでにも、私が「何事も、人からは第一に思われなければ、まったく何になろう。いっそひどく憎まれ、悪く扱われていたい。二番、三番では死んでもいやだ。一番でいたい」などと言うので、「一乗の法だ」と人々が笑う、そのことに関係があるのだろう。筆と紙をいただいたので、「九品蓮台の中では、下品であっても」と書いて差し上げると、「ひどく気落ちしてしまったのね。たいそうよくない。言い出したことは、そのまま貫き通すべきでしょう」とおっしゃるので、「お相手次第でございます」と申し上げる。「それがよくないのですよ。第一の人に、また第一に思われようと思いなさい」とおっしゃるのも、たいそうおもしろい。
意訳
「何事も一番に思われなければ意味がない、二番三番なら死んでもいや」と日ごろ言っていた作者。それを知る定子は、大勢の人の前で「あなたを一番に思ってあげようか」と手紙で問う。作者が謙遜して「極楽の最下位でも(中宮様のおそばにいられれば十分)」と答えると、定子は「言い出したことは貫きなさい。第一の人(私)に、第一に思われようと思いなさい」と励ます。作者の負けず嫌いな性格と、それを愛する定子の度量とが、ほほえましく描かれている。
語釈・文法注
- 一乘の法
- 法華経の「一乗」の教え。すべての者が仏になれる唯一の教え、の意。作者の「一番でなければ」という口癖を、「一」の字にかけてからかった。
文法
- 「九品蓮臺の中には下品といふとも」
- 極楽浄土の九段階の蓮台のうち、最下位の下品であっても(往生できればよい)。中宮のおそばにいられれば、何番目でもよいという謙遜。
- 「人に隨ひてこそ」
- 相手によります。中宮様に対してなら、何番目でもよい、の意。
解説
作者の「一番でなければ」という負けず嫌いな性格と、それを受けとめる定子との関係を描いた日記的章段である。
定子の「だい一の人に又一に思はれむとこそ思はめ」という言葉は、自分こそが作者にとっての第一の人であるという自負と、作者への深い愛情とを示している。
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出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、254頁(コマ130)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日