枕草子 第100段 日記的章段
五月の御精進のほど
五月の精進のころ、作者たちは郭公の声を聞きに賀茂の奥へ出かける。明順の家で田舎風のもてなしを受け、卯の花で車を飾って帰るが、肝心の歌を詠みそびれる。中宮に責められた作者は、歌人の娘として半端な歌は詠みたくないと訴え、歌を詠まない許しを得る。

- 1五月五月ごがつののの御御みののの程程ほど、、、しきしきしきにににおはしますおはしますおわしますにににぬりごめぬりごめぬりごめののの前前まえ、、、ふたまふたまふたまなるなるなる所所ところををを殊殊ことにににしつらひしつらひしつらいしししたれたれたればばば、、、例例れいざまざまざまならならならぬぬぬもももをかしをかしおかし。。。ついたちついたちついたちよりよりより雨雨あめがちがちがちにてにてにて曇曇くもりりりくらすくらすくらすつれづれつれづれつれづれなるなるなるををを、、、「「「杜鵑杜鵑ほととぎすののの聲聲こえ尋尋たずねねねありかありかありかばばばややや」」」ととといふいふいうををを聞聞ききききててて、、、われわれわれもももわれわれわれもももととと出出いでででたつたつたつ。。。賀賀か茂茂もののの奥奥おくににになにがしなにがしなにがしとかとかとかややや、、、七七たな夕夕ばたののの渡渡わたるるる橋橋はしにににはははあらあらあらでででにくきにくきにくき名名なぞぞぞ聞聞きこえええししし。。。「「「そのそのそのわたりわたりわたりににになむなむなん日日ひごとごとごとににに鳴鳴なくくく」」」ととと人人ひとのののいへいへいえばばば「「「それそれそれはははひぐらしひぐらしひぐらしなりなりなり」」」ととといらふるいらふるいらうる人人ひともももありありあり。。。そこそこそこへへへとてとてとて五五いつ日日かのののあしたあしたあした宮宮みやづかさづかさづかさ車車くるまののの事事こといひいひいいててて、、、北北きたののの陣陣じんよりよりより「「「五五さ月月み雨雨だれはははとがめとがめとがめなきなきなきものものものぞぞぞ」」」とてとてとてさしさしさしよせよせよせててて四四よ人人たりばかりばかりばかりぞぞぞ乘乘のりりりててて行行ゆくくく。。。羨羨うらやましがりましがりましがりててて「「「今今いま一一ひとつつつしししててて同同おなじくじくじくははは」」」などなどなどいへいへいえばばば「「「いないないな」」」ととと仰仰おおせせせらるれらるれらるればばば、、、聞聞ききききももも入入いれれれずずず、、、なさけなさけなさけなきなきなきさまさまさまにてにてにて行行ゆくくくににに、、、うまばうまばうまばととといふいふいう所所ところにてにてにて人人ひと多多おおくくくさわぐさわぐさわぐ。。。「「「何何なに事事ごとするするするぞぞぞ」」」ととと問問とへへへばばば「「「てつがひてつがひてつがいにてにてにてままま弓弓ゆみ射射いるるるなりなりなり。。。しばししばししばし御御ご覽覽らんじじじててておはしませおはしませおわしませ」」」とてとてとて車車くるまとゞめとゞめとどめたりたりたり。。。「「「右右う近近こんののの中將中將ちゅうじょう皆皆みなつきつきつき給給たまへへえるるる」」」ととといへいへいえどどど、、、さるさるさる人人ひとももも見見みえええずずず、、、六六ろく位位いなどなどなどののの立立たちちちさまよへさまよへさまよえばばば、、、「「「ゆかしからゆかしからゆかしからぬぬぬことことことぞぞぞ。。。はやくはやくはやく過過すぎぎぎよよよ」」」とてとてとて行行ゆきききもてもてもて行行ゆけけけばばば、、、道道みちももも祭祭まつりののの頃頃ころ思思おもひひい出出いでででられられられてててをかしをかしおかし。。。
- 2かうかうこういふいふいう所所ところにににはははののの朝朝あ臣臣そん家家いえありありあり。。。「「「そこそこそこもももやがてやがてやがて見見みむむむ」」」ととといひいひいいててて車車くるまよせよせよせててておりおりおりぬぬぬ。。。田田い舎舎なかだちだちだち事事ことそぎそぎそぎててて馬馬うまのののかたかたかた書書かきききたるたるたるさうじさうじそうじ、、、網網あ代代じろ屏屏びょう風風ぶ、、、みくりみくりみくりのののすだれすだれすだれなどなどなど、、、殊殊こと更更さらににに昔昔むかしののの事事ことをををうつしうつしうつし出出いでででたりたりたり。。。屋屋やのののさまさまさまもももはかなだちはかなだちはかなだちてててはしはしはしちかくちかくちかくあさはかあさはかあさはかなれなれなれどどどをかしきをかしきおかしきにににげにげにげにぞぞぞかしがましかしがましかしがましととと思思おもふふうばかりばかりばかりににに鳴鳴なきききあひあひあいたるたるたる郭公郭公ほととぎすののの聲聲こえををを、、、口口くちをしうをしうおしゅう御御お前前まえにににきこしめさきこしめさきこしめさずずず、、、さばかりさばかりさばかり慕慕したひひいつるつるつる人々人々ひとびとにににもももなどなどなど思思おもふふう。。。「「「所所ところにににつけつけつけてててはははかゝるかゝるかかる事事ことをををなむなむなん見見みるるるべきべきべき」」」とてとてとていねいねいねととといふいふいうものものもの多多おおくくくとりとりとり出出いでゝでゝでてわかきわかきわかき女女おんなどもどもどもののの穢穢きたなげげげならならならぬぬぬそのそのそのわたりわたりわたりののの家家いえのののむすめむすめむすめおんなおんなおんななどなどなどひきひきひきゐゐいててて來來きててて、、、五五ご六六ろく人人にんしししてててこかこかこかせせせ、、、見見みももも知知しらららぬぬぬくるべきくるべきくるべきものものもの二二ふた人人りしししてててひかひかひかせせせててて、、、歌歌うたうたはうたはうたわせせせなどなどなどするするするををを、、、珍珍めずらしくらしくらしく笑笑わらふふうににに、、、郭公郭公ほととぎすののの歌歌うたよまよまよまむむんなどなどなどしししつるつるつる忘忘わすれれれぬぬぬべしべしべし。。。からからからゑゑえにににあるあるあるやうやうようなるなるなるかけかけかけばんばんばんなどなどなどしししててて物物ものくはくはくわせせせたるたるたるををを、、、見見みいるゝいるゝいるる人人ひとなけれなけれなければばば家家いえあるじあるじあるじ「「「いといといとわろくわろくわろくひなびひなびひなびたりたりたり。。。かゝるかゝるかかる所所ところにににきききぬるぬるぬる人人ひとはははようせようせようせずずずはははあるじあるじあるじもももなどなどなどせめせめせめ、、、出出いだしししてててこそこそこそ參參まいるるるべけれべけれべけれ。。。むげむげむげにににかくかくかくてててはははそのそのその人人ひとならならならずずず」」」などなどなどいひいひいいてててとりとりとりはやしはやしはやし「「「このこのこの下下した蕨蕨わらびははは手手てづからづからずから摘摘つみみみつるつるつる」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、「「「いかでいかでいかで女女にょ官官かんなどなどなどのののやうやうようにににつきつきつきなみなみなみてててはははあらあらあらむむん」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、とりとりとりおろしおろしおろしててて「「「れいれいれいのののはひはひはいぶしぶしぶしににに習習ならははわせせせ給給たまへへえるるるおまへおまへおまえたちたちたちなれなれなればばば」」」とてとてとてとりとりとりおろしおろしおろしまかなひまかなひまかないさわぐさわぐさわぐ程程ほどににに「「「雨雨あめふりふりふりぬぬぬべしべしべし」」」ととといへいへいえばばば、、、急急いそぎぎぎててて車車くるまにににのるのるのるににに「「「さてさてさてこのこのこの歌歌うたはははこゝこゝここにてにてにてこそこそこそよまよまよまめめめ」」」ととといへいへいえばばば「「「さばれさばれさばれ道道みちにてにてにてももも」」」などなどなどいひいひいいててて、、、
- 3卯卯うののの花花はないみじくいみじくいみじく咲咲さきききたるたるたるををを折折おりりりつゝつゝつつ車車くるまのののすだれすだれすだれそばそばそばなどなどなどににに長長ながききき枝枝えだをををふきふきふきさしさしさしたれたれたればばば、、、唯唯ただ卯卯うののの花花はながさねがさねがさねをををこゝこゝここににに懸懸かけけけたるたるたるやうやうようにににぞぞぞ見見みえええけるけるける。。。供供ともなるなるなるをのこをのこおのこどもどもどもゝゝもいみじういみじういみじゅう笑笑わらひひいつゝつゝつつ網網あ代代じろをををさへさへさへつきつきつきうがちうがちうがちつゝつゝつつ「「「こゝこゝここまだしまだしまだしこゝこゝここまだしまだしまだし」」」とととさしさしさし集集あつむむむなりなりなり。。。人人ひとももも逢逢あははわなむなむなんととと思思おもふふうににに更更さらにににあやしきあやしきあやしき法法ほう師師しあやしあやしあやしのののいふいふいうかひかひかいなきなきなきものものもののみのみのみたまさかたまさかたまさかににに見見みゆるゆるゆるいといといと口口くちをしをしおし。。。近近ちこううう來來きぬれぬれぬればばば「「「さりともさりともさりともいといといとかうかうこうててて止止やまままむむんやはやはやは。。。このこのこの車車くるまのののさまさまさまをををだにだにだに人人ひとににに語語かたらせらせらせてててこそこそこそ止止やまままめめめ」」」とてとてとて、、、一一いち條條じょう殿殿どののののもともともとにににとゞめとゞめとどめててて「「「侍侍じ從從じゅうやややおはしますおはしますおわします。。。郭公郭公ほととぎすののの聲聲こえ聞聞ききききててて今今いまなむなむなんかへりかへりかえり侍侍はべるるる」」」ととといはいはいわせせせたるたるたる。。。つかひつかひつかい「「「唯唯ただ今今いままゐるまゐるまいる。。。あがあがあが君君きみあがあがあが君君きみとととなむなむなんのたまへのたまへのたまえるるる。。。さぶらひさぶらひさぶらいにににまひろげまひろげまいろげててて指指さし貫貫ぬき奉奉たてまつりりりつつつ」」」ととといふいふいうににに、、、「「「待待まつつつべきべきべきにににもももあらあらあらずずず」」」とてとてとて走走はしらせらせらせててて土土つち御御み門門かどざまざまざまへへへやらするやらするやらするににに、、、いついついつのののまままにににかかかさうぞくさうぞくそうぞくしししつつつらむらむらん、、、帶帶おびははは道道みちのののまゝまゝままにににゆひゆひゆいてててしばしばしばしばしばしばととと追追おひひいくるくるくる供供ともににに、、、さぶらひさぶらひさぶらい、、、ざふしきざふしきぞうしき、、、ものものものはかはかはかででで走走はしるるるめるめるめる。。。とくとくとくやれやれやれどどどいとゞいとゞいとどいそがしくいそがしくいそがしくててて、、、土土つち御御み門門かどにににきききつきつきつきぬるぬるぬるにににぞぞぞあへぎあへぎあえぎまどひまどひまどいててておはしおはしおわしててて、、、まづまづまずこのこのこの車車くるまのののさまさまさまをををいみじくいみじくいみじく笑笑わらひひい給給たまふふう。。。「「「うつゝうつゝうつつののの人人ひとののの乘乘のりりりたるたるたるとととなむなむなん更更さらににに見見みえええぬぬぬ。。。猶猶なおおりおりおりててて見見みよよよ」」」などなどなど笑笑わらひひい給給たまへへえばばば、、、供供ともなりなりなりつるつるつる人人ひとどもどもどもゝゝも興興きょうじじじ笑笑わらふふう。。。「「「歌歌うたはははいかにいかにいかにかかか。。。それそれそれ聞聞きかかかむむん」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「今今いまおまへおまへおまえににに御御ご覽覽らんぜぜぜさせさせさせてててこそこそこそははは」」」などなどなど言言いふふう程程ほどににに、、、雨雨あめまことまことまことににに降降ふりりりぬぬぬ。。。「「「などなどなどかかかことことことみかどみかどみかどのののやうやうようにににあらあらあらでででこのこのこの土土つち御御み門門かどしもしもしもうへうへうえもももなくなくなくつくりつくりつくりそめそめそめけむけむけんととと、、、今日今日きょうこそこそこそいといといとにくけれにくけれにくけれ」」」などなどなどいひいひいいててて、、、「「「いかでいかでいかで歸歸かえらららむむんずずずらむらむらん。。。こなたこなたこなたざまざまざまははは唯唯ただ後後おくれれれじじじととと思思おもひひいつるつるつるににに、、、人人ひと目目めももも知知しらららずずずはしらはしらはしられれれつるつるつるをををあうあうあういかいかいかむむんこそこそこそいといといとすさまじけれすさまじけれすさまじけれ」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば、、、「「「いざいざいざ給給たまへへえかしかしかし。。。うちうちうちへへへ」」」などなどなどいふいふいう。。。「「「それそれそれもももゑばうしゑばうしえぼうしにてにてにてはははいかでいかでいかでかかか。。。とりとりとりににに遣遣やりりり給給たまへへえ」」」などなどなどいふいふいうににに、、、まめやかまめやかまめやかにににふれふれふればばば笠笠かさなきなきなきをのこをのこおのこどもどもども唯唯ただひきひきひきにににひきひきひき入入いれれれつつつ。。。一一いち條條じょうよりよりよりかさかさかさをををもてもてもてきききたるたるたるをををさゝせさゝせささせてててうちうちうち見見みかへりかへりかえりうちうちうち見見みかへりかへりかえり、、、このこのこの度度たびはははゆるゆるゆるゆるゆるゆるととと物物ものうげうげうげにてにてにて卯卯う花花のわなばかりばかりばかりををを取取とりりりおはするおはするおわするもももをかしをかしおかし。。。
- 4さてさてさて參參まいりりりたれたれたればばば、、、ありさまありさまありさまなどなどなど問問とはははせせせ給給たまふふう。。。怨怨うらみみみつるつるつる人々人々ひとびと、、、ゑじゑじえじ心心こころうううがりがりがりながらながらながら、、、藤藤とう侍侍じ從從じゅう、、、一一いち條條じょうののの大大おお路路ち走走はしりりりつるつるつるほどほどほど語語かたるるるにににぞぞぞ皆皆みな笑笑わらひひいぬるぬるぬる。。。「「「さてさてさていづらいづらいずら、、、歌歌うたははは」」」ととと問問とはははせせせ給給たまふふう。。。かうかうかうかうこうこうとととけいすれけいすれけいすればばば「「「くちをしくちをしくちおしのののことことことややや。。。うへうへうえ人人びとなどなどなどののの聞聞きかかかむむんにににいかでいかでいかでかかかをかしきをかしきおかしきなくなくなくてててあらあらあらむむん。。。そのそのその聞聞ききききつつつらむらむらん所所ところにてにてにてふとふとふとこそこそこそよまよまよまゝしゝしましかかか。。。あまりあまりあまり儀儀ぎしきしきしき事事ことさめさめさめつつつらむらむらんぞぞぞあやしきあやしきあやしきややや。。。こゝこゝここにてにてにてもももよめよめよめ。。。言言いふふうかひかひかいなしなしなし」」」などなどなどのたまはすれのたまはすれのたまわすればばばげにげにげにととと思思おもふふうにににいといといとわびしきわびしきわびしきをををいひいひいい合合あわせせせなどなどなどするするする程程ほどににに、、、藤藤とう侍侍じ從從じゅうののの、、、ありつるありつるありつる卯卯うののの花花はなにににつけつけつけててて卯卯うののの花花はなのののうすうすうすえふえふようににに、、、
- 5「「「ほとゝぎすほとゝぎすほととぎすなくなくなく音音ねたづねたづねたずねににに君君きみゆくゆくゆくととときかきかきかばばば心心こころをををそへそへそえもももしししてててましましまし」」」。。。歌
- 6「「「かへしかへしかへしまつらまつらまつらむむん」」」などなどなど局局つぼねへへへ硯硯すずりとりとりとりににに遣遣やれれればばば「「「唯唯ただこれこれこれしししてててとくとくとくいへいへいえ」」」とてとてとて御御おおん硯硯すずりのののふたふたふたににに紙紙かみなどなどなど入入いれれれててて賜賜たまはせはせわせたれたれたればばば、、、「「「宰宰さい相相しょうののの君君きみ書書かききき給給たまへへえ」」」ととといふいふいうををを、、、「「「なほなほなおそこそこそこににに」」」などなどなどいふいふいう程程ほどににに、、、かきかきかきくらしくらしくらし雨雨あめ降降ふりりりてててかみかみかみもももおどろおどろしうおどろおどろしうおどろおどろしゅう鳴鳴なりりりたれたれたればばば、、、物物ものももも覺覺おぼえええずずず唯唯ただおろしおろしおろしにににおろすおろすおろす。。。しきしきしきののの御御みざうしざうしぞうしはははしとみしとみしとみをををぞぞぞみみみ格格こう子子しにににまゐりまゐりまいり渡渡わたししし惑惑まどひひいししし程程ほどににに、、、歌歌うたのののかへりかへりかえりごとごとごとももも忘忘わすれれれぬぬぬ。。。いといといと久久ひさしくしくしく鳴鳴なりりりててて少少すこしししやむやむやむ程程ほどはははくらくくらくくらくなりなりなりぬぬぬ。。。「「「唯唯ただ今今いま猶猶なおそのそのその御御おおん返返かえりりり事事ごと奉奉たてまつらららむむん」」」とてとてとて取取とりりりかゝるかゝるかかるほどほどほどににに、、、人々人々ひとびと上上かん達達だち部部めなどなどなどかみかみかみののの事事こと申申もうしししににに參參まいりりり給給たまひひいつれつれつればばば、、、西西にしおもておもておもてににに出出いでゝでゝでて物物ものなどなどなど聞聞きこゆるゆるゆる程程ほどににに、、、まぎれまぎれまぎれぬぬぬ。。。人人ひとはははたたたさしさしさしてててえええたらたらたらむむん人人ひとこそこそこそ知知しらららめめめとてとてとて止止やみみみぬぬぬ。。。「「「大大おおかたかたかたこのこのこの事事ことにににすくせすくせすくせなきなきなき日日ひなりなりなり。。。どうじどうじどうじててて今今いまはははいかでいかでいかでさささなむなむなんいきいきいきたりたりたりしししとととだにだにだに人人ひとににに聞聞きかかかせせせじじじ」」」などなどなどぞぞぞ笑笑わらふふうををを、、、今今いまもももなどなどなどそれそれそれいきいきいきたりたりたりししし人人ひとどもどもどものののいはいはいわざらざらざらむむん、、、されされされどもどもどもさせさせさせじじじととと思思おもふふうにににこそこそこそあらあらあらめめめととと物物ものしげしげしげにににおぼしめしおぼしめしおぼしめしたるたるたるもももいといといとをかしをかしおかし。。。「「「されされされどどど今今いまはははすさまじくすさまじくすさまじくなりなりなりにてにてにて侍侍はべるるるなりなりなり」」」ととと申申もうすすす。。。「「「すさまじかるすさまじかるすさまじかるべきべきべきことことことかかかははは」」」などなどなどのたまはのたまはのたまわせせせしかしかしかばばばやみやみやみにににききき。。。二二ふつ日日かばかりばかりばかりありありありてててそのそのその日日ひののの事事ことなどなどなど言言いひひい出出いづるづるずるににに、、、宰宰さい相相しょうののの君君きみ「「「いかにいかにいかにぞぞぞ手手てづからづからずから折折おりりりたるたるたるととといひいひいいししし下下した蕨蕨わらびははは」」」とととのたまふのたまふのたまうををを聞聞きかかかせせせ給給たもうううててて、、、「「「思思おもひひい出出いづるづるずることことことのののさまさまさまよよよ」」」ととと笑笑わらははわせせせ給給たまひひいててて、、、紙紙かみのののちりちりちりたるたるたるににに、、、
- 7「「「したしたしたわらびわらびわらびこそこそこそこひしかりこひしかりこいしかりけれけれけれ」」」歌
- 8とととかゝかゝかかせせせ給給たまひひいててて、、、「「「もともともといへいへいえ」」」ととと仰仰おおせせせらるゝらるゝらるるもももをかしをかしおかし。。。
- 9「「「ほとゝぎすほとゝぎすほととぎすたづねたづねたずねてててきゝきゝききししし聲聲こえよりよりよりももも」」」歌
- 10ととと書書かきききててて參參まいらせらせらせたれたれたればばば「「「いみじういみじういみじゅううけばりうけばりうけばりたりたりたりややや。。。かうかうこうまでまでまでだにだにだにいかでいかでいかで郭公郭公ほととぎすののの事事ことをををかけかけかけつつつらむらむらん」」」ととと笑笑わらははわせせせ給給たまふふうももも耻耻はずかしかしかしながらながらながら、、、「「「何何なにかかかこのこのこの歌歌うたすべてすべてすべて詠詠よみみみ侍侍はべらららじじじとととなむなむなん思思おもひひい侍侍はべるるるものものものををを、、、物物もののののをりをりおりなどなどなど人人ひとのののよみよみよみ侍侍はべるるるにににもももよめよめよめなどなどなど仰仰おおせせせらるれらるれらるればばば、、、えええさぶらふさぶらふさぶらうまじきまじきまじき心心ここちちちなむなむなんしししはべるはべるはべる。。。いかでいかでいかでかかかははは、、、文文も字字じののの數數かず知知しらららずずず、、、春春はるははは冬冬ふゆののの歌歌うたをををよみよみよみ、、、秋秋あきははは春春はるのののをををよみよみよみ、、、梅梅うめののの折折おりははは菊菊きくなどなどなどをををよむよむよむ事事ことははは侍侍はべらららむむん。。。されされされどどど歌歌うたよむよむよむととと言言いははわれれれ侍侍はべりりりしししすゑずゑすゑずゑすえずえははは、、、少少すこししし人人ひとにににまさりまさりまさりてててそのそのそのをりをりおりののの歌歌うたはははこれこれこれこそこそこそありありありけれけれけれ。。。さささはははいへいへいえどどどそれそれそれががが子子こなれなれなればばばなどなどなど言言いははわれれれたらたらたらむむんこそこそこそかひかひかいあるあるある心心ここちちちししし侍侍はべらららめめめ。。。つゆつゆつゆとりとりとり分分わきききたるたるたるかたかたかたもももなくなくなくててて、、、さすがにさすがにさすがに歌歌うたがましくがましくがましく我我われはははととと思思おもへへえるるるさまさまさまににに、、、さいそさいそさいそににによみよみよみ出出いででで侍侍はべらららむむんなむなむなん、、、なきなきなき人人ひとのののためためためいとほしくいとほしくいとおしく侍侍はべるるる」」」などなどなどまめやかまめやかまめやかにににけいすれけいすれけいすればばば、、、笑笑わらははわせせせ給給たまひひいててて、、、「「「さらばさらばさらばたゞたゞただ心心こころにににまかすまかすまかす。。。我我われはははよめよめよめともともともいはいはいわじじじ」」」とととのたまはすれのたまはすれのたまわすればばば、、、「「「いといといと心心こころやすくやすくやすくなりなりなり侍侍はべりりりぬぬぬ。。。今今いまははは歌歌うたののの事事こと思思おもひひいかけかけかけ侍侍はべらららじじじ」」」などなどなどいひいひいいてててあるあるあるころころころ、、、
現代語訳
五月の御精進のころ、中宮様が職の御曹司にいらっしゃって、塗籠の前の二間になっている所を特別にしつらえてあるので、いつもと違った様子なのもおもしろい。月の初めから雨がちで、一日じゅう曇っていて所在ないので、「郭公の声を探しに出かけたいわ」と言うのを聞いて、我も我もと出かけようとする。賀茂の奥の、何とかいう所、七夕の渡る橋(かささぎの橋)ではなくて、聞き苦しい名前の所だったが、「そのあたりで毎日鳴いている」と人が言うので、「それはひぐらしよ」と答える人もいる。そこへ行こうというので、五日の朝、中宮職の役人に車のことを言って、北の陣から、「五月雨の頃は(物忌みでも)とがめはないものよ」と言って、車を寄せて、四人ほどが乗って行く。残った女房たちがうらやましがって、「もう一台出して、同じことなら一緒に」などと言うと、中宮様が「だめ」とおっしゃるので、聞き入れもせず、思いやりのない様子で出かけていくと、馬場という所で人がたくさん騒いでいる。「何をしているのか」と尋ねると、「手番で真弓を射るのです。しばらくご覧になっていらっしゃいませ」と言って車をとめた。「右近の中将がみな席についていらっしゃいます」と言うけれど、そういう方も見えず、六位の者などがうろうろしているので、「見たくもないことよ。早く通り過ぎて」と言って進んでいくと、道も賀茂祭の頃が思い出されておもしろい。', 'そういう所には、明順の朝臣の家がある。「そこもすぐに見ましょう」と言って、車を寄せて降りた。田舎風に簡素にして、馬の絵を描いた障子や、網代屏風、三稜草の簾など、ことさらに昔風のことを写し出してある。建物の様子も、はかなげで、端近くて奥行きもないけれど趣があるうえに、本当にやかましいと思うほどに鳴き交わしている郭公の声を、残念なことに中宮様にお聞かせできず、あれほど一緒に行きたがった人々にも、などと思う。「こういう所では、こういうことを見るべきです」と言って、稲というものをたくさん取り出して、若い娘たちで、汚らしくない、そのあたりの家の娘などを連れてきて、五、六人で稲こきをさせ、見たこともない回転する道具を二人で引かせて、歌を歌わせたりするのを、珍しく思って笑ううちに、郭公の歌を詠もうなどと思っていたことも忘れてしまいそうだ。唐絵にあるような懸盤などでもてなしてくれたのを、誰も見向きもしないので、家の主人が「たいそうひどく田舎じみています。こういう所に来た人は、悪くすると主人を責め立てて、出させてこそ召し上がるものです。まったくこんなふうでは、あなた方らしくもない」などと言って、取り持って、「この下蕨は、私が自分で摘んだのです」などと言うので、「どうして女官などのように、膳を前に並んで座っていられましょう」などと言うと、器を取り下ろして、「いつも腹ばいになって召し上がるのに慣れていらっしゃるお方たちなので」と言って、取り下ろして世話を焼いて騒いでいるうちに、「雨が降りそうだ」と言うので、急いで車に乗ると、「さて、この郭公の歌は、ここでこそ詠むべきでしょう」と言うので、「どうなろうと、道中でも」などと言って、', '卯の花がたいそう咲いているのを折っては、車の簾や側面などに長い枝を挿したので、まるで卯の花襲の衣をここに掛けたように見えた。供の男たちもひどく笑いながら、網代の板にまで穴をあけては、「ここがまだだ、ここがまだだ」と言って挿し集めている。誰かに会いたいと思うのに、まったく粗末な法師や、身分の低い取るに足りない者ばかりが、たまに見えるだけなのは、たいそう残念だ。都の近くに来たので、「いくら何でも、このまま終わってよいものか。せめてこの車の様子だけでも人に話させてから終わりにしよう」と言って、一条殿のもとに車をとめて、「侍従殿はいらっしゃいますか。郭公の声を聞いて、今帰るところです」と言わせた。使いが「すぐに参ります。『あが君、あが君』とおっしゃっています。侍所でくつろいでいらっしゃったのを、指貫をお召しになりました」と言うので、「待つまでもない」と言って、車を走らせて土御門の方へやらせると、いつの間に装束を着けたのだろうか、帯は道を走りながら結んで、しきりに追いかけてくる。供として、侍や雑色が履物もはかずに走っているようだ。急いで車をやるけれど、いっそう急いで、土御門に着いたところで、あえぎながらいらっしゃって、まずこの車の様子をひどくお笑いになる。「この世の人が乗っているとはまったく見えない。やはり降りて見てごらん」などとお笑いになると、供をしてきた人たちも面白がって笑う。「歌はどうした。それを聞こう」とおっしゃるので、「これから中宮様にお目にかけてから」などと言っているうちに、雨が本当に降り出した。「どうしてほかの門のようにではなく、この土御門だけ屋根もなく造ったのだろうと、今日こそたいそう憎らしい」などと言って、「どうやって帰ろうか。こちらへ来る時は、ただ遅れまいと思って、人目もかまわず走らされたが、奥へ帰っていくのは、たいそう興ざめだ」とおっしゃるので、「さあ、いらっしゃいませ。内裏へ」などと言う。「それも烏帽子姿ではどうして。冠を取りに人をやってください」などと言っているうちに、本降りになったので、笠のない男たちは、ただひたすら車を引き入れてしまった。一条殿から傘を持ってきたのを差させて、振り返り振り返り、今度はゆっくりとつらそうに、卯の花だけを手に持っていらっしゃるのもおもしろい。', 'さて参上すると、中宮様が様子をお尋ねになる。置いていかれて恨んでいた女房たちも、恨みごとを言い、情けながりながらも、藤侍従が一条の大路を走ったことを話すと、みな笑ってしまった。「それで、どうなの、歌は」とお尋ねになる。これこれと申し上げると、「残念なことね。殿上人などが聞いたら、どうして趣のある歌の一つもなくてよいでしょう。その郭公を聞いた所で、さっと詠めばよかったのに。あまり格式張ったことにこだわって、興ざめしたのでしょう。おかしなことね。ここででも詠みなさい。言いようもないこと」などとおっしゃるので、なるほどと思うにつけ、たいそうつらいのを、相談などしているうちに、藤侍従が、さっきの卯の花に付けて、卯の花襲の薄様の紙に、', '郭公の鳴く声を訪ねてあなたが行くと聞いたなら、私も心を添えて一緒に行ったのに。', '「返歌をしましょう」と言って、局へ硯を取りにやると、中宮様が「ただこれを使って早く言いなさい」と言って、御硯の蓋に紙などを入れてくださったので、「宰相の君、お書きなさい」と言うのを、「やはりあなたが」などと言っているうちに、空を暗くして雨が降り、雷もひどく鳴ったので、何も分からず、ただひたすら格子を下ろす。職の御曹司は蔀戸を格子のように一面に下ろしてまわって、あわてているうちに、歌の返事も忘れてしまった。たいそう長く鳴って、少しやんだころには暗くなってしまった。「今すぐ、やはりそのお返事を差し上げましょう」と言って取りかかったところに、人々や上達部などが雷のお見舞いを申し上げに参上なさったので、西面に出てお話などを申し上げているうちに、紛れてしまった。ほかの人は、名指しで返事をもらった人こそ返すべきだと言って、そのままになってしまった。「まったくこのことには縁のない日だわ。もうこうなったら、どうかして、そんな所に行ったということさえ人に聞かせまい」などと笑うのを、中宮様は「今でも、どうして行った人たちが歌を詠まないことがあろう。けれども、詠ませまいと思っているのでしょう」と、不機嫌そうにお思いになっているのも、たいそうおもしろい。「けれども、今はもう興ざめになってしまいました」と申し上げる。「興ざめになるはずのことでしょうか」などとおっしゃったけれど、そのままになってしまった。二日ほどたって、その日のことなどを話していると、宰相の君が「どうでしたか、手ずから摘んだと言った下蕨は」とおっしゃるのをお聞きになって、中宮様が「思い出すことといったら、それなのね」とお笑いになって、散らばっていた紙に、', '下蕨こそ恋しかったのですね。', 'とお書きになって、「上の句を言いなさい」とおっしゃるのもおもしろい。', '郭公を訪ねて聞いた声よりも、', 'と書いて差し上げると、「ずいぶん得意げね。こうまでしても、どうして郭公のことをかけたのでしょう」とお笑いになるのも恥ずかしいけれど、「どうして。この歌というものは、一切詠むまいと思っておりますのに、何かの折などに人が詠みますときにも、詠めとおっしゃるので、とてもお仕えできそうもない気持ちがいたします。どうして、字数も知らず、春に冬の歌を詠み、秋に春の歌を詠み、梅の折に菊の歌などを詠むことがございましょう。けれども、歌を詠むと言われた人の子孫は、少し人よりすぐれて、『その折の歌はこれこそだった。そうはいってもあの人の子だから』などと言われたら、それこそ詠むかいのある気持ちがするでしょう。少しも取り立てて言えるところもないのに、それでも歌らしく、我こそはと思っている様子で、真っ先に詠み出しますのは、亡き父のために気の毒でございます」などと、まじめに申し上げると、お笑いになって、「それなら、ただあなたの心にまかせましょう。私は詠めとも言いますまい」とおっしゃるので、「たいそう気が楽になりました。今はもう歌のことは考えますまい」などと言っていたころ、'
意訳
五月雨の晴れ間、作者たちは郭公の声を聞きに賀茂の奥へ出かける。高階明順の家では田舎風のもてなしを受け、稲こきや粉ひきを見物し、肝心の郭公の歌を詠むのも忘れてしまう。帰りには卯の花で牛車を飾り立て、知り合いに見せようと藤原公信を呼び出すと、公信は帯も締めずに追いかけてくる。帰参した作者は、中宮から「歌はどうしたの」と責められる。作者は、歌人として名高い清原元輔の娘であるがゆえに、半端な歌は詠みたくないと本心を打ち明け、定子から歌を詠まなくてもよいという許しを得る。歌の家に生まれた者としての作者の自負と葛藤が、ユーモアの中に率直に語られた、重要な段である。
語釈・文法注
- 御さうじ
- 御精進。物忌みや仏事のために身を清めて慎むこと。
- あきのぶ
- 高階明順(あきのぶ)。中宮定子の母方の叔父。
- 侍從殿
- 藤原公信。一条殿(藤原為光の邸)に住んでいた。
文法
- 「にくき名」
- 聞き苦しい名。その地名を具体的には記していない。
- 「てつがひ」
- 手番(てつがい)。騎射や弓の競技で、射手を組み合わせること。
- 「はひぶし」
- 腹ばいになって。女房たちのくつろいだ姿をからかった表現。
- 「歌よむと言はれ侍りしすゑずゑ」
- 歌人として名高い家の子孫。作者の父清原元輔、曾祖父清原深養父はいずれも名高い歌人だった。
- 「なき人のためいとほしく」
- 亡き父(元輔)のために気の毒だ。父の名を汚すような歌は詠みたくない、の意。
和歌
ほととぎす鳴く音たづねに君ゆくと聞かば心を添へもしてまし
- 詠者
- 藤原公信(藤侍従)
- 状況
- 郭公の声を聞きに出かけた作者たちに、卯の花を添えて贈った歌。
ほととぎすたづねて聞きし声よりも(作者)/下蕨こそ恋しかりけれ(中宮定子)
- 詠者
- 中宮定子と清少納言の連歌
- 状況
- 定子が下の句「下蕨こそ恋しかりけれ」を詠み、作者に上の句をつけさせた。郭公の声よりも、もてなしの下蕨の方が恋しかったのでしょう、とからかった。
修辞
- 連歌
- 上の句と下の句を二人で詠み分ける。定子が先に下の句を示し、作者が上の句をつけた。
解説
郭公の声を聞きに出かけた一日を描いた日記的章段で、枕草子の中でも特に生き生きとした描写で知られる。明順の家でのもてなしや、卯の花で飾った車、帯を締めながら追いかけてくる公信など、楽しい場面が次々に描かれる。
後半の作者と定子とのやりとりは、作者の歌に対する考えを知るうえで重要である。名高い歌人の家に生まれた作者は、凡庸な歌を詠んで父祖の名を汚すことを恐れ、あえて歌を詠まないことを選ぼうとする。定子はその心情を理解し、歌を詠まない許しを与えた。この話は次の段(庚申の夜)へと続いていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、248–253頁(コマ127–129)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日