枕草子 第74段 日記的章段
職の御曹司におはしますころ
中宮定子が職の御曹司を御所とされていたころ、古びた建物も趣深く、上達部や殿上人の先払いの声を聞き分けて当て合ったり、有明の霧の庭に下りて遊んだりと、昼夜人の絶えないにぎやかな日々を回想する。

- 1しきしきしきののの御御みざうしざうしぞうしにににおはしますおはしますおわしますころころころ、、、こだちこだちこだちなどなどなど遙遙はるかににに物物ものふりふりうり、、、屋屋やのののさまさまさまももも高高たこうううけどほけれけどほけれけどおけれどどどすゞろすゞろすずろにににをかしうをかしうおかしゅう覺覺おぼゆゆゆ。。。母母も屋屋やははは鬼鬼おにありありありとてとてとて皆皆みなへだてへだてへだて出出いだしししててて、、、南南みなみののの廂廂ひさしににに御御み凡凡き帳帳ちょうたてゝたてゝたててまたまたまたひさしひさしひさしににに女房女房にょうぼうははは侍侍さぶらふふう。。。近近こ衞衞のののの御御み門門かどよりよりより左左さ衞衞え門門もんののの陣陣じんににに入入いりりり給給たまふふう上上かん達達だち部部めのののさきさきさきどもどもども、、、殿上人殿上人てんじょうびとのののはははみじかけれみじかけれみじかければばば、、、おほおほおおさきさきさきこここさきさきさきととと聞聞ききききつけつけつけてててさわぐさわぐさわぐ。。。あまたあまたあまたたびたびたびににになれなれなればばばそのそのその聲聲こえどもどもどもゝゝも皆皆みな聞聞ききききしらしらしられれれててて「「「それそれそれぞぞぞかれかれかれぞぞぞ」」」ととといふいふいうににに「「「又又またあらあらあらずずず」」」などなどなどいへいへいえばばば、、、人人ひとしししててて見見みせせせなどなどなどするするするににに、、、いひいひいいあてあてあてたるたるたるははは「「「さればこそさればこそさればこそ」」」などなどなどいふいふいうもももをかしをかしおかし。。。有有あり明明あけのののいみじういみじういみじゅうきりきりきり渡渡わたりりりたるたるたる庭庭にわにににおりおりおりてててありくありくありくをををきこしめしきこしめしきこしめしててて御御おまへまへまえにににもももおきおきおきさせさせさせ給給たまへへえりりり。。。うへうへうえなるなるなる人人ひとははは皆皆みなおりおりおりなどなどなどしししててて遊遊あそぶぶぶににに、、、やうやうやうやうようよう明明あけけけもてもてもてゆくゆくゆく。。。左左さ衞衞え門門もんののの陣陣じんにににまかりまかりまかりててて見見みむむんとてとてとて行行ゆけけけばばば、、、我我われももも我我われもももととと追追おひひいつきつきつきててて行行ゆくくくににに、、、殿上人殿上人てんじょうびとあまたあまたあまた聲聲こえしししててて「「「なにがしなにがしなにがし一一ひと聲聲こえののの秋秋あき」」」とととずんじずんじずんじててていまゐるいまゐるいまいる音音おとすれすれすればばば、、、にげにげにげ入入いりりりててて物物ものなどなどなどいふいふいう。。。月月つきををを見見み給給たまひひいけるけるけるなどなどなどめでゝめでゝめでて歌歌うたよむよむよむもももありありあり。。。よるよるよるももも晝晝ひるももも殿上人殿上人てんじょうびとののの絕絕たゆるゆるゆる折折おりなしなしなし。。。上上かん達達だち部部めまかでまかでまかで參參まいりりり給給たまふふうににに、、、おぼろげおぼろげおぼろげににに急急いそぐぐぐことことことなきなきなきはははかならずかならずかならずまゐりまゐりまいり給給たまふふう。。。
現代語訳
中宮様が職の御曹司にいらっしゃったころ、木立などがはるかに古びて、建物の様子も高く人気がない感じだけれど、なんとなく趣深く思われる。母屋には鬼がいるといって、みな仕切って追い出し、南の廂に御几帳を立てて、その外側の孫廂に女房たちはお仕えしている。近衛の御門から左衛門の陣にお入りになる上達部の先払いの声と、殿上人のは短いので、「大前駆」「小前駆」と名をつけて聞きつけては騒ぐ。何度も聞くうちに、その声もみな聞き分けられるようになって、「あの方だ、この方だ」と言うと、「違う」などと言うので、人をやって確かめさせたりすると、言い当てた者が「やっぱりね」などと言うのもおもしろい。有明の月のころ、霧がいっぱいに立ちこめた庭に下りて歩き回るのを、中宮様がお聞きになって、ご自身もお起きになった。御前にいる女房たちはみな庭に下りたりして遊んでいるうちに、だんだん夜が明けていく。左衛門の陣に行って見てみようと出かけると、我も我もと追いかけてついてくるうちに、殿上人が大勢の声で「何某一声の秋」と朗詠しながらやって来る音がするので、逃げ帰って御簾の内から話などをする。「月をご覧になっていたのですね」などとほめて、歌を詠む人もいる。夜も昼も殿上人の来ない時はない。上達部も、退出や参内の折に、それほど急ぐことのない方は、必ず中宮様のもとに参上なさる。
意訳
中関白家が失脚した後、中宮定子は内裏を出て職の御曹司を仮の御所としていた。古びた建物は人気がなく寂しげだったが、作者はそれさえ「をかし」と受けとめる。先払いの声を聞き分けて当て合う遊び、有明の霧の庭での散策、朗詠しながら訪れる殿上人たち。逆境の中にあっても、定子の周りには人が絶えず、明るい華やぎがあったことを、作者は誇らしげに書きとめている。
語釈・文法注
文法
- 「おほさきこさき」
- 大前駆と小前駆。上達部の先払いは長く、殿上人のは短いので、そう呼び分けた。
- 「なにがし一聲の秋」
- 「遊子猶行於残月、函谷鶏鳴」などの朗詠句の一節か。殿上人が朗詠しながらやって来た。
- 「おぼろげに急ぐことなき」
- それほど急ぐ用事のない人。
解説
長徳年間、中宮定子が職の御曹司を御所としていたころの回想である。定子の兄伊周・隆家は配流され、定子自身も出家した後の、苦境の時期にあたる。
それにもかかわらず、作者は殿上人や上達部が昼夜絶えず訪れたことを強調し、職の御曹司の日々を明るく描き出している。定子の後宮の魅力が、権勢とは別のところにあったことを伝えようとする作者の意図が感じられる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、221頁(コマ113)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日