枕草子 第80段 日記的章段
頭中将のそぞろなるそらごとを聞きて
根も葉もない噂を信じて作者を嫌っていた頭中将斉信は、ある雨の夜、白居易の詩句の上の句を書いた手紙で作者を試す。作者は消し炭で下の句を和歌の形で書きつけ、殿上人たちを感嘆させる。作者は「草の庵」とあだ名され、斉信との仲も元に戻る。

- 1頭頭とうのののそゞろそゞろそぞろなるなるなるそらそらそらごとごとごとをををきゝきゝききててていみじういみじういみじゅういひいひいいおとしおとしおとし、、、何何なにしししににに人人ひとととと思思おもひひいけむけむけんなどなどなど殿上殿上てんじょうにてにてにてもももいみじくいみじくいみじくなむなむなんのたまふのたまふのたまうととと聞聞きくくくににに、、、はづかしけれはづかしけれはずかしけれどどど、、、「「「まことまことまことならならならばばばこそこそこそあらあらあらめめめ、、、おのづからおのづからおのずから聞聞ききききなほしなほしなおし給給たまひひいてててむむん」」」などなどなど笑笑わらひひいてててあるあるあるににに、、、黑黑くろ戶戶どのののかたかたかたへへへなどなどなど渡渡わたるるるにににももも聲聲こえなどなどなどするするする折折おりははは袖袖そでをををふたぎふたぎふたぎてててつゆつゆつゆ見見みおこせおこせおこせずずず、、、いみじういみじういみじゅうにくみにくみにくみ給給たまふふうをををとかくとかくとかくもももいはいはいわずずず見見みもももいれいれいれででで過過すぐすぐすぐす。。。二月二月にがつつごもりつごもりつごもりがたがたがた雨雨あめいみじういみじういみじゅう降降ふりりりてててつれづれつれづれつれづれなるなるなるににに、、、御御おおん物物ものいみいみいみにににこもりこもりこもりててて「「「さすがにさすがにさすがにさうざうしくさうざうしくそうぞうしくこそこそこそあれあれあれ、、、物物ものやややいひいひいいにににやらやらやらましましましとととなむなむなんのたまふのたまふのたまう」」」ととと人々人々ひとびと語語かたれれれどどど「「「よによによにあらあらあらじじじ」」」などなどなどいらへいらへいらえてててあるあるあるににに、、、一一ひ日日ひしもしもしもににに暮暮くらしししててて參參まいりりりたれたれたればばばよるよるよるのののおとゞおとゞおとどににに入入いらららせせせ給給たまひひいにににけりけりけり。。。なげしなげしなげしのののしもしもしもににに火火ひ近近ちかくくく取取とりりりよせよせよせてててさしさしさしつどひつどひつどいてててへんへんへんをををぞぞぞつくつくつく。。。「「「あなあなあなうれしうれしうれしややや。。。とくとくとくおはせおはせおわせ」」」などなどなど見見みつけつけつけててていへいへいえどどどすさまじきすさまじきすさまじき心心ここちちちしししててて何何なにしししにににのぼりのぼりのぼりつつつらむらむらんとととおぼえおぼえおぼえててて、、、すびつすびつすびつのののもともともとににに居居いたれたれたればばば、、、又又またそこそこそこにににあつまりあつまりあつまり居居いててて物物ものなどなどなどいふいふいうににに、、、「「「なにがしなにがしなにがしさふらふさふらふさうらう」」」ととといといといと華華はなやかやかやかにににいふいふいう。。。「「「あやしくあやしくあやしくいついついつのののまままににに何何なに事事ごとのののあるあるあるぞぞぞ」」」ととと問問とはははすれすれすればばば「「「とのもりとのもりとのもりづかさづかさづかさなりなりなり。。。唯唯ただこゝこゝここににに人人ひとづてづてずてならならならででで申申もうすすすべきべきべき事事ことなむなむなん」」」ととといへいへいえばばばさしさしさし出出いでゝでゝでて問問とふふうににに「「「これこれこれ頭頭とう中將中將ちゅうじょう殿殿どのののの奉奉たてまつらららせせせ給給たまふふう。。。御御おおんかへりかへりかえりとくとくとく」」」ととといふいふいうににに、、、いみじくいみじくいみじくにくみにくみにくみ給給たまふふうををを、、、いかなるいかなるいかなる御御おおん文文ふみならならならむむんととと思思おもへへえどどど、、、唯唯ただ今今いま急急いそぎぎぎ見見みるるるべきべきべきにににあらあらあらねねねばばば「「「いねいねいね。。。今今いまきこえきこえきこえむむん」」」とてとてとてふところふところふところにににひきひきひき入入いれれれててて入入いりりりぬぬぬ。。。
- 2猶猶なお人人ひとののの物物ものいふいふいうきゝきゝききなどなどなどするするするににに、、、すなはちすなはちすなわち立立たちちち歸歸かえりりりててて「「「さらばさらばさらばそのそのそのありつるありつるありつる文文ふみをををたまはりたまはりたまわりてててことことことなむなむなん仰仰おおせせせられられられつるつるつる。。。とくとくとくとくとくとく」」」ととといふいふいうににに「「「あやしくあやしくあやしく伊伊い勢勢せののの物物もの語語がたりなるなるなるややや」」」とてとてとて見見みれれればばば、、、靑靑あおきききうすうすうすえふえふようにににいといといと淸淸きよげげげににに書書かききき給給たまへへえるるるををを心心こころときめきときめきときめきしししつるつるつるさまさまさまにににもももあらあらあらざりざりざりけりけりけり。。。「「「らんしやうらんしやうらんしょうののの花花はなののの時時とききんちやうきんちやうきんちょうののの」」」ととと書書かきききててて「「「末末すえはははいかにいかにいかにいかにいかにいかに」」」とととあるあるあるををを、、、いかゞいかゞいかがはははすすすべからべからべからむむん御御おまへまへまえのののおはしまさおはしまさおわしまさばばば御御ご覽覽らんぜぜぜさすさすさすべきべきべきををを、、、これこれこれがががすゑすゑすえしりしりしり顔顔がおにににたどたどしきたどたどしきたどたどしきまんなまんなまんなににに書書かきききたらたらたらむむんももも見見み苦苦ぐるしししなどなどなど思思おもひひいまはすまはすまわすほどほどほどもももなくなくなく、、、せめせめせめまどはせまどはせまどわせばばば、、、唯唯ただそのそのその奧奧おくにににすびつすびつすびつののの消消きえええたるたるたる炭炭すみのののあるあるあるしししててて「「「草草くさのののいほりいほりいおりををを誰誰たれかかかたづねたづねたずねむむん」」」ととと書書かきききつけつけつけててて取取とらせらせらせつれつれつれどどど、、、返返かえりりり事事ごともももいはいはいわででで、、、みなみなみなねねねてててつとめてつとめてつとめていといといととくとくとく局局つぼねにににおりおりおりたれたれたればばば、、、源源げん中將中將ちゅうじょうののの聲聲こえしししててて「「「草草くさのののいほりいほりいおりやややあるあるある草草くさのののいほりいほりいおりやややあるあるある」」」とととおどろおどろしうおどろおどろしうおどろおどろしゅうとへとへとへばばば「「「などなどなどてててかかかさささ人人ひとげげげなきなきなき物物ものはははあらあらあらむむん。。。玉玉たまのののうてなうてなうてなもとめもとめもとめ給給たまははわましかましかましかばばばいでいでいで聞聞きこえええてててましましまし」」」ととといふいふいう。。。
- 3「「「あなあなあな嬉嬉うれししし。。。しもしもしもにににありありありけるけるけるよよよ。。。うへうへうえまでまでまで尋尋たずねねねむむんとととしししつるつるつるものものものををを」」」とてとてとて「「「よべよべよべありありありしししやうやうよう、、、頭頭とう中將中將ちゅうじょうのののとのゐとのゐとのい所所どころにてにてにて少少すこししし人々人々ひとびとしきしきしき限限かぎり、、、六六ろく位位いまでまでまで集集あつまりりりててて萬萬よろずののの人人ひとのののうへうへうえ、、、むかしむかしむかし今今いまととと語語かたりりりててていひいひいいしししついでついでついでににに、、、猶猶なおこのこのこのものものものむげむげむげににに絕絕たえええはてゝはてゝはてて後後のちこそこそこそさすがにさすがにさすがにえええあらあらあらねねね、、、もしもしもしいひいひいい出出いづるづるずる事事こともももやややととと待待まてててどどどいさゝかいさゝかいささか何何なにともともとも思思おもひひいたらたらたらずずず、、、つれなきつれなきつれなきがががいといといとねたきねたきねたきををを、、、今今こ宵宵よいあしあしあしともともともよしよしよしともともとも定定さだめめめきりきりきりてててやみやみやみなななむむんかしかしかしとてとてとて、、、皆皆みないひいひいい合合あわせせせたりたりたりししし事事ことををを、、、唯唯ただ今今いまははは見見みるるるまじきまじきまじきとてとてとて入入いりりり給給たまひひいぬぬぬとてとてとてとのもりとのもりとのもりづかさづかさづかさ來來きたりりりしししををを、、、又又また追追おひひい返返かえしししてててたゞたゞただ袖袖そでをををとらへとらへとらえてててとうざいとうざいとうざいをををさささせせせずずずこひこひこいとりとりとりもてもてもてこここずずずばばば、、、文文ふみををを返返かえしししとれとれとれととといましめいましめいましめててて、、、さばかりさばかりさばかり降降ふるるるあめあめあめのののさかりさかりさかりににに遣遣やりりりたるたるたるににに、、、いといといと疾疾とくくく歸歸かえりりりきたりきたりきたり。。。これこれこれとてとてとてさしさしさし出出いでででたるたるたるがががありつるありつるありつる文文ふみなれなれなればばば、、、返返かえしししてててけるけるけるかかかとととうちうちうち見見みるるるににに、、、あはせあはせあわせてててをめけをめけおめけばばば、、、あやしあやしあやし、、、いかなるいかなるいかなる事事ことぞぞぞとてとてとて皆皆みな寄寄よりりりててて見見みるるるににに、、、いみじきいみじきいみじきぬすぬすぬす人人びとかなかなかな、、、なほなほなおえええこそこそこそすつすつすつまじけれまじけれまじけれととと見見みさわぎさわぎさわぎててて、、、これこれこれがががもともともとつけつけつけてててやらやらやらむむん、、、源源げん中將中將ちゅうじょうつけつけつけよよよなどなどなどいふいふいう。。。夜夜よ更更ふくるくるくるまでまでまでつけつけつけわづらひわづらひわずらいてててなむなむなんやみやみやみにににししし。。。このこのこのことことことかならずかならずかならず語語かたりりり傳傳つたふふうべきべきべきことことことなりなりなりとととなむなむなん定定さだめめめししし」」」ととといみじくいみじくいみじくかたはらいたきかたはらいたきかたわらいたきまでまでまでいひいひいいきかせきかせきかせててて「「「御御おおん名名なははは今今いまははは草草くさのののいほりいほりいおりとととなむなむなんつけつけつけたるたるたる」」」とてとてとて急急いそぎぎぎたちたちたち給給たまひひいぬれぬれぬればばば「「「いといといとわろきわろきわろき名名なののの末末すえまでまでまであらあらあらむむんこそこそこそ口口くち惜惜おしかるしかるしかるべけれべけれべけれ」」」ととといふいふいう程程ほどににに、、、
- 4修修す理理り亮亮のすけ「「「いみじきいみじきいみじきよろこびよろこびよろこび申申もうしししににに、、、うへうへうえにににやややとてとてとて參參まいりりりたりたりたりつるつるつる」」」ととといへいへいえばばば「「「なぞなぞなぞつかさつかさつかさめしめしめしありありありともともとも聞聞きこえええぬぬぬににに、、、何何なにににになりなりなり給給たまへへえるるるぞぞぞ」」」ととといへいへいえばばば「「「いでいでいでまことまことまことにににうれしきうれしきうれしき事事ことのののよべよべよべ侍侍はべりりりしししををを、、、心心こころもとなくもとなくもとなく思思おもひひい明明あかしししてててなむなむなん。。。かばかりかばかりかばかりめんぼくめんぼくめんぼくあるあるある事事ことなかりなかりなかりききき」」」とてとてとてはじめはじめはじめありありありけるけるける事事ことどもどもども中將中將ちゅうじょうののの語語かたりりりつるつるつるおなじおなじおなじ事事ことどもどもどもをををいひいひいいててて、、、「「「このこのこのかへりかへりかえりごとごとごとにににしたがひしたがひしたがいてててさるさるさる物物ものありありありとととだにだにだに思思おもははわじじじととと頭頭とう中將中將ちゅうじょうのたまひのたまひのたまいしししににに、、、たゞたゞただににに來來きたりりりしししはははなかなかなかなかなかなかよかりよかりよかりききき。。。もてもてもてきたりきたりきたりしししたびたびたびはははいかならいかならいかならむむんととと胸胸むねつぶれつぶれつぶれててて、、、まことまことまことにににわろからわろからわろからむむんはははせうとせうとしょうとのののためためためもももわろかるわろかるわろかるべしべしべしととと思思おもひひいしししににに、、、なのめなのめなのめにににだにだにだにあらあらあらずずず、、、そこらそこらそこらののの人人ひとののの譽譽ほめめめ感感かんじじじててて、、、せうとせうとしょうとこそこそこそ聞聞きけけけとととののの給給たまひひいしかしかしかばばば、、、したしたした心心ごころにににはははいといといとうれしけれうれしけれうれしけれどどど、、、さやうさやうさようのののかたかたかたにににはははさらにさらにさらにえええ侍侍さぶらふふうまじきまじきまじき身身みににになむなむなんはべるはべるはべるととと申申もうしししゝゝしかかかばばば、、、ことことことくはへくはへくわえ聞聞きききき知知しれれれとととにににはははあらあらあらずずず唯唯ただ人人ひとににに語語かたれれれとてとてとてきかするきかするきかするぞぞぞとととのたまひのたまひのたまいしししなむなむなん、、、すこしすこしすこしくちをしきくちをしきくちおしき。。。せうとせうとしょうとのののおぼえおぼえおぼえににに侍侍はべりりりしかしかしかどどど、、、これこれこれがががもともともとつけつけつけ心心こころみるみるみるににに、、、いふいふいうべきべきべきやうやうようなしなしなし。。。殊殊ことににに又又また、、、これこれこれががが返返かえしししをををやややすすすべきべきべきなどなどなどいひいひいい合合あわせせせ、、、わろきわろきわろきことことこといひいひいいてててはははなかなかなかなかなかなかねたかるねたかるねたかるべしべしべし」」」とてとてとて夜夜よ中中なかまでまでまでなむなむなんおはせおはせおわせししし。。。これこれこれははは身身みのののためためためにににももも人人ひとのののためためためにににもももさてさてさていみじきいみじきいみじきよろこびよろこびよろこびにににははははべらはべらはべらずずずややや。。。司司つかさめしめしめしににに少少しょう將將しょうのののつかさつかさつかさ得得えててて侍侍はべらららむむんはははなになになにともともとも思思おもふふうまじくまじくまじくなむなむなん」」」ととといへいへいえばばば、、、げにげにげにあまたあまたあまたしししてててさるさるさる事事ことあらあらあらむむんともともとも知知しらららででで、、、ねたくねたくねたくもももありありありけるけるけるかなかなかな。。。これこれこれににになむなむなん胸胸むねつぶれつぶれつぶれててて覺覺おぼゆるゆるゆる。。。このこのこのいもうといもうといもうとせうとせうとしょうとゝゝといふいふいうことことことをををばばばうへうへうえまでまでまで皆皆みなしろしめししろしめししろしめし、、、殿上殿上てんじょうにににもももつかさつかさつかさ名名なをををばばばいはいはいわでででせうとせうとしょうとゝゝとぞぞぞつけつけつけたるたるたる。。。物物もの語語がたりなどなどなどしししててて居居いたるたるたるほどほどほどにににまづまづまずととと召召めしししたれたれたればばば、、、參參まいりりりたるたるたるににに、、、このこのこの事事こと仰仰おおせせせられられられむむんとてとてとてなりなりなりけりけりけり。。。「「「うへうへうえののの渡渡わたらららせせせ給給たまひひいててて語語かたりりり聞聞きこえええさせさせさせ給給たまひひいてててをのこをのこおのこどもどもども皆皆みな扇扇おうぎににに書書かきききてててもたるもたるもたる」」」ととと仰仰おおせせせらるゝらるゝらるるにににこそこそこそあさましうあさましうあさましゅう何何なにのののいはいはいわせせせけるけるける事事ことにににかかかととと覺覺おぼえええしかしかしか。。。さてさてさてのちのちのちににに袖袖そでぎちやうぎちやうぎちょうなどなどなど取取とりりりのけのけのけててて思思おもひひいなほりなほりなおり給給たまふふうめりめりめりししし。。。
現代語訳
頭中将が、根も葉もない作り話を聞いて、私のことをひどく悪く言い、「どうして一人前の人間だと思っていたのだろう」などと殿上でもひどくおっしゃっていると聞くと、恥ずかしかったけれど、「本当のことならともかく、そのうち自然と聞き直してくださるでしょう」などと笑っていたところ、黒戸の方などへお渡りになるときにも、私の声などがする折には、袖で顔をふさいで少しもこちらを見ず、ひどく憎んでいらっしゃるのを、私はあれこれ言わず、見向きもしないで過ごしていた。二月の末ごろ、雨がひどく降って退屈なときに、頭中将が御物忌みで宮中にこもって、「さすがに物足りない。何か言ってやろうか、とおっしゃっていた」と人々が話すけれど、「まさかそんなことはないでしょう」などと答えていたところ、一日じゅう下の局で過ごして、夜に参上すると、中宮様はもう夜の御殿にお入りになってしまっていた。長押の下に灯火を近くに寄せて、女房たちが集まって偏つぎの遊びをしている。「まあうれしい。早くいらっしゃい」などと私を見つけて言うけれど、興ざめな気持ちがして、何をしに上がってきたのだろうと思われて、炭櫃のそばに座っていると、またそこに女房たちが集まって座って話などをしているときに、「誰それがお伺いしております」と、たいそう華やかに言う声がする。「おかしいわね、いつの間に何の用があるのかしら」と尋ねさせると、「主殿司です。ここで、人づてでなく申し上げたいことがあります」と言うので、出て行って尋ねると、「これは頭中将殿が差し上げなさるお手紙です。お返事を早く」と言うので、あれほど憎んでいらっしゃるのに、どんなお手紙だろうと思うけれど、今すぐ急いで見るべきものでもないので、「お行きなさい。すぐにお返事しましょう」と言って、懐に入れて中に入ってしまった。', 'それでもまだ人が話をしているのを聞いたりしていると、主殿司がすぐに戻ってきて、「それなら、先ほどの手紙をいただいて来いと仰せられました。早く早く」と言うので、「まるで伊勢物語みたいね」と言って見ると、青い薄様の紙に、たいそうきれいにお書きになっているのは、胸をどきどきさせたほどのものでもなかった。「蘭省の花の時錦帳の下」と書いて、「下の句はどうだ、どうだ」とあるのを、どうしたらよいだろう。中宮様がいらっしゃれば、お目にかけるところなのに、この下の句を知っている顔で、たどたどしい漢字で書いたとしたら、それも見苦しいなどと思い巡らす間もなく、使いがせきたてるので、ただその手紙の奥に、炭櫃の消えた炭があるのを使って、「草の庵を誰か訪ねむ」と書きつけて渡したけれど、それきり返事もなく、みな寝てしまって、翌朝たいそう早く局に下がっていると、源中将の声がして、「草の庵はいるか、草の庵はいるか」と大げさに尋ねるので、「どうしてそんな人並みでない者がおりましょう。玉の台をお探しでしたら、お返事もいたしましたでしょうに」と言う。', '源中将は「ああうれしい。下の局にいたのだね。上の御局まで訪ねようとしていたのに」と言って、「昨夜あったことは、頭中将の宿直所で、少し主だった者ばかり、六位の者まで集まって、いろいろな人のうわさを、昔のこと今のことと話していたついでに、頭中将が『やはりあの者とすっかり絶交してしまってからは、さすがに我慢できない。もしかしたら向こうから何か言ってくるかと待っているのだが、少しも何とも思っていないようで、平気な顔をしているのがたいそうしゃくだから、今夜、悪いとも良いとも決着をつけてしまおう』と言って、みなで相談した手紙を、主殿司が『今すぐは見ないと言って奥にお入りになってしまいました』と戻ってきたのを、また追い返して、『ただ袖をつかまえて、有無を言わさず返事をもらって来い。そうでなければ手紙を取り返して来い』と言いつけて、あれほど降る雨のさなかにやったところ、たいそう早く帰ってきた。『これです』と差し出したのが、さっきの手紙なので、突き返してきたのかと見ると、一同声をそろえて叫んだので、何だ、どうしたのだとみな寄ってきて見ると、『たいへんな盗人だ。やはり捨てておけない』と見て騒いで、『この上の句をつけてやろう。源中将、つけよ』などと言う。夜がふけるまで上の句をつけあぐねて、結局やめてしまった。このことは必ず語り伝えるべきことだと決めた」と、たいそういたたまれないほど言い聞かせて、「あなたのお名前は、今は『草の庵』とつけたのだ」と言って急いで立ち去っておしまいになったので、「たいそう悪い名が後々まで残るのは残念なことでしょう」と言っているところに、', '修理亮の則光が、「たいそうなお祝いを申し上げに、上の御局にいるかと思って参上したところでした」と言うので、「どうして。除目があったとも聞いていないのに、何におなりになったのですか」と言うと、「いや、本当にうれしいことが昨夜ございましたのを、早くお伝えしたくて夜を明かしまして。これほど面目のあることはありませんでした」と言って、初めからあったことを、源中将が話したのと同じことを話して、「頭中将が、『この返事次第で、そんな者がいるとさえ思うまい』とおっしゃったのに、使いが手ぶらで帰ってきたのは、かえってよかった。二度目に返事を持ってきたときは、どうなることかと胸がつぶれる思いで、本当に悪い返事だったら、兄である私のためにも悪いだろうと思っていたところ、並一通りどころではなく、そこにいた人たちがみなほめ感心して、『兄よ、聞け』とおっしゃったので、内心ではたいそううれしかったけれど、『そういう方面には、まったくお仕えできない身でございます』と申し上げたところ、『言葉を添えて批評せよというのではない。ただ人に語れというので聞かせるのだ』とおっしゃったのが、少し残念でした。兄としての評判はよかったのですが、上の句をつけてみようとしても、言いようがない。『特に、これに返しをすべきだろうか』などと相談し、『まずい歌を返してはかえってしゃくだろう』と言って、夜中までいらっしゃいました。これは私の身にとっても、あなたにとっても、たいへんな喜びではございませんか。除目で少将の官職を得たとしても、これほどうれしいとは思わないでしょう」と言うので、なるほど、大勢でそんなことをしていたとも知らずに、しゃくなことでもあったなあ。これにこそ胸がどきどきする思いがする。この妹・兄ということは、帝までみなご存じで、殿上でも官職名で呼ばずに「兄(せうと)」とあだ名をつけている。話などをしていると、中宮様から「すぐに」とお召しがあったので参上すると、このことをおっしゃろうとしてであった。「帝がお渡りになってお話しになって、男たちはみな扇に書いて持っている」とおっしゃるので、あきれて、何が私にあんなことを言わせたのだろうと思われた。その後、頭中将は袖で顔を隠すようなこともやめて、機嫌を直されたようであった。'
意訳
根も葉もない噂を信じて作者を避けていた頭中将斉信は、雨の夜、白居易の詩句「蘭省の花の時錦帳の下」を書いた手紙を送り、下の句を問う。漢詩の下の句「廬山の雨の夜草庵の中」を、女の身で漢字で書くのは見苦しい。そう考えた作者は、消し炭で「草の庵を誰か訪ねむ」と和歌の下の句の形で答えた。漢詩の知識を、和歌という女性らしい形で示したこの機転に、殿上人たちは驚嘆し、上の句をつけようとして夜明けまで果たせなかった。作者は「草の庵」とあだ名され、帝も感心し、斉信との仲も元に戻る。作者の機知が宮中に知れわたった、生涯の誇りともいえる出来事である。
語釈・文法注
- 頭中將
- 蔵人頭で近衛中将を兼ねる者。ここでは藤原斉信(ただのぶ)。当代きっての才人として知られた。
- らんしやうの花の時きんちやうのもと
- 白居易の詩「廬山草堂、夜雨独宿…」の一節「蘭省花時錦帳下、廬山雨夜草庵中」による。「蘭省」は尚書省。友人たちが都で栄華を楽しむ時、自分は廬山の雨の夜に草庵にいる、という意。斉信は上の句を示して、下の句を問うた。
- のりみつ
- 橘則光。作者のかつての夫とされ、宮中では作者と「兄・妹(せうと・いもうと)」と呼び合っていた。
文法
- 「伊勢の物語なるや」
- 伊勢物語のようね。返事を急がせて使いが何度も往復するさまを、物語の一場面になぞらえた。
- 「草のいほりを誰かたづねむ」
- 詩の下の句「廬山雨夜草庵中」を踏まえて、「草の庵を誰が訪ねてくれるでしょう」と和歌の下の句の形で答えた。漢字を用いず、自分の不遇を嘆く意も込めた機知に富む返答。
- 「玉のうてな」
- 玉の台。立派な御殿。「草の庵」に対して言った。
- 「とうざいをさせず」
- 東西をさせず。有無を言わさず。
解説
枕草子の日記的章段の中でも、作者の機知を示す逸話として最も名高い段の一つである。斉信の手紙は、作者が漢詩の教養をどう示すかを試すものだった。作者は、漢詩をそのまま漢字で書けば女らしくなく見苦しい、かといって知らないふりもできない、という難題を、和歌の下の句の形で答えるという方法で見事に切り抜けた。
当時、漢詩文の知識は男性のものとされ、女性がそれを表立って示すことは慎まれた。作者の返答は、漢詩の知識を持ちながらそれを和歌の世界に移しかえるという、絶妙な均衡の上に成り立っている。後半の則光の話からは、この出来事が宮中でどれほど評判になったかがうかがえる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、222–226頁(コマ114–116)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日