枕草子 第55段 日記的章段
職の御曹司の西面の
頭弁藤原行成と作者との親しい交流を描く。行成は作者の理解者で、「女はおのれを悦ぶ者のために容づくりす」と言い交わす仲。顔を見られまいとする作者を、行成はある朝ついにのぞき見てしまう。

- 1しきしきしきののの御御みののの西西にしおもておもておもてのののたてたてたてしとみしとみしとみのののもともともとにてにてにて、、、頭頭とうののの人人ひとととと物物ものをををいといといと久久ひさしくしくしく言言いひひいたちたちたち給給たまへへえれれればばばさしさしさし出出いでゝでゝでて、、、「「「それそれそれはははたれたれたれぞぞぞ」」」ととといへいへいえばばば、、、「「「辨辨べんののの內內ない侍侍しなりなりなり」」」とととのたまふのたまふのたまう。。。「「「何何なにかかかはははさささももも語語かたらひらひらい給給たまふふう。。。大大だい辨辨べん見見みえええばばばうちうちうちすてすてすて奉奉たてまつりりりててていないないなむむんものものものををを」」」ととといへいへいえばばば、、、いみじくいみじくいみじく笑笑わらひひいててて「「「たれたれたれかかかかゝるかゝるかかる事事ことをををさへさへさへ言言いひひい聞聞きかかかせせせけむけむけん。。。それそれそれさささなななせせせそそそととと語語かたらふらふらうなりなりなり」」」とととののの給給たまふふう。。。
- 2いみじくいみじくいみじく見見みえええてててをかしきをかしきおかしきすぢすぢすじなどなどなどたてたてたてたるたるたる事事ことはははなくなくなくてててたゞたゞただありありありなるなるなるやうやうようなるなるなるををを、、、皆皆みな人人ひとさささのみのみのみ知知しりりりたるたるたるににに、、、猶猶なお奧奧おくふかきふかきふかき御御み心心こころざまざまざまををを見見み知知しりりりたれたれたればばば「「「おしなべおしなべおしなべたらたらたらずずず」」」などなどなど御御お前前まえにににももも啓啓けいししし、、、又又またさささしろしめししろしめししろしめしたるたるたるををを「「「常常つねににに女女おんなはははおのれおのれおのれををを悅悅よろこぶぶぶものものものゝゝのためためためにににかほかほかおづくりづくりずくりすすす、、、士士しはははおのれおのれおのれををを知知しれれれるるる人人ひとのののためためためににに死死しぬぬぬととといひいひいいたるたるたる」」」ととと言言いひひい合合あわせせせつゝつゝつつ申申もうししし給給たまふふう。。。「「「とほたあふみとほたあふみとおとうみののの濱濱はまやなぎやなぎやなぎ」」」などなどなどいひいひいいかはしかはしかわしてててあるあるあるににに、、、わかきわかきわかき人々人々ひとびとははは唯唯ただいひいひいいにくみにくみにくみ、、、見見み苦苦ぐるしきしきしき事事ことどもどもどもなどなどなどつくろはつくろはつくろわずずずいふいふいうににに「「「このこのこの君君きみこそこそこそうたてうたてうたて見見みにくけれにくけれにくけれ。。。ことことこと人人びとのののやうやうようにににどきやうどきやうどきょうししし、、、歌歌うたうたひうたひうたいなどなどなどもももせせせずずず、、、けけけすさまじすさまじすさまじ」」」などなどなどそしるそしるそしる。。。更更さらにににこれこれこれかれかれかれににに物物ものいひいひいいなどなどなどもももせせせずずず。。。「「「女女おんなははは目目めはははたてたてたてざまざまざまにににつきつきつき、、、眉眉まゆはははひたひひたひひたいにににおひおひおいかゝりかゝりかかり、、、鼻鼻はなはははよこよこよこざまざまざまにににありありありともともとも、、、唯唯ただ口口くちつきつきつきあいぎやうあいぎやうあいぎょうづきづきずき、、、おとがひおとがひおとがいのののしたしたした、、、くびくびくびなどなどなどをかしげをかしげおかしげにてにてにて、、、聲聲こえにくからにくからにくからざらざらざらむむん人人ひとなむなむなん思思おもははわしかるしかるしかるべきべきべきとととははは言言いひひいながらながらながら、、、猶猶なお顏顏かおのののいといといとにくげにくげにくげなるなるなるははは心心こころ憂憂うししし」」」とととのみのみのみのたまへのたまへのたまえばばば、、、まいてまいてまいておとがひおとがひおとがいほそくほそくほそく、、、あいぎやうあいぎやうあいぎょうおくれおくれおくれたらたらたらむむん人人ひとはははあいなうあいなうあいのうかたきかたきかたきにににしししててて御御お前前まえにににさへさへさへあしうあしうあしゅう啓啓けいするするする。。。
- 3物物ものなどなどなど啓啓けいせせせさせさせさせむむんとてとてとてももも、、、そのそのその始始はじめめめ言言いひひいそめそめそめししし人人ひとをををたづねたづねたずね、、、しもしもしもなるなるなるをををももも呼呼よびびびのぼせのぼせのぼせ、、、局局つぼねにににももも來來きててていひいひいい、、、里里さとなるなるなるにににははは文文ふみ書書かきききてててもももみづからみづからみずからもももおはしおはしおわしててて「「「遲遲おそくくく參參まいらららばばばさささなむなむなん申申もうしししたるたるたるととと申申もうしししににに參參まいらせらせらせよよよ」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう。。。「「「そのそのその人人ひとののの侍侍さぶらふふう」」」などなどなどいひいひいい出出いづれづれずれどどどさしもさしもさしもうけひかうけひかうけひかずずずなどなどなどぞぞぞおはするおはするおわする。。。「「「あるあるあるにににしたがひしたがひしたがい、、、定定さだめめめずずず何何なに事事ごとももももてなしもてなしもてなしたるたるたるをををこそこそこそよきよきよき事事ことにににはははすれすれすれ」」」とととうしろみうしろみうしろみ聞聞きこゆれゆれゆれどどど、、、「「「我我わがががもともともとののの心心こころののの本本ほん性性じょう」」」とととのみのみのみのたまひのたまひのたまいつゝつゝつつ、、、「「「改改あらたまらまらまらざるざるざるものものものははは心心こころなりなりなり」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば「「「さてさてさてはゞかりはゞかりはばかりなしなしなしとととはははいかなるいかなるいかなる事事ことをををいふいふいうにににかかか」」」とととあやしあやしあやしがれがれがればばば、、、笑笑わらひひいつゝつゝつつ「「「中中なかよしよしよしなどなどなど人々人々ひとびとにににもももいはいはいわるゝるゝるる、、、かうかうこうかたらふかたらふかたらうとととならならならばばば何何なにかかか耻耻はづるづるずる。。。見見みえええなどなどなどもももせよせよせよかしかしかし」」」とととのたまふのたまふのたまうをををいみじくいみじくいみじくにくげにくげにくげなれなれなればばば「「「さささあらあらあらむむんはははえええ思思おもははわじじじとととのたまひのたまひのたまいしししににによりよりよりててて、、、えええ見見みえええ奉奉たてまつらららぬぬぬ」」」ととといへいへいえばばば「「「げにげにげににくゝにくゝにくくもももぞぞぞなるなるなる。。。さらばさらばさらばななな見見みえええそそそ」」」とてとてとておのづからおのづからおのずから見見みつつつべきべきべきをりをりおりももも顏顏かおをををふたぎふたぎふたぎなどなどなどしししててて、、、まことまことまことににに見見み給給たまははわぬぬぬももも、、、まままごゝろごゝろごころにににそらそらそらごとごとごとししし給給たまははわざりざりざりけりけりけりととと思思おもふふうににに、、、
- 4三月三月さんがつつごもりつごもりつごもりごろごろごろ、、、冬冬ふゆののの直衣直衣のうしののの着着きにくきにくきにくきにににやややあらあらあらむむん、、、うへうへうえののの衣衣きぬがちがちがちにてにてにて殿殿てん上上じょうのののとのゐとのゐとのいすがたすがたすがたもももありありあり。。。つとめてつとめてつとめて日日ひさしさしさし出出いづるづるずるまでまでまで式式しき部部ぶのののおもとおもとおもとゝゝとひさしひさしひさしにににねねねたるたるたるににに、、、奧奧おくのののやりやりやり戶戶どをををあけあけあけさせさせさせ給給たもうううててて、、、うへうへうえのののおまへおまへおまえ、、、宮宮みやののの御御お前前まえ出出いでででさせさせさせ給給たまへへえれれればばば、、、起起おきききもももあへあへあえずずず惑惑まどふふうをををいみじくいみじくいみじく笑笑わらははわせせせ給給たまふふう。。。からからからぎぬぎぬぎぬをををかみかみかみのののうへうへうえにににうちうちうち着着きててて、、、とのゐとのゐとのい物物ものももも何何なにもももうづもれうづもれうずもれながらながらながらあるあるあるうへうへうえにににおはしましおはしましおわしましててて、、、陣陣じんよりよりより出出いででで入入いるるるものものものなどなどなど御御ご覽覽らんずずず。。。殿上人殿上人てんじょうびとのののつゆつゆつゆ知知しらららでででよりよりより來來きててて物物ものいふいふいうなどなどなどもももあるあるあるををを「「「けしきけしきけしきななな見見みせせせそそそ」」」ととと笑笑わらははわせせせ給給たまふふう。。。さてさてさてたゝたゝたたせせせ給給たまふふうににに、、、「「「二二ふた人人りながらながらながらいざいざいざ」」」ととと仰仰おおせせせらるれらるれらるれどどど、、、「「「今今いま顏顏かおなどなどなどつくろひつくろひつくろいてててこそこそこそ」」」とてとてとてまゐらまゐらまいらずずず。。。入入いらららせせせ給給たまひひいててて猶猶なおめでたきめでたきめでたき事事ことどもどもども言言いひひいあはせあはせあわせててて居居いたるたるたるににに、、、南南みなみのののやりやりやり戶戶どのののそばそばそばににに、、、几几き帳帳ちょうののの手手てのののさしさしさし出出いでででたるたるたるにににさはりさはりさわりててて、、、すだれすだれすだれののの少少すこしししあきあきあきたるたるたるよりよりより黑黑くろみだるみだるみだるものものものゝゝの見見みゆれゆれゆればばば、、、のりたかのりたかのりたかゞゞが居居いたるたるたるなななめりめりめりととと思思おもひひいててて、、、見見みももも入入いれれれでででなほなほなお事事ことどもどもどもをををいふいふいうににに、、、いといといとよくよくよく笑笑えみみみたるたるたる顏顏かおのののさしさしさし出出いでででたるたるたるををを「「「のりたかのりたかのりたかなななめりめりめり、、、そそそははは」」」とてとてとて見見みやりやりやりたれたれたればばばあらあらあらぬぬぬ顏顏かおなりなりなり。。。「「「あさましあさましあさまし」」」ととと笑笑わらひひいさわぎさわぎさわぎててて几几き帳帳ちょうひきひきひき直直なおししし隱隱かくるれるれるれどどど、、、頭頭とうののの辨辨べんにこそにこそにこそおはしおはしおわしけれけれけれ。。。見見みえええ奉奉たてまつらららじじじとととしししつるつるつるものものものをををととといといといとくちをしくちをしくちおし。。。もろとももろとももろともににに居居いたるたるたる人人ひとはははこなたこなたこなたににに向向むきききててて居居いたれたれたればばば顏顏かおももも見見みえええずずず。。。立立たちちち出出いでゝでゝでて「「「いみじくいみじくいみじく名名な殘殘ごりなくなくなくももも見見みつるつるつるかなかなかな」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば「「「のりたかのりたかのりたかととと思思おもひひい侍侍はべれれればばばあなづりあなづりあなずりてててぞぞぞかしかしかし。。。などなどなどかかかははは見見みじじじとととのたまひのたまひのたまいしししににに、、、さささつくづくつくづくつくづくとととははは」」」ととといふいふいうににに、、、「「「女女おんなはははねねねおきおきおきたるたるたる顏顏かおなむなむなんいといといとよきよきよきととといへいへいえばばば、、、あるあるある人人ひとののの局局つぼねににに行行ゆきききてててかいばみかいばみかいばみしししててて、、、又又またもしもしもし見見みえええやややするするするとてとてとて來來きたりたりたりつるつるつるなりなりなり。。。まだまだまだうへうへうえのののおはしおはしおわしつるつるつる折折おりからからからあるあるあるをををえええ知知しらららざりざりざりけるけるけるよよよ」」」とてとてとてそれそれそれよりよりより後後のちははは局局つぼねのののすだれすだれすだれうちうちうちかづきかづきかずきなどなどなどしししたまふたまふたまうめりめりめり。。。
現代語訳
職の御曹司の西側の立蔀のもとで、頭弁が人と何かをたいそう長く立ち話をしていらっしゃったので、私が顔を出して「それは誰ですか」と言うと、「弁の内侍です」とおっしゃる。「どうしてそんなに話し込んでいらっしゃるの。大弁が来たら、あなたを放り出して行ってしまうでしょうに」と言うと、たいそう笑って、「誰がそんなことまで言って聞かせたのだろう。それを、そうしないでくれと頼んでいるのです」とおっしゃる。
頭弁は、ことさら目立って風流ぶるようなことはなく、ただ平凡なようにしているのを、皆はそういう人だとばかり思っているのに、私はさらに奥深いお心のありようを知っているので、「並の方ではありません」などと中宮様にも申し上げ、中宮様もまたそのようにご存じなのを、頭弁は「いつも『女は自分を喜ぶ者のために化粧をし、男子は自分を理解してくれる人のために死ぬ』と言いますね」と、私と言い合わせては、中宮様に申し上げなさる。「遠江の浜柳」などと言い交わしているのに、若い女房たちはただ悪口を言い、見苦しいことなども取りつくろわずに言うので、「この方はいやに付き合いにくい。ほかの人のように経を読んだり、歌を歌ったりもせず、無愛想だ」などと悪く言う。頭弁は、さらにあの人この人に話しかけたりもしない。「女は、目は縦向きにつき、眉は額に生えかかり、鼻は横向きについていても、ただ口もとが愛らしく、あごの下や首などがきれいで、声の憎らしくない人なら好ましく思われるはずだとは言うものの、やはり顔のたいそう醜いのはいやなものだ」とばかりおっしゃるので、まして、あごが細く、愛嬌の劣った人は、わけもなく頭弁を目の敵にして、中宮様にまで悪く申し上げる。
頭弁は、中宮様に何かを申し上げさせようというときにも、最初に取り次ぎを頼んだ私を探し、下の局にいるのも呼び上げ、局にも来て言い、私が里に下がっているときには手紙を書いたり、自分でもいらっしゃったりして、「遅く参上するなら、こうこう申し上げたと、中宮様に申し上げに参上させてください」などとおっしゃる。「ほかの人がお仕えしております」などと言っても、それほど承知しないでいらっしゃる。「その場その場に応じて、決めつけずに何事も処理なさるのがよいことでしょう」と忠告申し上げるけれど、「これが私の生まれつきの性分です」とばかりおっしゃって、「改まらないものは心です」とおっしゃるので、「それでは『はばかることなかれ』とはどういうことを言うのでしょう」と不思議がると、笑いながら「仲よしなどと人にも言われる。こうして親しくしているのなら、何を恥ずかしがることがあろう。顔も見せてくれよ」とおっしゃるのを、私はひどく顔が醜いので、「そんな顔の人は好きになれないとおっしゃったので、お見せできません」と言うと、「なるほど、憎らしくなるといけない。それでは見せないでおくれ」と言って、自然と見えてしまいそうな折にも、自分の顔をふさいだりして、本当にご覧にならないのも、真心から嘘をおつきにならなかったのだと思っていたところ、
三月の末ごろ、冬の直衣は暑くて着にくいのだろうか、袍ばかりで殿上の宿直姿の人も多い。翌朝、日が差し出るまで式部のおもとと廂の間で寝ていたところ、奥の遣戸を開けさせなさって、帝と中宮様がお出ましになったので、起き上がることもできずにあわてるのを、たいそうお笑いになる。唐衣を髪の上にかぶって、宿直の夜具も何もうずもれたままでいる上にお座りになって、陣から出入りする者などをご覧になる。殿上人で、何も知らずに寄ってきて話しかける者などもいるのを、「気配を見せるな」とお笑いになる。さてお立ちになるときに、「二人ともさあ」とおっしゃるけれど、「今、顔などを整えてから」と言って参上しない。お二人が奥にお入りになった後も、なおすばらしいことなどを言い合って座っていると、南の遣戸のそばに、几帳の手が突き出ているのにひっかかって、簾が少し開いているところから、黒っぽいものが見えるので、則隆が座っているのだろうと思って、見向きもしないでまだ話をしていると、たいそうにこにこ笑った顔がのぞいたのを、「則隆でしょう、それは」と言って見やると、違う顔である。「あきれた」と笑い騒いで几帳を引き直して隠れたけれど、頭弁でいらっしゃった。お見せすまいとしていたのにと、たいそう残念だ。一緒にいた人は、こちらを向いていたので顔も見えない。頭弁は外に出て、「すっかり名残なく見てしまったなあ」とおっしゃるので、「則隆だと思っておりましたので、気を許しておりました。どうして、見まいとおっしゃったのに、そんなにじっくりと」と言うと、「女は寝起きの顔がたいそうよいと言うので、ある人の局に行ってのぞき見をして、またもしかしたら見えるかと思ってやって来たのだ。まだ帝がいらっしゃった時からいたのを、知らなかったのだね」と言って、それから後は、局の簾をくぐって入ってきたりなさるようだ。
意訳
頭弁藤原行成は、のちに能書家として名を残す人物で、作者とは互いに深く理解し合う仲だった。行成は外見に目立った風流さはないが、作者はその奥深い人柄を見抜いて中宮にも推し、行成も「士は己を知る者のために死す」と応じる。顔を見せることを拒む作者に、行成はいったんは見ないと約束するが、ある朝、帝と中宮が作者たちの寝所をのぞいていった後、作者の寝起きの顔をとうとう見てしまう。それからは遠慮なく作者の局に出入りするようになった、という結びに、二人の打ち解けた関係がほのぼのと描かれている。
語釈・文法注
- しきの御ざうし
- 職の御曹司。中宮職の役所の建物。中宮定子は長徳年間、内裏に入れず、ここを御所としていた。
- 頭辨
- 蔵人頭で弁官を兼ねる者。ここでは藤原行成(ゆきなり、こうぜい)。三蹟の一人として知られる能書家。
文法
- 「女はおのれを悅ぶものゝためにかほづくりす、士はおのれを知れる人のために死ぬ」
- 『史記』刺客列伝の「士為知己者死、女為説己者容」による。互いの理解者であることを確かめ合う言葉。
- 「とほたあふみの濱やなぎ」
- 「霰降る遠江の吾跡川楊刈れどもまたも生ふといふ吾跡川楊」(万葉集)などを踏まえ、何度切っても生える柳のように、二人の仲は変わらない、の意を込めたものか。
- 「はゞかりなし」
- 『論語』の「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」を踏まえる。「改まらざるものは心なり」と言う行成に、作者が論語で切り返した。
- 「のりたか」
- 橘則隆(のりたか)。六位の蔵人で、作者たちが気安く接していた人物。
解説
作者と藤原行成との親しい交友を描いた、よく知られる日記的章段である。行成は外見はまじめで地味だが、作者はその真価を見抜いており、『史記』の言葉を言い交わすところに、二人の知的な信頼関係がうかがえる。
顔を見せまいとする作者と、それを尊重する行成とのやりとりは、平安時代の男女の距離の取り方をよく示している。最後に行成が作者の寝起きの顔をのぞき見てしまう場面は、ほほえましい落ちとなっている。帝と中宮が作者たちの寝所をからかいに来る場面からは、定子の後宮の和やかな雰囲気が伝わってくる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、209–211頁(コマ107–108)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日