枕草子 第85段 日記的章段
職の御曹司におはします頃、西の廂に
職の御曹司での不断の御読経の折、供物のおさがりを乞いに来た老いた尼が、卑猥な歌を歌って舞い、女房たちにからかわれる。中宮から衣をもらって以来、尼は常に姿を見せ、「常陸の介」とあだ名される。

- 1しきしきしきのののみみみざうしざうしぞうしにににおはしますおはしますおわします頃頃ころ、、、西西にしののの廂廂ひさしにににふだんふだんふだんののの御御みどきやうどきやうどきょうあるあるあるににに、、、佛佛ほとけなどなどなどかけかけかけ奉奉たてまつりりり法法ほう師師しののの居居いたるたるたるこそこそこそ更更さらなるなるなる事事ことなれなれなれ。。。二二ふつ日日かばかりばかりばかりありありありてててえんえんえんのののもともともとにににあやしきあやしきあやしき者者ものののの聲聲こえにてにてにて「「「猶猶なおそのそのその佛佛ぶつのののおろしおろしおろし侍侍はべりりりなななむむん」」」ととといへいへいえばばば「「「いかでいかでいかでまだきまだきまだきにににははは」」」ととといらふるいらふるいらうるををを、、、何何なにのののいふいふいうにににかかかあらあらあらむむんととと立立たちちち出出いでゝでゝでて見見みれれればばば、、、老老おいいいたるたるたる女女おんなののの法法ほう師師しののの、、、いみじくいみじくいみじくすゝけすゝけすすけたるたるたるかりかりかりばかまばかまばかまのののつゝつゝつつとかとかとかやややのののやうやうようににに細細ほそくくく短短みじかきききををを、、、帶帶おびよりよりより下下しも五五ご寸寸すんばかりばかりばかりなるなるなるころもころもころもとかとかとかやややいふいふいうべからべからべからむむん、、、おなじおなじおなじやうやうようにににすゝけすゝけすすけたるたるたるををを着着きててて猿猿さるのののさまさまさまにてにてにていふいふいうなりなりなりけりけりけり。。。「「「あれあれあれははは何何なに事事ごといふいふいうぞぞぞ」」」ととといへいへいえばばば、、、聲聲こえひきひきひきつくろひつくろひつくろいててて「「「佛佛ほとけののの御御み弟弟で子子しにににさふらへさふらへさうらえばばば、、、佛佛ほとけのののおろしおろしおろしたべたべたべととと申申もうすすすををを、、、このこのこの御御ご坊坊ぼうたちたちたちののの惜惜おしみみみたまふたまふたまう」」」ととといふいふいう。。。はなやかはなやかはなやかにににみやびかみやびかみやびかなりなりなり。。。かゝるかゝるかかるものものものはははうちうちうちくんじくんじくんじたるたるたるこそこそこそあはれあはれあわれなれなれなれ、、、うたてうたてうたてもももはなやかはなやかはなやかなるなるなるかなかなかなとてとてとて「「「ことことことものものものはははくはくはくわででで佛佛ほとけののの御御おおんおろしおろしおろしをををのみのみのみくふくふくうがががいといといとたふときたふときとうときことことことかなかなかな」」」ととと言言いふふうけしきけしきけしきををを見見みててて「「「などなどなどかかかことことことものものものもももたべたべたべざらざらざらむむん。。。それそれそれがががさふらはさふらはさうらわねねねばばばこそこそこそ取取とりりり申申もうししし侍侍はべれれれ」」」ととといへいへいえばばば、、、くだものくだものくだもの、、、ひろきひろきひろきもちひもちひもちいなどなどなどををを物物ものににに取取とりりり入入いれれれててて取取とらせらせらせたるたるたるににに、、、むげむげむげににに中中なかよくよくよくなりなりなりてててよろづよろづよろずののの事事ことをををかたるかたるかたる。。。
- 2わかきわかきわかき人々人々ひとびと出出いででできききててて「「「男男おとこやややあるあるある。。。いづこいづこいずこにににかかか住住すむむむ」」」などなどなど口々口々くちぐちににに問問とふふうににに、、、をかしきをかしきおかしきことことことそへそへそえごとごとごとなどなどなどすれすれすればばば「「「歌歌うたはははうたふうたふうたうややや。。。舞舞まいなどなどなどするするするかかか」」」ととと問問とひひいもももはてはてはてぬぬぬににに「「「よるよるよるはははたれたれたれとととねねねむむん。。。常常ひた陸陸ちのののすけすけすけとととねねねむむん。。。ねねねたるたるたるはだはだはだもももよしよしよし」」」。。。これこれこれががが末末すえいといといと多多おおかりかりかり。。。又又また「「「男男おとこ山山やまののの峯峯みねのののもみぢもみぢもみじ葉葉ばさぞさぞさぞ名名なはははたつたつたつたつたつたつ」」」ととと頭頭かしらをををまろがしまろがしまろがしふるふるふる。。。いみじくいみじくいみじくにくけれにくけれにくければばば、、、笑笑わらひひいにくみにくみにくみててて、、、「「「いねいねいねいねいねいね」」」ととといふいふいうもももいといといとをかしをかしおかし。。。「「「これこれこれににに何何なにとらとらとらせせせむむん」」」ととといふいふいうををを聞聞きかかかせせせ給給たまひひいててて「「「いみじういみじういみじゅうなどなどなどかくかくかくかたはらいたきかたはらいたきかたわらいたきことことことはははせせせさせさせさせつるつるつる。。。えええこそこそこそ聞聞きかかかででで耳耳みみをををふたぎふたぎふたぎてててありありありつれつれつれ。。。そのそのそのきぬきぬきぬ一一ひとつつつとらとらとらせせせてててとくとくとくやりやりやりてててよよよ」」」ととと仰仰おおせせせ事事ごとあれあれあればばば、、、とりとりとりててて「「「それそれそれ賜賜たまはらするはらするわらするぞぞぞ。。。きぬきぬきぬすゝけすゝけすすけたりたりたり、、、白白しろくくくててて着着きよよよ」」」とてとてとて投投なげげげとらせとらせとらせたれたれたればばば、、、伏伏ふししし拜拜おがみみみててて肩肩かたにににぞぞぞうちうちうちかけかけかけててて舞舞まふふうものものものかかか。。。まことまことまことににににくゝにくゝにくくててて皆皆みな入入いりりりにににししし。。。のちのちのちにににはははならひならひならいたるたるたるにににややや、、、常常つねににに見見みえええしらがひしらがひしらがいてててありくありくありく。。。やがてやがてやがて常常ひた陸陸ちのののすけすけすけとととつけつけつけたりたりたり。。。きぬきぬきぬもももしろめしろめしろめずずずおなじおなじおなじすゝけすゝけすすけにてにてにてあれあれあればばば「「「いづちいづちいずちやりやりやりにににけむけむけん」」」などなどなどにくむにくむにくむににに、、、右右う近近こんののの內內ない侍侍しののの參參まいりりりたるたるたるににに「「「かゝるかゝるかかる物物ものなむなむなんかたらひかたらひかたらいつけつけつけててて置置おきききたたためるめるめる。。。かうかうこうしししててて常常つねにににくるくるくることことこと」」」とととありありありしししやうやうようなどなどなど小小こ兵兵ひょう衞衞えととといふいふいう人人ひとしししてててまねばまねばまねばせせせててて聞聞きかかかせせせ給給たまへへえばばば「「「あれあれあれいかでいかでいかで見見み侍侍はべらららむむん。。。かならずかならずかならず見見みせせせさせさせさせ給給たまへへえ。。。御御ご得得とく意意いなななゝりゝりなり。。。更更さらににによもよもよも語語かたらひらひらいとらとらとらじじじ」」」などなどなど笑笑わらふふう。。。
- 3そのそのその後後のちまたまたまた尼尼あまなるなるなるかたはかたはかたわのののいといといとあてやかあてやかあてやかなるなるなるががが出出いででできききたるたるたるををを、、、又又また呼呼よびびび出出いでゝでゝでて物物ものなどなどなど問問とふふうににに、、、これこれこれははは耻耻はずかしげかしげかしげににに思思おもひひいてててあはれあはれあわれなれなれなればばばきぬきぬきぬひとつひとつひとつたまはたまはたまわせせせたるたるたるををを、、、伏伏ふししし拜拜おがむむむはははされされされどどどよしよしよし。。。さてさてさてうちうちうちなきなきなき悅悅よろこびびびててて出出いでででぬるぬるぬるををを、、、はやはやはやこのこのこの常常ひた陸陸ちののの介介すけいきいきいきあひあひあいててて見見みてててけりけりけり。。。そのそのその後後のちいといといと久久ひさしくしくしく見見みえええねねねどどど誰誰たれかかかははは思思おもひひい出出いでででむむん。。。
現代語訳
中宮様が職の御曹司にいらっしゃったころ、西の廂の間で不断の御読経があったが、仏の絵像などをお掛け申し上げて、法師たちが控えているのは、言うまでもないことだ。二日ほどたって、縁側のもとで、身分の低そうな者の声で、「やはりその仏供のおさがりをいただきとうございます」と言うと、「どうしてまだそんなに早く」と答えるのを、何を言っているのだろうと思って立って出て見ると、年老いた女の法師で、ひどくすすけた刈袴の、筒とかいうもののように細く短いのを、帯から下五寸ほどの、衣とでも言えばよいようなものを、同じようにすすけたのを着て、猿のような様子で言っているのだった。「あれは何を言っているの」と言うと、声を作って、「仏の御弟子でございますので、仏のおさがりをくださいと申し上げますのを、このお坊様たちが惜しみなさいますので」と言う。はなやかで、みやびやかな口ぶりである。こういう者は、しょんぼりとしているのこそ哀れなのに、いやにはなやかな者だなあと思って、「ほかの物は食べないで、仏のおさがりだけを食べるとは、たいそう尊いことね」と言う様子を見て、「どうしてほかの物もいただかないことがありましょう。それがございませんので、いただこうと申し上げているのです」と言うので、果物や平たい餅などを入れ物に入れて与えると、すっかり仲よくなって、いろいろなことを語る。', '若い女房たちが出てきて、「夫はいるの。どこに住んでいるの」などと口々に尋ねると、おもしろいことやしゃれたことなどを言うので、「歌は歌うの。舞などはするの」と問いも終わらないうちに、「夜は誰と寝よう。常陸の介と寝よう。寝た肌もよい」と歌う。この歌の続きがたいそう多かった。また、「男山の峰のもみじ葉、さぞ名は立つ立つ」と、頭をくるくる回して振る。たいそう憎らしいので、笑いながらも憎らしがって、「行け行け」と言うのもたいそうおもしろい。「これに何を与えようか」と言うのを、中宮様がお聞きになって、「ひどい。どうしてこんなに聞き苦しいことをさせたのです。とても聞いていられなくて耳をふさいでいました。その衣を一つ与えて、早く帰しなさい」と仰せがあったので、取って「これをくださるのよ。衣がすすけているわ。白くして着なさい」と言って投げ与えると、伏し拝んで肩に掛けて舞うではないか。本当に憎らしくて、みな奥に入ってしまった。その後は、それに味をしめたのだろうか、いつもこれ見よがしに姿を見せて歩き回る。そのまま「常陸の介」とあだ名をつけた。衣も白くせず、同じすすけたものを着ているので、「あの衣はどこへやってしまったのだろう」などと憎らしがっていると、右近の内侍が参上したときに、中宮様が「こういう者を手なずけて置いているようです。こうしていつも来ること」と、その時の様子などを、小兵衛という人に物まねをさせてお聞かせになると、右近の内侍は「あれを何とかして見たいものです。必ず見せてください。皆さんのお得意のようですね。決して横取りはいたしません」などと笑う。', 'その後また、尼で身体の不自由な人で、たいそう上品な者が出てきたのを、また呼び出して事情などを尋ねると、この人は恥ずかしそうにしていて、気の毒なので、衣を一つお与えになったのを、伏し拝むのは、それでもよい。さて泣いて喜んで出ていったのを、早くもこの常陸の介が行き合って見てしまった。その後、常陸の介はたいそう長い間姿を見せないけれど、誰が思い出そうか。'
意訳
職の御曹司で読経が行われていたある日、すすけた衣を着た老尼が、仏のおさがりを乞いにやって来る。口が達者な尼に女房たちは興じ、食べ物を与えると、尼は卑猥な歌を歌って頭を振り振り舞ってみせた。定子は「聞いていられない」と眉をひそめ、衣を与えて帰らせるが、尼はそれに味をしめてたびたび姿を見せるようになり、「常陸の介」とあだ名される。のちにやって来た上品な尼に定子が衣を与えるのを、常陸の介が目撃してしまう、という皮肉な落ちがつく。後半の雪山の段へと続く前置きの話である。
語釈・文法注
- 佛供
- 仏に供える供物。法会の後、そのおさがりが人々に分け与えられた。
文法
- 「まだきには」
- まだ早いうちに。法会が終わらないうちに、の意。
- 「うちくんじたる」
- 「屈(く)んず」は、気がふさぐ、しょげる。
- 「常陸のすけ」
- 尼の歌った卑猥な歌の文句から付けたあだ名。
- 「見えしらがひて」
- 「見え知らがふ」は、これ見よがしに姿を見せる。
解説
雪山の段として知られる長い日記的章段の前半にあたる。物乞いの老尼と女房たちとのやりとりが、ユーモラスに描かれる。定子が尼の歌を「かたはらいたき」と嫌いながらも衣を与えさせるところに、定子の上品さと慈悲深さがうかがえる。
常陸の介と呼ばれた尼は、後半の雪山の段にも再び登場し、物語を彩る脇役となる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、231–232頁(コマ118–119)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日