枕草子 第81段 日記的章段
かへる年の二月廿五日に
翌年の二月、梅壺に残っていた作者のもとに、頭中将斉信が桜の直衣の美しい姿で訪れる。その姿は絵物語のようであった。夜、中宮の御前で宇津保物語の涼と仲忠の優劣を論じ合ううち、昼の斉信の話になり、一同で語り合う。

- 1かへるかへるかえる年年としののの二月二月にがつ廿廿にじゅう五日五日ごにちににに、、、宮宮みや、、、しきしきしきののの御御みざうしざうしぞうしににに出出いでででさせさせさせ給給たまひひいししし、、、御御おおんともともともににに參參まいらららででで梅梅うめ壺壺つぼににに殘殘のこりりり居居いたりたりたりししし又又またののの日日ひ、、、頭頭とう中將中將ちゅうじょうのののせうそこせうそこしょうそことてとてとて「「「きのふきのふきのうののの夜夜よ鞍鞍くら馬馬まへへへ詣詣もうでででたりたりたりしししにににこよひこよひこよい方方かたのののふたがれふたがれふたがればばばたがへたがへたがえににになむなむなん行行ゆくくく。。。まだまだまだ明明あけけけざらざらざらむむんににに歸歸かえりりりぬぬぬべしべしべし。。。かならずかならずかならずいふいふいうべきべきべき事事ことありありあり。。。いたくいたくいたくたゝかたゝかたたかせせせででで待待まててて」」」とととのたまへのたまへのたまえりりりしかしかしかどどど「「「局局つぼねににに一一ひと人人りはははなどなどなどてててあるあるあるぞぞぞ。。。こゝこゝここにににねねねよよよ」」」とてとてとてみくしげみくしげみくしげめしめしめしたれたれたればばば參參まいりりりぬぬぬ。。。久久ひさしくしくしくねねねおきおきおきててておりおりおりたれたれたればばば「「「よるよるよるいみじういみじういみじゅう人人ひとのののたゝかたゝかたたかせせせ給給たまひひいししし。。。からうじてからうじてかろうじて起起おきききててて侍侍はべりりりしかしかしかばばば、、、うへうへうえにににかかかたらたらたらばばばかくかくかくなむなむなんとととのたまひのたまひのたまいしかしかしかどもどもども、、、よもよもよもきかきかきかせせせ給給たまははわじじじとてとてとて臥臥ふししし侍侍はべりりりにににききき」」」ととと語語かたるるる。。。「「「心心こころもとなもとなもとなののの事事ことややや」」」とてとてとて聞聞きくくくほどほどほどにににとのもりとのもりとのもりづかさづかさづかさきききててて、、、「「「頭頭とうののの殿殿とのののの聞聞きこえええさせさせさせ給給たまふふうなりなりなり。。。唯唯ただ今今いままかりまかりまかり出出いづるづるずるををを、、、聞聞きこゆゆゆべきべきべき事事ことなむなむなんあるあるある」」」ととといへいへいえばばば「「「見見みるるるべきべきべきことことことありありありててて、、、うへうへうえににになむなむなんのぼりのぼりのぼり侍侍はべるるる。。。そこそこそこにてにてにて」」」ととといひいひいいててて局局つぼねはははひきひきひきもももやややあけあけあけ給給たまははわむむんととと心心こころときめきときめきときめきしししててて煩煩わずらはしけれはしけれわしければばば、、、梅梅うめ壺壺つぼののの東東ひんがしおもておもておもてのののはじはじはじとみとみとみあげあげあげててて「「「こゝこゝここににに」」」ととといへいへいえばばば、、、めでたくめでたくめでたくぞぞぞ步步あゆみみみ出出いででで給給たまへへえるるる。。。櫻櫻さくらののの直衣直衣のうしいみじくいみじくいみじく花々花々はなばなとととうらうらうらののの色色いろつやつやつやなどなどなどえええもももいはいはいわずずずけうらけうらきょうらなるなるなるににに、、、えびえびえびぞめぞめぞめのののいといといと濃濃こききき指指さし貫貫ぬきににに藤藤ふじのののをりをりおり枝枝えだ、、、ことごとしくことごとしくことごとしくをりをりおりみだりみだりみだりててて、、、紅紅くれないののの色色いろうちうちうちめめめなどなどなどかゞやくかゞやくかがやくばかりばかりばかりぞぞぞ見見みゆるゆるゆる。。。次次し第第だいににに白白しろきききうすうすうす色色いろなどなどなどあまたあまたあまたかさなりかさなりかさなりたるたるたる。。。せばきせばきせばきまゝまゝままににに片片かたつかたつかたつかたはははしもしもしもながらながらながら、、、少少すこしししすすすのののもともともと近近ちかくくく寄寄よりりり居居い給給たまへへえるるるぞぞぞ、、、まことまことまことににに繪繪えににに書書かききき物物もの語語がたりのののめでたきめでたきめでたきことことことにににいひいひいいたるたるたる、、、これこれこれにににこそこそこそはははととと見見みえええたるたるたる。。。御御お前前まえののの梅梅うめははは西西にしはははしろくしろくしろく東東ひんがしははは紅紅こう梅梅ばいにてにてにて少少すこしししおちおちおちかたかたかたににになりなりなりたれたれたれどどど猶猶なおをかしきをかしきおかしきににに、、、うらうらうらうらうらうらととと日日ひののの氣氣け色色しきのどかのどかのどかにてにてにて人人ひとににに見見みせせせまほしまほしまほし。。。すすすのののうちうちうちにににましてましてまして若若わかやかやかやかなるなるなる女房女房にょうぼうなどなどなどののの髪髪かみうるはしくうるはしくうるわしく長長ながくくくこぼれこぼれこぼれかゝりかゝりかかりなどなどなどそひそひそい居居いたたためるめるめる、、、今今いますこしすこしすこし見見み所所どころありありありをかしかりをかしかりおかしかりぬぬぬべきべきべきににに、、、いといといとさださださだ過過すぎぎぎふるぶるしきふるぶるしきふるぶるしき人人ひとののの、、、髮髮かみなどなどなどももも我我われにににはははあらあらあらねねねばばばややや、、、ところどころところどころところどころわなゝきわなゝきわななきちりぼひちりぼひちりぼいててて大大おおかたかたかた色色いろことことことなるなるなるころころころなれなれなればばば、、、あるあるあるかかかなきなきなきかかかなるなるなるうすうすうすにびにびにびどもどもどもあはひあはひあわいももも見見みえええぬぬぬきぬきぬきぬどもどもどもなどなどなどあれあれあればばば、、、露露つゆのののはえはえはえももも見見みえええぬぬぬににに、、、おはしまさおはしまさおわしまさねねねばばば裳裳もももも着着きずずずうちきうちきうちきすがたすがたすがたにてにてにて居居いたるたるたるこそこそこそ物物ものぞこなひぞこなひぞこないににに口口くちをしけれをしけれおしけれ。。。
- 2「「「しきしきしきへへへなむなむなんまゐるまゐるまいる。。。ことづけことづけことずけやややあるあるある。。。いついついつかかかまゐるまゐるまいる」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう。。。「「「さてもさてもさてもよべよべよべあかしあかしあかしもももはてゞはてゞはてで。。。されされされどもどもどもかねてかねてかねてさささいひいひいいてててしかしかしかばばば待待まつつつらむらむらん」」」とてとてとて月月つきのののいみじういみじういみじゅう明明あかきききににに、、、西西にしののの京京きょうよりよりよりくるくるくるまゝまゝままににに、、、局局つぼねをををたゝきたゝきたたきししし程程ほどからうじてからうじてかろうじてねねねおびれおびれおびれててて起起おききき出出いでででたりたりたりしししけしきけしきけしき、、、いらへいらへいらえのののはしたなさはしたなさはしたなさなどなどなど語語かたりりりてててわらひわらひわらい給給たまふふう。。。むげむげむげにににこそこそこそ思思おもひひいうんじうんじうんじにににしかしかしか、、、などなどなどさるさるさるものものものをををばばばおきおきおきたるたるたるなどなどなど、、、げにげにげにさささぞぞぞありありありけむけむけんととといとほしくいとほしくいとおしくもももをかしくをかしくおかしくもももありありあり。。。しばししばししばしありありありててて出出いででで給給たまひひいぬぬぬ。。。とととよりよりより見見みむむむ人人ひとはははをかしうをかしうおかしゅう內內うちにににいかなるいかなるいかなる人人ひとのののあらあらあらむむんととと思思おもひひいぬぬぬべしべしべし。。。奧奧おくのののかたかたかたよりよりより見見みいださいださいだされれれたらたらたらむむんうしろうしろうしろこそこそこそとととにににさるさるさる人人ひとやややともともともえええ思思おもふふうまじけれまじけれまじけれ。。。
- 3暮暮くれれれぬれぬれぬればばばまゐりまゐりまいりぬぬぬ。。。御御おまへまへまえににに人々人々ひとびと多多おおくくく集集つどひひい居居いててて物物もの語語がたりのののよきよきよきあしきあしきあしき、、、にくきにくきにくき所所ところなどなどなどをををぞぞぞさだめさだめさだめいひいひいいしろひしろひしろいずうじずうじずうじ、、、ががが事事ことなどなどなど御御お前前まえにににもももおとりおとりおとりまさりまさりまさりたるたるたる事事ことなどなどなど仰仰おおせせせられられられけるけるける。。。「「「まづまづまずこれこれこれはははいかにいかにいかにとととことわれことわれことわれ。。。なかたゞなかたゞなかただがががわらはわらはわらわおひおひおいのののあやしさあやしさあやしさををを、、、せちせちせちににに仰仰おおせせせらるゝらるゝらるるぞぞぞ」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、「「「何何なにかかかははは。。。きんきんきんなどなどなどももも天天てん人人にんおるおるおるばかりばかりばかりひきひきひきててていといといとわろきわろきわろき人人ひとなりなりなり。。。みかどみかどみかどののの御御おおんむすめむすめむすめやはやはやはえええたるたるたる」」」ととといへいへいえばばば、、、なかたゞなかたゞなかただがががかたかたかた人人うどととと心心こころををを得得えててて、、、「「「さればさればさればよよよ」」」などなどなどいふいふいうににに、、、「「「このこのこの事事ことどもどもどもよりよりよりははは、、、ひるひるひるたゞのぶたゞのぶただのぶががが參參まいりりりたりたりたりつるつるつるををを見見みましましましかかかばばば、、、いかにいかにいかにめでめでめで惑惑まどははわましましましとととこそこそこそ覺覺おぼゆれゆれゆれ」」」ととと仰仰おおせせせらるゝらるゝらるるににに、、、人々人々ひとびと「「「さてさてさてまことまことまことににに常常つねよりよりよりもももあらあらあらまほしうまほしうまほしゅう」」」などなどなどいふいふいう。。。「「「まづまづまずそのそのその事事ことこそこそこそ啓啓けいせせせむむんととと思思おもひひいててて參參まいりりり侍侍はべりりりつるつるつるににに、、、物物もの語語がたりののの事事ことにににまぎれまぎれまぎれててて」」」とてとてとてありつるありつるありつる事事ことををを語語かたりりり聞聞きこえええさすれさすれさすればばば「「「たれたれたれもももたれたれたれももも見見みつれつれつれどどどいといといとかくかくかく縫縫ぬひひいたるたるたるいといといとはりはりはりめめめまでまでまでやはやはやは見見みとほしとほしとおしつるつるつる」」」とてとてとて笑笑わらふふう。。。「「「西西にしののの京京きょうととといふいふいう所所ところののの荒荒あれれれたりたりたりつるつるつる事事こと、、、もろとももろとももろともににに見見みるるる人人ひとあらあらあらましかましかましかばばばとととなむなむなんおぼえおぼえおぼえつるつるつる。。。垣垣かきどもどもども皆皆みなやぶれやぶれやぶれててて苔苔こけおひおひおいててて」」」などなどなど語語かたりりりつれつれつればばば、、、宰宰さい相相しょうののの君君きみののの「「「かはらかはらかわらののの松松まつはははありありありつつつややや」」」ととといらへいらへいらえたりたりたりつるつるつるををを、、、いみじういみじういみじゅうめでゝめでゝめでて「「「西西にしのののかたかたかた都都と門門もんををを去去されれれるるることことこといくばくいくばくいくばくののの地地ちぞぞぞ」」」ととと口口くちずさびずさびずさびにににしししつるつるつる事事ことなどなどなどかしがましきかしがましきかしがましきまでまでまでいひいひいいしししこそこそこそをかしかりをかしかりおかしかりしかしかしか。。。
現代語訳
翌年の二月二十五日に、中宮様が職の御曹司にお移りになったとき、お供に参上しないで梅壺に残っていた、その翌日、頭中将からの伝言として、「昨日の夜、鞍馬へ参詣したところ、今夜は方角がふさがっているので、方違えに行く。まだ夜の明けないうちに帰るだろう。必ず言うべきことがある。あまり戸をたたかせないで待っていよ」とおっしゃったけれど、「局に一人でどうしているのか。ここで寝なさい」と言って、御匣殿がお呼びになったので参上した。ゆっくり寝て起きて局に下りると、「夜、ひどく人が戸をおたたきになりました。やっと起きましたところ、上にいるなら、こうこうと伝えよとおっしゃったけれど、まさかお取り次ぎもしまいと思って、寝てしまいました」と語る。「頼りないこと」と言って聞いているうちに、主殿司が来て、「頭中将殿が申し上げなさいます。今退出するところだが、申し上げるべきことがあると」と言うので、「見なければならない用があって、上の御局に上がるところです。そちらで」と言って、局は引き開けなさるかもしれないと胸がどきどきしてわずらわしいので、梅壺の東面の半蔀を上げて「こちらへ」と言うと、すばらしい姿で歩み出ていらっしゃった。桜の直衣が、たいそう華やかで、裏の色つやなど何とも言えず美しいところに、葡萄染のたいそう濃い指貫に、藤の折枝を大きく乱れ織りにして、紅の色の打ち目などが輝くばかりに見える。その下に白や薄色の衣がたくさん重なっている。狭いので、片方の足は下に下ろしたまま、少し御簾の近くに寄って座っていらっしゃるのは、本当に絵に描いたり物語ですばらしいことのように言ったりしているのは、これのことだと思われた。御前の梅は、西は白梅、東は紅梅で、少し散りがたになっているけれど、やはり趣があるところに、うららかに日ざしものどかで、人に見せたいほどだ。御簾の内に、まして若々しい女房などで、髪が美しく長くこぼれかかっているような人などが寄り添って座っていたら、もう少し見どころがあっておもしろかっただろうに、たいそう盛りを過ぎて古びた私が、髪なども自分のものではないからか、ところどころ縮れて乱れていて、ちょうど喪服の時期なので、あるかないかの薄鈍色や、色の重なりも見えない着物などを着ているので、少しも映えないうえに、中宮様がいらっしゃらないので、裳も着けず袿姿で座っているのは、せっかくの場面を台なしにして、残念なことだ。', '頭中将は「職の御曹司へ参上する。何か言づてはあるか。いつ参上するのか」などとおっしゃる。「それにしても、昨夜は夜を明かしきれないで。けれども前もってそう言っておいたので、待っているだろうと思って」と言って、月がたいそう明るい中、西の京から来るままに局をたたいたところ、やっと寝ぼけて起き出してきた者の様子や、返事のそっけなさなどを語ってお笑いになる。「すっかりがっかりしてしまったよ。どうしてあんな者を置いておくのか」などと言うので、本当にそうだったのだろうと、気の毒にもおかしくもある。しばらくして出ていらっしゃった。外から見る人は、御簾の内にどんなすばらしい人がいるのだろうと思うにちがいない。奥の方から見られたとしたら、その後ろ姿からは、外にあんなにすばらしい人がいるとは、とても思えないだろう。', '日が暮れたので職の御曹司に参上した。中宮様の御前に女房たちが大勢集まって、物語のよいところ悪いところ、気に入らないところなどを論じ合い、朗読したりして、宇津保物語の涼と仲忠のことなども、中宮様までが優劣をおっしゃっていた。「まずこれをどちらがよいか判定しなさい。仲忠の生い立ちの卑しさを、中宮様がしきりにおっしゃるのですよ」などと言うので、「何をおっしゃいます。琴なども、天人が降りてくるほど弾いたけれど、涼はたいそう劣った人です。帝の御娘を得ましたか」と言うと、仲忠の味方だと心得て、「それごらんなさい」などと言うので、中宮様が「こんなことよりは、昼に斉信が参上したのを見たら、どんなに夢中になってほめそやすだろうと思われる」とおっしゃると、人々が「本当に、いつもより理想的なお姿で」などと言う。「まずそのことを申し上げようと思って参上しましたのに、物語のことにまぎれて」と言って、昼のことをお話し申し上げると、「誰も誰も見たけれど、こんなに縫い目の糸や針目まで見通したことがあったでしょうか」と言って笑う。頭中将が「西の京という所の荒れていた様子を、一緒に見る人がいたらと思われた。垣根などもみな破れて苔が生えて」などと語ったところ、宰相の君が「瓦の松はありましたか」と答えたのを、たいそうほめて、「西の方都門を去れること幾ばくの地ぞ」と口ずさんだことなどを、うるさいほど人々が言い合ったのは、おもしろかった。'
意訳
中宮が職の御曹司に移られた翌日、梅壺に残っていた作者のもとを、斉信が訪ねてくる。桜の直衣に葡萄染の指貫という華麗な装いで、紅白の梅を背に座る斉信の姿は、まさに絵物語の一場面。作者は、自分は盛りを過ぎ、喪服姿でこの美しい場面を台なしにしていると嘆きつつも、その光景を細やかに書きとめる。夜、御前では宇津保物語の登場人物の優劣を論じ合う議論に花が咲き、話題は昼の斉信の姿へと移る。宰相の君と斉信が、白居易の詩句を踏まえて交わしたやりとりまで、楽しげに語り合われる。
語釈・文法注
- みくしげ殿
- 御匣殿。中宮定子の妹で、定子の御匣殿別当(装束などを司る女官の長)を務めた。
- なかたゞ
- 仲忠。『宇津保物語』の主人公の一人。琴の名手で、ライバルの源涼(すずし)としばしば比べられた。
文法
- 「さだ過ぎ」
- 盛りの年を過ぎ。
- 「色ことなるころ」
- 喪服を着ている時期。長徳元年(995)の関白道隆の死去による服喪と考えられる。
- 「わらはおひ」
- 童生ひ。幼いころの育ち方。仲忠は幼いころ、母とともに山中の木の洞で暮らした。
- 「かはらの松はありつや」
- 白居易の詩「驪宮高」の「牆有衣兮瓦有松」(垣に苔、瓦に松)を踏まえる。斉信の「垣は破れて苔生ひて」に、詩の対句で応じた。
- 「西のかた都門を去れることいくばくの地ぞ」
- 白居易の詩の一節。宰相の君の応答を喜んだ斉信が、同じ詩の別の句を口ずさんだ。
解説
頭中将斉信の美しい姿を、絵画のように描いた日記的章段である。斉信の装束の描写はきわめて細かく、作者がその姿にどれほど心を奪われたかがうかがえる。一方で、自分は盛りを過ぎた喪服姿で、せっかくの場面を台なしにしていると自嘲するところに、作者の客観的な自己認識が表れている。
後半の宇津保物語の涼と仲忠の優劣論は、当時の宮廷で物語がどのように読まれ、議論されていたかを伝える貴重な記録である。作者は仲忠の味方をしており、定子の後宮では物語をめぐる活発な議論が楽しまれていたことがわかる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、226–228頁(コマ116–117)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日