枕草子 第45段 類聚的章段
池は
池の名を挙げ、水鳥の群れる贄野の池、名前に反して水のある水無しの池、采女の身投げの伝説をもつ猿沢の池など、それぞれの池にまつわる話や歌を添える。

- 1池池いけははは題
- 2勝勝かつ間間ま田田たののの池池いけ、、、いはれいはれいわれののの池池いけ。。。にえにえにえのののゝゝの池池いけ、、、初初は瀨瀨つせににに參參まいりりりしししににに水水みず鳥鳥とりのののひまひまひまなくなくなくたちたちたちさわぎさわぎさわぎしししがががいといといとをかしくをかしくおかしく見見みえええしししなりなりなり。。。水水みずなしなしなしののの池池いけ、、、「「「あやしうあやしうあやしゅうなどなどなどてててつけつけつけゝるゝるけるならならならむむん」」」ととといひいひいいしかしかしかばばば、、、「「「五月五月ごがつなどなどなどすべてすべてすべて雨雨あめいたくいたくいたく降降ふらららむむんとととするするする年年としははは、、、このこのこの池池いけににに水水みずととといふいふいう物物ものなくなくなくなむなむなんあるあるある。。。又又また日日ひのののいみじくいみじくいみじく照照てるるる年年としははは春春はるのののはじめはじめはじめににに水水みずなむなむなん多多おおくくく出出いづるづるずる」」」ととといひいひいいしししなりなりなり。。。むげむげむげににになくなくなくかわきかわきかわきてててあらあらあらばばばこそこそこそさささもももつけつけつけめめめ、、、出出いづるづるずるをりをりおりもももあるあるあるなるなるなるををを一一ひとすぢすぢすじにににつけつけつけゝるゝるけるかなかなかなととといらへいらへいらえまほしかりまほしかりまほしかりししし。。。猿猿さる澤澤さわののの池池いけ、、、釆釆うね女女めののの身身みををを投投なげげげゝるゝるけるをををきこしめしきこしめしきこしめしててて行行ぎょう幸幸こうなどなどなどありありありけむけむけんこそこそこそいみじういみじういみじゅうめでたけれめでたけれめでたけれ。。。「「「ねねねくたれくたれくたれ髪髪がみををを」」」ととと人人ひと丸丸まろがががよみよみよみけむけむけんほどほどほどいふいふいうもももおろかおろかおろかなりなりなり。。。御御おまへまへまえののの池池いけ又又また何何なにののの心心こころにににつけつけつけゝるゝるけるならならならむむんとととをかしをかしおかし。。。鏡鏡かがみののの池池いけ。。。狹狹さ山山やまののの池池いけ、、、みくりみくりみくりととといふいふいう歌歌うたのののをかしくをかしくおかしく覺覺おぼゆるゆるゆるにににやややあらあらあらむむん。。。こひぬまこひぬまこいぬまののの池池いけ。。。原原はらののの池池いけ、、、「「「玉玉たま藻藻もはははなななかりかりかりそそそ」」」ととといひいひいいけむけむけんもももをかしをかしおかし。。。ますだますだますだののの池池いけ。。。
現代語訳
池は。
勝間田の池。磐余の池。贄野の池は、初瀬に参詣したときに、水鳥がすき間もなく飛び立ち騒いでいたのが、たいそうおもしろく見えたのである。水無しの池は、「どうしてこんな名をつけたのだろう」と言ったところ、「五月など、雨がひどく降りそうな年は、この池に水というものがなくなるのです。また日がひどく照りつける年は、春の初めに水がたくさん出るのです」と言ったのである。まったく水がなく乾ききっているのならともかく、水の出る時もあるそうなのに、一面だけを見て名をつけたものだなあと言い返したかった。猿沢の池は、采女が身を投げたのを帝がお聞きになって行幸などなさったというのが、たいそうすばらしい。「寝くたれ髪を」と人麻呂が詠んだというほどのことは、言うまでもない。御前の池は、また何のつもりでこう名づけたのだろうと、おもしろい。鏡の池。狭山の池は、「みくり」という歌がおもしろく思われるからだろうか。恋沼の池。原の池は、「玉藻は刈るな」と歌ったというのもおもしろい。ますだの池。
意訳
池の名を挙げながら、作者は旅の思い出や伝説、和歌を次々に重ねていく。初瀬詣での途中で見た水鳥の群れ、名前と実態の合わない水無しの池への疑問、帝の寵愛を失って猿沢の池に身を投げた采女の悲話。池の名ひとつから、さまざまな物語が広がっていく。
語釈・文法注
文法
- 「一すぢにつけゝるかな」
- 一方の面だけを見て名づけたものだなあ。
- 「ねくたれ髪を」
- 「我妹子が寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき」(大和物語・拾遺集、柿本人麻呂の作と伝える)。猿沢の池に身を投げた采女を悼んだ歌。
- 「玉藻はなかりそ」
- 「な…そ」は禁止。玉藻を刈ってはいけない、という古歌の一節を踏まえる。
解説
池の名を挙げた類聚的章段である。作者自身の初瀬詣での体験、土地の人との問答、和歌や伝説が自在に織り込まれている。
猿沢の池の采女の話は『大和物語』に見え、奈良の帝の寵愛を失った采女が池に身を投げたという悲話である。作者は「行幸などありけむこそいみじうめでたけれ」と、その死を悼んで帝が池に行幸したことをたたえている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(枕草紙) 板倉屋書房、明治36年(1903)、202頁(コマ104)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日