枕草子 第101段 日記的章段
庚申せさせ給ひて
庚申の夜、内大臣伊周の趣向で女房たちに歌を詠ませる。歌を詠まない許しを得ていた作者が離れていると、中宮定子が「元輔が後といはるる君しもや」と歌を書いて寄こす。作者は「その人の後といはれぬ身なりせば」と返し、父の名ゆえに詠めない心情を伝えた。

- 1せせせさせさせさせ給給たまひひいててて内内ない大大だい臣臣じん殿殿どのいみじういみじういみじゅう心心こころまうけまうけもうけせせせさせさせさせ給給たまへへえりりり。。。夜夜ようちうちうち更更ふくるくるくる程程ほどににに題題だい出出いだしししててて女女にょうばうばうぼうににに歌歌うたよまよまよませせせ給給たまへへえばばば、、、皆皆みなけしきけしきけしきだちだちだちゆるがしゆるがしゆるがし出出いだすすすににに、、、宮宮みやののの御御おまへまへまえににに近近ちかくくく侍侍さぶらひひいててて物物ものけいしけいしけいしなどなどなどことことこと事事ごとをををのみのみのみいふいふいうををを、、、おとゞおとゞおとど御御ご覽覽らんじじじててて「「「などなどなどかかか歌歌うたはははよまよまよまででで離離はなれれれ居居いたるたるたる。。。題題だいとれとれとれ」」」とととのたまふのたまふのたまうををを、、、「「「さるさるさる事事こと承承うけたまわりりりててて歌歌うたよむよむよむまじくまじくまじくなりなりなりててて侍侍はべれれればばば、、、思思おもひひいかけかけかけ侍侍はべらららずずず」」」。。。「「「ことことことやうやうようなるなるなる事事こと、、、まことまことまことにににさるさるさる事事ことやはやはやは侍侍はべるるる。。。などなどなどかかかははは許許ゆるさささせせせ給給たまふふう。。。いといといとあるあるあるまじきまじきまじきことことことなりなりなり。。。よしよしよしことことことときときときははは知知しらららずずず、、、今今こ宵宵よいはははよめよめよめ」」」などなどなどせめせめせめさせさせさせ給給たまへへえどどど、、、けぎようけぎようけぎよう聞聞ききききももも入入いれれれででで侍侍さぶらふふうににに、、、ことことこと人人びとどもどもども詠詠よみみみ出出いだしししてててよしあしよしあしよしあしなどなどなど定定さだめめめらるゝらるゝらるる程程ほどににに、、、いさゝかいさゝかいささかなるなるなる御御おおん文文ふみををを書書かきききててて賜賜たまはせはせわせたりたりたり。。。あけあけあけててて見見みれれればばば、、、
- 2「「「がががのちのちのちととといはいはいわるゝるゝるる君君きみしもしもしもややや今今こ宵宵よいのののうたうたうたにににはづれはづれはずれてててはははをるをるおる」」」
- 3とととあるあるあるををを見見みるるるににに、、、をかしきをかしきおかしき事事ことぞぞぞたぐひたぐひたぐいなきなきなきややや。。。いみじくいみじくいみじく笑笑わらへへえばばば、、、「「「何何なに事事ごとぞぞぞ何何なに事事ごとぞぞぞ」」」とととおとゞおとゞおとどももものたまふのたまふのたまう。。。
- 4「「「そのそのその人人ひとののののちのちのちととといはいはいわれれれぬぬぬ身身みなりなりなりせせせばばばこよひこよひこよいののの歌歌うたはははまづまづまずぞぞぞよまよまよまゝしゝしまし。。。つゝむつゝむつつむ事事ことさふらはさふらはさうらわずずずははは、、、千千ち歌歌うたなりなりなりともともともこれこれこれよりよりよりぞぞぞ出出いでででまうでまうでもうでこここましましまし」」」とととけいしけいしけいしつつつ。。。
現代語訳
庚申の夜を過ごされることになって、内大臣殿がたいそう心を尽くして準備をなさった。夜がふけるころに、題を出して女房たちに歌を詠ませなさると、みな緊張して頭をひねって詠み出すのに、私は中宮様の御前近くに控えて、お話を申し上げたりして、ほかのことばかり言っているのを、内大臣殿がご覧になって、「どうして歌は詠まないで離れて座っているのか。題を取れ」とおっしゃるのを、「そういうお許しをいただいて、歌は詠まなくてもよいことになっておりますので、考えてもおりません」と申し上げる。「妙なことだ。本当にそんなことがございましょうか。どうしてお許しになったのですか。まったくあってはならないことです。よろしい、ほかの時は知らないが、今夜は詠め」などとお責めになるけれど、きっぱりと聞き入れもせずに控えていると、ほかの人々が詠み出して、良し悪しなどを判定なさっているうちに、中宮様がちょっとしたお手紙を書いてくださった。開けてみると、
元輔の子孫と言われるあなたが、今夜の歌の席から外れているのですか。
とあるのを見ると、おもしろいことこの上ない。たいそう笑うと、「何事だ、何事だ」と内大臣殿もおっしゃる。
「あの元輔の子孫と言われない身であったなら、今夜の歌は真っ先に詠みましたでしょうに。気兼ねすることがございませんでしたら、千首の歌でも、私の方から詠み出してまいりましょう」と申し上げた。
意訳
前段で、歌を詠まない許しを定子から得た作者。庚申の夜、伊周が女房たちに歌を詠ませる中、作者だけが離れて座っている。伊周に責められても動じない作者に、定子は「元輔の子孫と言われるあなたが、今夜は歌から外れているの」と歌でからかう。作者は「元輔の子孫と言われない身なら、真っ先に詠むのに」と返す。歌の名家に生まれた重圧と、それを理解して軽やかに受けとめる定子。主従の深い理解が、歌のやりとりの中に表れている。
語釈・文法注
- かうしん
- 庚申。庚申の夜に眠ると、体内の三尸の虫が天に昇って人の罪を告げるとされ、夜通し起きて詩歌や管絃で過ごした(庚申待ち)。
- もとすけ
- 清原元輔。作者の父で、梨壺の五人の一人として後撰集の撰者を務めた名高い歌人。
文法
- 「けぎよう」
- 「けぎよし」の連用形の音便。きっぱりと、いさぎよく。
- 「つゝむ事さふらはずは」
- 気兼ねすることがないのなら。
和歌
元輔が後といはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる
- 詠者
- 中宮定子
- 状況
- 庚申の夜、歌を詠まずに控えている作者に書いて渡した歌。
その人の後といはれぬ身なりせば今宵の歌はまづぞ詠ままし
- 詠者
- 清少納言
- 状況
- 定子の歌への返歌。名高い歌人の娘であるがゆえに詠めない、という心情を伝えた。
解説
前段の、歌を詠まない許しを得た話の続きである。定子の歌と作者の返歌は、作者の家柄と歌に対する思いを端的に示すものとして、よく知られている。
作者は歌が詠めないのではなく、父元輔の名に恥じない歌でなければ詠みたくないのである。定子はそれをよく理解したうえで、からかいの形で作者を気づかっている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、253–254頁(コマ129–130)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日