枕草子 第86段 日記的章段
雪山の段(しはすの十余日のほどに)
十二月、職の御曹司の庭に大きな雪山を作る。いつまで残るか賭けになり、作者は「正月十五日まで」と言い張る。雪山は年を越しても消えず、作者は番人まで置いて見守るが、十五日の朝には消えていた。実は定子が前夜ひそかに取り捨てさせていたのだった。

- 1さてさてさてしはすしはすしわすののの十十とおよよよ日日かのののほどほどほどににに、、、雪雪ゆきいといといと高高たこうううふりふりふりたるたるたるををを、、、女房女房にょうぼうどもどもどもなどなどなどしししてててものものものゝゝのふたふたふたににに入入いれれれつゝつゝつついといといと多多おおくくくおくおくおくををを「「「おなじくおなじくおなじくははは庭庭にわにににまことまことまことののの山山やまををを作作つくらせらせらせ侍侍はべらららむむん」」」とてとてとてさぶらひさぶらひさぶらい召召めしししててて「「「仰仰おおせせせ事事ごとにてにてにて」」」ととといへいへいえばばば、、、あつまりあつまりあつまりてててつくるつくるつくるににに、、、とのもりとのもりとのもりづかさづかさづかさののの人人ひとにてにてにて御御みきよめきよめきよめににに參參まいりりりたるたるたるなどなどなどももも皆皆みなよりよりよりててていといといと高高たかくくくつくりつくりつくりなすなすなす。。。宮宮みやづかさづかさづかさなどなどなど參參まいりりり集集あつまりまりまりてててことことことくはへくはへくわえことことことにににつくれつくれつくればばば、、、所所ところののの衆衆しゅ三三さん四四し人人にん參參まいりりりたるたるたる。。。殿殿との守守もりづかさづかさづかさののの人人ひとももも二二に十十じゅう人人にんばかりばかりばかりににになりなりなりにににけりけりけり。。。里里さとなるなるなるさぶらひさぶらひさぶらい召召めしししににに遣遣つかわしししなどなどなどすすす。。。「「「今日今日きょうこのこのこの山山やまつくるつくるつくる人人ひとにににははは祿祿ろく賜賜たまはすはすわすべしべしべし。。。雪雪ゆき山山やまににに參參まいらららざらざらざらむむん人人ひとにににははは同同おなじじじからからからずずずとゞめとゞめとどめむむん」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、聞聞ききききつけつけつけたるたるたるはははまどひまどひまどいまゐるまゐるまいるもももありありあり。。。里里さと遠遠とおきききはははえええ告告つげげげやらやらやらずずず。。。作作つくりりりはてはてはてつれつれつればばば宮宮みやづかさづかさづかさ召召めしししてててきぬきぬきぬ二二ふたゆひゆひゆいとらとらとらせせせてててえんえんえんににに投投なげげげ出出いづるづるずるををを、、、ひとつひとつひとつづゝづゝずつとりとりとりににによりよりよりててて、、、をがみをがみおがみつゝつゝつつ腰腰こしにににさしさしさしててて皆皆みなまかでまかでまかでぬぬぬ。。。うへうへうえのののきぬきぬきぬなどなどなど着着きたるたるたるはははかたへかたへかたえさらさらさらででで狩狩かり衣衣ぎぬにてにてにてぞぞぞあるあるある。。。
- 2「「「これこれこれいついついつまでまでまでありありありなななむむん」」」ととと人々人々ひとびとののの給給たまはするはするわするににに「「「十十じゅう餘餘よ日日にちはははありありありなななむむん」」」唯唯ただこのこのこの頃頃ころののの程程ほどをををあるあるある限限かぎりりり申申もうせせせばばば「「「いかにいかにいかに」」」ととと問問とはははせせせ給給たまへへえばばば、、、「「「むむむ月月つきののの十十じゅう五日五日ごにちまでまでまで候候さぶらひひいなななむむん」」」ととと申申もうすすすををを、、、御御お前前まえにににもももえええさささはははあらあらあらじじじとととおぼすおぼすおぼすめりめりめり。。。女房女房にょうぼうなどなどなどはははすべてすべてすべて「「「年年としののの內內うちつごもりつごもりつごもりまでまでまでもももあらあらあらじじじ」」」とととのみのみのみ申申もうすすすににに、、、餘餘あまりりり遠遠とおくくくももも申申もうしししてててけるけるけるかなかなかな、、、げにげにげにえええしもしもしもさささはははあらあらあらざらざらざらむむん、、、ついたちついたちついたちなどなどなどぞぞぞ申申もうすすすべかりべかりべかりけるけるけるととと下下したにににはははおもへおもへおもえどどど「「「さばれさばれさばれさささまでまでまでなくなくなくととと言言いひひいそめそめそめてててむむんことことことははは」」」とてとてとてかたうかたうかとうあらがひあらがひあらがいつつつ。。。二二は十十つ日日かのののほどほどほどににに雨雨あめなどなどなど降降ふれれれどどど消消きゆゆゆべくべくべくもももなしなしなし。。。たけたけたけぞぞぞ少少すこしししおとりおとりおとりもてもてもてゆくゆくゆく。。。「「「白白しら山山やまののの觀觀かん音音おんこれこれこれきやさきやさきやさせせせ給給たまふふうななな」」」ととと祈祈いのるるるももも物物ものぐるほしぐるほしぐるおし。。。さてさてさてそのそのその山山やまつくりつくりつくりたるたるたる日日ひ、、、式式しき部部ぶのののぞうぞうぞうたゞたかたゞたかただたか御御おおん使使つかいにてにてにて參參まいりりりたれたれたればばば、、、しとねしとねしとねさしさしさし出出いだししし、、、物物ものなどなどなどいふいふいうににに「「「けふけふきょうののの雪雪ゆき山山やまつくらつくらつくらせせせ給給たまははわぬぬぬ所所ところなむなむなんなきなきなき。。。御御お前前まえのののつぼつぼつぼにににももも作作つくらせらせらせ給給たまへへえりりり。。。春春とう宮宮ぐうにににももも弘弘こ徽徽き殿殿でんにににもももつくらつくらつくらせせせ給給たまへへえりりり。。。京京きょう極極ごく殿殿どのにににもももつくらつくらつくらせせせ給給たまへへえりりり」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、
- 3「「「こゝこゝここにににのみのみのみめづらしめづらしめずらしととと見見みるるる雪雪ゆきののの山山やまところどころところどころところどころにににふりふりふりにににけるけるけるかなかなかな」」」歌
- 4とととかたはらかたはらかたわらなるなるなる人人ひとしししててていはいはいわすれすれすればばば、、、たびたびたびたびたびたび傾傾かたぶきぶきぶきててて、、、「「「返返かえしししはははえええ仕仕つかうまつりうまつりうまつりけがさけがさけがさじじじ。。。あざれあざれあざれたりたりたり。。。みすみすみすののの前前まえにてにてにて人人ひとにににをををかたりかたりかたり侍侍はべらららむむん」」」とてとてとてたちたちたちにににききき。。。歌歌うたはははいみじくいみじくいみじく好好このむむむととと聞聞ききききしししにににあやしあやしあやし。。。御御お前前まえにににきこしめしきこしめしきこしめしててて「「「いみじくいみじくいみじくよくよくよくとととぞぞぞ思思おもひひいつつつらむらむらん」」」とととぞぞぞのたまはするのたまはするのたまわする。。。つもごりつもごりつもごりがたがたがたににに少少すこしししちひさくちひさくちいさくなるなるなるやうやうようなれなれなれどどど猶猶なおいといといと高高たかくくくてててあるあるあるににに、、、晝晝ひるつつつ方方かた椽椽えんににに人々人々ひとびと出出いでででゐゐいなどなどなどしししたるたるたるににに、、、常常ひた陸陸ちののの介介すけ出出いででできききたりたりたり。。。「「「などなどなどいといといと久久ひさしくしくしく見見みえええざりざりざりつるつるつる」」」ととといへいへいえばばば、、、「「「なにかなにかなにか、、、いといといと心心こころ憂憂うききき事事ことののの侍侍はべりりりしかしかしかばばば」」」ととといふいふいうににに、、、「「「いかにいかにいかに、、、何何なに事事ごとぞぞぞ」」」ととと問問とふふうににに、、、「「「猶猶なおかくかくかく思思おもひひい侍侍はべりりりしししなりなりなり」」」とてとてとてながやかながやかながやかににによみよみよみ出出いづづず、、、
- 5「「「うらやましうらやましうらやまし足足あしもももひかひかひかれれれずずずわたつうみわたつうみわたつうみのののいかなるいかなるいかなるあまあまあまににに物物ものたまふたまふたまうらむらむらん歌
- 6とととなむなむなん思思おもひひい侍侍はべりりりししし」」」ととといふいふいうをををにくみにくみにくみ笑笑わらひひいててて、、、人人ひとののの、、、目目めももも見見みいれいれいれねねねばばば、、、雪雪ゆきののの山山やまにににのぼりのぼりのぼりかゝづらひかゝづらひかかずらいありきありきありきててていぬるいぬるいぬるのちのちのちににに、、、右右う近近こんののの內內ない侍侍しにににかくかくかくなむなむなんととと言言いひひいやりやりやりたれたれたればばば「「「などなどなどかかか人人ひとそへそへそえてててこゝこゝここにににははは賜賜たまははわせせせざりざりざりししし。。。かれかれかれがががはしたなくはしたなくはしたなくててて雪雪ゆきののの山山やままでまでまでかゝりかゝりかかりつたひつたひつたいけむけむけんこそこそこそいといといと悲悲かなしけれしけれしけれ」」」とととあるあるあるををを、、、又又またわらふわらふわらう。。。ゆきゆきゆき山山やまはははつれなくつれなくつれなくててて年年としもももかへりかへりかえりぬぬぬ。。。ついたちついたちついたちののの日日ひ又又また雪雪ゆき多多おおくくくふりふりふりたるたるたるををを、、、うれしくうれしくうれしくももも降降ふりりり積積つみみみたるたるたるかなかなかなととと思思おもふふうににに「「「これこれこれはははあいなしあいなしあいなし。。。初初はじめのののをををばばばおきおきおきててて今今いまのののをををばばばかきかきかき棄棄すてててよよよ」」」ととと仰仰おおせせせらるらるらる。。。うへうへうえにてにてにて局局つぼねへへへいといといととうとうとうおるれおるれおるればばば侍侍さぶらいのののをさをさおさなるなるなるものものもの、、、ゆのはゆのはゆのはののの如如ごとくくくなるなるなるとのゐとのゐとのいぎぬぎぬぎぬののの袖袖そでののの上上うえににに靑靑あおききき紙紙かみののの松松まつにににつけつけつけたるたるたるをををおきおきおきてててわなゝきわなゝきわななき出出いでででたりたりたり。。。「「「そそそはははいづこいづこいずこのののぞぞぞ」」」ととと問問とへへへばばば「「「齋齋さいよりよりより」」」ととといふいふいうににに、、、ふとふとふとめでたくめでたくめでたく覺覺おぼえええててて取取とりりりててて參參まいりりりぬぬぬ。。。まだまだまだおほとのごもりおほとのごもりおおとのごもりたれたれたればばば母母も屋屋やにににあたりあたりあたりたるたるたるみかうしみかうしみこうしおこなはおこなはおこなわむむんなどなどなど、、、かきかきかきよせよせよせててて一一ひと人人り念念ねんじじじてててあぐるあぐるあぐる、、、いといといと重重おもししし。。。片片かたつかたつかたつかたなけれなけれなければばばひしめくひしめくひしめくにににおどろかおどろかおどろかせせせ給給たまひひいててて「「「などなどなどさささはははするするする」」」とととののの給給たまはすれはすれわすればばば「「「齋齋さい院院いんよりよりより御御おおん文文ふみののの候候さぶらははわむむんにににはははいかでいかでいかでかかか急急いそぎぎぎあけあけあけ侍侍はべらららざらざらざらむむん」」」ととと申申もうすすすににに、、、「「「げにげにげにいといといととかりとかりとかりけりけりけり」」」とてとてとて起起おきききさせさせさせ給給たまへへえりりり。。。御御おおん文文ふみあけあけあけさせさせさせ給給たまへへえれれればばば、、、五五ご寸寸すんばかりばかりばかりなるなるなる卯卯う槌槌ずち二二ふたつつつををを卯卯う杖杖づえのののさまさまさまにににかしらかしらかしらつゝみつゝみつつみなどなどなどしししててて山山やまたちばなたちばなたちばな、、、ひかげひかげひかげ、、、やまやまやますげすげすげなどなどなどうつくしげうつくしげうつくしげににに飾飾かざりりりててて御御おおん文文ふみはははなしなしなし。。。「「「唯唯ただなるなるなるやうやうようあらあらあらむむんやはやはやは」」」とてとてとて御御ご覽覽らんずれずれずればばば、、、うづちうづちうずちののの頭頭かしらつゝみつゝみつつみたるたるたるちひさきちひさきちいさき紙紙かみににに、、、
- 7「「「山山やまとよむとよむとよむ斧斧おののののひゞきひゞきひびきをををたづぬれたづぬれたずぬればばばいはひいはひいわいののの杖杖つえのののおとおとおとにににぞぞぞありありありけるけるける」」」。。。歌
- 8御御おおん返返かえしししかゝかゝかかせせせ給給たまふふうほどほどほどもももいといといとめでたしめでたしめでたし。。。齋齋さい院院いんにににはははこれこれこれよりよりより聞聞きこえええさせさせさせ給給たまふふう。。。御御おおん返返かえしししももも猶猶なお心心こころことことことにににかきかきかきけがしけがしけがし、、、多多おおくくく御御おおん用用よう意意い見見みえええたるたるたる。。。御御おおん使使つかいににに白白しろききき織織おり物物もののののひとへひとへひとえすはうすはうすおうなるなるなるははは梅梅うめなななめりめりめりかしかしかし、、、雪雪ゆきののの降降ふりりりしきしきしきたるたるたるににに、、、かづきかづきかずきてててまゐるまゐるまいるもももをかしうをかしうおかしゅう見見みゆゆゆ。。。このこのこのたびたびたびののの御御おおんかへりかへりかえりごとごとごとををを知知しらららずずずなりなりなりにににしししこそこそこそくちをしかりくちをしかりくちおしかりしかしかしか。。。雪雪ゆきののの山山やまはははまことまことまことにににこしこしこしのののにににやややあらあらあらむむんととと見見みえええててて消消きえええげげげもももなしなしなし。。。くろくくろくくろくなりなりなりててて見見みるるるかひかひかいもももなきなきなきさまさまさまぞぞぞしししたるたるたる。。。勝勝かちちちぬるぬるぬる心心ここちちちしししててていかでいかでいかで十十じゅう五日五日ごにちまちまちまちつけつけつけさせさせさせむむんととと念念ねんずれずれずれどどど、、、「「「七七なぬ日日かをををだにだにだにえええ過過すぐさぐさぐさじじじ」」」ととと猶猶なおいへいへいえばばば、、、いかでいかでいかでこれこれこれ見見みはてはてはてむむんととと皆皆みな人人ひと思思おもふふう程程ほどににに、、、俄俄にわかににに三三み日日か內內うちへへへ入入いらららせせせ給給たまふふうべしべしべし。。。いみじういみじういみじゅう口口くちをしくをしくおしくこのこのこの山山やまのののはてはてはてををを知知しらららずずずなりなりなりなななむむん事事ことととと、、、まめやかまめやかまめやかににに思思おもふふう程程ほどににに、、、人人ひとももも「「「げにげにげにゆかしかりゆかしかりゆかしかりつるつるつるものものものををを」」」などなどなどいふいふいう。。。御御おまへまへまえにににももも仰仰おおせせせらるらるらる。。。同同おなじくじくじくはははいひいひいいあてゝあてゝあてて御御ご覽覽らんぜぜぜさせさせさせむむんととと思思おもへへえるるるかひかひかいなけれなけれなければばば、、、御御おおん物物ものののの具具ぐはこびはこびはこび、、、いみじういみじういみじゅうさわがしきさわがしきさわがしきにににあはせあはせあわせててて、、、こもりこもりこもりととといふいふいう者者もののののついぢついぢついじののの程程ほどににに廂廂ひさしさしさしさしててて居居いたるたるたるをををえんえんえんのののもともともと近近ちかくくく呼呼よびびびよせよせよせててて「「「このこのこの雪雪ゆきののの山山やまいみじくいみじくいみじく守守まもりりりてててわらはべわらはべわらわべなどなどなどににに踏踏ふみみみちらさちらさちらさせせせこぼたこぼたこぼたせせせででで十十じゅう五日五日ごにちまでまでまで侍侍さぶらははわせせせ。。。よくよくよく守守まもりりりてててそのそのその日日ひにににあたらあたらあたらばばばめでたきめでたきめでたき祿祿ろくたまはたまはたまわせせせむむんとととすすす。。。わたくしわたくしわたくしにににももも、、、いみじきいみじきいみじきよろこびよろこびよろこびいはいはいわむむん」」」などなどなど語語かたらひらひらいててて常常つねににに臺臺だい盤盤ばん所所どころののの人人ひと、、、げすげすげすなどなどなどにににこひこひこいてててくるゝくるゝくるるくだものくだものくだものややや何何なにやややととと、、、いといといと多多おおくくくとらせとらせとらせたれたれたればばばうちうちうち笑笑えみみみててて「「「いといといとやすきやすきやすきととと、、、たしかたしかたしかににに守守まもりりり侍侍はべらららむむん。。。わらはべわらはべわらわべなどなどなどぞぞぞのぼりのぼりのぼり侍侍はべらららむむん」」」ととといへいへいえばばば「「「それそれそれをををせいしせいしせいしててて聞聞きかかかざらざらざらむむんものものものははは事事ことのののよしよしよしををを申申もうせせせ」」」などなどなどいひいひいい聞聞きかかかせせせててて入入いらららせせせ給給たまひひいぬれぬれぬればばば、、、七七なぬ日日かまでまでまで侍侍さぶらひひいててて出出いでででぬぬぬ。。。
- 9そのそのそのほどほどほどもももこれこれこれがががうしろめたきうしろめたきうしろめたきまゝまゝままににに、、、おほやけおほやけおおやけ人人びと、、、すましすましすまし、、、をさめをさめおさめなどなどなどしししててて、、、絕絕たえええずずずいましめいましめいましめにににやりやりやり、、、七七なぬ日日かののの御御お節節せ供供くのののおろしおろしおろしなどなどなどをををやりやりやりたれたれたればばば、、、拜拜おがみみみつるつるつることことことなどなどなど、、、かへりかへりかえりてててははは笑笑わらひひいあへあへあえりりり。。。里里さとにてにてにてもももあくるあくるあくるすなはちすなはちすなわちこれこれこれををを大大だい事事じにににしししててて見見みせせせにににやるやるやる。。。十十とお日日かのののほどほどほどにににははは、、、五五ご六六ろく尺尺しゃくばかりばかりばかりありありありととといへいへいえばばば、、、うれしくうれしくうれしく思思おもふふうににに、、、十十じゅう三三さん日日にちののの夜夜よ雨雨あめいみじくいみじくいみじく降降ふれれればばば、、、これこれこれにににぞぞぞ消消きえええぬぬぬらむらむらんととといみじういみじういみじゅう口口くちをしをしおし。。。「「「今今いまひとひとひと日日ひもももまちまちまちつけつけつけででで」」」とととよるよるよるももも起起おききき居居いててて歎歎なげけけけばばば聞聞きくくく人人ひとももも「「「物物ものくるほしくるほしくるおし」」」ととと笑笑わらふふう。。。人人ひとののの起起おきききててて行行ゆくくくにににやがてやがてやがて起起おききき居居いてててげすげすげすおこさおこさおこさするするするににに、、、更更さらににに起起おきききねねねばばばにくみにくみにくみ腹腹はらだゝだゝだたれれれててて起起おきききいでいでいでたるたるたるををを遣遣やりりりててて見見みすれすれすればばば「「「わらふだわらふだわろうだばかりばかりばかりににになりなりなりててて侍侍はべるるる。。。こもりこもりこもりいといといとかしこうかしこうかしこうわらはべわらはべわらわべももも寄寄よせせせででで守守まもりりりてててあすあすあすあさてあさてあさてまでまでまでももも侍侍さぶらひひいぬぬぬべしべしべし、、、祿祿ろく賜賜たまはらはらわらむむんととと申申もうすすす」」」ととといへいへいえばばば、、、いみじくいみじくいみじくうれしくうれしくうれしく、、、いつしかいつしかいつしかあすあすあすにににならならならばばば、、、いといといととうとうとう歌歌うたよみよみよみててて物物ものににに入入いれれれてててまゐらせまゐらせまいらせむむんととと思思おもふふうもももいといといと心心こころもとなうもとなうもとのうわびしうわびしうわびしゅう、、、まだまだまだくらきくらきくらきににに、、、大大おおきききなるなるなるをりをりおりびつびつびつなどなどなどもたもたもたせせせててて「「「これこれこれにににしろからしろからしろからむむん所所ところひたひたひたものものもの入入いれれれてててもてもてもてこここ。。。きたなげきたなげきたなげならならならむむんはははかきかきかき捨捨すてゝてゝてて」」」などなどなど、、、言言いひひいくゝめくゝめくくめててて遣遣やりりりたれたれたればばば、、、いといといととくとくとくもたもたもたせせせてててやりやりやりつるつるつる物物ものひきひきひきさげさげさげててて「「「はやうはやうはよう失失うせせせ侍侍はべりりりにににけりけりけり」」」ととといふいふいうににに、、、いといといとあさましあさましあさまし。。。をかしうをかしうおかしゅうよみよみよみ出出いでゝでゝでて人人ひとにににももも語語かたりりりつたへつたへつたえさせさせさせむむんとととうめきうめきうめきずんじずんじずんじつるつるつる歌歌うたもももいといといとあさましくあさましくあさましくかひかひかいなくなくなく「「「いかにいかにいかにしししつるつるつるならならならむむん。。。きのふきのふきのうさばかりさばかりさばかりありありありけむけむけん物物ものをををよよよのののほどほどほどににに消消きえええぬぬぬらむらむらんことことこと」」」ととと言言いひひいくんずれくんずれくんずればばば、、、こもりこもりこもりががが申申もうしししつるつるつるははは「「「きのふきのふきのういといといと暗暗くろうううなるなるなるまでまでまで侍侍はべりりりききき。。。祿祿ろくをををたまはらたまはらたまわらむむんととと思思おもひひいつるつるつるものものものををを、、、たまはらたまはらたまわらずずずなりなりなりぬるぬるぬる事事ことととと手手てをををうちうちうちててて申申もうししし侍侍はべりりりつるつるつる」」」ととといひいひいいさわぐさわぐさわぐににに、、、
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現代語訳
さて、十二月の十日過ぎごろ、雪がたいそう高く降り積もったのを、女房たちなどが器の蓋に入れては、たくさん置いているので、「同じことなら、庭に本物の山を作らせましょう」と言って、侍を呼んで「中宮様のお言いつけで」と言うと、集まって作るのに、主殿寮の役人で御清掃に参上している者なども、みな寄ってきてたいそう高く作り上げる。中宮職の役人なども参上して集まって、口出しをして、いっそう念入りに作るので、蔵人所の衆も三、四人参上している。主殿寮の人も二十人ほどになった。里に下がっている侍を呼びに使いをやったりもする。「今日この山を作る人には褒美をくださるだろう。雪山作りに参上しない人には、同じようにはくださらず、止めてしまおう」などと言うと、聞きつけた者はあわてて参上するのもいる。里の遠い者には知らせることもできない。作り終わったので、中宮職の役人を呼んで、衣を二包み与えさせて縁側に投げ出すと、一つずつ取りに寄ってきて、拝みながら腰に差して、みな退出した。袍などを着ている者は、そうはしないで狩衣姿でいる。', '「これはいつまで残っているでしょうね」と、中宮様が女房たちにおっしゃると、「十日あまりはあるでしょう」と、ただこの数日ほどの見当を、みなが申し上げるので、「あなたはどう」と私にお尋ねになるので、「正月の十五日まではございましょう」と申し上げたのを、中宮様もとてもそうはいくまいとお思いのようだ。女房たちはみな「年内の大晦日まででさえもたないでしょう」とばかり申し上げるので、あまりに先のことを申し上げてしまったなあ、本当にそこまではもつまい、元日などと申し上げるべきだったと、内心では思うけれど、「どうなろうと、そこまではもたなくても、言い出してしまったことは」と思って、強く言い張った。二十日ごろに雨などが降ったけれど、消えそうにもない。丈が少し低くなっていく。「白山の観音様、これを消させなさいますな」と祈るのも、正気の沙汰ではない。さて、その山を作った日に、式部丞忠隆が帝のお使いとして参上したので、敷物を差し出して話などをすると、「今日、雪山を作らせなさらない所はありません。帝の御前の坪庭にもお作らせになりました。東宮御所にも弘徽殿にもお作らせになりました。京極殿にもお作らせになりました」などと言うので、', 'ここだけで珍しいと思って見ていた雪の山は、あちこちに降っていて、ありふれたものになってしまったことよ。', 'と、そばにいる人に言わせると、何度も首をかしげて、「返歌は、下手な歌で汚すようなことはいたしますまい。しゃれていますね。御簾の前で人に話しましょう」と言って立ち去った。歌をたいそう好むと聞いていたのに、妙なことだ。中宮様がお聞きになって、「たいそうよい歌を詠もうと思ったのでしょう」とおっしゃる。年末ごろには少し小さくなるようだったけれど、まだたいそう高く残っているところに、昼ごろ、縁側に女房たちが出て座っていると、常陸の介がやって来た。「どうしてずいぶん長い間姿を見せなかったの」と言うと、「何の、たいそうつらいことがございましたので」と言うので、「どうしたの、何があったの」と尋ねると、「やはりこう思いましたので」と言って、長々と詠み出す。', 'うらやましいこと。足も引きずられずに来られるこの海の、どんな海人にお与えになっているのだろう。', 'と思いましたのです」と言うのを、憎らしがって笑って、誰も目もくれないので、雪の山に登って、うろうろ歩き回って帰っていった後に、右近の内侍にこれこれと書いて送ると、「どうして人を付けて、こちらへよこしてくださらなかったのですか。あの者が間の悪い思いをして、雪の山にまでよじ登ったとは、たいそう悲しいことです」とあるのを、また笑う。雪山は平然として、年も改まった。元日にまた雪がたくさん降ったので、うれしくも降り積もったものだと思うと、中宮様が「これはいけません。初めのはそのままにして、今の分はかき捨てなさい」とおっしゃる。上の御局から自分の局へたいそう早く下がると、侍の長である者が、柚子の葉のような濃い緑の宿直衣の袖の上に、青い紙を松の枝に付けたものを置いて、寒さに震えながら出てきた。「それはどこからのものか」と尋ねると、「斎院から」と言うので、ふとすばらしく思われて、受け取って参上した。中宮様はまだお休みになっていたので、母屋に面した御格子を上げようと思って、引き寄せて一人で力を入れて上げると、たいそう重い。片方だけなので、きしむ音にお目覚めになって、「どうしてそんなことをするのか」とおっしゃるので、「斎院からお手紙がございますのに、どうして急いでお開けしないでいられましょう」と申し上げると、「本当にずいぶん早いこと」と言ってお起きになった。お手紙をお開けになると、五寸ほどの卯槌二つを、卯杖のように頭を包んだりして、山橘や日陰の葛、山菅などで美しく飾ってあって、お手紙はない。「ただこれだけのはずはないでしょう」と言ってご覧になると、卯槌の頭を包んだ小さな紙に、', '山に響く斧の音をたずねてみたら、祝いの杖を切る音だったのですね。', 'お返事をお書きになる様子も、たいそうすばらしい。斎院には、こちらから先にお便りを差し上げなさるのが常だった。お返事も、やはり格別に心をこめて、何度も書き直し、たいそう気をつかっていらっしゃるご様子が見える。お使いには、白い織物の単衣で、蘇芳色なのは梅襲なのだろう、雪の降りしきる中を、それを肩にかけて帰っていくのも趣深く見える。このたびのお返事の内容を知らずに終わってしまったのは、残念だった。雪の山は、本当に越の国の山だろうかと思われるほど、消えそうにもない。黒くなって、見るかいもない様子になっている。勝ったような気がして、何とか十五日まで持ちこたえさせたいと祈っていると、女房たちは「七日さえ越せまい」とやはり言うので、何とかこれを最後まで見届けようと皆が思っているうちに、急に、三日に中宮様が内裏にお入りになることになった。たいそう残念で、この山の最後を知らずに終わってしまうことだと、本気で思っていると、人々も「本当に見届けたかったのに」などと言う。中宮様もそうおっしゃる。同じことなら言い当てて、ご覧に入れたいと思っていたかいがないので、お道具を運び出し、たいそう騒がしいのに紛れて、木守という者が築地のそばに廂をさしかけて住んでいるのを、縁側の近くに呼び寄せて、「この雪の山をしっかり守って、子どもたちに踏み散らされたり崩されたりしないようにして、十五日まで残しておきなさい。よく守って、その日まで残ったら、中宮様からすばらしいご褒美をくださるでしょう。私からも、たいそうなお礼をしましょう」などと語らって、いつも台盤所の人や下仕えの者などに頼んでもらう果物やら何やらを、たいそうたくさん与えると、にっこり笑って、「お安いことです。確かにお守りいたしましょう。子どもたちなどが登るでしょうから」と言うので、「それを止めても聞かない者がいたら、そのわけを申し出よ」などと言い聞かせて、中宮様が内裏にお入りになったので、私も七日まで内裏にお仕えして退出した。', 'その間も、雪山が気がかりでならないので、宮中の下役や、樋洗、長女などを使って、絶えず注意しに行かせ、七日の御節供のおさがりなどを木守にやったところ、拝んで受け取ったことなどを、使いの者が帰ってきては笑い合っていた。里に帰ってからも、夜が明けるとすぐにこのことを大事にして、様子を見に人をやる。十日ごろには、五、六尺ほどあるというので、うれしく思っていると、十三日の夜に雨がひどく降ったので、これで消えてしまっただろうと、たいそう残念に思う。「あと一日も持ちこたえられないで」と、夜も起きていて嘆くので、聞いている人も「正気の沙汰ではない」と笑う。人が起きて出て行くのに合わせて、私もすぐ起きて下男を起こさせるけれど、一向に起きないので、憎らしく腹が立って、起き出してきたのをやって見させると、「円座ほどの大きさになっております。木守がたいそう熱心に、子どもたちも寄せつけずに守っていて、明日、明後日までも残っていそうです。ご褒美をいただきたいと申しております」と言うので、たいそううれしく、早く明日になったら、たいそう早く歌を詠んで、雪を入れ物に入れて中宮様に差し上げようと思うのも、待ち遠しくてやりきれない。まだ暗いうちに、大きな折櫃などを持たせて、「これに白い所を、ひたすら入れて持って来なさい。汚そうなところはかき捨てて」などと言い含めてやったところ、たいそう早く、持たせてやった入れ物をぶら下げて、「とっくになくなっておりました」と言うので、たいそうあきれた。おもしろく詠み出して、人にも語り伝えさせようと、うめきながら口ずさんでいた歌も、まったくあきれるほどかいがなくなって、「どうしたのだろう。昨日はあれほどあったものが、一晩のうちに消えてしまうなんて」と言って気落ちしていると、使いは「木守が申しますには、『昨日、たいそう暗くなるまでございました。ご褒美をいただこうと思っていましたのに、いただけなくなってしまいました』と、手を打って申しておりました」と言って騒ぐ。', 'そこへ内裏から中宮様の仰せがあって、「それで、雪は今日まであったか」とおっしゃったので、たいそうしゃくで残念だけれど、「年内の元日まででさえもつまいと皆様が申し上げておりましたのに、昨日の夕暮れまでございましたのは、たいそう見事だったと存じます。今日までは、あまりのことで、夜のうちに誰かが憎らしがって取り捨てたのではないかと推察いたしますと、中宮様に申し上げてください」と申し上げさせた。さて二十日に参上したときにも、まずこのことを御前でも申し上げる。「みな消えました」と言って、入れ物の蓋だけをぶら下げて持って来た使いが、法師の帽子のようにしてすぐに戻って来たのがあきれたこと、物の蓋に小さな山を美しく作って、白い紙に歌を見事に書いて差し上げようとしたことなどを申し上げると、中宮様はたいそうお笑いになる。御前にいる女房たちも笑うので、中宮様が「こんなに心をこめて思っていたことをだめにしてしまったのだから、罰が当たるでしょう。本当は、四日の夕方、侍たちをやって取り捨てさせたのですよ。あなたの返事で言い当てていたのはおもしろかった。あの翁が出てきて、たいそう手をすり合わせて頼んだけれど、『仰せ言だぞ。あちらから来る人に、こう言ったと聞かせるな。そうしたら、家を打ち壊させるぞ』と言って、左近の役所の南の築地の外に、みな取り捨てたのです。たいそう高くて、たくさんあったと言っていたので、本当に二十日までも持ちこたえて、悪くすると今年の初雪にも降り加わったでしょう。帝もお聞きになって、『たいそう思いもよらないことを言い張ったものだ』と殿上人たちにもおっしゃった。それにしても、その歌を話しなさい。今はこうして種明かしをしたのだから、あなたが勝ったのと同じことです。話しなさい」などと中宮様もおっしゃり、女房たちもおっしゃるけれど、「どうして、それほどのことを承りながら、申し上げましょうか」などと本気でつらがり、情けなく思っていると、帝もお渡りになって、「本当に、長年、中宮のお気に入りの人だと見ていたのに、これにはおかしなことだと思った」などとおっしゃるので、いっそうつらく、泣き出しそうな気持ちがする。「いやもう、ひどい世の中ですこと。後から降り積もった雪をうれしいと思ったのに、それは『いけない、かき捨てよ』などと仰せがございました」と申し上げると、帝も「本当に、勝たせまいとお思いになったのだろう」とお笑いになる。'
意訳
師走の大雪の日、定子の命で職の御曹司の庭に大きな雪山が作られる。いつまで残るかを女房たちが予想し合う中、作者だけが「正月十五日まで」と言い張った。雪山は年を越しても消えず、作者は番人の木守を雇い、里に下がってからも毎日様子を見に人をやるほどの熱の入れよう。ついに十四日の夜まで残ったが、十五日の朝、雪は跡形もなく消えていた。実は、作者の予想が当たりそうになったのを見た定子が、ひそかに侍たちに命じて取り捨てさせていたのだった。悔しがる作者を、定子も一条天皇も笑う。定子と作者の、遊び心にあふれた親密な関係が生き生きと描かれた、枕草子屈指の名場面である。
語釈・文法注
- 齋院
- 賀茂神社に奉仕する未婚の皇女。ここでは選子内親王。和歌に優れ、その周辺は文化サロンとして知られた。
文法
- 「きやさせ給ふな」
- 消えさせなさいますな。「きやす」は「消やす」。
- 「あざれたり」
- しゃれている、気が利いている。
- 「こしのにやあらむ」
- 越(北陸)の国の山だろうか。越の白山は雪の消えない山として知られた。
- 「わらふだ」
- 円座(わろうだ)。藁などで丸く編んだ敷物。
- 「かたせじ」
- 勝たせまい。
和歌
ここにのみめづらしと見る雪の山ところどころにふりにけるかな
- 詠者
- 清少納言
- 状況
- 雪山が宮中のあちこちに作られたと聞いて、ここだけの珍しいものと思っていたのに、とおどけて詠んだ歌。忠隆は返歌をせずに退散した。
修辞
- 掛詞
- 「ふり」に、雪が「降り」と、ありふれて「古り」をかける。
うらやまし足もひかれずわたつうみのいかなる海人に物たまふらむ
- 詠者
- 常陸の介(老尼)
- 状況
- 別の尼が中宮から衣をもらったのをうらやんで詠んだ歌。
修辞
- 掛詞
- 「あま」に「海人」と「尼」をかける。
山とよむ斧のひびきをたづぬればいはひの杖の音にぞありける
- 詠者
- 斎院選子内親王
- 状況
- 正月の初卯の日に、卯槌に添えて中宮定子に贈った歌。卯杖・卯槌を作るために木を切る音を詠んだ。
解説
枕草子の日記的章段の中でも最も長く、最もよく知られた段の一つである。雪山がいつまで残るかという他愛ない賭けに、作者は全身全霊で打ち込み、定子はその作者を見て楽しむ。最後の種明かしで、作者の予想が当たりそうになったのを定子がひそかに阻止していたことが明かされる。
定子がわざわざ雪山を取り捨てさせたのは、作者をからかうためでもあり、また作者の熱中ぶりをいとおしむ気持ちの表れでもあった。一条天皇までが加わって作者を笑う結びには、作者が定子の後宮でどれほど愛されていたかがよく表れている。この出来事があった長徳四年(998)ごろは、中関白家が没落した後の苦しい時期にあたる。
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出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、232–238頁(コマ119–122)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日